染人への旅  Vol.7    正倉院 1   目次  top     


 ○前回、上代飛鳥時代までの我が国の染織事情・歴史を紐解いて参りましたが、
 この度はいよいよ奈良・正倉院の御物について記述して参りたいと思います。

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*参考年表*

593年 聖徳太子せ摂政となる      隋王朝の興隆

594年 仏教興隆の詔    
 
603年 冠位十二階の制定        イスラム教の勃興(マホメッド)

622年 聖徳太子逝去          唐の隆盛
    天寿国曼荼羅繍帳 

642年 蘇我入鹿執政となる       ササン朝ペルシャ亡ぶ
    大化の改新

672年 壬申の乱

694年 藤原京に遷都

701年 大宝律令成る

710年 奈良・平城京に遷都

752年 天平勝宝4年 東大寺大仏開眼

756年 天平勝宝8年 聖武天皇崩御
   光明皇后 天皇の遺愛品を東大寺に奉納
   正倉院御物

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○天平勝宝8年(西暦756年)。
 仏教の擁護・興隆に生涯を賭した聖武天皇が崩御されると、
 后の光明皇后は悲しみの中、六月二十一日・天皇の七七忌(四十九日)
 にその遺愛品、六百数十点を大仏に奉献しました。

 更に、天皇の一周忌には斎会を大々的に執り行い、その際に用いられた
 法具や荘厳具なども献納しました。

 加えて東大寺の寺宝等、総数九千点余りを一堂に収蔵した倉が、正倉院です。


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【正倉院】

正倉宝庫と呼ばれ、檜造り・寄棟本瓦葺・高床式の木造建築物。
東側に正面を取り、北側より、北倉・中倉・南倉からなり、南北に長い。

南北両倉は、校倉造り。中倉は板壁。

総高約   14m
奥行き約  9,4m
南北長さ約 33m

現在は、戦後建てられた鉄筋鉄骨コンクリート製の「東宝庫」「西宝庫」と共に
三構成で収蔵中である。

収蔵品の数々は、奉納された折の献納目録である「国家珍宝帳」に、その内容が
詳細に記載されているが、その中身を見ると------


○聖武天皇直筆の書巻集(手紙と文書)
○樹下美人図(鳥毛立女)、麻布山水図などの絵画
○平脱・螺鈿(へいだつ・らでん--共に金銀・雲母などを用いた漆工芸)八角鏡、
 香炉、香合、厨子、須恵器・二彩・三彩等の陶器、などなどの什器類
○棊局(ききょく--碁盤)、双六盤、などの遊具
○伎楽面
○螺鈿紫檀五絃琵琶、和琴、笙、篳篥、尺八などの楽器
○文箱、筆、硯などの文具
○太刀、弾弓などの武具
○麻布菩薩像、仏画、法具などの仏具
○工匠具
○薬物
○瑠璃坏(るりのつき--さかずき・たかつき)、壺、勾玉、水晶玉などの
 ガラス・玉宝飾品
○染織布帛品類

    ・・・等々に分類できる。

★特に収蔵布帛類に関しては、所謂「正倉院裂れ」と称して名高く、種類・質・量
 共に豊富で、上代におけるあらゆる染織技術の網羅・宝庫と言って過言ではない。

 又これらの品々は、すべてこの時代の服飾調度に用いられたものであり、実際に
 東大寺の法会などで使用された実用実物品であることも、刮目に値するもので
 ある。

★そして最も特筆すべき事柄は、この時代にあって、初めて我が国独自の「紋様染」が
 始まったであろう事である。
 それまでは、只単色乃至は数色を掛け合わせて色糸に染めていただけであったのに対し
 この時代よりは、「柄」を染め出し始めたのであって、この事は永い染織史上における
 画期的な出来事、紋様染の原点を意味する上で重要である。

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○それでは、具体的な実物資料を見てゆくことに致しましょう。

≪語句の解説≫

既に説明済みの語は、重複を避けたいと思いますが、重要な語句のみ
簡単に解説を加えておきます。


錦(にしき)
 複数の色糸を使用する、紋織物の総称。

 緯錦(ぬき--よこ にしき) いきん 横糸で紋様を出だす錦。
 経錦(たてにしき) きょうきん 縦糸で紋様を出だす錦。
 綴錦(つずれにしき) 彩緯(いろぬき)で紋様を表す錦。


綾(あや)
 様々な模様を織り出した絹地。
 たて・よこ糸共同色で、地と紋様とを斜めの組織で織り出しているので、
 あや--斜めの意--と言う。
「正倉院裂れ」でも、中国風から和風花紋へと移行の兆しを見せている。


夾纈(きょうけち)
 はさみ染め・板締め染め。
 何枚かの布を一遍に挟めたようで、多少量産出来たもようである。
 しかし細かな技法に関してはまだ、正確には不明の点が多い。


纐纈(こうけち)
 所謂、しぼり染め。
 鹿の子絞りの原型のような方法で染めてある。
 縫い絞りもあり、デザインは単純なパターンの繰り返しだが、
 今見ると現代にも通用するような、捨てがたい美しさがある。


昴秩iろうけち)
 今日のロウケツ染。
 正倉院には、薬物として「蜜蝋」が保存されている。
 それを用いたかどうかは不明だが、そう考えるのが自然であろう。
 
 サラサや現代のロウケツ染めのように、筆や筒を用いたものではなく、
 木型でスタンプ式に蝋を布に押し付けて防染の用としたものである。
 当然、大きさに限度がある。
 一定の間隔を置いて、規則的に柄を並べたものが多い。


○上の三纈(さんけち)が、染織品中最も有名なものですが、以下実物資料を
 追って行きます。


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★解説が大変長くなりますので、ここで一旦区切らせて頂きます。


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○前回 「Vol.7 〜1」の補足です。

 正倉院の解説の項で、「・・・九千点余りを一堂に収蔵・・・」
 と記述しましたが、そららは主なるものだけの数のようで、
 別の資料によりますと、染織布帛類だけで、未整理のもの、
 例えば小裂れ・端裂れの類も加えますと、その数実に十数万点に
 のぼる・・とありました。

 その資料も若干以前のものですので、今は又大分整理がついている
 のでは、と思います。
 どちらにしましても、大変な量です。

○以上、補足させて頂きました。
 では又宜しくお願い致します。