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今なぜ日立鉱山か?
皆さん、日本の公害というと足尾、水俣、四日市、伊丹空港などが思い浮かぶと思います。特に小学校、中学校の社会教育では足尾鉱毒事件と水俣病が大きく取り上げられています。足尾鉱毒事件における田中正造は日本の反公害運動の嚆矢であり、水俣病は現代鉱業が起こした公害の悲惨さと不合理を説明して余りあります。両者に共通するのは、企業とそれに結託した政治、それに対する無力な地元民という構図です。まさに近代鉱業社会の不合理が凝縮して、足尾、水俣をはじめとする公害に現れているのです。
足尾では、古河鉱業は地元民と始めまともな交渉を持たず、硬化した地元民は先鋭化し、両者は衝突、政府による鎮圧、田中正造による天皇陛下への直訴へとエスカレートしました。渡良瀬川遊水池によって何とか解決しましたが、水没した村の人たちは決して納得できなかったでしょう。さらに足尾は現在も岩肌をさらしたままです。水俣では、原因がチッソの工場廃水に含まれる有機水銀と判明してからも、国とチッソはそれを認めず(原因が判らない間はまだ許せないこともないでしょうが)、さらに数年間排水を流しつづけました。排水の処理方法が見つからなかったからです。明らかに悪いのは企業側です。
しかし、そこで私は思うのです。企業が一方的に悪い例ばかり広めて、果たして公害が解決されるのだろうか?その輝かしい反例として日立鉱山があります。日立では、日本鉱業と地元民はまず交渉の場につきました。日本鉱業もできるだけ圧迫的な態度は取らないように努め、地元民も入四間の関右馬允さんのようにすばらしい人が出て粘り強い交渉が続けられました。さらに重要なのは、企業側が気象観測所を立てたり、調査班を設けたりして、科学的に解決方法を探ったことです。野次と怒号の中からは決して解決方法は生まれないのです。そして、遂に人間の信頼と理性は公害に打ち勝ったのです。公害は確かに悲惨です、しかし人間はそれを乗り越えることがきっと出来るのです。その例として日立鉱山をもっと全国に広める可きだと思います。企業に対する不信感を子供に植え付けても、それは不毛というものです。