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確かに、怨霊を静めるためだけにあれだけの長編を書いたというのは不自然な気もします。「源氏物語」多作者論を採ったとすると、「原・源氏物語」の分量は半分になってしまいますが、それでもフィクションとしては当時でも世界一の長編でしょう。それを、源高明および兼明失脚には直接には無関係な下級貴族の娘である紫式部が、必死になって鎮魂の長編を書くのはおかしい。紫式部には、望外の幸運に恵まれて出世する貴公子と、彼が織り成す恋愛という
アイデアを元々持っていたのでしょう。シチュエーションからも、主人公は賜姓源氏にしようと言うアイデアも既に持っていたかもしれません。しかし、文学的に素晴らしいとはいえ、藤原氏にとっては「かたはらいたき」内容であることには変わりないのです。ましてや紫式部は藤原道長の娘彰子に仕えていたのです。言霊の国では、右大臣家(当時の人にとってそれが摂関家であることは火を見るより明らかだったでしょう)が負ける物語を書くことは大変危険なので
す。
もうひとつ「逆説の日本史4」に書いてある重要な問題があります。原稿用紙の問
題です。紙は当時貴重品でした。いくら彰子の女官とはいえ、大長編を書き記すほどの紙はそうそう手に入らないでしょう。「枕草子」には、「定子からいただいた紙(いただいたのは長徳の変の最中)に「枕(草子)」を記した」とわざわざ書いてあり
ます。紙の出所は、使い手に影響を与えるのです。井沢先生がおっしゃるように、それは藤原道長だと私も思います。さらに紫式部は道長の妾であったという説が古来からあります。これには賛否両論がりますが、2人はそれなりに親密だったのでしょう。井沢先生のおっしゃるように、多分権力者の征服欲のなせる技であろうとは思いますが…
このように、「源氏物語」は道長の圧倒的な影響下で書かれたことは間違いないでしょう。つい最近まで、世界中において文化と政治は未分化でした。文化には必ず権力者の意向が反映しているのです(あるいは権力者への反抗が)。道長の意向とはなんでしょうか?「源氏物語」を読んだ人々はすぐに光源氏のモデルは源高明(あるいは兼明)だと知るでしょう。「物語」の世界で活躍することによって、源高明の妄執は和らげられるのです。道長は高明らの子女を保護していましたから、怨霊が彼の身に降りかかるとはおもはなかったでしょうけれども、道真公の怨念は時平の孫の世代にまで報いました。源高明を失脚させたのは道長の親の世代ですが、道長に怨念が降りかからないとも限りません。あるいは、中の関白家の没落は源高明の怨霊のせいではないか?というおもいが道長の脳裏をかすめたかもしれない。
「源氏物語」の中で光源氏が活躍することは道長の利益になるのです。また、道長の後ろ盾には賜姓源氏がいるわけですが、彼等も道長が「源氏物語」
のスポンサーであることを見て、ますます道長のために働こうと思うわけです。「源氏物語」はその文学的価値自体で独り立ちできますが、それとて書かれた時期の政治とは無縁でありえないのです。