2001/12/23



尊王思想の研究14―尊王攘夷を精神分析する


後期水戸学によって、内政問題の解決と、外交問題の解決が不可分にされました。ここでは尊王攘夷が、近代日本人の自我にとってどのような意味を持っていたのかを考えてみたいと思います。


心理学の世界では多分異端なのでしょうが、岸田秀さんの史的唯幻論が一番ぴったり来るのでそれを使いたいと思います。詳しくは「ものぐさ精神分析」(中公文庫、岸田秀)を読んで下さい。


史的唯幻論によると、人間は本能が壊れた動物であり(本能の連関がずたずたになっている)、そのままでは現実世界と接して行動することが出来ない。そこで、自分に都合のよい幻想で自分が理解できる形に世界を再編成する必要があるといいます。その幻想の中で生きていくといいます。そして、人間社会は共同の幻想を持つ人々によって作られるので、多かれ少なかれ、人間の行動は個人的にも集団でも、精神病の様相を呈しているといいます。


岸田秀さんによると、近代日本は精神分裂病でありそれは今も続いているといいます。精神分裂病者は、見た目には大変人当たりがよいのですが、内面では社会的に不適応な考えを抱いていて、この2つの自己の間で自我は引き裂かれます。社会的に適応しようとすると、内面が置いていかれ、内面の自己を前面に出そうとすると社会的に不適応になる。


近代の日本は、黒船の圧倒的なパワーの前に、ゆりかごのような鎖国という世界を破壊されました。鎖国は、自閉です。自閉状態では、唯我独尊的になりがちです。西洋近代の前に無力さをさらけ出さされた日本人は、適応しようとすれば、自らの伝統を捨ててなりふり構わず西洋の文化を取り入れざるを得ない。これは屈辱です。何故なら、鎖国という外界から遮断された環境の中で小中華意識に日本人は漬かっていたからです。しかし、プライドを守ろうとすれば、絶望的な攘夷戦争を行わざるを得ない。日本人の自我は引き裂かれました。


ここからは私の解釈になりますが、プライドを守るために持ち出されたのが、後期水戸学の天皇像でした。後期水戸学の国体論においては、天皇は無謬の存在です。自らのプライド(内的自己)を天皇に全て押し付けて、残りの日本人は適応するための外的自己に徹することになりました。この同意は昭和初期までは保たれていたと言えます。


幕末の尊王攘夷は、この同意が出来る前の内的自己と外的自己がせめぎあった期間です。内的自己を代表したのが孝明天皇と尊王攘夷派の志士、外的自己の代表は徳川幕府でした。


孝明天皇は、どれだけ冷静な説明を幕府や公武合体派の公家からされても、条約を許そうとはしませんでした。それもそのはず、内的自己そのものだったからです。最後に孝明天皇は条約を許可してしまいますが、内的自己が外的自己に最終的に負けてしまったいえます。これ以後孝明天皇の影響力はなくなってしまいます。なりふり構わず日本人の自尊心を満足させる言動をすることに、孝明天皇の存在価値はあったのではないでしょうか。


ここで着目して欲しいのが、孝明天皇が何故幕府に対して拒否解答をすることが出来たかと言う事です。17〜18世紀の天皇だったら幕府に対してそんなことを言えるはずがありません。光格天皇が、朝廷の権威を引き上げてくれた効果に他なりません。


幕末から80年後、再び内的自己が復活して、日本は太平洋戦争に邁進しますが、心理面だけで考えると、太平洋戦争とは「攘夷」です。内的自己がなりふり構わず自己実現する過程ですから、合理性もくそもありません。国家が攘夷に邁進したときに、それを止めようとしたのが、かつて頑なに攘夷を主張した孝明天皇の曾孫の昭和天皇であったことは、最大の皮肉といえるのではないでしょうか?