2002/1/31



尊王思想の研究18―天皇制無責任体制


こうして見ると、大日本帝国憲法にいう「天皇」とは、むしろ国家とでもいうべきもので、国家のやるべきことを天皇の名において行うと規定していることがわかります。


その国家も国会、政府、政党、官僚、軍、枢密院、元老などいろいろな勢力が張り合っていて、決して国政を一手に握っていた存在ではありませんでした。むしろ大日本帝国憲法は最高権力者を天皇とするあまり、国政をまとめあげるリーダーがいなくなってしまい、戦前の日本は国政の決定が混乱しがちでした。 内閣総理大臣が他の国務大臣と同格とされてしまったため、首相と他の国務大臣の利害が対立したときに、首相は強力なリーダーシップを発揮出来ませんでした。


陸軍は大臣現役武官制を利用して、陸軍大臣を推薦しない、という形で何度も内閣を流産させたり倒したりしました。軍部は、軍と内閣とは同格の天皇に直結した組織であると考えていました。ですから、曲がりなりにも民意を反映している議会の支持を受けている内閣、あるいは元老や宮中が決めた首相をつぶしても、軍部は良心の呵責を感じませんでした。内閣は天皇を輔弼します。軍もまた天皇の統帥権が発揮されます。軍が内閣の妨害をすることは、やはり天皇の大権を犯しているはずで、昭和前期にそのことを指摘する人は多くいましたけれども、ますます独善的になっていく軍部はそれに耳を貸しませんでした。それは軍は正しくて、正しいからこそ天皇と同じ心であると考えていたからです。それどころか、軍と昭和天皇の考えが明らかに違っていたときは、昭和天皇を無視しようとすらしました。


指揮系統の混乱は昭和前期の色々なところで見られます。そもそも、首相は誰が決めるのか?衆議院なのか、元老なのか、あるいは陸軍三長官会議なのか。行政の方針は誰が決めるのか?官僚が決めて良いのか、内閣が指揮するのか。失政があったときどのようにして責任を取るのか?軍が失敗をしたとき、首相が陸軍大臣を更迭できるのか、しかしそれが統帥権の干伐であるのならば、一体どうやって軍に責任を取らせるのか。天皇が軍の人事に口を出して責任を取らせるべきなのか?しかしそれは天皇の神聖不可侵を侵すのではないか?交戦国との和平交渉は外務省が行うのか、あるいは陸軍が行うのか、それとも占領地行政を行っている興亜院が行うのか?


伊藤博文、山縣有朋、大山巌といった元老が健在な間は、彼らが行政・内閣・軍・宮中のトップに立って、利害関係の調整を行っていましたから、このような大日本帝国憲法の問題点は露出しませんでした。しかし、昭和になって元老が死んでしまうと、国家の各部分は己の利害をむき出しにし始めて、日本の国政は混乱します。


軍部はこの混乱しがちな国家の意思決定を一手に握ることによって、彼らの言うところの「非常時」を乗りきろうとしたのですが、このとき天皇はむしろないがしろにされます。