2000/5/23
2001/5/14タイトル変更
「孟子」を積んで日本へ行こうとすると必ず難破をすると書いたのは「雨月物語」でしたっけ。「太平記」前半の書き手が,南朝滅亡を見ていれば,それを易姓革命と表現したかもしれません。権臣は滅ぶ、徳のない君主は(忠臣がいくら助けても)滅ぶ、あれだけクールに朱子学の視点で歴史を書いたのだから,その結末としては易姓革命がふさわしい。
何故中国人が易姓革命をしても平気なのか?それは中国人のアイデンティティーが儒教思想(礼楽、孝、弟などの徳目)にあるからです。儒教思想さえ存続していれば、皇帝の血筋は変わっていても問題ないからです。ただし、正統な皇帝はただ一つ。これにはこだわります(現在の「一つの中国」云々もこれが原因、台湾独立はチベットやウイグルの独立とは意味が違う)
日本人のアイデンティティーは天皇と密接につながっています。日本人は人間関係を血縁に「なぞらえて」組んでいきますから(本当の血縁とは別遺伝的な血縁には余りこだわらない。しかし人間関係を擬似血縁で結んでいくきんたろうさんが平将門で述べた坂東武士の血縁ネットワークにもつながります)家族的な組織,これが日本の組織の理想です。
これは逆説的なのですが、本音が建前と乖離すればするほ,建前を教条的に守る必要がでてくる。これがアイデンティティーの特徴です。日本人は実生活で擬似血縁を多用すればするほど真の意味で血縁を守る天皇家を必要とすることになります。「血縁は大事」という建前を完全に崩すと血縁になぞらえて築いてきた人間関係が全て崩壊して日本の社会は停止します。したがって天皇家にだけ理想的な血縁を保ってもらいそれを真似して社会を築いてきたのが日本人といえるでしょう。天皇家が原本でそれをコピーして配役を入れ替えて生活をするのです。面白いことに建前さえしかっりしていれば実生活でどれだけ血縁原理と離れた事をしても平気になるのです。
もしも日本人全員が血縁原理をしかっりと守っていたら、中国や朝鮮のように国よりも一族を大切にし(これも一つの生き方)これほど急速に近代化は出来なかったでしょう。本当に組織=家族になってしまっては組織は機能を停止します。家族的だけど合理的になれるのは血縁原理を棚上げにしてこそできる芸当です。というわけで日本では易姓革命は認められないわけです。
8世紀以前の日本史を見ていると姓をとても大切にし一族の血縁をとても重視していたようです。言うなれば蘇我氏も物部氏も大伴氏もみんな天皇家並に血縁原理を守ろうとしていたように思えます。
ここからは完全に私の推測なのですが律令制度を日本に取り入れる過程で日本人は血縁だけでつながっていた社会をいったん解体して合理性だけを原理とした社会を作らなければならなくなった。律令制度とは完璧に機能すれば世の中は皇帝だけ偉くて、それ以外は皆平等な個人になります。その中で個人が合理的に組織を動かしていかなければならない。中国でもこれが実現したのは宋代ですが、血縁制度は強く残り結局今も続いています。
そこで、今まで大切にしてきた血縁原理を天皇家だけ残して棚上げにし律令制度の中で個人が生きる社会を作ろうとした。こうは考えられないでしょうか?奈良時代と平安初期に天皇の権威は最も高まりましたがこれは天皇とその周りの貴族の思惑もさることながら、血縁社会を捨てざるを得なかった日本人は必然的に天皇家をあがめざるを得なくなったといえるのではないでしょうか?