2000/6/5
2001/5/14タイトル変更



古代天皇制 第九章 律令制度からの独立


日本は律令制度の導入によって「古代世界」の仲間入りをしようとしました。しかしそれを支えるほどの生産力はまだ日本にはありませんでした。その理由とはやはり日本は島国であるため大陸との交流がどうしても少なくて文化的には中華世界に入ったものの経済的には汲み込まれなかったことと奴隷がいなかったことであると思います。


古代日本にもかつて奴婢がいましたがヨーロッパ的な意味の全く人格が認められず売買されるようなシビアな奴隷、あるいはインドのシュードラのような魂の救済までも否定された(バラモン教での話、仏教はこれを否定)奴隷ではなかったと考えられます。


日本人のものの考え方には「奴隷」というものが欠如していると山本七平さんは述べていますし私も山本さんの著作を読む前からそれは感じていました。このことは日本人が半奴隷的な立場に立っていることにあまりにも鈍感なことから分かります。


生産力の裏づけがなく外面だけ古代国家になろうとした日本の律令制国家は単なる収奪組織でしかありませんでした。古くからの豪族は自らの地盤を崩され生き残ったのは律令制度に寄生した藤原氏だけでした。その藤原氏が日本人の中で唯一血縁原理を守ることを許された天皇家に寄生して一族の紐帯を強力に守ったのは示唆的です。


このように日本人にとって古代は失われたユートピアではありませんでした。日本の神話が豊富なのはこの埋め合わせではないか…と私は思いますがまだ証拠が少ないので思いつきの域を出ません。ヨーロッパにおいては理想の世界は古代の復活という形を取りますが日本の場合それがありません。勢い神話の世界で外国を侵略したり豊かな生活を祖先が「していなければならなかった」のではないでしょうか。


勿論神話には事実が含まれていると思います。しかしその潤色のされ方に問題はあるでしょう。戦前の芸術家が「万葉」の御世を理想化したり現代の日本における歴史ブーム(しかも古代の解明が中心)であるのは称えるべき古代を造りたいという我々の願望ではないでしょうか。これはあまりにもひねた神話の解釈かもしれません…


鎌倉幕府の成立は市民革命であったと言えます。 鎌倉幕府の成立によって直接に生産している地主が自分の土地の所有権を獲得し参政権もある程度獲得しました。鎌倉幕府は平安貴族の加持祈祷、和歌を読むだけといった宗教偏重の政治を脱し裁判・軍隊による治安維持と国防といった合理的な政治を行いました。


日本の中世も豊かさが国民的規模で実現される道でしたがヨーロッパのような古代の実現とは違いました。ヨーロッパにおいては古代の哲学、自然科学、法学の復活(中世にもそれなりに学問は進んでいましたが近代学問の成立はルネッサンスという形を取りました)日本人が現在従っている生活規範は鎌倉幕府の貞永式目(御成敗式目)以来蓄積されてきた生活の知恵のようなものです。


日本の下層民は(地主だから中層?)鎌倉幕府の成立によってやっと人間らしく生活できるようになりましたがこれは「幕府制」という天皇制を棚上げにした政治のお陰でした。南北朝、戦国の混乱もありましたが江戸時代になってヨーロッパの近代に勝るとも劣らない近世を日本人は実現します。これも幕府制のお陰で天皇制とは全く関係がありません。ここに古代天皇制と近代天皇制の間の断絶があります。


私は古代天皇制も明治国家の天皇制もあまり好きではありません。幕府制や戦後のような象徴天皇制が現実的で自分にも他人にも迷惑をかけていない良い制度だと思います。それが何故明治国家はあのような形にならざるを得なかったのでしょうか? ここから私の考えは(といってもいろんな人からの受け売りなのですが)江戸時代の尊王思想へ跳びます。しかし古代と尊王思想を結ぶミッシングリングの目星はついています。それは中国宋王朝の中央集権制を明治国家が真似した事にあるのではないでしょうか。


その芽は江戸時代における朱子学にあります。宋王朝に関しては,きんたろうさんに期待しています。唐帝国から掘り下げれば「杜子春の世界へ」につながりますし(笑)