2000/6/5
2001/5/14タイトル変更



古代天皇制 第八章 中世の再評価


古代の華やかさと比べて「暗黒の中世」という言葉があります。これはヨーロッパにあてはまり日本にも当てはまりますがイスラーム世界と中国には当てはまりません。インドに関してはヴァルダナ朝が滅んでからムガール朝までは残念ながら私は良く知りません。ただ小王朝が分立していたようです。


まずヨーロッパ中世に限って話を進めます。2世紀頃からライン以西のドナウ以北からのゲルマン人の進入は始まっていました。ローマ帝国は労働力不足を補うためにこれを受け入れます。大移動が始まるまでにゲルマン人の進入はかなり進んでいました。375年にフン族の圧迫を受けて西ゴート族がドナウ川を越えます。これがゲルマン大移動の始まりです。その後、堰を切ったようにヴァンダル族・スェヴィ族・アラン諸族・アングロサクソンジュート族がローマ帝国内に侵入します。


ガリアなどでは既にゲルマン化が進んでいたこともあり彼らは帝国内に王国を作って自立し始めます。451年のカタラウヌムの戦いでローマ帝国はかろうじてフン族を撃退しますが(このときのフン族の王がアッティラ)独力ではなくゲルマン諸族との連合軍でした。476年に傭兵隊長のオドアケルによってにしローマ帝国は滅亡しました。その後西ヨーロッパが政治的に統合されることは20世紀までありませんでした。


ここから西ヨーロッパの長い混乱が始まります。フランスの場合はカロリング朝のシャルルーマーニュによって一時安定したかに見えましたが、10世紀からノルマン人の活動が始まり地方の封建領主は割拠し再び王権は弱まります。イングランドではアングロ・サクソン諸王国の割拠、デーン人による占拠を経て1066年のノルマンディー公ウィリアムによって征服されました。その後西ヨーロッパ諸国の中では政治的には安定しやや異色の歴史を歩みます。悲惨だったのはドイツとイタリアでローマ帝国の政治的復活を図る神聖ローマ皇帝と宗教的復活を図るカトリック教会に引き裂かれて結局19世紀まで統一されることはありませんでした。


ヨーロッパの中世には全く価値がなかったのでしょうか?私は中世の役割は古代に実現された豊かさが下層民にまで広がる過程だったのではないかと考えています。 五賢帝の一人ハドリアヌス帝(在位117〜138)以降ローマ帝国は膨張政策を放棄しました。これはやがて捕獲奴隷の減少を招きました。そこで労働力確保のために奴隷に家族と簡単な農具の所有を認めたコロヌスが生まれました。没落した自由農民もこれに加わったとされています。解放された奴隷と没落した自由民を支えたのがキリスト教だったのでしょう。


古代は都市が中心の世界でしたが中世になってヨーロッパ世界は領域的な広がりを持ち始めます。命ずるままに使役されるだけであった奴隷は中世になって自立的に森林を開墾して耕地を広げていきました。封建領主は都市と離れたそのような領域的な広がりを持つ開墾地を領有しました。中央政府が無くなったので各人は自分の身を自分で守らなければならなくなり封建領主・寺院・都市民は武器を持って自衛します。


ローマ帝国時のような国境の拡大は無くなりましたが中世を通じて森林を切り開く事により世界は拡大しました。奴隷が解放されてさらに封建領主が割拠したために自己主張する主体は格段に増加し収拾が着かなくなって混乱が生じたと言えます。下層民まで加えて古代を実現したのが近代で中世はその過程だったと言えないでしょうか。