2001/2/18
推敲2/23
訂正3/14



佐竹氏への系譜 清和源氏の謎1


「清和源氏」とは日本史上に燦然と輝く名門中の名門であり、一般的には全国の武士の頂点に立つ家系として有名です。


平氏との宿命の戦いに勝利を収めた源頼朝は日本の歴史上初めて武士政権を鎌倉の地に打ち立てました。彼の巨大な存在こそが「清和源氏」の名前を不動のものにしたように思っています。そして次の武士政権である室町幕府においても同じく「源氏」の嫡流を自認していた足利尊氏が征夷大将軍として君臨する事になります。さらには戦国時代最後の覇者である徳川家康もまた自らの出目を「新田系清和源氏」であると自称しているのです。(かなり信憑性に欠けると言われていますが...)これほどまでに武士達にとって「清和源氏」の系譜とは最高の血統を意味するものだったのです。


栄枯盛衰、盛者必衰の世の中にあって佐竹氏は「清和源氏」の本流に最も近い系譜を最後まで伝えた家系としても有名です。しかし、武士にとって最高の名門を意味する「清和源氏」もその発祥について焦点を当てて見るといろいろな矛盾点を見つける事が出来るのです。これが「清和源氏の謎」と言われている原因です。


ところで「源氏」の名前の起こりとは第52代天皇である嵯峨天皇が自分の子供達に「源氏」の姓を与えた事から始まります。つまり「源氏」とは「清和源氏」ばかりではありません。驚くことに「源氏」は21流もあるのです。21人の歴代天皇経験者達を尊属に持つ彼らに与えられた姓が「源氏」なのです。これは天皇家の一族(=皇族)の籍から抜ける事を意味していました。皇籍を離脱した結果として彼らは必然的に臣下の列に下ることになります。つまり天皇家の相続権を放棄させて家臣の地位に位置づけるという事でもあったのです。


その時に同時に行われるのが「賜姓」なのです。天皇が姓を与えて、それを受ける事とは政治的な意味があると言われています。天皇を上位者と認めて忠誠を誓ったことになるからなのです。しかし、それは名前には霊的力が宿ると思われてきた事も大きな原因であったように感じています。いわば名前とはその人の「パスワード」と捉えられていた様な印象を持っているからです。


皇族とは一体何処までのレベルを意味するのでしょうか??勿論皇族とは天皇の親族の事を意味していますから天皇の血筋を受け継ぐ者達がその資格を持っている事になります。しかし、一定の限度を設けないと日本国中に皇族が溢れてしまう事になるのは容易に想像が付きます。その様に考えれば記録に残される以前から臣籍降下はあったと言えるのです。つまり「賜姓」というシステム(とまで言っていいのかどうかは??)は古代から行われてきた筈だと思っています。


実際の運用は弾力的にされていたようですが「継嗣令」によると第6世から臣籍降下するように定められていました。古代における結婚とは現代の私たちの感覚からするとかなり近い血縁者者同士で行われていましたから、天皇家の血筋から遠ざかるばかりではなく、再び極めて近い近親者のレールに登場する場合が多かったように思われます。その様な環境の中では5代、6代後の子孫はもはや他人であると判断されたものと思われます。