出雲の置きみやげ



出雲王朝は大和朝廷より最高の位である「臣」をうけています。これは出雲の勢力がかなり大きかったことの証明になるのではないかと思っています。


神話を自分なりに解釈すると大国主は案外あっさり降参したような気がします。しかし彼の息子達は最後まで戦い抜きました。
義経の逃亡記、または太平記のように今の新潟から諏訪まで逃れてきて果てました。(尼子十勇士の鹿之助にイメージがダブってきます)


その時、大和側の大将が茨城県鹿島出身者だったことは間違いがないと思っています。そして多分大和軍とは鹿島出身者の集団でもあったはずです。


出雲についてまず思ったのは「もののけ姫」の故郷だという事です。 あの中で製鉄のシーンがありましたが、出雲王朝もまた鹿島と同様に鉄の産地だったからこそ、強力な軍事力を備えることが出来たのではないかと思います。


それは当然の事ながら鹿島とは比較にならないほど大和にとっては脅威だったという事を意味します。

出雲王朝は歴史の彼方に消え去りましたが、その痕跡はまだ私たちの何処かに残っているはずです。 例えば神無月ですが、出雲ではこの月のことを「神在り月」(漢字については当て字 、未確認)というそうです。


日本語の音では「かみ」と発音する漢字は「神」「守」そして上下の「上」という字があります。 そしてこの場合は支配者、非支配者という関係から考えると元々は「お上」「下々」 という上下関係の意味が最も多く含まれる漢字を使う事こそが正しいのではと思います。 おそらく大国主と呼ばれる王の配下であった武将達が全国各地の代官=大名として派遣されてい多のではないかと思います。


そして彼らは税の徴収権を持っていたのでしょう。収穫が終わった後、本拠地である出雲に税を納めに行ったのではないでしょうか。


だから毎年ボスが出張するその月は出雲以外の地域では「上=守=神」がいなかったということだと思います。