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日本海軍の給油艦は、 投稿者:太田守人 投稿日:12月12日(水)17時14分28秒
いまでゆう情報収集艦でもあったようで、平時には、アメリカから原油を買い付けついでに、アメリカ軍の無線傍受を主任務としていたようです。通信関係は、戦艦よりも立派だったとか。給油艦の艦長及び通信長は、無線関係のエキスパートが任命されたそうです。ただ、スピードはえらい鈍足で、普通8ノット(時速約15キロ)、風があるとマストに帆をはり、12ノット(時速約20キロ)で、向かい風になると、3ノット(時速5キロ)くらいで航海していたそうです。ただ、アメリカは、こんなボロ船が情報収集をおこなっているとは思っていなかったようです。
Toshyさんのおしゃるように、日独伊三国同盟とは、日本にとってなんだったのだろうと思います。戦争中の連絡にしても、潜水艦しか利用なかったのですから。ただ、日本海軍がイギリス嫌いになったのは、第1次大戦でシンガポール等のイギリスの港に入港しても、いつも白人国の軍艦が接岸できて、日本の軍艦は、港外に錨を下ろして停泊していたそうです。この当時、ドイツの巡洋艦「エムデン」や「カールスルーへ」、「ゼアドーラ」というのが、太平洋を荒らしまわっていましたので、この時は、砲に番兵を立て、実弾を装填して停泊していたそうで、洋上にいた方がよほど楽だったそうです。ある、日本の巡洋戦艦の副長など、イギリスのやり方にきれてしまい、シンガポール停泊中、夜探照灯の操作員を集めて、「探照灯照射。目標、イギリス東洋艦隊旗艦。」と言い、イギリス極東艦隊旗艦に探照灯照射したところ、丁度ダンスパーテイの最中で、招待されていた貴婦人達は、あわててひっくりかえるは、ドレスを引っ掛けて破くは、大騒ぎになったそうです。開戦時、大佐だった人が、この時少尉で戦後「この時のイギリスの冷たい態度が、海軍を三国同盟に走らせた、第1次大戦当時の少尉・中尉が、三国同盟時、大佐・中佐の中堅どこになっておったのが大きな理由ではないか?」と言っていたのを何かで読んだことがあります。
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日独伊同盟 投稿者:Toshy 投稿日:12月12日(水)16時16分22秒
ドイツとイタリアはわかりますが、日本にとってメリットって何ですか?
太平洋戦争なんて、日本が孤軍奮闘の様相だったと思います。
さて先ほど新聞の取材を終えてきました。
「打倒井上靖・打倒司馬遼太郎」という、とてつもないことを会報に書きましたが(わら
地域全体の活性化に大きなアドバルーンをあげた、と自分では思っています。
http://homepage2.nifty.com/snowwolf/index.htm
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きんたろうさん 投稿者:太田守人 投稿日:12月12日(水)15時40分34秒
でも日本海軍の燃料の備蓄は、よく貯めたと思いますよ。イタリア海軍など数ヶ月分の備蓄しかなく、開戦早々燃料不足で、艦隊が動けなくなり、ドイツから別けて貰ったそうです。イタリアの参戦について、ヒトラーの面白い小話があります。(将軍)「総統。イタリアが参戦しました。」(ヒトラー)「しめた。すぐ1個大隊を派遣し、殲滅せよ。」(将軍)「いえ。総統味方としてです。」(ヒトラー。失望して。)「ちぇ。では仕方がない、1個軍団を派遣し,イタリア軍を補強せよ。」この話がほんとかどうか知りませんが、イタリア参戦時にヨーロッパでまことしなやかに言われていたそうです。艦隊の航行法に、サーフィン航法というのがあります。先頭艦から500mの距離を離して、後続艦が航行すると燃料が5%だったか後続艦が節約出来るそうです。この航法も、日本海軍のオリジナルだったそうです。ただ、船というものは、舵を切ってから、最低でもその船の全長分走らないと、舵をきれないそうですので、この航法も相当熟練を要するそうです。
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潜水艦の 投稿者:太田守人 投稿日:12月12日(水)13時59分37秒
潜航中は、ゴミや排泄物は圧搾空気で排出します。戦時中は、浮上するまでトイレを使えず、敵駆逐艦の爆雷攻撃を受けている場合は、数十時間我慢せざるを得なかった(緊張で生理欲求をあまり感じなかったともいいますが。)ですが、潜水艦長からこの話を聞いた、日本海軍の友永技術中佐が、この潜航中でも使用できるトイレを発明しました。ただ、圧搾空気は潜航・浮上にも使用するので、1日1回でそれまでは汚物タンクにためるそうです。圧搾空気の排出音は、結構うるさいので、敵ソナーに聞かれることもあるので、この汚物の排出には、どこの海軍も艦長や当直士官の許可がいるそうです。また、潜水艦のトイレは、4つから5つぐらいのバルブが付いていて、その操作を間違えると、水が止まらなくなり、過去に外国でトイレの操作ミスで沈没した潜水艦もあったそうです。潜水艦のトイレの操作を間違えると、それこそ「うんのつき」です。
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洋上補給の話 投稿者:安部奈亮 投稿日:12月12日(水)12時47分09秒
面白いですね。結構そんなところで軍隊の能力が限定されてくるのかも。
人間も機械も食べることと便所がちゃんとしていないとどうにもなりませんからね。
そういえば,潜水艦はうんこや小便をどうやって排出するのでしょうか?港に着くまで保存しておくのでしょうか?あるいは圧力をかけて排出するとか。でもそれだったら位置がわかってしまうかもしれないですね(笑)トイレの臭いは漏れないようになっているかということにも興味がありますね。こもったら大変そうだ。
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海上自衛隊では 投稿者:太田守人 投稿日:12月12日(水)11時59分27秒
補給艦の艦長に任命されるという人は、操艦の名人ということで尊敬されるそうです。潮や風により、微妙にスクリューの回転を上げ下げしなくてはならないそうです。今は、西側海軍では、アメリカの開発した、FASTというコンピュータ制御の装置で補給作業を行っていますが、補給艦と受給艦が50m位で補給を受けるため、相当高度なテクニックを要求されるそうで、今は、ミサイル等の高級品やジェットエンジンという重量物は、洋上補給では海に落ちることがあるので、バートレップというヘリコプターで補給するそうです。大体、補給品が1トン未満でないと洋上補給は、波や風の影響で不可能で、ロシア海軍のミサイルは、ほとんどが1トンを超えるため、洋上で走りながらの補給は出来ないそうです。
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面白い話題が 投稿者:きんたろう 投稿日:12月12日(水)03時20分11秒
いっぱいですね。
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>洋上補給 投稿者:きんたろう 投稿日:12月12日(水)02時57分42秒
については全く知りませんでした。
あまり言われてはいませんが確かに燃料の補給は重要ですよね。
確かにこれがクリアされていないと軍艦もただの鉄の塊に過ぎませんからね。
補給するときの形態が二通りある事についても知りませんでした。
そう言えば以前テレビでアメリカ軍の戦闘機が空中給油をするシーンを見たことがあります。
あのものすごい技術力には驚きました。
船の場合は波が障壁となって補給を困難にさせる訳ですね??
開戦当時日本の石油の備蓄は1年半くらいだったと思います。
当時の日本はアホだったと言われれば確かにその通りだと思いますが、アメリカの対日政策もかなりえげつないものだと思います。
国民の士気を鼓舞できる、勇壮な曲がないかと探し出したのがアメリカ国歌だったとは!!^^;;
これには笑えました。
でも確かに品があってかつ勇壮な曲に間違いはありませんね(;^_^A
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明日(というか今日ですが) 投稿者:安部奈亮
投稿日:12月12日(水)02時25分25秒
ゼミで研究の中間発表がある、だからここ1週間まともに寝ていない・・・
だから下の文章なんだかわけがわからんくなってますね。
これだけ苦労しても多分ツッコミどころ満載なんだろうなあ、ああ面倒じゃ。
明日発表が終ったら思いっきり酒飲んでおもいっきり寝るぞ!
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イングランドとアイルランドの関係 投稿者:安部奈亮
投稿日:12月12日(水)01時37分11秒
日本と朝鮮に似てはいますが、向こうの方が厳しいですね。
紳士的なイギリス人も、アイルランドの話になると、差別感情をむき出しにします。
アイルランドとイギリス本島の距離は本州と四国くらいしか離れていません。ですから両国の交流は古くから密接です。
アイルランドとイングランドとの間を決定的にしたのはクロムウェルです。清教徒革命を指導した彼は、その後アイルランドに攻め込み、彼らの土地を収奪してイングランド人に分け与えて、アイルランド人をやせた保留地に追いやります。アメリカ人がインディアンに対して行った行為は、クロムウェルがアイルランドにおいて行った行為の真似であるのでしょう。
文化と農業を破壊されたアイルランド人は、17〜19世紀にかけて何度も飢餓に襲われます。祖の旅に人口を減らし、生活できなくなった彼らは、イギリスで賃金労働者となるかアメリカへの移住を余儀なくされました。イギリス産業革命を支えた労働力となります。しかし彼らが劣悪な条件で働かされていたことは周知の通りです。
日本と朝鮮の場合、多分に感情的なものですが、イングランドとアイルランドの関係はこのように、はっきりとした長年に渡るイングランドの一方的な搾取が原因になっていますから、根が深いと言えるでしょう。何しろ日本にいる朝鮮人がテロを行った話は聞きませんが、イギリスでは月に一回はどこかで爆弾が爆発しています。爆弾が爆発するくらいならニュースにはなりません。
リバプールはアイルランドの対岸であり、アメリカへの移住者の出発港でした。
両国の宗教は、キリスト教が布教された時から違いがありました。アイルランドの方は修道院が主力で、土着の宗教の影響が強く残っています。イングランドの場合、王家の方が教会よりも強く、大陸よりは教会がやや従属的でした。カンタベリー大司教のもとに宗教的には統一が取れていました。アイルランド方の宗教は私はあまり詳しくは知りません。
スコットランド人は、アイルランドから渡ってきたと伝説ではなっています。ただしスコットランドのハイランドには、ケルト人よりも更に前からブリテン島に住む民族がすんでいたようです。
うろ覚えなのですが、太田さんの言うチューダー家は、元々はウェールズの貴族で、アイルランドにも領土を持っていたはずです。そのつながりで、チューダー家がイギリス王位を継いだ時、アイルランドはチューダー家の家領と言う形になって、それがその次のスチュアート朝に受け継がれ、続いてクロムウェルの侵略を迎えて完全なイギリス領となってしまった、という順序だったかと思います。クロムウェルの侵略以来アルスター(北アイルランド)に移り住んだイギリス人が、もとから住むアイルランド仁と今も紛争を続けているのです(津軽と南部の関係をもっと深刻にしたようなものかな・・・?)。
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バラード 投稿者:Mayo 投稿日:12月12日(水)01時22分42秒
Beatlesの話題で盛り上がってますね。
そうですね。確かに言われてみるとデビュー当時の曲にはオリジナルの
バラードって少ないですね。
"I'll be back"いい曲ですよね。Amで始まりAで終わる
ジョンのセンスは印象深く耳に残りますよね。
のちにポールもウイングス時代に"Cafe
on the left bank"
でDmで始まりDで終わるというパターンをやってますが
あの曲も印象深くて好きでした。
それと"I'll be back”の前のバラードで
ジョンが歌う"Ask me why"やポールが歌う"P.S.I
love you"
などがありますが個人的には好きです。
http://happystr.vis.ne.jp/
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Love Me Do 投稿者:高坂英吾 投稿日:12月11日(火)19時14分12秒
追加です。書きまくってすみません。
デビュー曲の「Love Me Do」についてですが、
おそらく「そういう時代だった」ということではないでしょうか。
ラジオやテレビに出る、当時の一般的なポップ系の音楽は、
直立不動で歌手が歌い、ずっと後ろか見えないところでバックバンドが演奏するというスタイルでした。それもプロの作曲家の曲を。
歌手一人がメインなので、すごい迫力のハーモニーなんて考えられず、ましてノリノリでギターを弾きながら、自分の曲を歌うなど、常識外れもいいとこです。しかもジョンとポールのどっちがメインかわかりません。ツイン・ボーカルといった感じです。
プレスリーもチャック・ベリーも個人の名前で、グループではありません。
グループだと歌のない、ベンチャーズのようなタイプになってしまいます。
「Love Me Do」でまあまあ売れた後(Beatlesなど売れないと誰もが思っていたので、ヒットチャートに名前が出るだけで驚きだった)、次のシングルは「How
Do You Do It」というプロの作曲の曲になります。
しかしデビュー間もない半アマチュアの彼らが、それを蹴って、「Please
Please Me」をシングルで発表します。「Love
Me Do」とは比べものにならないほどのアップ・テンポのロックに、ハーモニー、ギターもかき鳴らしています。シットリ聞かせる気など全く眼中になく、勢い任せという感じです。
「Please Please Me」は大ヒットし、アルバムは何と半年間ずっとナンバー1を明け渡さず、1位の座から追い落としたのは彼ら自身の2ndアルバムでした。2ndも再びほぼ半年間ナンバー1でした。
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BEATLES話し 投稿者:高坂英吾 投稿日:12月11日(火)19時12分43秒
ビートルズにまつわる話しが出ているので、嬉しくなって書きこみます。歴史と関係ないので、興味ない方は飛ばして下さい。
安部さんのご指摘通り、彼らはアイルランド系で、ケルト音楽はとても日本人好みです。(最近よく耳にするエンヤもそうです)
ビートルズのバラード調の曲が日本人に好まれるのは、このあたりに秘密があるかもしれません。
クラシックの影響という点では、Paul McCartneyのベースラインや曲がクラシックからの影響を感じさせます。デビュー前から、誰かのカバー曲をやる時に、プレスリーのような当時のヒット曲以外に、ミュージカルのカバーなんかもやっていて、人とは違うことを、という姿勢の影響だと思います。
ロックは、ブルーズ、カントリー音楽から生まれたとされていますが、ケルト音楽も大きく影響を与え、また、アメリカンなブルーズやタントリーではなく、ヨーロッパ人にとっては、当然クラシックや聖歌等の宗教音楽からも影響を受けています。
日本人でハーモニーが得意な狩人やチャゲアス等は、たいてい3度のハモリですが、ビートルズ等、ヨーロッパ人はとても複雑なハーモニーを平気でやってしまいます。しかも美しい。
皆で歌うハーモニーを重視をするキリスト教系の音楽の本場・ヨーロッパだからこそ、の音楽観だと思います。
ちなみに、アフリカはリズム重視、日本はメロディ重視と言われ、メロディ、リズム、ハーモニーの3つが美しい音楽を「素晴らしい音楽」ということが多いです。逆に言えば、キレイなメロディというだけでは、素晴らしい音楽の3分の1ということかもしれません。(^_^)
それから、「I'll Be Back」ですが、私はあの曲が大好きです。
イントロが終わって歌になった途端、突然マイナーになるんです。明るく爽やかなイントロの「A」からイキナリ「Am」になるなんて無茶苦茶です。最も変なコード進行かもしれません。その後突然もとの明るいイントロの部分に戻ります。
無茶苦茶ですが、そこがこの曲のカッコいいところです。最近、こういうコード進行の曲が日本のポップスでもチラホラ見えるようになってきた気がします。
それから、実は、ロックという音楽、本来バラードは苦手なのです。ブルーズは哀しみを表現する音楽ですが、日本流に言う「泣きのメロディ」とはだいぶ違います。
ロックの中でバラードを確立したのが、彼らだと言えるのではないかと思います。そして、その秘密こそ、ケルト音楽にあると思っています。
彼らは、デビュー前、デビュー直後は、自分の曲でいいバラードはありません。イケイケロックばかりの中で無理矢理バラードに挑戦したのが「I'll
Be Back」かな、なんて思います。完全なバラードは3rdアルバムのPaulの「And
I Love Her」が最初だろうと思います。バラードはPaulの担当(?)で、ジョンのバラードはちょっと変です(変なところが好きなのですが)。Paulはこの後、「Yasterday」「ミッシェル」等、次々に名バラードを作るようになっていきます。
最後に、ビートルズで好きな曲ですが・・・
恐らくToshyさんやペギラさんに聞いても同じだと思いますが、「一つだけは無理なので、好きな曲を列挙します」として、掲示板を曲名で埋めてしまうことになると思います。(^_^;
元気な曲もバラードも、変テコな曲もそれぞれ気分によって好きです。
http://www.interq.or.jp/pluto/minstrel/
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(無題) 投稿者:太田守人 投稿日:12月11日(火)18時03分39秒
そうすると漢の劉邦は家康あたりになるのでしょうね^^
私は、漢の劉邦は秀吉のキャラだと思います。性格的には、あけっぴろげで、儒者の冠を取り上げそこに小便をしたり、また、劉邦の邦は、日本語では兄いという意味だそうです。
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きんたろうさん 投稿者:太田守人 投稿日:12月11日(火)17時30分45秒
砲艦「ラナカイ」という軍艦をご存知でしょうか。ルーズベルトは、日本からの第一弾を望むといって、スクナーという、100トン内外の帆船に、数門の大砲や機関銃を載せた軍艦を、海戦直前、フィリッピン周辺海域に行動させました。この砲艦も、そのうちの1隻で、ケンプ少佐を艦長に3インチ砲1門と機銃2門という75トンの小船です。乗員は、3名の士官以外全員フィリッピン人で、日本艦隊の重包囲網を抜け(というより、日本海軍に相手にされなかった。)オーストラリラのパースに、フィリッピンから3ヶ月かけて脱出します。この、ケンプ少佐は、戦後、少将で退役しますが、その最後の配置が、在日米海軍司令官だったそうで、退役後自伝で、この時の脱出行を書いていますが、兎に角、エンジントラブルでしょっちゅう航行不能になったり、日本艦隊に包囲されたり、オランダ艦隊に日本の軍艦と間違われて撃沈されかけたり、水と食料がなくなったときに、偶然であった、アメリカの補給艦ぺコスから補給を受けようとして、ぺコスの補給士官から所属が違うといわれ、一度断られますが、ぺコス艦長の「今は戦争だ。そんなクソマニュアルなど忘れてしまえ。」という一言で、水と食料を貰うとかおもしろいですが、今は絶版になっています。
真珠湾は、ルーズベルトの謀略説がありますが、私は、そうは思いません。アメリカ海軍は、ここで太平洋艦隊の戦艦群のほとんどを失いますが、爆沈した戦艦アリゾナを除き、全艦引き上げていますし、その内魚雷7本が命中した戦艦オクラホマだけは、引き上げ後修理不能と判断され、放棄されましたが、後はすべて修理・改装後、マッカーサの艦隊といはれた、第7艦隊に編入され、太平洋の島々の攻略に有効に使用されます。第2次大戦において、アメリカ海軍ほど戦艦を有効に使用した海軍はありません。第2次大戦で、もっとも古いアメリカ戦艦はアーカンソーで、1914年竣工ですが、第2次大戦終結まで、満足に修理・改装もできずこきつかわれています。アメリカが、本格的に日本に反撃してくるのは、昭和18年以降で、戦艦と航空母艦というアメリカの反撃の両輪がこの年に完成します。更に、真珠湾攻撃で、アメリカは第1次大戦の戦死者を超える戦死者を出しています。このことからも、私は、真珠湾ルーズベルト謀略説にはうなずけません。ただ、この前面白い記事を読みました。第2次大戦当時もっとも情報収集能力に長けていた、イギリスの諜報機関ブラックチェンバレンが、日本の暗号を解読し、真珠湾攻撃を察知し、時のイギリス首相ウインストンチャーチルに、ルーズベルト宛の真珠湾攻撃の電文を作成し、決裁を上げ、いつでも発信出来る様、準備していたが、いつまでたってもゴーサインが出ず、結局真珠湾攻撃があり、その時の責任者は、なんでゴーが出なかったのかいまでも分からないといっています。
私は、謀略をした人物があるとすれば、チャーチルでなかったかと思っています。彼の、第2次大戦回想録を読んでも、真珠湾のニュースを聞いてのはしゃぎ振りを見るとそうなのかなーと思います。
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(無題) 投稿者:太田守人 投稿日:12月11日(火)16時14分42秒
イギリスの隣にあるアイルランドはイギリスと限りなく似ているように思うのですが長年テロなどがあったくらいですから両国の国民感情はお互いにあまりよく無いのでしょうね。
これを例えるならば日本と朝鮮半島のようなものなのでしょうか??
私は,宗教対立のように思います。イギリスは、ヘンリー8世がアン・ブリーンと結婚するために、ピュウリタンになりましたが、アイルランドはカソリックです。更に、アイルランドは、イギリス最初の植民地(私は、個人的にはスコットランドのように思いますが。)とも言われるそうです。
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ラブミードゥ 投稿者:ペギラ 投稿日:12月11日(火)15時43分08秒
たしかに名曲とは言えないですね。
これでも発売当時17位までいっているので、
エプスタインの策略か?
今で言う、アイドル路線を目指していたから、
単純簡単なものをわざわざ選曲したのかも、と深読みかも。
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だれか 投稿者:Toshy 投稿日:12月11日(火)14時06分09秒
Yahooで「前九年・後三年の役」に参加してくれる人はいませんか?
顔ぶれが完全に固定してしまったので(わら
ビートルズにまつわる一つの謎。
なぜデビュー曲が「love me do」??
あの時にはすでに、please please me 収録8曲のうち、半分が出来ていたという。
8曲のうち一番落ちるのは love me do だが、まさにその一番落ちる曲でデビューしたのだ。
どう考えても、B面の PS I love you のほうが良い。
俺がはじめて友達からテープを借りて聴いた時、
まさに最初がこの love me do だったため大いに失望したのである。。
というわけで、誰かにビートルズを聴かせる時は、「赤盤」は絶対ダメ!
まず1曲目を飛ばして2曲目を録音したMDを貸すことにしましょう。
http://homepage2.nifty.com/snowwolf/index.htm
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12月8日の 投稿者:太田守人 投稿日:12月11日(火)13時08分15秒
大本営発表で、NHKの鹿児島放送局だったと思いますが、なにか国民の士気を鼓舞できる、勇壮な曲がないかということで、ある曲をバックミュージックにしたそうです。ところが、後から憲兵隊からえらく叱られた。なんとそれは、アメリカ国歌だったという話を聞いた事があります。
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真珠湾攻撃は奇跡 投稿者:太田守人 投稿日:12月11日(火)13時01分54秒
だったそうです。日本艦隊は、それまで洋上補給ということは、重要視していなく、真珠湾攻撃の数ヶ月前から、軍艦が走りながら給油するということを始めたそうです。補給方法は、縦引きと横引きという方法があり、縦引き給油は錬度が低くても、割合容易に出来るが、油しか補給できず、しかも効率が悪いそうです。これに対し、横引き補給は、軍艦が横に並ぶため、油ばかりか砲弾、食料等も一気に補給できますが、大型船が並ぶと引き波といって、舵を反対側に切っても、大型船に引き寄せられ、事故を起こすそうで、当時のアメリカ海軍は、この横引き補給を行っていました。ところが、漸減作戦といって、マリアナ諸島辺りから、アメリカ艦隊に潜水艦や駆逐艦でちょっかいを出し、父島あたりで最後の決戦を行うことを基本としていた、日本海軍は、洋上補給という概念に乏しく、真珠湾攻撃の時になって、初めて洋上補給をどうするという問題に直面しました。そこで、給油艦が受給艦を曳航し、給油するという方法を考え出しますが、巡洋艦以下の小型艦にはうまくいくが、戦艦や航空母艦という大型艦では、曳航索や給油蛇管が切れ、どうしてもうまくいかない、ということで、戦艦や航空母艦が、反対に給油艦を曳航したらうまくいったが、波が荒いとどうなるか分からないということで、艦内に大量の重油の入ったドラム缶を搭載したそうです。しかし、この時期の、北太平洋には珍しく、洋上給油中は、海が穏やかで、あの真珠湾攻撃が出来たそうです。
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高坂さんは 投稿者:きんたろう 投稿日:12月10日(月)23時32分06秒
ビートルズのどの曲が一番好きなのですか??^^
私はプリーズ・プリーズ・ミーかな??笑
実はいつの頃からあれだけ綺麗なバラードを作るようになったのか疑問なんです(;^_^A
曲質が根本的に変わっていったのではなく元々引き出しが多くあり過ぎただけなのでしょうか??
とにかくすごすぎるグループですよね。
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そう言えば 投稿者:きんたろう 投稿日:12月10日(月)23時25分01秒
イギリスの隣にあるアイルランドはイギリスと限りなく似ているように思うのですが長年テロなどがあったくらいですから両国の国民感情はお互いにあまりよく無いのでしょうね。
これを例えるならば日本と朝鮮半島のようなものなのでしょうか??
安部さん、
>更に聖歌のハーモニーは素晴らしい。なかなか荘厳な気持ちになりました。
私もあのように天井の高いドームに入った時に荘厳な気持ちになったのを思い出しました。
Toshyさん、
宮城県の地方紙は河北新報でしたよね??
>世界を一周した日本人・津太夫の会に出てきました
歴史を語る上で津太夫のような人物がもっと脚光を浴びるようになればいいですよね^^
これからの加筆に期待しています。
医大前田さん、
先日はウイルス・メールを送ってしまいまして申し訳ありませんでした。
また当ページにリンクを貼っていただきまして有り難うございますv(^o^)
出雲についてここではずいぶん話題の比重が高いですよ。
勇者ロトさん、ひさしさんの所もご贔屓にお願いします。
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終戦当時 投稿者:きんたろう 投稿日:12月10日(月)23時24分05秒
終戦の時はそれまでの価値基準が崩壊したのですから混乱した状態がものすごかったのだろうと想像しています。
何しろ今まで鬼畜米英と言っていた先生が180度違う事を口にするのですから真面目な子供ほどそのショックは大きかったように思います。
恐らく当時、僅か数歳の年の差で戦死したり左翼に走ったりと強烈なインパクトを受けたものだと思います。
小学校低学年くらいの年ならばその様な異常さを実感する事も少なかったように思います。
また20歳以上であれば混乱はあったにしても自分の頭で対処出来る年齢に達していたように思います。
紋次郎さんの年齢だとちょうど微妙な年頃だったのですね。
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出雲市【地図で検索町内サイト】 投稿者:医大前田
投稿日:12月10日(月)22時20分11秒
地図で町内検索して、町内毎の入口から【町内サイト】を訪問!!!
ワールドカップ出場の
アイルランドが、出雲市をキャンプ地に決定しました。
島根県出雲市内HP発表会場に、招待します。
http://gooside.com/adu/693.htm
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土曜日は 投稿者:Toshy 投稿日:12月10日(月)15時12分11秒
世界を一周した日本人・津太夫の会に出てきました。
名称は「石巻若宮丸漂流民の会」と決定、学者の集まりではないから、どなたでも参加できます。
今度の水曜日には「石巻河北」の取材が入りました。
>ビートルズは何てあれほど多くの名曲を作り出せたのでしょう。
話をふられてしまいましたが…(わら
しかしそんなこと、わかるかい!
音楽家のまゆずみとしろう氏が、a hard day's
night 収録の I'll be back のコード進行について、ここは不自然でちょっとおかしい、なんていう発言をしていたことがありました。
しかし I'll be back そのものは名曲の部類に入る。。。つまり常識から外れたところに、ジョン・レノンのすごさがあったと思います。もちろんポールが成長してきた時期には、常識はずれもええ加減にせい!と言いたくなるところまで発展していましたが。
ビートルズ後期は、ポール・マッカートニーの一人舞台。わしはあまり、あの常識的なメロディ作りには興味を覚えず、ジョージのやや陰のあるところに惹かれました。
インド風のメロディをロックにしたところがおもしろいですね。もしオノ・ヨーコとジョージが結びついていたら、インドと日本とイギリスを融合した不思議な音楽が誕生していたことでしょう。
http://homepage2.nifty.com/snowwolf/index.htm
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大学からちょっと行ったところに 投稿者:安部奈亮
投稿日:12月10日(月)15時08分48秒
アイルランド人がやっている,アイリッシュパブがありまして,アイルランド風の軽食とビールとウィスキーを飲ましてくれます。食事もお酒もとてもおいしいです。
このパブではアイルランドの民族音楽を演奏しています。哀調を帯びていてなかなかいい音楽です。日本人にも共感できる音楽でした。スコットランドの音楽に似ていました。アイルランド音楽の音階は,日本のよなぬき調に近いそうです。
ビートルズはそんな中から出てきたのかもしれません。
それと・・・クラシックを聴く人は知っていると思いますが,ビートルズの音楽にはバロックの影響が出ています。そのような伝統的な音楽も彼らは習得していたのですね。
私がイギリスにいたとき,12月になると学校で近くの古い石造りの教会へ行って聖歌を聴きに行く行事がありました。他教徒は参加しなくてもよかったらしい,現にインド人は欠席していた。けれども宗教的にチャランポランなる日本人の私は参加しました。天井の大変高い,石造りの教会というのは,音の響きがとてもいいのです。更に聖歌のハーモニーは素晴らしい。なかなか荘厳な気持ちになりました。
ロックであっても,このような伝統から出てきているのだなと私は思います。
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60年の歴史おとこ 投稿者:焼尻紋次郎
67歳 投稿日:12月 9日(日)21時17分15秒
あれから60年。100年が実感できます。
明治維新から、おれが生まれるまでの時間が、おれが生まれて今日に至るまでの時間と大略同じ。
日本の國ができて、歴史というものがうごき始めて、僅かその13倍。……射程距離内でんなぁ。
あの歌は開戦後に歌われました。哨塔とか大詔などの漢字は国民学校5年生になる頃には目にして
いたのですが、当時は知りませんでした。いまになってだいたいこうだろうと、宛て字しました。
敗戦の年の秋、近くにいた予科練くずれが朝はやく学校講堂横の控え室にやってきて、こども(お
れたち)に良からにことをさかんに喋りました。いや、あいつはそこで寝ていたのかもしれません。
その控え室にはぶ厚い漢字辞典が50册ほど置いてありました。そいつがやったのかどうか判りま
せんが、辞典はみごとにバラバラになっていました。
今になって考えると、おれの漢字オンチは、そのときの予科練くずれの影響だろうと思います。
権力や常識に、すぐに牙をむくクセもこのとき感染したのだと思います。
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Toshyさんに 投稿者:高坂英吾 投稿日:12月
9日(日)19時47分49秒
> ビートルズは何てあれほど多くの名曲を作り出せたのでしょう。
これは簡単なようで、とても難しい問題ですね!
Toshyさんにお答え頂きましょう。(^_^)
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12月8日 投稿者:きんたろう 投稿日:12月
9日(日)17時14分08秒
はトラトラトラの日でしたね。
そして14日は赤穂浪士討ち入りの日です。
(旧暦ですから実は1ヶ月ほど先ですね、笑)
今年は新宮様誕生お祝いのニュースにかき消された様な感じもします。
尤も夏の頃にディズニーが例のヘボ映画を作りましたから、もういい触れたくないという心境もあったのではないでしょうか??笑
マスコミの取り上げ方はどうしてもワンパターンになっていますよね。
その点源さんには力作を期待しています^^
それにして1941年11月下旬になって、わざわざ真珠湾に太平洋艦隊を終結させて休暇を取らせていたとは!!
これではローズベルトの陰謀と言われても仕方がないように思っています。
紋次郎さん、その歌は当時の軍歌のようなものなのですか??
高坂さん、そう言えばレノンの命日でもあったのでしたね。
あの暴徒が何故レノンのファンになるのだろうと思っています。
そう言えばHere comes the sunはジョージ・ハリスンが作った歌だったのですね。
ビートルズは何てあれほど多くの名曲を作り出せたのでしょう。
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>似ていないような三角関係??? 投稿者:きんたろう
投稿日:12月 9日(日)17時10分20秒
ペギラさん、これはなかなか面白いと思いました。
大化改新から白村江の戦い、そして壬申の乱へと向かう歴史の流れと本能寺の変から朝鮮出兵、関ヶ原の戦いの一連の動きは極めて似ているように思っています。
これこそが国譲り(=下克上=権力)の移動の基本的パターンを強く映し出しているのではないだろうかと私は思っていますv(^o^)
そして歴史を遡れば出雲の国譲りもこのような形ではないかと推測しています。
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輔住さん 投稿者:きんたろう 投稿日:12月
9日(日)17時08分28秒
寡兵を持って大軍を破った合戦の例としては「桶狭間の戦い」の他には北条氏康の「川越城の戦い」、毛利元就の「厳島の戦い」を挙げる事が出来ると思います。
いずれにしてもエポック・メーキング的な大事件としてこれらに勝利した三者は戦国時代の有力大名としてその地位を確かなものにして行きましたよね。
やはり全国レベルにのし上がるにはこのような戦いに勝利出来なければ無理なのかもしれませんね??
Toshyさん、
>秀吉というと、どうしても降伏した相手をいい条件で抱えるというイメージがあるので
秀吉が天下人になることが出来たのは織田家の遺産を(無理矢理^^;;)引き継いだからです。
日本史上最大級の下克上によって秀吉は織田家の権力の相続人となりましたが、これにより織田家の旧同僚に対しては気を許すことが出来なかったのではないでしょうか??
何しろいかに下克上が認められていた戦国時代とは言っても嫉妬心まで押さえる事は出来ないからです^^;;
豊臣政権とはきっと秀吉の天才をして初めて可能だった綱渡り的な政権の簒奪劇だったのではないかと思います。
逆説的ですが外様と言われる大大名に対して内部を牽制する意味からも親密にならざるを得なかったのではないでしょうか??
ですからこの政権は秀吉が頂点にいるからこそバランスを取ることが出来た「やじろべい」のようなものなのではないかと思ったりします。
普通の能力者ではこのバランスを取ることなど出来る訳がないのです。
この点に関して言えば信長に秀吉の真似をする事は不可能だと思います。
これは秀吉の特異能力の賜だと思っています。
尤も信長の場合は秀吉のような弱点は持っていませんでしたが...
それにしてもどう考えても弱点としか思えないところを逆に長所に持っていくところはさすがに秀吉だと思います。
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12月8日は 投稿者:安部式部 投稿日:12月
8日(土)23時04分01秒
最近、今ベストセラーの「プロジェクトX リーダーたちの言葉」を読みましたが
昭和47年の今日、ホンダのシビックCVCCが、マスキー法の排ガス試験で、世界
で初めてその基準を満たし合格した日でもありましたね。
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12月8日 投稿者:高坂英吾 投稿日:12月
8日(土)21時58分53秒
BEATLESファンの私にとって、12月8日というとJohn
Lennonの命日としての記憶の方が強いです。
こんな寒い夜に撃たれたら痛いだろうなぁ、とか
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ああ 十二月八日 朝 投稿者:焼尻紋次郎
67歳 投稿日:12月 8日(土)20時50分12秒
♪√ 天に二つの日は照らず 凌ぐはなんぞ星条旗
大詔決まるときまさに この一戦とつき進む
♪√ みよ 哨塔に 想い出の Z 旗高くひるがえる
ときこそ来たれ 令一下
ああ、十二月八日朝 星条旗まず 破れたり
巨艦裂けたり 沈みたり
♪√ 父が仰いだ Z 旗を
七色燃える 大平洋
今日は その子が その孫が
強く雄々しい血を継いで
八重の 潮路をこえるのだ
建設のうた
♪√ よろこび 溢るる 歌ごえに
血潮を 流した 兄弟よ
いまこそ ほほえみ 聞いてくれ
ああ、 ひとつ われらが 建設の歌
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12月8日は 投稿者:安部奈亮 投稿日:12月
8日(土)18時56分39秒
勝った日なのでとりあえず日本人は祝って良いのではないかと。別に残虐事件があったわけでもないし。
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とうとう12月8日 投稿者:安部式部 投稿日:12月
8日(土)15時25分23秒
「行くよ一発(1941年)」真珠湾攻撃の日から今日でちょうど60年が経ちましたね
先日暗号の話が出ていたことからすると、もうここでは織り込み済みなのかな?
(こちら北陸の新聞のテレビ番組欄を見る限り、関連番組は何も見当たらなく、残念!)
私が、真珠湾攻撃のコンテンツにかかるには、まだかなりの時間がかかりそうですが・・・・
<(^^;;
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掲示板3 投稿者:きんたろう 投稿日:12月
8日(土)14時29分34秒
のアドレスが変わりましたのでトップページの変更をしてあります。
(ミラーサイト分だけ^^;;)
ネットいばらきの方はフレッツADSLに対応していないのです。
そのためにアップグレードするには片づけた配線をもう一度しなければならないのですがまだ部屋が散らかっているためになかなか出来ないのです(;^_^A
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似てそうで・・・ 投稿者:ペギラ 投稿日:12月
8日(土)10時10分19秒
天智と天武と鎌足
秀吉と家康と利家
似てそうなんだが、似ていないような三角関係???
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秀吉と信長 投稿者:Toshy 投稿日:12月
8日(土)10時08分42秒
秀吉というと、どうしても降伏した相手をいい条件で抱えるというイメージがあるので、
そこが天下人らしい条件下ということでした。
その点漢帝国を築き上げた劉邦とよく似ています。(晩年の功臣粛清などもよく似ていますが)
残忍というなら秀吉の残忍性は信長の子孫殺しよりも、「三木の干殺し、鳥取の飢え殺し」に代表される、大包囲網による兵糧攻めで多数の農民を餓死させているところを挙げたい。
ただ、いずれにしても、秀吉には信長よりも人間好きのところが見られると思うのです。
兵農分離についてはよくわからないのですが、農民兵は力が強くても武芸の鍛錬が不十分であるとなると、きんたろうさんのおっしゃる通りではないでしょうか。
農民兵の性格を考慮した時、土地を守る時は強くても攻めていく時は決して強さを発揮しませんね。
>醤油と岩手の竜泉郷の湧き水くらいに違っているのです
優劣は不明?!(わら
武田信玄は善政をしいた人で知られますが、農民から見れば、信玄も謙信も信長も単なる「土地泥棒」と映っていたのだと思います。年貢を納めることには変わらないから、領主なんかいないほうが良いと考えていたのかもしれませんね。
信玄の時代、農民が村を空っぽにして逃亡したということがありました。
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少数で 投稿者:輔住 投稿日:12月 8日(土)08時50分07秒
大軍を撃破すればかっこいいですし、
そういう戦いは有名なものも多いですが
逆にそれだけ珍しいともいえるでしょう。
相手より大軍の動員が(無理をせずに)可能なら
それをするに越したことはありません。
どちらにつくか迷っている武将に対する威圧にもなりますし!
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信長と始皇帝 投稿者:きんたろう 投稿日:12月
8日(土)00時27分44秒
とはかなりナイスな考えだと思いました^^
私は信長級の人物を世界史で探すとなるとカエサルが相応しいのかなと思っていましたが始皇帝の方がよりフィットするような感じですね。
中国が中国になったのは始皇帝の賜だと私も思っています。
それ以前は一つに統一された中国はありませんでした。
勿論ある程度の共通の価値基準は持ち合っていたと思います。
しかし、強力な始皇帝の意思が無ければ統一などあり得なかったように思います。
そうすると漢の劉邦は家康あたりになるのでしょうね^^
>多分織田軍が農民兵ではなくて傭兵主体だったからではないでしょうか。
私も以前はその様に考えていました。
でも武田などのように大大名クラスになると、戦場へと遠征をしていますから農民兵にとって見ても自分の土地を守る範疇を越えています。
また個人的体力の差は当然ありますが、戦闘訓練を積んでいる方が農作業に従事している者よりも戦闘力が劣るとは考え難いのではないでしょうか??
さらに、戦闘期間限定ではない点を考えても常備軍に勝るものは無いと思っています。
もっとも常備軍をどの程度まで信長が実行できたのかという点についてははっきりした事は分かっていないですよね。
しかし全国統一を達成した家康は旗本8万騎と言われた大量の不労所得者を抱えた事を考えて目眩がしたのではないでしょうか??笑
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勢力 投稿者:きんたろう 投稿日:12月 8日(土)00時25分58秒
の中心にいる同心円説と常に敵に対峙出来る前線近くにいる本拠地移動説とは醤油と岩手の竜泉郷の湧き水くらいに違っているのです。(と思っています、笑)
武田信玄は本拠の甲州では善政を敷いていました。
これはいろいろありますが、その最大のものとは戦いに負けない事なのです。
その上、常に外に出て戦いをしてきますから田畑が荒らされる事はありませんでした。
自分の住む場所を中心に考えれば、緩衝帯が大きければ大きいほど外敵に対して安全だという事になります。
このように領土を広げる事こそが中心地に住む人たちにとってこれほど安心を与えてくれるものはないからです。
>信玄の(あるいは当時の大名ほとんどの)領土拡大は、自分の領地から同心円状に広げていくものでしたから、拠点の安全性は確保されても次の出兵にはロスになる。
Toshyさん、全くその通りですね。
これは自分の本拠地第一主義と言い換えてもいいように思っています。
ここから導き出される結論とは彼ら(=信長以外)は天下統一を具体的にはイメージしてはいなかったという事になると思うのです。
勿論、例外的に多少の本拠地の移動はあるようですが、敵(=的、目標)に対する物理的な移動能力を考えて信長のようなビジョンを持っで実行した人は皆無だと言えるのです。
つまり戦国時代を終結させる可能性を持った人物とは信長以外には存在してはいなかったと思っています。
>ある程度の残忍性は時代がら仕方ないものとしても、やはり秀吉のように相手を安心させるところが少なかったところが
これについては本当はどうなのだろうかと疑っています。
これが果たして当時の共通した認識であったのかについては疑問が大きいと思っています。
秀吉は本能寺の変から1年も経たない内に信孝と母親と子供を殺していますよね。
僅か1年前まではあの絶対者信長の側室を殺すことが出来ようとは当人も想像出来なかったと思います。
秀吉は信長の側室と子供、孫を平気で殺しているのですから残虐性は十分に持っていたと言えるのではないでしょうか??
太田さんのいわれるように信長は相手よりも少数の兵で相手をすることがありませんでしたね。
そう言えば家康も乱心者を捕まえるのに腕自慢が一人で相手をやっつけた事に対して厳しく叱ったそうですよね??
相手よりも多数を持って取り囲めというものだったと記憶しています。
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ひろしさん 投稿者:きんたろう 投稿日:12月
8日(土)00時24分14秒
お役に立てて良かったですね^^
継承するための儀式が面倒なのは色々ありますが、これはその中でも典型だろうと思っています。
ものすごく面倒くさい伝承の儀式の典型的な例を思いついたはずなのですが、すぐに忘れてしまってどうしても思い出せません^^;;
両安部さん、太田さんは暗号についても詳しいのですね。
私は暗号などというと野球のサインくらいしか思い浮かびません、自爆(;^_^A)
乱数表みたいなものを使ってそのままでは意味不明の文から言葉を抽出するのでしょうか??
そう言えばクロス・ワードパズルはこの一種なのでしょうか??
(思いっきりピンぼけかも??笑)
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織田が弱兵だと言うのは 投稿者:安部奈亮
投稿日:12月 7日(金)19時08分11秒
多分織田軍が農民兵ではなくて傭兵主体だったからではないでしょうか。
農民兵は自分の土地を守るために一生懸命戦いますが、傭兵は勝ち戦の時は一生懸命戦うのに対して、負け戦では一気に崩れるものです。
農民や地侍が主体になると遠征が出来ませんよね、逆に傭兵はフットワークが軽い。
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天の配剤 投稿者:太田守人 投稿日:12月
7日(金)15時31分20秒
私は、信長という人物がいたので、家康(秀吉も)が仕事がやりやすかったと思っています。信長という人物が、旧聾をぶっ壊してくれていたので。これは、天の配剤かもしれませんが。信長という人間がいなかったら、戦国はもっちょっと続いていたように思います。
私は、秦の始皇帝がいなかったら、中国はヨーロッパのようになっていただろうと考えてます。
信長も始皇帝のようなことをしたのだと思いますが、いかがでしょう。
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三方が原の戦いで 投稿者:太田守人 投稿日:12月
7日(金)15時22分21秒
織田・徳川連合軍が、武田に敗れた端緒を作ったのは、織田だと聞いた事がありますが、徳川軍でもこの時、浜松を越して、岡崎まで逃げたのが結構いるといいます。このことからも、徳川が強かったとは思えません。私は、信長という人物が偉いと思うのは、桶狭間で少数で多数を破りながら、その危うさに気付いていたことです。
きんたろうさん、NHKの歴史番組で、長篠の戦をやっていた時に、信長は火縄を覆うための小さな笠と一発ごとの装薬と玉を入れた袋を鉄砲隊の足軽に支給していたため、雨でも火縄が濡れず、また装填速度が2〜3倍にあがったといっていたと思います。長篠の戦は、信長のアイデアの勝利だったのでしょう。当時の火縄銃の射程は150m位、有効射程は50mくらいだと聞いたこともあります。
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武田 投稿者:Toshy 投稿日:12月 7日(金)15時14分14秒
>「尾張弱兵説」
実は俺も、それについて考えてきたところだったんです。
そんなに同国人で体型や体力が変わるなんてことはありませんから(東北と九州で寒さ/暑さに強い/弱いはありますが)
もし武田氏が信長のように、早くから最前線に本拠地を移転していく方法を取っていたら、信長はもっと苦戦したかもしれません。信玄の(あるいは当時の大名ほとんどの)領土拡大は、自分の領地から同心円状に広げていくものでしたから、拠点の安全性は確保されても次の出兵にはロスになる。
武田勝頼が、遠江を得た時そこに自分自身が入っていれば、徳川に対する圧力も強まるし長島攻めのときもすぐに動くことも可能だったのです。(もちろん、勝頼の立場としてそれが出来なかったことを考慮しなければならない)
これは信玄にも言えることですね。もし武田信玄が早くから京都を目指すだけの構想があれば、武田の天下はどうだかですが、信長が苦戦したことは間違いないでしょう。
信長は、安土を中心とした<王国>が出来上がった時に本能寺の変がありました。独裁者・信長のピークは自分が先頭を切って最前線で戦いつづけた時だったのではないか。
ある程度の残忍性は時代がら仕方ないものとしても、やはり秀吉のように相手を安心させるところが少なかったところが、信長をして天下人にしえなかったものであったと。
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長篠の戦い2 投稿者:きんたろう 投稿日:12月
7日(金)13時22分12秒
とは戦国時代の合戦の理想??^^;;とされるものだと思います。
この戦いは織田軍約4万人弱、対する武田軍1万5千人もの大軍が狭いエリアで全面衝突をした戦いでした。
死傷者数を見るとこの後の関ヶ原の戦いを遙かに上回っていますからいかに徹底的にお互いが全力を尽くした合戦だったのかこの数字から読みとれると思っています。
織田軍が築いた馬防柵は単なる馬防柵というよりは城壁と言ってもいいレベルにまで防御力を高めていたと何かで聞きました。
一般的に言って城攻めの場合は相手の三倍以上の兵力差がないと落とすことが出来ないといわれています。
ところが織田軍の方が相手の約3倍の兵力を有していたのです。
ですから長篠の戦いにおける信長の戦法とは鉄壁のものだったと言えると思っています。
>経過としては、ただの想像ですが、馬防柵と堀のために織田の鉄砲隊の姿畑だから見えず、射程距離に入った時集中射撃を浴びた。先陣甘利はこれで叩かれ、二陣の山県が驚き慌てて引き返した、というところではないかと。
Toshyさんが書かれているのと同じように私も思っています。
これに織田軍の火縄銃が雨の中でも使用可能だった事をプラスすれば歴戦の強者だった武田の甘利などが鉄砲を被弾してしまったのも仕方がないような気がしています。
しかしこれは所詮ジャブのようなものです。
相手をノックアウトさせるには渾身の一撃を相手に食らわせなければなりません。
そのためには総力を挙げた白兵戦になるのは当然の事なのです。
>兵力差によって圧勝した…というものではないかと思います。つまり物量作戦の勝利ですね。
正に結論はここにあると思っています。
しかし普通に考えても相手より大軍を動員する事が必勝の手段なのはすぐに分かるものですがこれを実現する為にはかなり高いハードルを越えて国力を高めなければ実現する事が出来ないのです。
ですから合戦に臨んで相手よりも大軍を有しているというのは最大級に称賛されるべき事だと思っています。
ちなみに信長は当時最低でも10万人以上の動員力がありました。
一方では武田の場合はかき集めてもあの程度ですから実力が開きすぎてしまっていたのですね。
それでも戦闘における死傷者割合は武田の方が少なかったのですから、いかに絶望的な状況の中で燃え尽きたのかが感じられて来ます。
>戦国最強にしたのは、甲陽軍鑑であり、神君家康公が、唯一負けたのが武田信玄であるということで、徳川家がこんな強かったんだとしたのだと思います。
太田さんのこの意見の通りだと思います。
全ては徳川アズNO.1の結論から導き出された理屈であるように感じられます。
同様にして「尾張弱兵説」もまた徳川最強説のために作られた虚構だと思っています。
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暗号小噺 投稿者:安部式部 投稿日:12月
7日(金)13時16分44秒
世界で始めて近代的暗号解読を行ったのは、フランスのアンリ3世の顧問弁護士であり、
「代数学の父」としても有名なピエトのようですね。当時スペインはフェリペ2世の時代
で、強大な勢力を誇っており、スペインと本国の間の連絡に暗号を用い、その暗号には
絶対的な自信をもっていたようです。
アンリ3世の要請で、ピエトがそれらを解読したため、スペインは、フランスが悪魔と
結託して、魔術によって解いたのち違いないと考え、フランスを罰するようローマ法王に
訴えたそうです。
ここんところ、仕事が暇なんで、社会人のクセにこんな時間にカキコしちょります <(^^;;
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日本の暗号 投稿者:太田守人 投稿日:12月
7日(金)11時48分05秒
日本海軍の暗号が、アメリカに解読されていたのは、ミッドウエイ海戦と山本五十六の戦死の二件だけだったというのが最近有力な説です。
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日本も暗号を解読していた 投稿者:安部奈亮
投稿日:12月 7日(金)01時16分49秒
研究者によると、日米開戦前夜に、日本側もアメリカの暗号を解読していて、アメリカ側の外交機密を入手していたことが最近わかったそうです。その時代の日本とアメリカの外交機密がやっと解除されたので、それを照らし合わせた結果わかったということです。
その時代の歴史の見方がまた変わってくるかもしれないですね。
ロシア革命の時も、完全に土地に縛り付けられていた農奴は国民の20%以下でした。フランス革命の時も生活に困るほど貧しかったのは1割くらいだったそうです。確かに15%くらいで革命が起こるのかもしれませんね。
アメリカは日本の暗号を解読していたが、日本は駄目だった、というのも一種の自虐史観だったのかもしれません。ただ、日本側はそれを活用はできなかったようですが。
第一次世界大戦の時に、日本は連合国を助けるために艦隊を地中海へ派遣しましたが、機雷掃除や輸送艦の護衛ばかりやらされたので(十分立派な仕事ですが、当時の軍人はそうは思わなかった)、海軍のほとんどがイギリス崇拝からイギリス憎悪へと180度展開してしまったそうです。
終戦工作が海軍中心であったのは私も知っています。終戦工作を主導したのは、昭和天皇と重臣(首相経験者)と海軍と外務省でした。それと終戦の頃の宮中には、なぜか真崎甚三郎ら陸軍内部では失脚した皇道派の軍人も出入りしていました。皇室の周りにはなぜか陸軍の人は集まりませんでしたね。ということは山縣閥が皇室には入らなかったと言うことでしょう。山縣有朋は皇室を荘重にすることに努力したので不思議です。
海軍は陸軍よりましだった・・・とは良く言われることですが、それは私は間違っていると思います。陸軍ばかり責めるのは片手落ちです。陸軍の悪口はいくらでも言って良いのに対して、海軍の悪口を言うと今でも食って掛かる人が結構います。海軍に連なる人脈の方は戦後も生き残ったので、今でも海軍の方は陸軍ほどはシビアなメスが入っていないのではないでしょうか?。「日本と海軍」によると、頭の固さと大局を見ることが出来なかったのは海軍も陸軍と同じだったようです。
100万人つぎ込んでも勝てなかったのだから次は200万人よこせ、で、新しく200万人つぎ込む。日本全体としては消耗しているのですが、兵隊や兵器を消耗すれば消耗するほど、軍だけで考えれば逆に軍の人員と装備の「数」は増えたんですね。これが彼らがおかしくなってしまったカラクリだと私は思います。兵隊や兵器を消費すればするほど新しく補充される、だから力が無尽蔵にあって勝ち続けているような気になってしまう。カード破産をする人と同じではないでしょうか。目先の「員数」を維持しよう、増やそう、という意見しか組織内で通らなくなる。日本全体としては員数が減っているのがわからなくなっていたのではないでしょうか。
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ありがとう 投稿者:ひろし 投稿日:12月
6日(木)21時39分17秒
こんばんは。きんたろうさん、太田さん、かおりんさん、情報をどうも有り難う!やっぱり社会科の先生の余談は嘘じゃなかったんですね!うれしいのと、深まる謎。うーむ、もっとつっこんで日本史を勉強しておけばよかった!!これで鼻高々、会社で自慢できます。それにしても、インターネットってすごい。こちらでも調べて、またちょくちょく遊びにきまーす!
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太田さん 投稿者:きんたろう 投稿日:12月
6日(木)18時44分21秒
>最富有層と最貧層の所得格差が、15:1になると革命がおこる可能性が高くなるといっていました。
なるほど、それは知りませんでした^^
例えば、全体を100人としてその内の10人の収入が100万円で残りの90人が10万円だとすると10人のコストの方が高くなってしまいますよね。
このような状態では大多数を占める90人が公平な富の再分配を望む事が自然だと思っています。
何しろ100人全員が19万円の収入にすれば、90パーセントの人が190%の所得アップを達成できるのですからね。
現実の問題としてはポストとか能力によって差が出てくるのは当然です。
でもあまりに格差がひどいのは社会全体の活力を考えた場合にはマイナスだと思います。
朝日新聞は改革を唱えているくせに大学入試に天声人語が出される事をセールスポイントにして販促をしていますよね。
これなどは入試を商売にしていると言われても仕方がないのではないでしょうか??
やっている事に対して信頼のおけない典型のように思っています。
基本的には朝日新聞程度が日本のオピニオンリーダーを自認すること自体が間違っていると思っています。
はっきり言えば「神を恐れぬ所行」そのものだと思います、笑
朝日新聞には新聞屋としての分をわきまえた紙面作りをして欲しいというのが私の願いです^^;;
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かおりんさん 投稿者:きんたろう 投稿日:12月
6日(木)18時38分10秒
初めまして(^O^)y
これからもよろしくお願いします。
>・・・・・・ってことは人間宣言以後の天皇はこの儀式をやってないってことでしょうか?
私もよく知らないのですがこの儀式は平安時代に絶えてしまった??ように思っています。
そして明治になって再び大嘗祭が復活したのではないでしょうか??
でもそれは全てが古式のままというわけにはいかなかったように思います。
紋次郎さん、久しぶりですねv(^o^)
確か坂上田村麻呂は帰化人五世くらいでしたよね??
彼の父も有名な武人ですね。
京都の何処だったか忘れましたが祭られていたと思います。
そして彼は古代中国の王族の末裔だったと記憶しています...??
Toshyさん
鬼と言えばKHKFMで放送していた小野篁を主役にしたラジオドラマで鬼が出ていましたよ。
そう言えば小野篁も東北地方に縁がありましたよね。
>坂田金時ら頼光四天王が退治する「つちぐも」もまた、アテルイのような人々だったのかもしれません。
これは京都付近の単なる悪党(追い剥ぎ??)をやっつけた程度を誇大宣伝をしたのではないか??と疑ったりしています、笑
いずれにしても悪の代名詞のような使い方をされている点については変わりがありませんよね。
この様な未知のものに対する不安を拒絶する考えから来る差別(のようなもの??意識)は無くしていきたいものですよね。
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