過去ログ145(2002年〜1月16日)


--------------------------------------------------------------------------------
補足(一応) 投稿者:きんたろう  投稿日: 1月16日(水)21時16分44秒

下記の書き込みのように思っていたのは子供の時のことです。
仙台が水戸の何倍も大きな街だと気が付いたのはずっと前の時のことです、笑

おっ、太田さん^^
>進駐軍前田の時代

江戸時代の大名の8割くらいは今の愛知県出身者だと記憶しています。
愛知県は信長、秀吉、家康の出身地ですから当然と言えば当然なのですが、要するに日本が愛知県人に支配された時代が江戸時代と呼べるのでしょうか、笑

Toshyさん
けんちんを調べてみました^^

中国から日本に伝わった料理で繊(せん)切りにした材料を巻くという意だとのことです。
ダイコン、ニンジン、シイタケ、ゴボウなどを細切りにして油でいため豆腐をくずして加える。
これを湯葉や薄焼き卵で巻き揚げたり蒸したりする。
巻繊汁は上記材料をいためこれに清(すまし)汁を加えて汁にしたもの。
とありました。

ラーメンの汁とはずいぶん違いますのでずいぶん日本化しているのかもしれませんね??



--------------------------------------------------------------------------------
きんたろうさん 投稿者:太田守人  投稿日: 1月16日(水)20時32分38秒

暖かいお言葉をありがとうございます。
徳川幕府の加賀支配は、大変うまく、能登の長氏(穴水城址長谷部氏の末裔)が倒産したときも、長氏を客将とし、その不良債権(長氏の負債等)を無理やり前田に押し付けたりしています。
前田は、きんたろうさんのおっしゃるように、御三家に準じた扱いを受けていたといいます。
ただ、私は加賀は一向一揆だと思っています。一向一揆の時代も、名目上ですが、加賀の守護は、富樫だったそうで、例えば圧力団体がいる族議員のようなのもいるで、今の日本のような政治形態だったようです。
私も、進駐軍前田の時代より、一向一揆の時代をもっと石川県は見直すべきだと思っています。



--------------------------------------------------------------------------------
くわしいことは知りませんが 投稿者:Toshy  投稿日: 1月16日(水)19時46分31秒

油でいためた野菜のことをそのように呼んでいたと思います。
なんでそのような名前になったか、までは責任がもてません(わら
別のものと勘違いしているかな?

http://homepage2.nifty.com/snowwolf/index.htm



--------------------------------------------------------------------------------
けんちん 投稿者:きんたろう  投稿日: 1月16日(水)18時56分40秒

今はけんちん(巻繊)汁とか「けんちんそば」、「けんちんうどん」がとても美味しい季節ですよね。
ところでこの「けんちん」という意味はどういったものなのでしょうか??
突然沸き上がった疑問です、笑

http://www5d.biglobe.ne.jp/~kintaro2/



--------------------------------------------------------------------------------
Toshyさん 投稿者:きんたろう  投稿日: 1月16日(水)18時54分57秒

有り難うございます。
明日が楽しみです^^

>誇りを取り戻せ、仙台人!
仙台といえば水戸より北にあるのだからはっきり言って自分たちが住むところよりも遙かに田舎だと思っていたのですが実際に行ってみたところあまりの大都会に驚いた事がありました、笑
ああ(笑)なんという無知だったのでしょう、更なる自爆^^;;

ちなみに盛岡駅に行ったときもあまりに綺麗な駅ビル??に驚いた記憶があります。
その時初めて水戸が「みそっかす」にされている事に気が付きました、笑



--------------------------------------------------------------------------------
太田さん 投稿者:きんたろう  投稿日: 1月16日(水)18時53分21秒

有り難うございました。
風邪ですか??
この時期は長引く場合が多いですから気をつけてくださいね。

秀吉から義宣が安堵された常陸国の石高が約54万国のでしたから前田の100万国だと最低2国以上の支配エリアを持っているものと思っていました。
それにしてもいつの間にか常陸国は「上国」から生産高が「並の国」になってしまったのだろうかとふと疑問が沸いてきました。

先日も書きましたが前田利家とは要するに信長の家臣でしたから今年の大河ドラマの主役は「信長・秀吉」だと私は思っています。
「太閤記異聞」のようなものだと思うのですがどうでしょうか??笑

江戸時代の前田藩は利家の剛毅さからはずいぶんかけ離れたものだったと思います。
でも確か「前田様」に対しては江戸幕府も御三家と同格扱いをしていたような気がしますが...??

>前田というのは、生理的に大嫌いです
はは^^;;
正直なところ私も水戸徳川家よりは佐竹氏の方が好きですよ。
恐らく似たような感情なのかもしれませんねv(^o^)

兼六園は何回か行ったことがあります。
さすがに綺麗な箱庭だと思いました。
ちなみに三大庭園の偕楽園は入園料が無料だけあって箱庭というよりもただ自然の中に「境界」を引いただけのようなところです。



--------------------------------------------------------------------------------
兼六園 投稿者:太田守人  投稿日: 1月16日(水)16時46分29秒

明治維新後、兼六園は公園として、一般人に開放されますが、この時の笑い話をひとつ。
殿様の庭園を無料で見せてくれるとは、ありがたやー。ということで、兎に角、押すな押すなの状態でしたが、殿様の庭園を見るとき、土足では恐れ多いということで、皆草履や下駄を脱いで、入園したそうで、土足でもいいと係員がいっても誰も聞かなかったとか。土足で、入園するように、指導するのにえらい長期間かかったそうです。この時、庶民は殿様の庭園を見せてくださる、天皇様とはなんといい方だと思ったそうです。



--------------------------------------------------------------------------------
金沢で前田嫌い 投稿者:Toshy  投稿日: 1月16日(水)15時05分08秒

太田さん>
仙台で伊達政宗が嫌いといってもさほど問題にもなりませんが(なにせ米沢のお方ですから)、
やはり一般的には藩主を嫌いというのは大変そうですねぇ。

こちらは表向き62万石でしたが、大崎平野(地図では仙台平野)の新田開発により、
100万はゆうに越えていました。
江戸時代、仙台米が江戸に届くと、江戸では米の価格が3割もダウンしたというほどです。
つまり現在「江戸前」といわれるお鮨は仙台が支えていたのですが、
東京はその恩義を、そして仙台人まで誇りを忘れている。

誇りを取り戻せ、仙台人!

※東北人としてアテルイと安部貞任の名誉回復も忘れてはならない。

http://homepage2.nifty.com/snowwolf/index.htm



--------------------------------------------------------------------------------
きのう 投稿者:Toshy  投稿日: 1月16日(水)14時53分32秒

郵送しましたよ。今週中にはきんたろうさんのもとに届くでしょう。



--------------------------------------------------------------------------------
扁額の遺勅 投稿者:太田守人  投稿日: 1月16日(水)12時46分11秒

清の時代に、扁額の遺勅というものがあったそうです。北京の故宮の玉座の上に、額があったと思いますが、あそこに後継者の名前を皇帝が書いておいておいたそうです。例え、皇太子であっても、この扁額の遺勅に名前がなければ、皇帝になれなかったとか。清代に、名君が多いのも、このせいかなと個人的には思っています。
その点、明は長子相続が基本ですから。



--------------------------------------------------------------------------------
きんたろうさん 投稿者:太田守人  投稿日: 1月16日(水)12時27分28秒

>ところで加賀100万石とは加賀、越中、越前、能登の4国全部の範囲を含むのでしょうか??

すいません。風邪引いてまして、レスおそくなりました。越前は、松平の領地です。(幕末で有名な、松平春嶽は福井の殿様です。)大野は、金森氏だったか別の大名でしたが。
加賀100万石は、加賀・能登・越中です。前田は、最大120万石だったことがあったそうです。
100万石の半分くらいは、越中の石高だったそうで、前田は、大聖寺と富山に、10万石ずつの分家をおきますが、富山藩は、今の富山市周辺のごく狭い領地で10万石を上回っていたともいいます。前田も越中がなかったら、50万石くらいでなかったでしょうか。前田時代には、加賀・能登で10万石くらいの天領があったそうです。今も、天領だった村と前田領だったところでは、仲が悪いですが、天領だった方が、前田領より豊かで、家屋敷も大きいです。
ただ、前田は5代綱紀(金沢文庫を復活した殿様。)以降は、馬鹿か馬鹿をよそおっているのかわからないような、殿様が輩出します。
歴代藩主は、財政は、火の車でも、それを全然省みず、兼六園を拡張しています。このように、私は、前田というのは、生理的に大嫌いです。だから、今年の大河は見る気もしません。しかし、金沢で前田が大嫌いというのは、それなりに大変です。



--------------------------------------------------------------------------------
ミラーサイト 投稿者:きんたろう  投稿日: 1月16日(水)08時36分07秒

11時を過ぎるとレスポンスが極端に落ちる場合が多いものですから下記のアドレスにミラーサイトを作りました。
まだ実験段階です^^;;

http://www5d.biglobe.ne.jp/~kintaro2/



--------------------------------------------------------------------------------
劉さん 投稿者:きんたろう  投稿日: 1月15日(火)22時47分14秒

ウイルス・メールですか??
またまた新種が出たのでしょうか??
バッドトランスの亜流があるとアンチ・ウイルスのページで見ましたよ。

私のところには11月25日くらいから一週間くらいは毎日5通以上届いていました。
その後は数が減ったのですが何で今頃「バッドトランス」という感じで届いています。
でもさすがに数は減りました。

このような状況で自己防衛をするにはウェブメールにするかアウトルック以外のメーラーを使うに限ると思います。

>ソ連の原発は人民のためのものだから事故は起きない
スリーマイルの原子力事故の時は鬼の首を取ったようにはしゃいでいた一部の人達はチェルノブイリの時は素知らぬ顔をしていましたよね。
このような「煽り屋」に多くの発言機会を与えたマスコミの責任は大きいように思っています。
要するに「代弁」させた訳ですよね。

つかささん
ねぶたの語原は面白そうですよね^^

>祭りの意味合いとしては、五穀豊穣祈願であると同時に「うっぷん晴らし」的に精神を解放して、神と通じると言うことが言えるのではないかと思います。
「いっせ、いっせ」(でしたっけ??)とかけ声をかけながら飛び跳ねる姿は阿波踊りに通じるところがあるような気がします。
短い夏を満喫しようとして夜通し「村祭り」に熱中するあまり翌日眠くて仕方がないという事を逆説的に表そうとしたのでしょうか??^^



--------------------------------------------------------------------------------
kitunoさん 投稿者:きんたろう  投稿日: 1月15日(火)22時45分46秒

久しぶりですね。
新年おめでとうございます。

体調の方はいかがですか??
これからはインフルエンザのシーズンになりますから体にはご自愛下さい。
今年もよろしくお願いします。
HPのアドレス変更を有り難うございました。

実は最近分かったのですがジオよりもGooの方がやや重めのような感じがします(;^_^A)
やはり快適に動くにはCM抜きが一番ですよね。

なみさん、お久しぶりですね^^
おめでとうございます。
今年もよろしくお願いしますね。

そう言えば昨年大阪駅で「赤福」を土産に買ってきました、笑
店の人が言うには「赤福」が大阪土産売れ行きナンバー1だとのことでしたよ。
(大阪土産としてはちょっくら違うっぺよと心の中で思いました、笑)



--------------------------------------------------------------------------------
そういえば 投稿者:劉公嗣  投稿日: 1月15日(火)17時50分01秒

ソ連の原発は人民のためのものだから事故は起きない、と言った国会議員が
いたそうで。辞任ものの失言だと思うのですが、この発言の責任を取って辞
職したとの話は聞きません。

南アフリカの模様の刻まれた石は確かに大発見なのですが、もっと凄い、人
類史を根底から覆すような発見があったとの噂もあるんですよね。デマの可
能性も高いのですが(笑)。

ところで、きんたろうさんのところには最近ウィルスメールが送られてきた
ことはうるでしょうか?私のところには、昨年の11月頃に5〜6通送られ
てきて、その後はなかったので安心していたのですが、最近また送られてく
るようになりました。

>なみさん
初めまして。
まあ日本人も、あまり中国の態度に過敏になったり、中国側の発言を真に受
けないことが肝要だと思います。
大河ドラマは、妙な配慮があるからつまらなくなるところはありますね。去
年の時宗は見ていないのですが、秀吉は最後になってそんなところがあった
と記憶しています。

http://www5a.biglobe.ne.jp/~hampton/index.htm



--------------------------------------------------------------------------------
小正月は小豆粥 投稿者:なみ  投稿日: 1月15日(火)10時15分31秒

しばらくでした。
相変わらずにぎやかな掲示板で何よりです。

時々お邪魔仲間(笑)のkituno_iさんお久しぶりです。
お加減いかがですか?
まだまだ寒い日が続きます、どうかお大事に。
一昨日は雑炊しました。
この時期の雑炊ってすきです。あったまるし残り物は片付くし。(笑)

>劉公嗣さん
>そういう雑多な集団を纏めるには、嘗ての列強への抵抗を強調しての
>ナショナリズムが効果的で、列強を追い払ったことが正当性の源泉とされて
>いるところがあり、日本はその最大の標的となっているところがあります。
>これを巧妙に続けることができたら、中国の分裂は回避されるのかもしれません。

多分初めまして。(ぺこり)
鋭い意見だと思います。
しかしそうすると一番の問題は中国の分裂ではなく日本の戦略分析力の足り無さかなあ。
巧妙に続けるにも役柄を判っていなくては。
へこへこしてるが損しないとか。
たぬきやきつねは化かし、もとい演じ甲斐がありそうです。(笑)
大河がつまらないのはこのへんのアクの無さでしょうか。
戦国時代に命々って・・・。(涙)



--------------------------------------------------------------------------------
ねぶた(続) 投稿者:つかさ  投稿日: 1月15日(火)08時02分56秒

語源は諸説ありますが、ただ一つの説に由来するものではないように感じています。

昔の風習では、なんでも「ねぶたっこ流れろ」と唱えながら、灯籠を持ち、練り歩いたらしいです。眠気=邪気、と考えたようですね。ただ、この風習から察するに、ぐっすり眠れるように、と言うよりは、眠気覚ましの要素の方が強いように感じます。実際の所、私には良くわからないです。

祭りの意味合いとしては、五穀豊穣祈願であると同時に「うっぷん晴らし」的に精神を解放して、神と通じると言うことが言えるのではないかと思います。

現在でこそ、「ねぶた(ねぷた)」は観光収入源となっていますが、私が子供の頃に見た「青森ねぶた」は、大変怖いものでした。見物客につっこまんばかりに山車が蛇行し、「はねと」が男女入り乱れて狂ったようにはね回る姿は、幼い子供には「悪魔の使い」としか見えませんでした(^ ^ ;
明治から昭和初期までは、山車をぶつけ合ったりしたそうで、「だんじり」に近いものであったようです。

一方、「弘前ねぷた」はそのような勇壮さはなく、巨大な灯籠流しといった様相でした。雅な風格さえ感じられました。
青森市はもともと漁師町であるのに対し、弘前市が城下町であることが関係しているのかも知れません。



--------------------------------------------------------------------------------
皆さん! 投稿者:kituno_i  投稿日: 1月14日(月)21時33分42秒

あけましておめでとうございます。
今年も宜しくお願いします。

ご挨拶が遅くなってすみません。 m(_ _)m



--------------------------------------------------------------------------------
ご無沙汰していました。 投稿者:kituno_i  投稿日: 1月14日(月)21時31分02秒

新年のご挨拶もまだせぬうちに、明日は早くも小正月です。
皆さん、すっかりご無沙汰していました。「kituno」です。(忘れられちゃったかな〜^^;)
昨年の秋に体調を崩してしまって以来、インタ−ネットの世界から遠ざかってしまって
いました。ここの掲示板の話にも全くついていけなくなってしまったのですが、時々
お邪魔させていただきますので、また宜しくお願いします。 m(_ _)m

きんたろうさん、私のHPのリンク、やっと直しました。
相変わらずおっちょこちょいのkitunoですので、確認をお願いします。^^;

では、改めまして



--------------------------------------------------------------------------------
つかささん 投稿者:きんたろう  投稿日: 1月14日(月)15時42分51秒

なるほど^^有り難うございました。

あの大きな人形をどうして「ねぶた」というのか疑問に思っていました。
夏の夜は暑くて寝苦しいですからどうしても睡眠不足になりがちです。
そうすると昼間の仕事に差し障るという事がねぶたという言葉が選ばれた理由なのでしょうか??
五穀豊穣を祈願するためには昼間一所懸命に働かなければならないという願いが込められているお祭りのような気がしました。



--------------------------------------------------------------------------------
安部さん 投稿者:きんたろう  投稿日: 1月14日(月)15時41分42秒

これはとても面白い意見ですv(^o^)
利家は老年になっても信長に抱かれた事を誇らしげに語ったと言われていますから彼らがその様な関係にあったのかもしれません。
でももしその様な関係にあったとしても当時の戦国大名達にとっては「常識」だった訳ですから信長が異常であるということではありませんよね。

信長達は既存の関係ではなく自らが造り出した人間関係の信頼感を最大の武器にして新時代を築いていったのでしようか??
信長の部下達は少年時代の子分がそのまま大人になっても続いていたように思います。
上下関係はあったにしてもそれは伝統の家柄よりも自分たちが実際に野山を走り回っている間に培われた関係として認識していたのではないでしょうか??

秀吉もまた譜代の家臣がいないからこそ過大に信頼を寄せ過ぎたところがあるような気がします。
これは「浪人」にとってのし上がれる大きなチャンスを与えていたと認識されたと思っています。



--------------------------------------------------------------------------------
おお^^ 投稿者:きんたろう  投稿日: 1月14日(月)15時37分45秒

劉さん、強力な書き込みを有り難うございます。
そう言えば米帝反対を声高に叫んでいた人は「ソ連の核」はきれいだとか何とかのたまわっていましたよね。
あのばかげた意見はさすがにチェルノブイリの大事故以後は聞かれなくなりました。
「ああ言えばじょうゆう」的などうでも言いような屁理屈が多かったように思っています。

社会主義とか共産主義などと言ってもそれは本来は純粋に経済問題であるはずなのです。
でも政治的色眼鏡によってずいぶんと変質してしまったように感じています。
かつてのソ連が本来の社会主義国と呼べるのかどうかは別にしても、あのスターリンは日本に対して「借りがあるのを返した」と言ったそうですよね。
借りとは日露戦争のロシアの敗北を意味していますから、自分がツアーの後継者であると自認していたのでしょうか。

>「巨大市場」と言われていますが
全く同感です。
日本でも昔は貧しさのために「口減らし」をした歴史を持っています。
「貧乏人の子沢山」は普遍の真理の筈ですよね。
ところがこれを180度ひっくり返して「貧乏人が10億人のブラックホール」を「巨大市場」と言いくるめるのは詭弁以外の何ものでもないと思っています。

人口とはその通り人の口なのですから10億もの人間を食べさせるのはとても大変な事だと思われます。
このためには中国政府は何でもすると考えた方がいいのではないでしょうか。

結論から言えば中国政府の「甘言」に騙される方が悪いのです。
友好は勿論大事ですが友好を掲げれば済むような話ではないと思っています。
はっきり言えば有限のお金は効果的に使って欲しいと思わずにはいられません。

ODAについては理解しているつもりですが、まず優先順位としては第一に国内の問題の解決のために有限の資金は使われるべきだと思うのです。
お金(税収)とは自然発生的に沸き上がってくる物ではない筈なのです。

昔はお金がないのでひもじさを我慢するために「武士は食わねど高楊枝」などと言いましたよね。
ところが経済高度成長からバブルを経験した日本人はバブルがはじけた今になってもお金を得るためにはどれだけ大変な代価を支払うのであるかという根本的なところを忘れてしまっているような気がします。

何しろ現在は完全失業率5%を越えているのです。
打開策としてワークシェアリングが検討されているほどですから気が付いた時には日本丸「破産」という事態も予測されると思うのです。

拝金主義とは違うのですが「お金」の有り難さは膨大な税金を扱う立場の人は十分に考えて欲しいと思います。
生きたお金ならODA大歓迎なのですが泥沼に投げ捨てるような勿体ない使い方だけはして欲しくありません。

勿論個人的つき合いとしては人種など関係なく親しい関係を築く事が出来ればいいと思っています。
個人レベルでは親しい関係を望まない人はいないと思うのです。
欧米人のように日本人とは違う人種であると初めから認識している相手の方が「小さな相似形」にも驚きを感じて親しみを覚えるのかも知れませんね。
相手は別の独立した一個の存在であると思えば自分と違うのは当然と思えるのですが...

>南アフリカでの発見が気になって仕方ありません
見て来ました。
なるほどすごい発見があったのですね。
恥ずかしながら教えてもらうまで知りませんでした^^;;

人類の起源はアフリカだと言われていますが何万年も前に幾何学模様というのはすごすぎてよく分かりません^^;;



--------------------------------------------------------------------------------
笠谷和比古さん 投稿者:Toshy  投稿日: 1月14日(月)14時30分28秒

旧式の構図を支持している方の中では、最も優れた見識を持つ方ですね。
でも「近江と尾張」の構図に関して著書でほとんど触れていなかったりします。
むしろ、もてあまし気味という印象を受けました。
この方は、大坂の陣以前について、徳川豊臣の融合路線を主張しています。
家康と秀頼は対立関係になかったと。全面的に賛成できる話ではありませんが、
徳川の態度が、当時はそれほどに豊臣をたてているように見えたのでしょう。
これは秀頼の関白型公儀が、家康をして苦戦させたものだというのが我が考えです。

http://homepage2.nifty.com/snowwolf/index.htm



--------------------------------------------------------------------------------
ねぶたについて 投稿者:つかさ  投稿日: 1月14日(月)08時01分31秒

ねぶた(ねぷた)祭りは、五穀豊穣祈念、七夕の祭りが、変化したものと考えられています。「ねぶた(ねぷた)」は「灯籠」形の山車を意味しているようです。
通常、「ねぶた」と言った場合は「青森ねぶた」を、「ねぷた」と言った場合は「弘前ねぷた」を指しますね。
その語源は諸説ありますが、暑さによる寝不足、眠気、邪気を祓って豊饒を祈るため、灯籠と合歓の木を持って練り歩いた風習が発展した、という「ねむりながし」説が有力というか、一番わかりやすいです。
「ねむい」が青森方言では「ねぶて」、弘前方言では「ねぷて」というところから、青森では「ねぶた」、弘前では「ねぷた」になったというのです。



--------------------------------------------------------------------------------
ついでに 投稿者:安部奈亮  投稿日: 1月14日(月)00時41分05秒

信長が「うつけ者」といわれたのは、私が思うに、身分の分け隔てなく人と付き合っていたことをまわり人間が理解できずに「あいつは馬鹿だから」で片付けていたのでしょう。



--------------------------------------------------------------------------------
醜男は宗教家になってはいけない(3) 投稿者:安部奈亮  投稿日: 1月14日(月)00時32分28秒


 日本の女性作家や女性マンガ家はよく同性愛のことを取り上げますが,これはおそらく,近代文化が異姓の間の信頼関係と同性の間の信頼関係を,全く違うものとして峻別してしまったことに,彼女達が先祖から受け継いだ健全な記憶が反発して,表現をせざるを得ないのではないのでしょうか?

 つまり異性の間の信頼関係と同性の間の信頼関係を彼女たちは同じものであると信じているのですが,そしてそれは正しいことなのですが,そうなると,異性の間でするように同姓の間でもSEXをしなければおかしくなってしまいます。ですから同性愛を描かざるを得ない。

 逆に少女マンガではキスをすることすら極端に性的なものとして描いていますは,これは「やおい」の逆の現象で,異性の間の信頼関係を同性の間の信頼関係が同じであるためには,異性の間でも同性の間と同じようにSEX抜きでなければならなくなってしまうからです。

 そしてその元凶は,SEXをすることに一抹の後ろめたさを感じさせるように私達を変えてしまった宗教改革にあるのでしょう。



--------------------------------------------------------------------------------
醜男は宗教家になってはいけない(2) 投稿者:安部奈亮  投稿日: 1月14日(月)00時31分10秒


 私は思います,その言葉こそが「ホモ」だったのではないでしょうか?つまり「衆道」とか「ホモセクシャル」とかいう言葉には必ずしもSEXがついてまわっていたわけではないのではないでしょうか?

 今でも仲の良い友達どうしなら,同性であっても,手を繋いだり,肩を寄せ合ったり,それどころか一緒に寝ることは珍しいことではありません。まあ,同性でSEXまでするのは稀ですが,それは昔だって同じことだったでしょう。戦国時代だから,古代ギリシャだから,同性でSEXをすることが急に盛んになったりするなんてことは,よくよく考えてみれば変な話です。

 そうです,血縁関係や組織の仲の上下関係を超えて人間が信頼し合うのを,昔の人は,異姓の間ならば「ヘテロセクシャル」な関係,同姓であれば「ホモセクシャル」な関係といったのでしょう。異姓の間でSEXをするのはやはり自然なことですから,「ヘテロセクシャル」な関係がSEXをするまでに発展することは当然今も昔も多かったでしょう。私は男なので女性の方はどうかは知りませんが,男同士が性行為するのは(私はしたことありません,それどころか異姓ともしたことがありませんが),やはりみんながみんなしたがることではないと思います。それは昔も同じことだったでしょう。


 さらに衆道とかホモだとか昔の記録に書いてあってもきっと,その文章を書いた人はネガティブイメージを思い描いてはいなかったはずです。

 何故私達はそう思うのか,それは「ホモ=性的関係があったに違いない」と勝手に邪推しているからです。

 この邪推は何故起るのか,私はルターやカルビィンの宗教改革が元凶であると考えます。それまでは禁欲的な生活は修道士や司祭といった専門家がやれば良かったのに,宗教改革で全ての人間が禁欲的な生活をしなければならなくなりました。キリスト教は特にSEXを罪悪視します(注:これはカトリックの教父やルターの責任であってキリストはそんなこと一つも言っていません)。しかしSEXを極端に罪悪視した結果,イギリス人やアメリカ人やドイツ人は欲求不満になり,何事も性的に邪推しなければ収まらなくなり,また欲求不満が歪んだ形で外に出るようになります。これがビクトリア時代(19世紀後半~20世紀初頭)です。

 フロイトが活動した20世紀前半はヒステリーが異常に多かったのですが,フロイトはその原因を性的な抑圧にあると考えて,精神分析を発明しました。

 さて,何事も性的に邪推せずにはいられない哀れな19世紀のヨーロッパ人は,昔の文章にある「ホモ」の記述を「昔の奴等は淫猥だから(実は自分が淫猥であるに他ならないのですが),ゲイやレズだらけだったに違いない」と邪推して,その結果同性の間の信頼関係を表す言葉がなくなってしまい,仕方なく「FRIENDSHIP(友情)」なる言葉を発明したのではないでしょうか?

 私は言います。過去の記録に出てくる「ホモセクシャルな関係」というのは,男性も女性もおそらく今でいう「親友」の関係だったのであって,そして異姓の間の信頼関係と,同性の間の信頼関係の間に質的な差はなく,それが異姓の場合はSEXをすることが多いが,同性の間ならば滅多なことではそうはならなかったというのも,今も昔も同じだったでしょう。



--------------------------------------------------------------------------------
醜男は宗教家になってはいけない(1) 投稿者:安部奈亮  投稿日: 1月14日(月)00時29分05秒


 今年の大河ドラマ「利家とまつ」は友情がテーマといえます。しかし,織田信長と前田利家は衆道(ゲイ)の関係にあったと言われています。ではこの衆道というのは,必ずSEX(性行為)が付随していたのでしょうか?

 当時の日本いえ世界中でそうでしたが,身分の離れた者同士が同輩のように付き合うことは破天荒のことでした。織田信長は若い頃から,才能のある人であれば身分の分け隔てなく付き合う人であったといわれています。その中でも羽柴秀吉と前田利家は特に信頼していたようです。

 しかし,近代以前の日本には「友情」と言う言葉はありません。それで仕方なしにこの2人(秀吉も入れれば3人)の関係は「衆道」と記録されてしまったのではないでしょうか?あるいは,この3人のあまりの信頼関係を妬んだ人達が「彼らはゲイに違いない」とささやいたのかもしれません。

 「友情」と言う言葉は近代のヨーロッパにおいて発明されました。それまでは同性の間の,深い信頼関係を表す言葉は世界中どこにもなかったとされています。それで仕方なしに,「親友」を「ホモ(その国・文化によって表す言葉は色々ある)」の関係にあると表すしかなかったのではないでしょうか?いうことはつまり,歴史上「ゲイ」の関係であったとされている人達のうち何割かは(言えむしろほとんどは),今で言う「親友」だったのではないでしょうか?

 いえ,ここまで来れば「ホモ」という言葉と「友情」という言葉自体を疑わなければなりません。何故なら,近代になって突然「友情」ができたはずがないからです。今も昔も人間の感情はみな同じです。近代以前においても「友情」を表す言葉はあったあはずです。(注:義兄弟と言う言葉もあるけれども義兄弟ではどうしてもまだ上下関係が残る)



--------------------------------------------------------------------------------
書き忘れましたが 投稿者:劉公嗣  投稿日: 1月13日(日)19時16分59秒

帝国である中国が分裂崩壊する可能性は、20世紀の傾向からして
決して低くないと思います。圧倒的多数を占める漢民族にしても、
話し言葉は統一されておらず、中国に留学している知り合いによる
と、大抵の漢民族は話し言葉を同じくしない者を同胞とは認めてい
ないそうです。

そういう雑多な集団を纏めるには、嘗ての列強への抵抗を強調して
のナショナリズムが効果的で、列強を追い払ったことが正当性の源
泉とされているところがあり、日本はその最大の標的となっている
ところがあります。これを巧妙に続けることができたら、中国の分
裂は回避されるのかもしれません。



--------------------------------------------------------------------------------