過去ログ178(2002年〜12月5日)


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不覚^^;; 投稿者:きんたろう  投稿日:12月 5日(木)04時10分42秒

今日と明日はアルコールを断とうと思いました(;^_^A



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たそがれ清兵衛 投稿者:武来人  投稿日:12月 4日(水)20時12分42秒

をこの1日に観てきました。きんたろうさんは観ましたか。

この映画、今の時代にも受けると思いますよ。真田広之と宮沢りえの対話のシーン、それに決闘シーンも良かった。真田広之と宮沢りえの二人共すごく良かったです。

山田洋次監督は、時代劇は初めてのようですが、なかなか迫力ありました。



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朝が早くて大変です 投稿者:Toshy(雪狼)  投稿日:12月 4日(水)19時35分50秒

>仕事は何時から何時くらいまでなのですか??
朝8時に仕事開始、夕方の6時から6時半くらいまで、ですね。
他の部署は早く終わったり遅くまでかかったりとばらばらですが、
子豚に給餌するのが仕事のほとんどである当部はいつも平均的です。

>そろそろ新しい仕事にも慣れてきた頃だと思います。
しかし、今まで夜に働いていたので、早起きにはまだ慣れません(わら

少しは慣れてきたため、厳しい仕事が増えてきた…今日も社長から教育的指導を。



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大型銅鐸 投稿者:太田守人  投稿日:12月 4日(水)16時58分11秒

紀伊に、結構出土してるのですね。紀伊は、根の国なんていいますから、銅鐸は葬祭の道具なんかに関係するのでしょうか?大型銅鐸が、出雲に余りないとすると、銅鐸は出雲文化圏と単純に考えれないように思います。



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大型銅鐸 投稿者:ペギラ  投稿日:12月 4日(水)16時10分59秒

大体の出土数はこちらを参照してください

http://homepage1.nifty.com/moritaya/syutudosuu.html

さらに、60cm以上の国別出土数分布は
因幡1・但馬1・備前1・播磨3
伊予1・土佐5・阿波4
紀伊11・摂津7・河内2・和泉1
大和2・山城1
丹後2・近江10・越前1
伊賀2・伊勢2・尾張2
三河8・遠江15・伊豆1.信濃1

その中でも特にでかい100cm以上のものは
但馬1・播磨3
土佐1
紀伊6・摂津2
丹後1・近江1
伊賀2・尾張1
遠江1・伊豆1

ということでこれを見てもわかるように、
大和というよりも
出雲では無くなるということの方が的確な表現でしょう。

データ元「考古学ジャーナルNO210」より

あっ、それと鳴らし方ですが、
振ってか揺らしてかで鳴らすのだと思いますよ。
中に舌があるんですから!
それと形状的に外から鳴らすには
それなりの突起物がないとうまくならないのですが、
銅鐸にはそれらしきものが無い。
ということです。

もちろん大型銅鐸に鳴らした痕跡は見つかっていません。
でも鳴らそうと思えば、鳴る構造にはなっている。

なんとも不思議世界です。

http://homepage1.nifty.com/moritaya/kodai.html



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きんたろうさん 投稿者:みのる  投稿日:12月 4日(水)13時43分08秒

意外とキャバクラ行ったことない人っておおいんですね。
私なんか大学生の頃から金貯めて行ってた。
思えばあの頃からバブルははじまったんだなあ。
一晩きれいなおねいさんとお話して歌唄って
しめて5万円!
きんたろうさんもいかが?



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きんたろうさん 投稿者:太田守人  投稿日:12月 4日(水)12時52分08秒

私もです。キャバクラいったことないのは・・・。



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私もです。 投稿者:太田守人  投稿日:12月 4日(水)12時25分55秒

>今までしっかりした意見を言っていた毎日新聞の編集委員の岸井成格さんが突然そのようなことを言ったから私はビックリしました。この人の平素の発現から考えるとはこんなことが出て来るはずがないんですがね。これは毎日新聞の報道方針かなにかがあって、それに応じて意見を変えたの(と言うか変えさせられた?)ではないかと思います。

私も驚きました。まさかあの人は、偏向しないと思ってましたので。私の個人的な感想として、朝鮮総連かどっかから圧力があったなと思いました。



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銅鐸ってカウベルのようなもの? 投稿者:kituno  投稿日:12月 4日(水)11時54分17秒

木槌のようなもので、たたいて鳴らしていたのかと思っていましたが、そうすると振って(揺らして)音を出していたのでしょうか?

1mもあるような銅鐸は、権威の象徴として飾られていたのだと思っています。
大和では大きな銅鐸は殆ど発掘されていないと聞いたことがありますが、そうなのですか?



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TBS系 投稿者:太田守人  投稿日:12月 4日(水)08時17分36秒

の日曜の朝のサンデーモーニングで、大屋映子が、「北は誇り高い国民なので、一度5人を返すべき。」という発言をしていました。私は、じゃー日本人は誇り高くないのかい。と腹がたちました。



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きんたろうさん 投稿者:輔住  投稿日:12月 3日(火)23時52分15秒

>拉致に対していい加減な事を言っている人は
>きっと人の痛みなど分からない無痛症のような感覚の持ち主なのだと思います。
万一、戻ってしまったら、再び日本にくるどころか、
拷問される可能性が多い気がします。5人とも。



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きんたろうさん 投稿者:みのる  投稿日:12月 3日(火)23時21分38秒

キャバクラも行った事無いの?
かわいそうな人生!



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別に私は 投稿者:安部奈亮  投稿日:12月 3日(火)22時31分24秒

北朝鮮の肩を持つ意見をマスコミが発表することは構わないと思うんです。

でもそれをあいもかわらず日本政府の悪口につなげるのに嫌気が差していると言うことなんです。北朝鮮側のことを言うのは良いんだけれど、それがなんでかつてのプロトタイプの日本政府批判につながるのか、理解が出来ない。

今までしっかりした意見を言っていた毎日新聞の編集委員の岸井成格さんが突然そのようなことを言ったから私はビックリしました。この人の平素の発現から考えるとはこんなことが出て来るはずがないんですがね。これは毎日新聞の報道方針かなにかがあって、それに応じて意見を変えたの(と言うか変えさせられた?)ではないかと思います。

毎日新聞は、外信と政治欄は今もしっかりしていますが、社会欄は朝日新聞と同じで駄目です。



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Toshyさん 投稿者:きんたろう  投稿日:12月 3日(火)19時35分00秒

復帰おめでとうございましたv(^o^)
またよろしくお願いしますね。

そろそろ新しい仕事にも慣れてきた頃だと思います。
仕事は何時から何時くらいまでなのですか??

みのるさん
キャバクラには行ったことがないのでよく分かりません^^;;



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先ほども 投稿者:きんたろう  投稿日:12月 3日(火)19時33分51秒

書きましたが太田さんの言われるように北朝鮮は末期的状態にあるのは明らかですよね。

この国は「反日」を大きく掲げているわけですが、このセンスこそが時代遅れなのです。
現代の私達は特に北朝鮮に対して関心を持っている訳ではありません。
でもこれは特に北朝鮮を蔑視している気持ちがないと言い換える事も出来るのです。

ところが北朝鮮は一般市民をさらっておいて国交正常化交渉であの言いぐさです。
これは彼らの感覚がキチガイだと言っているようなものですよね。

日本の場合は人質を取らないと友好を結べないという次元とは全く違うレベルなのです。
あの政権、もしくは後継政権がしっかりと70人もの拉致事件の真相をはっきりとさせ、犯罪行為を謝罪し、かつ犯人たちを処罰すれば日本の世論は友好な関係を持つことに反対する訳がないのです。

この点を全く理解していない北鮮はやはり愚図なのだと思います。



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この人 投稿者:きんたろう  投稿日:12月 3日(火)19時24分03秒

の銅鐸についての説を要約すると、銅鐸とは土木工事をするための日時計であったというものです。
そして銅鐸に描かれている絵は文字(のようなもの)であり時代相を現しているという事でした。
要するに壁画のように絵によって起こった出来事を表現しているものという考えのようです。
この方が出された例は(神宮皇后の??)朝鮮出兵を現したものだと言っています。

蘇我氏が権勢を誇ることが出来たのは当然のことながらバックボーンがあったはずです。
そして権力を握った組織はその拡大に力を注ぐというのは古来においても真実だと考えています。

この様な観点をこの人は進めています。
確かに私には納得し易い論理展開でした^^

大化の改新によって蘇我氏が討たれクーデターが成功しましたがそれが続く事を知っているのは私達が未来人だからですよね。
当時の人たちは蘇我氏の巻き返しがある可能性を否定できなかったのは当然です。

それ故、銅鐸は山に丁寧に埋葬したのではないかというのが檜山さんが主張されている根拠になっています。

私の場合。。。
銅鐸については自慢できるほど無知なので最近の研究内容についてはよく分かりませんが、確かに面白い説だと感じました^^;;

ペギラさん、ひょっとしたら銅鐸とは巨大な風鈴だったのでしょうか??^^



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北朝鮮 投稿者:きんたろう  投稿日:12月 3日(火)19時16分45秒

は現代の基準における国家としての体を成していないのは明らかです。
国民の生命、財産を守るのは国家の大きな存在意義ですよね。
もっとも旧ソ連も国民は党に奉仕する存在であり決して国民主権ではありませんでしたから、似たようなものなのかもしれませんね。

外部からの拉致や内部における「念仏」を唱える人達によって、日本の国家としての存在意義もかなり怪しい状態になっています。
それでも北朝鮮のように「孫を食べてしまう」ような「飢餓」を生み出している訳ではありませんから、あれと比べればまだまともだと思っています。
当たり前すぎましたね^^;;

でも一般国民の拉致を可能にさせてしまった事は日本が国としての体を損なっていたからだ、と言っても差し支えないと思っています。
そしてこの原因を考えていくと「進歩的」と自称している人達の組織的妨害によるのは明らかですよね。

たとえばあの土井は北朝鮮工作船に発砲したことを非難していました。
でも北朝鮮工作船がロケット砲を発砲した映像の前には、あの人の言葉には一片の真実もない事が明らかにされたと判断した人が殆どなのではないでしょうか??

あの人達がやってきたのは、経済大国を成した大多数の日本人の「汗」のおこぼれを掠め取ろうとするハイエナのような事なのです。
これはいくらでも「おねだり」が出来ると信じて疑わない幼児のように、無邪気な感覚にとても似通っていると思います。
あの人たちには日本が一種の「不沈監」であると信じて疑わない感覚を持っている気がしています。

小さい子供なら親に対して無限大の信頼を抱くのは当然です。
でも大人になるにつけて自分たちも共同体を構成しているメンバーとして「草刈り」や「ゴミ拾い」をするのは当然と考えるはずなのです。
この人達は自動車から吸い殻を平気で捨ててしまう人と本質的なところは何も変わらないのではないでしょうか??

でもこれまでのように「たかり」の人達に鷹揚にお金をばらまくような経済的余裕は既にありません。
それは赤字国債発行残高が天文学的な数字なのは明らかです。
消費税の導入により一般国民が「税」に対して無関心ではなくなったこの状態では「有限のお金」の最大効用を目指す使い方でないものはとても容認されるとは思えないからです。

これは霞ヶ浦の水質がヘドロとほとんど変わらない状態に鳴ってしまった事をみても、大自然の「すね」ですらかじり倒してしまうことが可能である事を証明しています。

まして日本が経済大国であるというのは一般国民が勤勉に働いたからこその結果なのです。
この果実を不当に横取りしようとするのはどう考えてもまともな神経ではないのです。

拉致に対していい加減な事を言っている人はきっと人の痛みなど分からない無痛症のような感覚の持ち主なのだと思います。
25年も拉致の被害に遭われた人に向かって北朝鮮に送り返そうなど言っている人は人ではありません。
このような人にこそ我が身を犠牲にして北朝鮮に行って欲しいと思います。

安部さんの紹介で毎日新聞を見なおしていたのですが。。。
残念ですよね。
TBSの場合は筑紫が番組を持っていますから、この辺から巻き返しがあったのかもしれませんね??



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Toshyさん 投稿者:太田守人  投稿日:12月 3日(火)17時41分36秒

お帰りなさい。これからもよろしくお願いします。



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復活しました。 投稿者:Toshy(雪狼)  投稿日:12月 3日(火)16時26分03秒

アパートに電話を入れたので、ネット社会に戻れることになりました。
みなさまあらためてよろしく!



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もうすぐ12月8日 投稿者:太田守人  投稿日:12月 3日(火)13時10分14秒

太平洋戦争の南方作戦の計画書もった、大本営陸軍部の参謀ののった飛行機が、墜落します。しかも現場が、蒋介石軍の占領地だったので、大本営は真っ青になりました。あまり、大攻勢を掛けると、敵が不信がるので、大攻勢を掛けて書類の安否を確認したいが、それもできない。大本営は、ジレンマにおちいります。結局、この参謀が完全に焼却し、自決したことが、後に確認され、大本営陸軍部は、安堵の胸をなでおろしたという秘話がありました。



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最近北朝鮮報道で 投稿者:安部奈亮  投稿日:12月 3日(火)11時34分35秒

評論家が、北朝鮮の肩を持つ発言をするようになりました。
5人を、一度返すべきだとか、強硬な外交をする日本は傲慢だと言っています。また、「高度で緻密な外交戦略から」も5人を返すべきだとかいうのです。

彼らの言うことにも一理あるとは思うのですが、こういった人達は、まず北朝鮮がやったことは厳然たる犯罪である、と言うことを忘れていると思います(彼らはそんなことないというだろうけれど)。誘拐犯と交渉して、返ってきた人質を約束通り返すことがあり得るでしょうか?そんな馬鹿な話はない。それに、一度北朝鮮へ返す(返すという表現がそもそもおかしいのですが)たら、彼等はきっと交渉カードとして使われる。自由意思はなくなって、「北朝鮮で暮らしたい」と言わされるに違いない。北朝鮮が今までやってきたことを見ればそんなことは子供でも分かります。

他のことに関しては、とても合理的なことを言う人達が、北朝鮮に関してだけはおかしくなるのがとても不思議です。中国に対してもはっきりと物を言っている人が、北朝鮮の肩をまだ持っていたりします。

これくらいのことで日本政府が戦前の強硬な外交に戻ったと言い出すのも変です。私も初めはそう思っていたのですが、よく考えてみれば北朝鮮がやったことは犯罪に過ぎないし、北朝鮮との交渉を有利に進めるためにも、5人の北朝鮮に残された家族のためにも5人を日本に留めることの方が正しい戦略です(5人が日本にいる限り、北朝鮮に残された家族は殺されないはず)。ですからこれは強硬姿勢でも恫喝でもなんでもなく、国民の生命を守る一国の政府として正しい選択です。

明らかに強硬な姿勢になって恫喝を繰り返しているのは北朝鮮の方です。北朝鮮の肩を持つ発言をする名とは言わないけれど、そこの所をどう考えているのかを知りたい。そこまでして日本政府の悪口を言いたいのでしょうか?


正確に言えば、そのような発言をしだしたのは、毎日新聞とTBS系の放送局です。毎日新聞は、いろいろな意見を伝えなければならない、とどこかで姿勢を転換したのでしょう。日曜日くらいからのようです。それは構わないのですが、北朝鮮の肩を持つほうが、冷静で穏当な意見であるかのように伝えるのはおかしい。毎日新聞とTBSは、今の政府の方針と北朝鮮の肩を持つ意見を対等には扱っていません。そこがおかしいと思う。



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キャバクラ 投稿者:みのる  投稿日:12月 2日(月)23時09分30秒

今日は不純にもキャバクラをはしごしてきました。
それにしてもあんまりいい女いないなあ・・・
20代の頃は盛んに行ったものでしたが
何年かぶりに行きました。
あんまり面白くなかった。
金の無駄でした。



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鳴らす銅鐸 投稿者:ペギラ  投稿日:12月 2日(月)19時39分02秒

当時鳴らしていただろうと言うもの
http://www.maibun.com/collec/open/hachi.html
リンクにつけました。

銅鐸は鐘ではありません。
外からは叩かなかったと思います。

内部に舌をぶら下げて、揺らすのです。
ヨーロッパなどの教会などにあるベルといえば、
わかりやすいかもねぎ。さらにわかりやすくいえば、
スマスマのビストロでオーダーの時に鳴らすやつの
巨大バージョン。
その舌は青銅製。鹿骨もあるかもという話。
堅い木なら鳴らなくはないでしょう。

銅鐸の内側(筒のなか)下部に突帯というのが作られていて
それに舌が当たって、音が出るという仕組み。
突帯って何??
盛り上がってる線。って言ってもわかりにくいかな〜

これは、鳴らさなくなった巨大銅鐸でも存在するんです。
製造者は鳴らすとして作っていたのでしょうかね。

人間の臓器でいえば、盲腸でしょうかね。
(;_;)なんとも、例えがへたですいまそん。m(_ _)m

http://www.maibun.com/collec/open/hachi.html



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銅鐸と羽子板 投稿者:勇者ロト  投稿日:12月 2日(月)14時45分22秒

の謎に迫ってみました(爆)

下記アドレス。

http://www.cam.hi-ho.ne.jp/sakura-komichi/bbs/index.shtml



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宋代の船 投稿者:太田守人  投稿日:12月 2日(月)12時20分36秒

>そそういえば、何かの呪術で銭を埋めるというのがあるようです。

宋代の船に、隔壁の下に銭を埋めていたそうです。なんで、わざわざ隔壁の強度を弱くする行為をするのか定説はないそうですが、呪術説もあるそうです。今のジャンクが、こんなことをしてるかどうかは知りませんが。
銅鐸日時計説で、時刻を知らせるのに、ついでに銅鐸を搗くか、舌をたらして鐘のように鳴らしたとか。大航海時代は、船の時刻は、時鐘という鐘で知らせていました。正午を8点鐘として8回鐘をならしていたそうです。戦争中まで、日本海軍はこの時鐘で動いていたそうで、嵐で軍艦が揺れると、勝手にこの時鐘が鳴るので、飯時と間違えて,新兵が飯を貰いに行って、よく殴られたそうです。銅鐸日時計説を読んで、ふっとこの時鐘を思い出しました。



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埋銭 投稿者:勇者ロト  投稿日:12月 2日(月)11時06分32秒

そそういえば、何かの呪術で銭を埋めるというのがあるようです。

実用銭で隠してあったのが忘れられたのだ、いや祭祀のために埋めたのだ、とこちらも弥生青銅器の同じように意見がわかれているようです。

ある時期において古代の人々が銅鐸、銅剣を模擬貨幣として理解していたならばこれに通じるのかな?

下記アドレス参照。

http://www.museum.pref.mie.jp/saiku/hyakuwa/0019/hyakuwa-19-20020309.htm



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銅剣・銅矛・銅鐸粗大ゴミ説 投稿者:kituno  投稿日:12月 2日(月)10時44分05秒

「的はずれkituno」基「ごじゃっぺkituno」です。^^;;

「銅剣・銅鐸が不必要になったから埋められた」という説、なかなかかも。
元々は呪術的要素も備えていた物でしょうから、丁寧に埋められたのでしょうね。
出雲のひさしさんは、真面目にこの説に取り組まれているそうので、後でちゃんと読んでみようと思っています。

>羽子板で銅鐸をひっぱたくのかと思いました(笑)

銅鐸って、金のように木で突いたのですか?^^;;



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金正日とヒトラー 投稿者:太田守人  投稿日:12月 2日(月)10時39分19秒

金正日は、お忍びで視察に行った時、ある兵士がどうしても通してくれなかったそうです。この兵士に、職務に忠実ということで、勲章をやったそうですが、その後、同じことをした兵士がいたそうです。その時は、「俺の顔をしらんのかー。」と言って、銃殺したとかいいます。もし、このはなしが本当なら、ナチ末期のヒトラーを思い出しました。ヒトラーも、最後は感情の起伏がはげしかったそうです。金正日自体、滅びの足音を聞いているのかも知れません。
前の北朝鮮なら、日本列島の頭越しにミサイルを飛ばしているように思いますが、今はそのような気配もない。もし,軍部にミサイル発射を命じると、自分の宮殿にぶち込まれるのかも知れません。北は,末期症状を呈しているように思います。



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現代版焚書坑儒 投稿者:きんたろう  投稿日:12月 1日(日)23時08分07秒

焚書坑儒といえば世界史で誰でも習うほど有名な事柄です。
ちなみにこれは李斯の進言を受けて始皇帝が行ったものです。

確かに当時の常識では反対意見に対して寛大な態度をとると言うことは自分の権力を放棄するものであると受け取られがちですから、ある程度は理解できるのですが。。。
それでも人類の損失は多大な物があったのは間違いがありませんよね。

金美齢さんの立川市での講演が中止になったという記事は今日の読売新聞にも出ていました。
考えや意見を自由に発表できる社会を実現したのが人類の進歩の証だと思うのですが、威圧して中止に追い込んだ人たちはこの大事さを全然理解していないのは明らかですよね。
もっとも一党「独裁」を信奉する人たちにとっては反対意見を除外するのに手段を選ばないのは当然であると考えているのかもしれません。
マスコミはこの首謀者たちを徹底的に暴き出すことが必要ではないかと思います。

北朝鮮や朝鮮総連系に大手マスコミが及び腰だったのは、彼らの組織的な妨害を避けようとしたのが根本にあります。
要するに総会屋に妨害されないようになあなあでやっていこうとした日本信販と本質的なところでは何も変わっていないというか全く同じ物であると思うのです。

でも彼らの意見を尊重することが絶対多数の幸福に繋がるのかと言えば、それは違うと言わざるを得ないと思います。
少数意見を尊重することや弱者救済が大切なのは当然のことですが、だからといって多数が不幸になっていいという理屈は通りませんよね。
多数の人たちのフォローの上にこの様な物が成り立つものであるとすれば、やはり情報は公開してコンセンサスを得る必要があると考えています。



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今日 投稿者:きんたろう  投稿日:12月 1日(日)23時03分17秒

は朝早く家を出発してハリーポッターを観に出かけました。
ところが9時開演のところ8時半に着いたにも拘わらず、映画館の周りには長蛇の列が出来ていました。
それもなんと9時上映の分ではなく12時からの整理券を受け取るための行列だというのですから驚きました^^;;

このビルには4つの映画館が入っているのですが全てハリーポッターを上映しているのです。
正にハリーポッター恐るべし(笑)だと思いました。



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そうでもないと思います 投稿者:安部奈亮  投稿日:12月 1日(日)18時02分26秒

日本人全体が昔の武家や商家のような、余裕のある階級と同じようになりつつあるということではないでしょうか。



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みのるさん 投稿者:きんたろう  投稿日:11月30日(土)22時13分07秒

のところでは巨大企業だけあってリストラ規模も大きすぎますね。
2000人もリストラするのはとても大変だと思います。

私も宝くじで3億円が当たったら晴耕雨読の生活に入りたいと内心考えています、笑
合併の話は全国的に流行しているようですね。
ひょっとしたら近い将来には日本全国から「町」や「村」が消えてしまうのかなと思っています。

kitunoさん、
1メートルもの羽子板とはちょっと想像が出来ません(;^_^A)
勇者ロトさんの言われるようにこれで銅鐸を叩けばきっとものすごい音が響き渡る様な気がしました^^

実はこの方の結論は大化の改新によって蘇我本家の滅亡と銅鐸が埋められた事を関連づけたものなのです。
ピントはずれではありませんよ。



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銅鐸 投稿者:きんたろう  投稿日:11月30日(土)22時11分14秒

についてとても面白く感じているのですが、銅鐸を語るための基礎知識に欠けている事を痛感しています^^;;
ペギラさんはすごいですね^^

家族の崩壊という言葉は70年代にアメリカで言われ始まったのでしょうか??
家族の崩壊はとは核家族化が進んだことでもありますよね。
核家族化を促進させる原動力になったのは女性を対象にした家電製品の発達があり、女性を労働者として雇用するようになった社会の変化があると思います。

もっとも一番大きな理由とは貨幣経済の浸透が社会の隅々にまで行き届いたと事でしょうね。
これは金融資本が高度に発達した社会であると言い換える事が出来ます。

稲作農家の場合ですが昭和40年代くらいまでは農家で現金収入を得るのは一年に一度だけだったという現実があります。
この理由は収穫された米を農協に出荷して初めて現金収入を得ることが出来たからですね。

ですから一年に一度の収入をうまく十二等分して生活していた人たちがほとんどのはずですから、何でもかんでもスーパーで買って済ましてしまうという感覚ではなかったと思うのです。

安部さんの話からずれてしまいました^^;;



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つづき^^ 投稿者:きんたろう  投稿日:11月30日(土)21時40分13秒

銅鐸は形のうえでも多くの謎に包まれていろと、さきに述べた。
もう一度、俎上にのせて検討してみよう。
(1)鐸身は長円(楕円)形である。
これは、表裏二面に構成する必要があったことになる。
(2)上部に鈕がある。
これは、祖形を継承して付加したものと思われる。
ただし、鈕の下端を薄くし、刃物のような鋭い造りもあるので、吊すためのものではないことが分かる。
(3)両端の縦に鰭があり、これが鈕に続く。
鰭には、鋸歯文などの文様がある。
この文様はおおむね鐸身下部の横帯に相似する。
(4)鐸身の胸あたりに左右一カ所ずつ穴が設けてある。
穴は、表および裏ともに同じ所にある。
従ってこれに棒を左し込めば鐸身を貫通する。
(5)鐸の表面には全体に文様を施している。
ところが、この文様を点検した場合、鐸を叩いて鳴らした痕跡はない。
(鐸身が長円であることも音を出すことを目的としたものではないことが分かる)

(1)〜(5)の形から、銅鐸自体が次のように告げている。
第一 ならさず、つるさず、また神輿のように担いだものでもない。
第二 二つの穴は、それに棒を羞し込んで鐸身の表裏を貫通させ、太陽の陰をつくる役目をする。
第三 表と裏を設けたのは、午前と午後を区分するためであろ。
第四 身の下とヒレに大体同じような鋸歯文などを施したのは、目盛りである。
第五 銅鐸には、工人集団の流派が夫々その伝統を刻んだ。
それが文だ。「いのちの水」や「世の動き」、これをテーマに趣向した。

以上だ。これにピタリ当てはまるものは何か。
言うまでもない「日時計」である。



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おかしな話 投稿者:安部奈亮  投稿日:11月30日(土)13時18分08秒

金美齢さんの立川市での公園が、中国人数十人の抗議で取り止めになったと言う記事です。
http://www.mainichi.co.jp/news/selection/20021130k0000e040038003c.html
記事の中で職員が「脅威を感じた」とまで言っていますから、かなり脅迫的な態度だったのでしょう。

でも、日本の一地方自治体が開いた講演会になぜ中国人(台湾人と言うことですけれども本当なのでしょうか?)が、抗議しなければならないのか理由がわかりません。変な話です。第一抗議した人達は立川市に税金を払っているのでしょうか、それならまあ抗議する権利はあるかもしれませんが。

外国のしかも地方自治体が開いた講演会に抗議して止めさせることが出来ると言う神経が変だと思います。

その人達は本当に台湾人なのか?立川市に税金を払っているのか?そもそも正規の滞在者なのか?誰かの指示で動いたのではないか?いろいろ疑問があります。



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羽子板と銅鐸 投稿者:勇者ロト  投稿日:11月30日(土)13時10分44秒

羽子板で銅鐸をひっぱたくのかと思いました(笑)



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北朝鮮がまた 投稿者:安部奈亮  投稿日:11月30日(土)00時51分34秒

いろいろと揺さぶりをかけてきました。

イラクが解決しないうちはアメリカに怒られないだろうと言うことで、鬼のいぬ間に洗濯ですね。

しかし一度ハッタリをかますのを止めてしまったベタ下りしてしまった以上、いくら凄んでみても誰も怖がらなくなってしまったのが哀しいところ。

あの手の連中は、折れる前にものすごく虚勢を張るから、そろそろまた譲歩するのではないでしょうかね。冬休みが始まりますから、最初の論法から行くと子供も来れるはずだし。



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うちでもリストラが・・・ 投稿者:みのる  投稿日:11月30日(土)00時16分36秒

今日の日経新聞に衝撃的な記事が載りました。
うちの会社が一割リストラして一万八千人体制とし、
一兆近い債務を7000億に減らすというものでした。
早く司法書士になって独立しなければならない。



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羽子板と銅鐸 投稿者:kituno  投稿日:11月29日(金)22時21分34秒

こんばんは。「的はずれkituno」です。

ちび姫の初めてのお正月が近づいてきて、実家の父母は羽子板の騒ぎをし始めました。
初めてのお正月に羽子板を送る風習はいつの頃からなのかわからないのですが、きっとお正月の遊び道具として普通に遊べる羽子板を送ったのでしょうね。
それがだんだん派手に装飾を施したり、大きくなり、本来の「遊び」の機能は無視されて、見栄からなのか派手さや大きさを競うようになったように思います。
大姫の時は、ガラスケ−スに入ってオルゴ−ル付きの1mもある大きな羽子板でした。^^;;
そんな大きな羽子板は、置く場所にも困るし、片づけるにも片づける場所はなく、ず−っと床の間に飾られています。
「ちび姫には、そんなに大きな羽子板はいらないからね」と言ってあるのですが、「姉妹で差を付けるのはいけない」とまた大きな羽子板が届きそうです。(困った^^;)

銅鐸も音楽好きの私から見れば、最初は「楽器」としての役割を果たしていたのは間違いないと思います。
多分、ムラの祭祀を司る人か、有力者が人を集めるため、もしくは神懸かり的な祭祀にりようしたのではないでしょうか。
ムラ同士の有力者の見栄が、だんだん銅鐸を大きくしてしまい、本来の「楽器」としての機能を果たさず、権力の象徴のように飾られる銅鐸になったのではないでしょうか。

また話は実家の父のことになります。
父は山芋作りが趣味で、背丈ほどの穴に入って、山芋を掘っています。
その穴に、最近「冷蔵庫」を埋めていたのです。
「どうして冷蔵庫を畑に埋めるの!?」
「車ができないから消却場に運べなかっぺよ。捨てるところに困ったからよ、邪魔にならないように埋めてんだっぺ!」
「ははは!未来の人が掘り出したら、これは何の目的で作られ、埋められたのか、って大騒ぎになるだろうね〜!」

そこでkitunoはピ−ンときました。
「出雲の埋められている銅剣や銅鐸は、いらなくなったから処分に困って埋めたのか〜!」

鉄器の便利さには、かないません。
かといって、大量生産してしまった銅剣の処分をどうしたらよいかわからない。
ダイヤル式電話機やワ−プロの処分に困って、東南アジアの島が日本からの電話機ワ−プロで埋め尽くされている映像を見たことがありますが、結局、銅剣も銅鐸もそして権力の象徴だった銅鐸も、鉄製品の急速な普及で処分され、埋められてしまったのだろうな〜。(単細胞な考え)
(もしかしたら、朝鮮半島から処分に困って運び込まれた物もあったかも)

...と言うわけで、「的はずれ」な話、おしまい!(そそくさ..退散^^;)



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清州市実現へ 投稿者:みのる  投稿日:11月29日(金)20時49分32秒

清州は現在、町である。しかし、歴史からいっても、人口
からいっても西春日井郡を統合して市制にするべきだ。私は清州人として提言する。
「信長らーめん」の全国チェーン化。
「信長鬼殺し」のCM全国放映。
清州駅への新快速停車。
朝日貝塚、清州城の史跡指定。
思いついたものでも結構ある。あげればきりがない。
とにかく、清州は我が故郷である。織田信長の故郷でもある。
みんなで、信長を、清州を盛り立てようではないか。



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単なる思い付きですが 投稿者:安部奈亮  投稿日:11月29日(金)14時02分57秒

家族が崩壊しているとか言われています。
昔と今を単純に比較できないのですが、明治くらいまでは、養子や奉公と言うのが結構ありました。

「進んでいる」と言われている学者が、「家族がパーツに分かれて、家族は演じるものになりつつある」とどこかで言っていました。

江戸時代から明治にかけての上流階級である武家、豪農、商家では、子供を養子と言う形でやり取りしています。跡取がいないとか、見込みのある親戚(かなり遠いこともあるし、義理の関係で全く血縁がないことも多い)を幹部候補として引き取るとかが結構多い。子供ではなく、20を越えた大人でも養子に出ていたりする。あるいは、状況が変わって、生家に復帰と言うのもある。婿養子も今よりずっと頻繁です。

家の仕事も多かったから、妻と言うのも、今よりずっと実用本位(今こんなこと言うと怒られそうですが)で選んでいたようです。大き目の家になると、中小企業と同じで、妻が子供の養育、取引先や同僚とのお付き合い、家の経理などもやりますから、もうこれは取締役兼秘書兼妻であり、キャリアウーマンどころではないので、かなり有能ではないと務まりません。武家や大店の花嫁修行と言うのは多分、もっと実用的なものだったのでしょう。

こう見てみると、家族と言うのが役割分担で演じるものであったと言うのは別に今に限ったことではないのですよね。もちろんボロボロに崩壊している家庭とは同時に論じられないですけれど。

もちろん家族と言うのは大事ですけれども、

なにもしないでも心でつながっている家族と言うのは、案外ここ2、30年でできた神話なのかもしれません。時代の最先端を進んでいるつもりの人が、むしろ100年200年前の姿に戻っているのは面白いことだと思います。



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週刊金曜日 投稿者:太田守人  投稿日:11月29日(金)12時27分39秒

>あそこは本多勝一が主体になって作られたとありましたから、要するにゴミのような雑誌なのだろうと思います。

本多勝一ですか。それと「買ってはいけない」を出した会社ですか。なるほどねー。納得できますね。筑紫哲也もかんでるとすれば、なおさらですね。

>ところが筑紫はこれを隠して第三者を振る舞って擁護する発言をしたというのですからあきれて物がいえません。

筑紫の常套手段ですね。あんな奴、キャスターを首にしてしまえと思います。



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銅鐸ねた 投稿者:ペギラ  投稿日:11月29日(金)11時16分11秒

面白い感覚の方ですね。その著者。(^^ゞ

装飾古墳との共通性は、もちろんあるようです。
その装飾古墳の名前がわかれば、もう少し突っ込めるのですが(笑)

銅鐸絵画については
装飾古墳に進まなくても、弥生土器・土製品の絵画のほうが、
はるかに、共通性があり、進化の過程のようなものを感じますが。

ご紹介の井向1号鐸ですが、
銅鐸の中では古い部類のものです。
そして流水文銅鐸の始まり、
流水文銅鐸としては最古クラスのものだと推測されています。
絵画は面白いのですが、流水文は精巧なものではない。

実物はかなり損傷がひどいのに、絵が読めるなんて
青銅器は偉大だ!まさにタイムカプセル!!

船の絵が3隻もあるのはすごいです。
個人的には捕鯨というのもありかな〜なんて思ってますが。

3隻の船の絵もすごいんですが、
吊り手の頂きにある「きぬかさ」みたいな絵が
他には例のない絵柄で、どんな意味なのかと興味をひくところです。



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なるほど^^ 投稿者:きんたろう  投稿日:11月28日(木)23時46分03秒

買ってはいけないのは「週間金曜日」そのものだったわけですね、笑

あそこは本多勝一が主体になって作られたとありましたから、要するにゴミのような雑誌なのだろうと思います。
週間金曜日の記者もせっかく北朝鮮に行ったのですから、拉致被害者の代わりに「人質」になって被害者たちの帰国を実現させる事が出来れば人間として社会に貢献することができた筈なのですが。。。
絶好のチャンスを逃してしまったわけですね。

筑紫哲也が唯一週間金曜日を養護する発言をしたらしいですが、実は彼も週間金曜日のメンバーという事でした。
ところが筑紫はこれを隠して第三者を振る舞って擁護する発言をしたというのですからあきれて物がいえません。

臼淵大尉のことは知りませんでした。
素晴らしい人物が戦前にも多くいたという当たり前のことを改めて知ったような気がしました。
戦前は馬鹿だった式の解釈では実は何も学んでいないという事がよく分かりますよね。
太田さんもこれからもこの様な人物について紹介して下さいね^^

みのるさん、久しぶりですね。
体の方は回復されましたか??
株式もいい加減回復して欲しいと思っていますがバブルの時期に株式発行数がかなり増大しているのが株式の上昇を妨げている原因になっていると思います。
単純に言えば総資産額は同じで分母が多くなっているようなものかな??と思います。
結果として単価は下がりますよね。

順調に右肩上がりの成長を続けていくという前提の元に増資を行っていったわけですから、前提が崩れれば株価が上がらないのは当然といえます。
この際「減資」を積極的に進めて株価の適正価格をもう少し上げるように出来ないものでしょうか??

それとハゲタカファンドの空売りは犯罪行為として取り締まれないのかなと思います。



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銅鐸について、つづき 投稿者:きんたろう  投稿日:11月28日(木)23時29分32秒

朝鮮出兵を物語る銅鐸
九州壁画とは同時代であった

引続き、銅鐸の時代考証を進めよう。
福井県春江町井向で出土した大型(高・五五、二p)銅鐸は文様がひときわ変っていろことで知られている。
大型であることと、鰭に左右それぞれ二カ所の耳を設けているところなどからすると、まず最盛期のころの作と推定される。
文様は
 身の最下横帯、鰭及び鈕の上部−鋸歯文
 身の上下、二つの横帯に−流水文
 その流水文の中間、胸部一帯に−絵両
を配している。
細かいことは省くが問題はその絵画の構図なのである。

私は、この井向銅鐸の絵をはじめて見たとき、あまりの意外さに息がつまる思いであった。
と同時に直感したことは、これは五〜七世紀における主として新羅、高句麗を敵として戦った、いわゆる朝鮮出兵のさまを画いた「絵物語り」にほかならない、と・・・・・・。

絵はこういう意味である。
@絵の上下の流水文 (図では省略した)は「とき」をあらわしたもので、ダィナミック調である。
A中央に二つ(ほかに鐸身下部にも二つある)大きくX字形の絵があるが、これは大波を表わす。近くに大魚を一匹描いているのもおもしろい。
B下部に三隻の椎造船が漕行している。渡海である。ハッ キリ構造船として描かれていることは注目する必要があろ う。漕者は両舷を合わせると二十人程度だ。
C波の右下の傘のようなものは、翳とその竿であり、貴人を表わす。その下は靭、さらにその右は盾である。いずれも戦を表現している。
D右の人物はいずれも躍動している。戦闘を意味することはいうまでもない。
Eほかに蛙や晴蛤などが画がかれている。これは地名を表わしたものである。
F左側の絵、井守、蛙、黒く塗りつぶした人物等は、この銅鐸を鋳造した者を示したもの。
G多くの鹿が描かれ、すべて「動く鹿」を表わしている。銅鐸を造った場所を教えているのである。

ところで、井向山土銅鐸の絵の意味については一応この程度にとどめておく。
要は朝鮮出兵がからんだ絵であることを前置きしたかったからに外ならない。

九州には六世紀から七世紀初頭にかけて築造されたといわれる装飾古墳がじつに多い。
とくに筑後川流域では発見後に保存されているものだけでも三十基をくだらない。
彩画、彫刻、線刻と多様だが、その絵柄が右の福井県出土銅鐸と似通っていると思われるものを北部九州彩画古墳に求め、次に掲げる。

絵の部分が視覚に訴える上でも重要なポイントなのですが、ここに写すのはちょっと難しいです(;^_^A
もしこの全文を読みたい人がいればメールを下さいね。
コピーを郵送しますv(^o^)



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株式 投稿者:みのる  投稿日:11月28日(木)18時25分20秒

株式が上げています。このまま
上がり続けますように☆



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臼淵大尉 投稿者:太田守人  投稿日:11月28日(木)15時26分38秒

吉田満氏の「戦艦大和の最後」に、副砲長の臼淵海軍大尉という人物が出てきます。大和特攻の出撃の数日前、少尉・中尉という若手士官の溜まり場のガンルームで、兵学校出の士官と学徒出陣の士官との間で、沖縄特攻の是非をめぐり大激論がかわされ、兵学校の士官と学徒出陣の士官との間に、大乱闘が起きようとした時に、臼淵海軍大尉が一言「日本は、いままで技術の進歩を軽んじてきた。このままでは,日本は滅びる。俺たちが死ぬことで、後に続く日本人の目がさめれば、貴様達それでいいだろう。」と言って,仲裁したそうです。今の日本の銀行とかを見てると、戦艦大和のように思います。この、臼淵海軍大尉は、海軍の砲術学校から対空射撃に関する通達に、「訓練が足りない。もっと訓練をしなくてはならない。」と書いてあったところに,赤で「訓練で敵機が落ちれば苦労はしない。バカヤロー。」と書いて、上司に回覧したそうです。臼淵大尉は、大和と運命をともにしますが、12月8日になるとこの人を思い出します。



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遅くなったので 投稿者:きんたろう  投稿日:11月28日(木)01時58分52秒

明日まとめます(;^_^A



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週間金曜日って 投稿者:安部奈亮  投稿日:11月27日(水)20時31分51秒

良く考えてみればあのトンでも本「買ってはいけない」を出した会社ですよね?



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日本では 投稿者:太田守人  投稿日:11月27日(水)13時09分15秒

私は、日本では、中国のように青銅器→鉄器でなく、日本には青銅器と鉄器が同時に来たのでないかと思っています。そして、鉄のインゴットは貨幣の代わりをしたのでないかとも思っていますが、銅鐸等の青銅器も貨幣の代わりだったと言う説はそのとおりかなーと思います。



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祭器ではない銅鐸 投稿者:ペギラ  投稿日:11月27日(水)11時19分56秒

松本清張さんもそんな説をもっていた。
貨幣・財産説のようなものですが。

埋納に関しての疑問点の話だとしますと、
知ったかぶりで語ってしまいますが、
銅鐸だけに限らず、弥生期の武器形青銅器も埋納されています。

銅鐸だけでも約250ヶ所
他の武器形青銅器でも約300ヶ所あります。
弥生期は人がいて、青銅器があれば、みんな埋めてるって感じがしてしまいます。
地域的には九州から中部まで。
その埋める年代も数百年のバラツキがある。

銅鐸のみの埋納だけで、青銅器埋納全体を語るのは難しいのでは?

埋納はどこも、投げ捨てられたような姿ではありません。
どちらかといえば、すごく丁寧に埋められています。

加茂岩倉の銅鐸と野洲の銅鐸では
ものすご〜く時間差があります。

銅鐸の末路も短期間であちこちに・・
というのは難しいという方がいいのではないでしょうか。
「宗教的姿が見えない」というのが、私には不思議ですが。

考古学的な意味での青銅器埋納は
家庭的埋蔵物・奉献埋蔵物・鋳造者埋蔵物・交易者埋蔵物だそうです。

宗教的な意味だけを重視するのも片手落ちですね。(^_^;

語るに落ちるとはこのことか!!!(爆)



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銅鐸 投稿者:勇者ロト  投稿日:11月27日(水)10時59分58秒

きんたろうさんのまとめを読む限り、納得できうる部分もある内容ですよね。

>もし、有能な能力者がいたとすれば、
>それら不用の銅鐸はことごとく収集して他の必要な青銅品に
>改鋳を命じたであろうとさえ思われる。

という部分です。

荒神谷や加茂岩倉などの一括大量埋納にだけ関していえば、改鋳しようと思って集めたはいいが、何らかの理由によって、それができなかったとも考えられますね。

でもそれは各地の山などに1個2個埋納されているものには当てはまらない。かといって一般民衆が何のために埋めたか?というとそれもなかなか想像し難い。

祭器だとしても、どんな祭事に使ったのかというのも想像し難い。

ひさしさんの測量器説に近いのでしょうか?

大国主トピックでは、ペギラさんから埋納青銅器は再利用の前段階の貯蔵ではないかという意見を出していただきました。

私はまるまる一月、古代史関連から離れていたのでピンぼけ状態の今日この頃です(爆)

http://www.cam.hi-ho.ne.jp/sakura-komichi/bbs/index.shtml



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賛成 投稿者:安部奈亮  投稿日:11月27日(水)01時21分53秒

これを書いた人は、「その国の嫌いな点を10個以上挙げる事が出来ない人は、その国のことを好きだと言う権利はない」と言ったことがありますが、私もその通りだと思います。

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Akiko/6815/

でも、この人バリ島に一年以上住んで安い賃金で日本語を教えているんですよね。こう言う人の意見は貴重だと思います。



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安部さんの 投稿者:きんたろう  投稿日:11月27日(水)00時37分53秒

話はさすがだと思いました。

この様な話はその当時の置かれていた状態や常識を理解しようとせずに後世の常識、あるいはその人個人の「好み」で決めつけようとするから起こるのではないかと思っています。

実際やふーやアサヒコムなどをみると「じょうゆう」が一杯いますよね。
読売の投稿欄でも見かけることができるほどですから。。。(;^_^A

特に酷い論法は戦前の日本は全て悪かったという結論から話を作ってしまうことだと思っています。
このような人は自説を押し通そうとするために事実を曲げて書く事をよくしていますね。

易姓革命の一種だと考えればいいのでしょうか??
ちょっと酔っぱらっているので今日はダウンです^^;;



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すごいページを見つけましたv(^o^) 投稿者:きんたろう  投稿日:11月27日(水)00時32分05秒

下記のアドレスです。
これはものすごいですよ。
月から見た地球の様子を見ることが出来るページです。

時間を変えると地球の陰の部分が変わります。
また、中心部分を変えたいときにはその部分にマウスポインタを移してクリックすればオーケーです^^
もちろんサイズ変更も可能です。

http://www.fourmilab.ch/cgi-bin/uncgi/Earth/action?opt=-m



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ちょっと思ったこと 投稿者:安部奈亮  投稿日:11月26日(火)23時43分40秒

10年前くらいまでは、明治維新と言うのは、上から行われた改革だとか、日本では民主主義が育たなかったとか言われていました。

では、民主主義が行われていた国、民衆によって行われた革命があった国とはどこなのか?
ざっと見渡してみても候補はイギリスとフランスとアメリカしかありませんね。

でも、イギリスの名誉革命にしてもフランス革命にしても、アメリカ独立戦争にしても、中心になって進めた人達は一握りの国家の中枢に関わっていた人でしかないんですよね。別に支配者は入れ替わってはいない、別の人に写ったけれど、それもやっぱり元々支配者だった人達です。明治維新が上からの改革ならば、世界中にそうではない国なんかなくなってしまうのではないでしょうか?

これは、アジア・太平洋戦争の理由を、日本の地政学的な条件とか、当時の経済とか国際関係から理解しようとせずに、無理矢理民主主義の進み具合にこじつけようとしたために、そのような良くわからない意見がまかり通るようになったのではなかろうかと思います。



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銅鐸 投稿者:きんたろう  投稿日:11月26日(火)23時05分05秒

についてはペギラさん、勇者ロトさん、ひさしさんなら相当の考えがあるのはよく分かります^^
でも私は全然分かりません^^;;

以下は部分抜粋です。。。つまり今日はこのくらいしか読んでいないというわけです、自爆(;^_^A)

銅鐸とは、これまで一般論(通説)で称えられるようなお祭り用の道具ではなく、古代人の生活にとっては重圧としか受取れない、民衆の汗と油で固めたような代物ではなかろうかと思う。
その異様なかたちは中国周代の楽器、鐘鼓や塔の四隅の軒先に吊した風鐸、あるいは古朝鮮の馬鐸に似ているとはいえ、中、大型銅鐸の場合、叩いて鳴らした痕跡はまったくないし、風鐸や馬鐸にしては余りにも巨大であり、不都合な点がおおい。
つづまろところ、銅鐸は、民衆の前に据え置かれたものである。
これが民衆の前でどんな役目をしたかは追々究明するとして、「分らぬものは宗教に結びつけておけ」式の、いわゆる祭祀用具だとか、呪詛用具だといった単純な答えでは、私は、それは本当の答えにはなっていないと思う。

ところで、さきに私は寸評で「銅鐸は神聖品(祭器)ではない」と言い、以後も何度かそう言い続けてきたが、その理由を書かなかったので、あとさきにはなるが今それを述べておこう。

銅鐸はさきに述べたように山野から出土するのだが、これにはまた、次の課題として「埋めたのは誰か」という問いがおこる。
ところで、この問いにも前提がある。
その前提とは、人里を遠く離れた、人目につかぬ土地まで運んでいって「埋めた」という事実である。
このことは、銅鐸をそれまで使っていたか、あるいは日常銅鐸の使用と深いかかわりのある人たち、つまり一般民衆自体の手で埋めたことになる。

何故かと言えば、銅鐸の使用を厳禁した権力者層がいた場合、それ等の者たちがこの地上から銅鐸を抹殺しようとするときに、手問ひまかけて遠方の山間僻地にまで運んで始末することはあり得ない。
見付けたその場でたたき壊すなり、あるいは手近かな場所へ埋める筈である。
もし、有能な能力者がいたとすれば、それら不用の銅鐸はことごとく収集して他の必要な青銅品に改鋳を命じたであろうとさえ思われる。
このように詰めていくと、埋めたのは権力者側の者、あるいはその監視のもとで行なった行為ではなく、前記のように、一般民衆が自発的に、個々人または集団で「埋めた」という結論しか得られないのである。

「祭器ではない」とする私の見解はそこにある。
ある時代に異変が起こり主権者が交代した。
新主権者は従来の祭神と祭器である銅鐸を嫌い、そこで銅鐸の使用を禁じたと仮定しよう。
その場合、多くの民衆がそれまで信奉してきた祭祀の持続を念願しつつも表面では何とか取り繕うことはあり得るだろう。
しかし、何百年かの長いあいだ、先祖代々神聖な祭器として推持して来た銅鐸を、みなが皆、地中に「放り込む」心境に一変した、そのようなことがあり得る筈はない。

重ねて言えば、銅鐸の末路には「敬い」という宗教的な姿は少しも見当らないのである。

ソース「季刊邪馬台国1981年7月」桧垣年雄さん



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生産性 投稿者:きんたろう  投稿日:11月26日(火)23時02分11秒

の高さについて捉える場合には農業をメインにした場合と他の産業を主体として考えた場合とでは全然違う物になるわけですね。
稲作の生産高で比べれば肥沃な耕地のところには敵うはずがありません。
太田さんの言われるように、能登の場合は確かに耕地としてはあまり広くはないですから、イネ科の食物を生産するにしても米ばかりではなかったのだろうと思います。

例えば香川県がうどんの産地として有名なのは米があまり取れなかったとれなかった事に対する生活の知恵の発動ですよね??
江戸時代におて全て米の生産高に換算する方式が日本のスタンダードになったために「豊かさ」の基準が変化していったのではないでしょうか??
もっともこれは江戸時代から始まったわけではなく聖徳太子の目指した時点からしてそうだったように思っています。
目指すべき大陸国家が律令制度を発達させた理由とは農業国であったからなのですから、これを目標にするということは必然的に土地に縛られる事になるのだろうと思っています。



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銅鐸 投稿者:太田守人  投稿日:11月26日(火)16時45分08秒

銅鐸をどう使ったら,日時計になるのでしょうか?私の想像の埒外です。



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古代の日時計 投稿者:ペギラ  投稿日:11月26日(火)15時32分42秒

銅鐸の使用方法にそんな説もありますね。

でも、それら諸説のなかでも「ひさし説」は
すごい!というものがありますが、、(^_^;

月や太陽や山からなどを含め測定装置だとするのは
やはり銅鐸の形状比率がほとんど同じだからでしょうね。



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生産性 投稿者:太田守人  投稿日:11月26日(火)08時35分41秒

>能登や加賀も面積が小さかったにも拘わらず「国」として存在していた訳ですから、生産性が高かったのではないでしょうか??^^

能登は、高い山がなく,川もちいさい。そこで、農業の生産性は大変悪いです。前田が能登も領地になる前は、長という大名が能登を治めていましたが、ところが,今で言う不良債権がかさみ、倒産しました。徳川幕府は、前田の経済力を削ぐ為、無理やり吸収合併をさせ、長の家臣団もそのまま受け取らせます。今の韓国が北朝鮮を合併したようなもので、前田は能登に足を取られます。
加賀は,平野があり農業生産性はたかいですが、北陸で一番農業生産性が高いのは、越中です。
古代にあっては、能登は中継貿易でもうけていたと思います。不思議なことに、古代は大和より近い、加賀より遠い能登の方が、大和の影響が大きく、加賀より先に能登が、大和の傘下に入っていたようです。



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古本屋で 投稿者:きんたろう  投稿日:11月26日(火)00時02分26秒

何気なく手に入れた本を読んでいたら銅鐸は「古代の日時計」であると書かれていました。
かなり面白そうな説なのですがどうも頭に入りません(;^_^A



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確かに過労死だと思いました 投稿者:きんたろう  投稿日:11月24日(日)22時26分53秒

宮家には女の子ばかりですね。
亡くなられた高円宮様のところもお嬢さんばかりですよね。

五万節の歌詞から何となく分かったような気がしました(;^_^A)
勘違いかもしれませんが。。。??
諏訪湖といえばかつてはきれいな湖として有名だったはずなのですが。。。??
清陵とはそこから付けられた前なのでしょうか??^^

タイはかつてシャムと呼ばれていました。
漢字で書くと暹羅になるそうです。
難しくてとても覚えられそうにありません(;^_^A)

タイ人の祖先は紀元前には長江の上流域に居住していたといわれています。
インドシナ半島に南下して13世紀にスコータイ朝を建てたのが直接の先祖だと思うのですが、先住民族のモン族・クメール族などがいますから古代中国人がタイ人の先祖であるとは言い切れないような感じがします。



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五万節 投稿者:大三元  投稿日:11月24日(日)12時32分53秒

きんたろうさん、「どんなリズム」と言われても・・(^^;)
手拍子です、なんて答えになってないな

歌詞の一例 http://www.nagano-c.ed.jp/seiryohs/ss/238/104dentoka5.html



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高円宮 投稿者:安部奈亮  投稿日:11月24日(日)08時40分17秒

過労ですね。皇室を働かせ過ぎだと思います。特に高円宮は便利遣いされていましたから。

もっと皇室をいたわらないとみんな過労で倒れてしまうと思う。生真面目な家系なんだから。



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安部さん 投稿者:きんたろう  投稿日:11月24日(日)00時41分33秒

ボリシェビキについての説明をありがとうございました。

多数派になって自分で名乗ったのならロシア語に「多数派」という意味を持っているのは間違いがないと思いました。
そうなるとメンシェビキは少数派というのは自分で名乗ったのではなく、相手から名付けられたのかもしれないですね??^^

太田さん
初期のページをご覧下さってありがとうございます。
構想としてはもう少しまとめようという考えを持っているのですが。。。
いつものことですが構想のままになっています^^;;

確かに茨城県は「上国」でしたから大和朝廷の国の中でも大きな位置を占めていたと思っています。
大化の改新の頃の生産高は常陸国よりも大きいのは陸奥国しかありませんでした。
もっとも陸奥とは東北地方全部ですからいかに常陸国が大和にとって大きな比重を占めていたのか分かると思います。

でも近畿地方の国の面積は一般的に小さかったので同じくらいの面積にすればまた違ってきたと思いますね。
生産性からみれば近畿地方の方が遙かに高かったのは間違いがないような気がしています。。。

能登や加賀も面積が小さかったにも拘わらず「国」として存在していた訳ですから、生産性が高かったのではないでしょうか??^^

安部さんの紹介されたページを見てきました^^
確かにすごいニュースですね。
読売新聞と朝日新聞のサイトで調べてみたのですが、この記事を見つけることが出来ませんでした。
毎日新聞、侮るべからず!!笑
と思いました。

微子は紂王の庶兄で民衆に慕われた人物とあります。
商の王位継承順位は日本の大名家と同じようなものかな??と思いました。
とにかく書かれていた内容が発掘によって証明されるとはすごい事だと思います。



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最近 投稿者:きんたろう  投稿日:11月24日(日)00時38分15秒

ニュースで見て知ったのですが。。。

茨城県にふじみ湖という本当かどうかよく分かりませんが「茨城の摩周湖」と呼ばれるほど美しい湖があるそうです。
ところがここを産業廃棄物の捨て場にすることが決まったとかで住民と衝突しているとフジテレビのニュースで放送していました。

ニュースを見た限りでは茨城県の政策がかなり杜撰な印象を受けました。
迷惑施設の必要性は分かるのですが、それほどきれいな湖と引き替えるほどの価値があるのか疑問に思いました。
確かにテレビで見た映像はとても美しい山間の湖でした。



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大三元さん 投稿者:きんたろう  投稿日:11月24日(日)00時36分54秒

ありがとうございました^^

ところで五万節ってどんなリズムの歌なのですか??(;^_^A)
クレージーキャッツといえば植木等の無責任男シリーズは面白いかったですね。



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これはすごい 投稿者:安部奈亮  投稿日:11月23日(土)09時51分02秒

http://www.mainichi.co.jp/news/selection/20021123k0000m040213001c.html

商の微子の墓が発見されました。



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五万節 投稿者:大三元  投稿日:11月22日(金)22時21分23秒

五万節、ってのがありましたね。学生時代の古い歌だったし替え歌も多数
クレイジーキャッツのバージョンも懐かしい・・・
おめでとうございます



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アクセス 投稿者:きんたろう  投稿日:11月22日(金)20時01分05秒

カウントが急に増えて一気に50000を超えてしまいました。

太田さん、惜しいですね!!(;^_^A)
50000番に当たった人はご連絡をお願いします。

ところで今日は過去ログ8月分をまとめました。



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由緒正しき茨城県 投稿者:太田守人  投稿日:11月22日(金)13時25分13秒

きんたろうさんの茨城の歴史を読ませていただき、常陸と下総が大化改新の時に出来たとは・・・。私の住む、石川県と違って、なんと由緒正しき茨城県かと感心しております。
石川県なんか、能登は越中の一部で、加賀は越後の一部でしたので。日本にも、こんな由緒正しき県は、あまりないのでないかと思っています。



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いつのまにか 投稿者:太田守人  投稿日:11月22日(金)09時56分09秒

50,000番こえてますね。私は、50,002番でした。

ペストといえば、ヨーロッパで大流行してますが、日本で大流行したことがあったのでしょうか?
赤痢とかコレラは良く聞きますがね。



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ボリシェビキは 投稿者:安部奈亮  投稿日:11月21日(木)22時05分26秒

1903年のロシア社会民主労働唐の、党綱領決定に際して、レーニンの過激な主張はマルトフ派に退けられてしまいます。ただしレーニン派は、「人事問題に関しては」多数派になれました。それでボリシェビキと名乗ったのだそうです。

「多数派」と言っても、1903年の党の人事問題における多数派に過ぎないのであって、党内でも主張は過激派ですし、ロシア全部で見れば、多数派でも何でもないのですね。



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地政学 投稿者:きんたろう  投稿日:11月21日(木)22時03分43秒

や砕氷船の話題から「砕氷船のテーゼ」を思い出しました。

砕氷船のテーゼとはレーニンあたりの発案らしいのですが。。。??
これは労力のかかる「砕氷船」の役目を潜在敵国にやらせて自分の勢力を温存しておき、最後のおいしいところを頂いてしまうという発想です。
要するに「漁夫の利戦法」というか「ハイエナ戦法」というべきものかな^^;;と思っています。

例えば第二次世界大戦前の状態を毛沢東の描いたシナリオだと以下のようになります。
蒋介石軍は日本に叩きつぶさせよ。中共軍は背後にかくれていて、決して日本軍の正面に出て戦ってほならぬ。勢力を温存しておくためである。

そして、蒋介石軍の精鋭が壊滅したあと、日本軍を叩きつぶす役目は米国にやらせよう。そのためには、日木国内の仮装マルキストと共謀して、日米決戦を大声で呼号させよ。
日本が大陸に大軍を残したまま、米国との戦争に入れば、海洋と大陸の両面作峨となり、疲弊した日本は必ず敗北するであろう。

日本が敗北したあと、日本の荒らしまわった跡は、そっくり、われわれの手にいただくのだ。

スターリンの砕氷船テーゼだと次のようになります。
ドイツと日本を砕氷船に仕立てあげよ。ドイツがソ連へ攻めこんでこないようフランス、英国の方向へ西進させよ。
ヨーロッパ共産党はナチス・ドイツヘの非難を中止して、ドイツと英仏の開戦を促進させよ。

また、日本が満州を固め、蒋介石と和解して、シべリアヘ北進してこないよう、日本と中華民国との間に戦争を誘発させよ。
中国共産党は国民党内部に働きかけて対日抗戦論を煽れ。
日本の共産主義者は偽装転向して右翼やファッショの仮面をかぶり、軍部に接近して、「蒋介石討つべし」の対中国強硬論を煽れ。

日本が中華民国との戦闘行為に入ったら、できるだけ、これを長期化させるように仕向けよ。そのためには「長期戦論」「百年戦争論」を超愛国主表的論調で煽れ。
日本と国民政府との和平工作は、あらゆる方法で妨害せよ。
そして、長期戦によって疲弊した日本を対米戦に駆り立て、「米英討つべし」の強硬論を右翼の仮面をかぶって呼号せよ。

日独が疲れた頃を見はからって米国を参強させよ。米国の力をかりて、ドイツと日本を叩きつぶしたあと、ドイツと日本が荒らしまわったあとは、そっくり、ソ連の掌中に落ちるであろう。

この様なシナリオはお互いが内部で描いていたと考えるのは当然だと思いますが、他国の共産主義者者がソ連の手先として動いてくれる分だけ、ソ連の謀略は楽に運んだような気がします。
なんだか戦国時代の話題のような気がしてきました(;^_^A)



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しかしそう言う遠隔操作というのは 投稿者:安部奈亮  投稿日:11月21日(木)21時59分54秒

どう言う風にやるのでしょうね?

「これこれこう言う戦略があるからこう動いてくれ」と説明できるはずがないですもんね。
こう言う時はなまじ仲間の方が説明責任を求めて来るから厄介で使い物にはなりません。
例えば戦争中に転向した左翼なんかはそんな難しい事考えていそうには見えないんですよね。結果としてはきんたろうさんが言うようになっていますけど。

主義主張に関係なく金で動いてくれる人を見つけなければいけないでしょうね。それもかなり影響力があるような。

そう考えると、児玉誉士夫とか笹川良一なんかが怪しいと思えてきます。



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ボリシェビキ 投稿者:きんたろう  投稿日:11月21日(木)21時43分08秒

は多数派、メンシェビキは小数派と書かれていると思いますが、この訳し方は間違っているのではないか??と実は内心疑っています。
といってもロシア語はチンプンカンプンなので完全な推測に過ぎないのですが。。。笑

メンシェビキとは「メン・シェ・ビキ」と分割出来ると思います。
メンは英語だとメインとかマジョリティでしょうから直訳すれば「多い人たち」のような意味になるような気がしています。
とすれば「ボリ」の人たちは「過激派」そのものだったような気がするのです??
でもこれはロシア語を知らないレベルでの憶測です。



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地政学 投稿者:太田守人  投稿日:11月21日(木)16時13分05秒

日本は、軍事と地政学は車の両輪でした。例えば、満州国を作ったのは、朝鮮を安全にする為でしたし、太平洋戦争で、日本があんなに南に手を伸ばしたのも、地政学です。ガダルカナルを占領したのは、地政学的にラバウルを安全にする為で、また、キスカやアッツを占領してのは、北海道を安全にする為でした。戦後、日本で地政学が省みられなくなったのは、政治学から軍事学が抜け落ちた時、軍事学の一部と考えられていたからでした。冷戦華やかなりし頃、日本地図をひっくり返して、ソ連から日本を見たら、日本がいかに邪魔者かということを教えるのも、地政学です。私は、政治学・軍事学・地政学は三位一体だと思っています。



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ペストとユダヤ人 投稿者:安部奈亮  投稿日:11月21日(木)15時47分47秒

以前、ヨーロッパのユダヤ人は、パレスチナから世界中へ離散したユダヤ人ではなくて、10世紀頃に国を挙げてユダヤ教に改宗したハザール汗国と言う遊牧民国家の末裔ではないかと言う説を紹介しました。

これの傍証となりそうなものを発見しました。ペストです。

ペストは元々はインドの病気で、古代に一度海路を?通してヨーロッパと中国に入りこみ、ローマ帝国と後漢帝国で猛威を振るいます。ペストはクマネズミのなかで発症し、ネズミの血を吸ったノミが人間を噛む事によって人に伝染します。数百年地中海世界(と中国大陸)を席巻してから、いったん姿を消します。

14世紀なってから突如「クリミア半島」で黒死病(ペストとされているが、最近では炭素着であった可能性も指摘されている)が発生してヨーロッパ中に伝染。ヨーロッパの人口の三分の一を奪い、後のヨーロッパの歴史に多大な影響を及ぼしました。当時のヨーロッパ史を見ると、要人が黒死病でコロコロ死んで、それのせいで思わぬ人が歴史の表舞台に出たりしています。ダビンチのような変人が大学教授になれたのも、黒死病のせいで学者がほとんどいなかったからと言う説もあるくらいです。

さて、黒死病がヨーロッパに伝染した際、ユダヤ人が黒死病を広めたかのように信じられて、各地でユダヤ人が虐殺にあいました。これはヨーロッパにおけるユダヤ人差別の悲惨な一例としてよく持ち出されます。

しかし、本当に理由はなかったのでしょうか?

黒死病の発生地がクリミア半島という事に注意してください。クリミア半島はハザール汗国の中心部です。1347年の黒死病は、モンゴル軍がクリミア半島のカッファと言う都市を攻囲中に発生しました。このカッファと言うのはハザール汗国の最後の都市(だったと思う)で、モンゴルがハザールを滅ぼした時に発生していると言う訳です。

籠城中は、汚物を外に捨てられませんし、水も不足して不衛生になります。食糧も腐敗します。病気が蔓延し、大量の死者も出ますが、その死体を捨てる事もできません。まさに伝染病が発生する格好の状態と言う訳です。

籠篭城戦の最中は国中の人が一箇所の狭い都市に逃げ込みますから、様々な病原菌が集まります。食糧のために動物も持ちこまれます。これは病原菌が一番突然変異をしやすい環境です。死病がハザール人の風土病で、そこそこ無害な病気であったのに、このカッファ籠城の最中に黒死病のウィルスが突然変異を起こして、場内とモンゴル軍に発症したとは考えられないでしょうか?

突然変異した黒死病には古代の流行の時に獲得した免疫は通用しません。あるいは、中世の黒死病がペストではなくて炭疽菌であったとすれば、元々ヨーロッパの人達は免疫を持ってはいません。そのため猛威を振るいます。

しかし、ハザール人の中には、免疫を持った人達がいたのかもしれません。黒死病がクリミアのあたりの風土病だとしたら、突然変異したとしても、もとの無害な黒死病のウィルスと共通点はありますから、ハザール人の中には平気な人達がいたのかもしれない。

あるいは余り考えたくありませんが、ハザール人と一緒に来たネズミやノミにと一緒に死病のウィルスがヨーロッパに持ち込まれて、黒死病はハザール人(ユダヤ人)のコミュニティーを中心にして各地に広がったのかもしれません。

モンゴルから逃れたハザール人の難民が街に住みだすと、その近所で黒死病が広がる、なのにハザール人は平気、これを見たヨーロッパ人が「ユダヤ人が黒死病を撒き散らしている!」とパニックになってしまったのかもしれない。

もちろん私の仮説が本当だとしてもユダヤ人をこ魯して良い理由にはなりません。

ユダヤ人のノストラダムスが有名になったのは、ペストの流行を適切な衛生処置で食い止めたからでした。ユダヤ人のノストラダムスがペストを止める方ほを知っていた事からも、黒死病(ペスト?)がユダヤ人=ハザール人の風土病だった可能性は高いと思います。



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地理的条件から政治を考えて行く学問のとことを 投稿者:安部奈亮  投稿日:11月21日(木)14時20分41秒

「地政学(地理政治学)」というらしいことを最近知りました。地政学は軍事学と智に、戦後の日本において、なぜか消されてしまった学問のひとつです。

私が以前、フランスがアルザス・ロレーヌ地方を欲しがる理由は、国境をライン峡谷に置きたいからだ、とか、朝鮮半島を占領したら、次はどうしても南満州を取らなければ防衛できなくなる、といった類のことは地政学に含まれるみたいです。

じゃあ地勢学的(?)に見て日本にとって一番望ましい状態はなんでしょうか?

朝鮮半島を自分で経営するのはかなりリスクが高いことは既に証明されました。
日本の国防を考える場合、一番の要素は中国とロシアです。ロシアの政治を操るのはさすがに不可能ですし。中国の政治も左右できないと考えておいた方が無難でしょう。海の向こうのアメリカは取りあえず置いておきます。

ロシアと中国の影響を緩和する方法としては、
まず、朝鮮半島に親日的な政権を作る。そして、満州とロシア沿海州を中国とロシアから切り離して、日中ロに中立的な国にして緩衝地帯とする。

樺太は領有権はロシアに渡しても良いから、軍隊を余り入れない緩衝地帯とする。四島を除いた千島列島もそうする。

台湾は日本が領有するか、親日的な政権を立てて独立国にする。

アメリカがわざわざ陸戦部隊を連れて来て日本を攻めるメリットはないので、アメリカとは国防の上でパートナーとする。


とまあ、こうなるのですが、これは明治維新のときに勝海舟とか島津斉彬とか大久保利通とか西郷隆盛が描いたアジアのあるべき姿と全く同じなんですね。驚きました。

明治国家は、これを目指していたのでしょうが、第一の失敗は韓国に余りに危機意識が薄くて親日政権を作らせることができなくて併合してしまったことと。緩衝地帯であるべき満州を占領してしまったことでしょう。

しかし、実はこのプランが少し形を変えて今実現しそうなんですよね。

満州と沿海州を中立な緩衝地帯にする、というのを、北朝鮮に替えるのです。北朝鮮の金王朝を倒して、日本の援助でまっとうな政権を作れば、このプランは縮小して実現します。

統一朝鮮ができると、朝鮮は日本とロシアと中国と国境を接するようになりますから、政権交代のたびに親日になったり親中になったりして朝鮮は不安定な国になります。朝鮮の国防費もグングン上がります。統一朝鮮を日米側に留めるためには、日米が朝鮮の国防を肩代わりしなければならなくなります。すると、日米の兵力が鴨緑河を挟んで中国と直接対峙するようになって危険です。統一朝鮮ができたら結局朝鮮は日本に併合された時と同じ状態にならざるを得ない。日本、アメリカ、朝鮮にそのつもりはなくても、朝鮮はアメリカと日本によって占領されて、政治も日米の意向に強く制約されるようになってしまうでしょう。

と言うわけで、韓国と北朝鮮を統一させてはいけません。

地理的な条件が変わらない以上、自体は明治維新の時とそれほど変わっていないと言う訳です。そして維新を起こした人達は良く物を見ていたのだなあと思います。


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タイの独立 投稿者:太田守人  投稿日:11月21日(木)08時35分18秒

タイが独立できたのは、ヨーロッパ列強の緩衝地帯としてのようです。あの国は、今は違いますが、香辛料しか産物がない国だと長い間言われていました。男性は、軍人になるのが一種のステータスシンボルだった国だそうです。王族とかも優秀だったのかもしれませんが、ヨーロッパ列強の興味を引かなかったのが大きな理由だと思います。また,タイは日本の影響を、東南アジアでもっと受けた国だと思います。

原子力砕氷船レーニンは、水上艦船で世界最初に北極点に達した船でした。原潜では、アメリカのノーチラスが潜航で北極点に達しましたが、砕氷していく水上艦船は,非常に難しく、確か1970年頃だったと思います。ただ、この原子力砕氷船は、世界初だったこともあり、放射能漏れを良く起こしたそうです。最後は、原子炉の空焚き事故という、およそ信じられない事故を起こし、10年近く行動不能になったこともありました。これについては、あるコックがフライパンに油がこびりついて、綺麗にしたい為、友人の機関科員に相談したそうです。そしたら、その機関科員は、よっしゃ。まかしておけ。とばかりフライパンをもって駆け出し、原子炉の蒸気のバルブを開き、その放射能のまじった蒸気で、フライパンを洗ったそうです。フライパンは綺麗になったが、100年は使えなくなった。というジョークがあります。アメリカの原子力艦艇では、今まで放射能漏れ事故は皆無ですが、ノーチラス就役後10年以上たって、原子力商船サバンナを建造しましたが、放射能漏れ事故を起こしました。日本の原子力船むつもそうですが、原子力商船は,全部放射能漏れを起こし、運行停止になっています。これについては、艦艇は経済性を重視しないので、徹底的な安全対策を取れるが、商船は経済性が重視される為、ある程度安全対策を妥協せざるを得ないのが原因だと言われています。



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スターリンは何故工業化に重点を移したのか 投稿者:安部奈亮  投稿日:11月20日(水)22時36分34秒

これはフランスのドキュメント(NHKが流していました)でやっていたのですけれども、

ソ連とドイツは20世紀初頭から両方ともお互いを仮想敵国としていました。彼らは緩衝地帯である東ヨーロッパを自分の陣営に引きこむために虚虚実実の駆け引きを繰り広げます。お互い最終目標は、相手の打倒でした。

ロシア革命にはドイツの手が入っていますし、1918年のドイツ革命では、ソ連はドイツを(自分にとって無害な)社会主義国にしようとして失敗しています。

スターリンの工業化はドイツと戦うための物であったと考えられます。これは危急の要件でしたから、農村や民生を犠牲にしてまで急いで進められたのでしょう。丁度アメリカを仮想敵国として重化学工業化を進めた日本と同じです。

スターリンとヒトラーの個人的な問題から紆余曲折はありましたけれども最終的に両国は衝突。スターリンとヒトラーの平素の発言を見ていけば、第2次世界大戦の本当の舞台は東部戦線の方です。ドイツにとっては西部戦線はロシア平原にドイツ人の植民地を作るための前哨戦に過ぎません。

ロシアとしては、ヨーロッパからの侵略を止めるために、勢力圏を、ライン峡谷とバルカン半島にまで持っていきたい。何故なら、ライン川より東と、バルカン半島の山地から東は、ウラル山脈までただの平野でロシアは防衛のしようがないからです。ロシア(ソ連)は本当はドイツ全土を取ってしまいたかったのですね。現に東西ドイツの間に平野の国境ができてしまったため、それの防衛でソ連は疲弊してしまって、1991年に崩壊してしまいます。ソ連が東ヨーロッパを欲したのは、4層ではなくて、地形の問題なのです。

同様にドイツも国境をウラル山脈まで持っていきたい。



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ロシア革命、続き 投稿者:安部奈亮  投稿日:11月20日(水)22時06分51秒

 まず国会に基礎を置いた臨時政府がロシアの国政を握ります。国会は主に自由主義派の議員からなっていました。第一党は立憲君主制を目指した立憲民主党が第一党でしたが勿論君主制は復活しませんでしたので、過半数ではなかったのでしょう。なんかで聞いた記憶では、初めのうちはイギリスのような立憲君主制かフランスのような民主制を目指す意見が大勢だったそうです。そして臨時政府は戦争を継続させました。
 戦争を継続させたことで、三月革命勃発時の困難な状況は何も変わりませんでした。国会で多数派になれなかった、ボリシェビキは(制限選挙で議員を選出していた国会では労働者に基礎を置いたボリシェビキは議員を出せませんし、私が推測するに彼等は過激派でしたから元々少数派だったのではないでしょうか?)三月革命で全国に設立されたソヴィエト(前も言ったようにコミューンみたいな物でしょうね、自警団といった方が実状にあっていそうです)に浸透(うわあ!左翼っぽい言葉です)していきました。なだめたりすかしたりして仲間を増やしていったのでしょう。勿論臨時政府に対する不満をあることないこと言って増大させたのでしょう。レーニンはデマゴーグではないかと思うのですが・・・
 7月にペテルブルグで兵士の反乱をきっかけに暴動が発生、ボリシェビキはそれを支持したために(彼等がやらせたのでしょう)非合法化されます。しかし9月に反革命派の軍司令官が反乱を起こします。つまりロシアは内乱状態に陥ったのです。兵力が足らない臨時政府はソヴィエト、つまり普通の労働者と農民を武装させて反乱を鎮圧させます。ソヴィエトを掌握しつつあるボリシェビキは政界に復帰。ここら辺はスペイン市民戦争(1936〜1939)に似ています。ボリシェビキはここで自前の軍事力を手にすることができました。これが十一月革命を成功させた最大の理由でしょう。
 11月6日にボリシェビキは武装蜂起して臨時政府は一夜で崩壊。次にできた政府は社会革命党(やや穏健派)とボリシェビキの連立でした。
 11月8日にボリシェビキは全ロシア=ソヴィエト会議を開催。人民委員会議が設立されます。このあたりから一党独裁が始まっているようです。同時に無併合・無賠償・民族自決の和平を全世界に訴える「平和に関する布告」をします。「社会主義は平和勢力」という幻想はこのあたりからスタートするのでしょう。ただロシアはこの当時相当参っていましたから、レーニンとしては何かぶちあげてとにかく戦争を終わらせたかったのかもしれません。この布告で列強の様々な秘密協定が暴露されて、各国の民衆や植民地の民族の間で列強に対する不信感が広がります。そして対ソ干渉戦争の原因となります。
 「土地に関する布告」もなされます。土地私有制廃止の布告です。
 12月には反政府活動を取り締まるチェカ(非常委員会)が結成されます。これはKGBの母胎となります。
 11月25日に比例代表制によるロシア初の普通選挙で憲法制定議会が選出されます。社会革命党413人、ボリシェビキ183人。後で説明しますが、ボリシェビキは農民に全く指示されていなかったのがこれを見ればわかります。ボリシェビキは自分の言うことを聞かない議会を翌1918年1月19日に武力で閉鎖して解散させて、レーニンは「当分の間」の約束でボリシェビキの一党独裁を宣言します。
 この後、ロシア全土で農民を主体とするボリシェビキに反対する反革命軍が結成され、外国の援助もあって、ロシアは大変な内乱状態になります。テレビの特集で見たのですが、そのとき食糧を徴収するために革命軍(ボリシェビキ)は中国の軍閥並みに農民を殺すなどかなりひどいことをやったらしい。ボリシェビキは元々農民に敵視されていましたから、ボリシェビキも農民は敵と言うことで徹底的に農民を弾圧、ロシアの農村は第一次世界大戦中よりも疲弊してしまいます。
 内乱が終了して、国内をやっと掌握したレーニンは、農業生産を回復させるために、ちょうど今の中国のように、余剰生産物で儲けることを容認する政策を採ります。この1920年代の政策(NEP)のお陰で、ロシアの農村は急速に回復し、ネップマンと呼ばれる中規模の資本家までできます。
 1924年にレーニンが死去、1930年までに実務家にすぎなかった(しかし実務は全て掌握していた)スターリンがソ連の全権を掌握します。これは高杉晋作と大村益次郎が作り上げた日本陸軍をただの実務家の山縣有朋が掌握してしまったのと似ている。
 スターリンはNEPを止めて、それどころかネップマンを取り締まり、ソ連の工業化の方に重点(第一次五カ年計画:1928〜32)を移します。そのせいでロシアの農村は再び荒廃したと言われています。その代わり、工業の方は来るべきドイツとの戦争に耐えたほどにまで発達しました。



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レーニン 投稿者:きんたろう  投稿日:11月20日(水)19時25分20秒

という人はいつの時点でマルクスに目をつけたのでしょうか??
マルクスとレーニンが個人的な知り合いでないのは明らかなのは知っているのですが。。。

ところでレーニン号という船があったことが分かりました
太田さんは知っていると思いますが、1959年に完成した世界最初の原子力の砕氷船だそうですね。

そういえばソ連ではレニングラードのように個人に因んだ都市の名前がありますが、これはロシア人の特徴なのでしょうか??
日本の藤原京は違いますよね??(;^_^A)

ロシアは反乱軍(革命軍のもと??)を押さえるために日露戦争の時に最精鋭部隊を使うことが出来ませんでした。
それでも7ラウンドくらいで審判がストップをかけてくれたために判定勝ちをする事が出来たわけですから、ロシアの国力は日本の数倍はあったのでしょうね。

明治維新の前後に欧米列強の地球分割の実態を理解した当時の人たちの恐怖は今の私達には到底理解出来ないと感じられてきます。
しかし地理的に見て「極東」だった日本よりももっと劣悪な環境にあった「タイ王国」が独立を維持できたのには驚くばかりです。
当時の王族が極めて優秀だったという事なのだろうと思うのですが。。。
よく分かりません^^;;



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マッチ・ポンプ 投稿者:太田守人  投稿日:11月20日(水)12時31分08秒

日本陸軍は、明石大佐にロシア革命を支援させますが、安部さんのおしゃるように、日露戦争には間に合いませんでした。戦後、革命に火がついた、日本(特に陸軍は)は、日本への共産化の波及をおそれ、火消し役に走り回ります。日本陸軍は、マッチ・ポンプ役だったようです。明石大佐は、レーニンとも仲が良かったらしいです。明石大佐は、中将に昇進し、台湾総督になります。
日露戦争の波及効果についてですが、フィンランドにアドミラル・ビールという、有名なビールがあります。このビールは、日本海海戦のロシアの敗戦を記念して作られたそうで、このアドミラルは当時の連合艦隊司令長官東郷平八郎を意味しています。このビールのラベルには、東郷平八郎の肖像画と日本海海戦の絵があるそうです。
また、ポーランドは親日的な国ですが、これも日露戦争で日本がロシアに勝ったからです。フィンランドとポーランドは、当時ロシアの圧政下にありました。東郷平八郎が大英雄である国は、フィンランドです。また、戦艦ポチョムキンの反乱にしても、原因は思想的なものでなく、夕食のボルシチの肉に、蛆が湧いていたということが原因でした。これを見た、この戦艦の軍医長が、「蛆ぐらいなんだ。肉そのものは上等なんだぞー。」と言ったことに腹を立てた、兵員が暴動を起こしたからで、艦長が夕食を作り直させるし軍医長を処罰すると言いましたが、暴動は収まらず、結局士官は全員殺害され、下士官でも、士官に忠実な下士官は殺害されたそうです。ソ連は、偉大な革命だーってましたが、原因は食い物の恨みでした。



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確かに 投稿者:安部奈亮  投稿日:11月20日(水)10時44分46秒

私自身興味があったことなので調べてみてそれを全部書いてしまいましたが、少しまずかったかも。

高校生向けの参考書でも十分あれくらいのことは調べることは可能です。



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とある高校生君 投稿者:とある老人  投稿日:11月20日(水)09時28分45秒

阿部さんが一時間で調べた、ということに注意してみてね
つまり、阿部さんは何か調べ方を知っているんですね
高校生君は自分で調べないで人に聞いてしまった
もちろん、調べに調べたつもりでも判らないことを人に聞くのに遠慮は要らない
しかし、自分で調べると本当に身に付くのです
「調べ方」、、、これこそ「勉強」なんです。
なんとかかんとかが19XX年に起こった、なんてのを「記憶」することは勉強の端っこの方のことなんです、必要なときに調べれば好いこと、なんです
調べ方、勉強の仕方、を勉強してくださいね



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Toshyさん 投稿者:きんたろう  投稿日:11月20日(水)01時00分20秒

そろそろ復活ですね^^
お待ちしていますよ。

日本でもほんのちょっと前までは方言の差が強く残っていたように思っています。
言葉というのは耳から入ったものを再現して覚えるという流れをとりますから、テレビやラジオが普及する前の方言のきつさは現在の私達では理解することが難しいように思っています。

有名な言葉として「薩摩飛脚」がありますが、これは薩摩の方言はネイティブではないと不可能だったという意味ですよね。
江戸時代の「候文」は話し言葉では意味が通じないために考え出された一種の「共通語」のようなものであると聞いた記憶があります。

空間の広がりからいって中国大陸の場合は「方言」ではない「別言語」が使われていたわけですから、漢字(漢文)が「共通語」として果たした役割は計り知れないほど大きなものがあると考えています。

でも考えようによっては統一などという幻想を抱くよりもヨーロッパのように各地の独自性が目立った方が様々な特徴が現れて人類全体にとっては良かったのではないか??などと考えたりもします、笑

とある高校生さん
いろいろな本を読んで下さいね^^



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案外戦争には 投稿者:安部奈亮  投稿日:11月20日(水)00時53分36秒

ならないかもしれませんよ(笑)
空爆はあるかもしれないけれど。

アメリカは国債の形にした赤字をそろそろ返さなければならないので、財政が逼迫しています。大戦争はできません。

気がついたらイラクは国際社会に無事復帰でめでたしめでたしなんてことになったりして



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(無題) 投稿者:とある高校生  投稿日:11月20日(水)00時11分20秒

ありがとうございます、安部奈亮さん。よくわからないとおっしゃってましたが、実は、わかってらっしゃるんですね(笑)。パリ=コミューンといえば、普仏戦争の際に対プロイセン講和に反対していた労働者中心の政府ですよね(あれ?違ったっけ・・・?)。ソヴィエトもそんなものなんですかね。四月テーゼでやっとボリシェヴィキとソヴィエトの関係が出来て、それまで両者の指導をしてきたレーニンが勢力を伸ばしたのかなーと、適当に考えていた私は愚かですね。私なんぞのために1時間も割いてくださって本当にありがとうございました(^o^)。まだまだわからないこともありますが、先生にも聞いてみます。しかし、皆さん博学でいらっしゃいますね。私の尊敬する先生がいつも歴史は大切だと言います。現在起こっていることは全て理由があって、それが10年前か100年前か、そんなものはそれによって違うけど、それを見ようとしないのは罪だと言っていたことも有りました(まぁ、これはくちがすべっただけでしょうが)。なるほどと思って色々頭のアンテナを張り巡らすといろいろと見えてくるものもあるみたいです。まぁ、皆さんに比べればまだまだですが(^^ゞ。・・・・・・・・・イラクはどうなるんでしょうね。また妨害するんでしょうか?湾岸戦争パート2は間違い無しと父が言ってましたが、そうすると日本はどうなってしまうんでしょうか?(いま、テレビでやってるもので・・・・)そうなるとちょっと考えてしまうんですが(私がニュースを見ていないだけかもしれませんが)、有事法制ってどうなったんですか?全然その後を知らなくて・・・・。なんか、日本も色々矛盾が露呈されてきてまずいみたいですね・・・。私はあんまり日本政府が好きじゃないので、日本政府やアメリカ政府のために死ぬのはいやだし、誰にも死んでほしくないです。でも基地があるし、やっぱりまずいんですか?でもなんか日本のことなんて眼中になさそうなきもしないでもないですよね。ビンラディンの声明はかなり謎ですよね。なぜ日本がげんきゅうされなかったんですか?ああああ、なんか疑問がいっぱいです。とりとめのない話になってしまいました。このへんできっておきます。失礼します。



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1時間で調べた内容なので自信がないですが… 投稿者:安部奈亮  投稿日:11月19日(火)22時39分27秒

 私もロシア革命のことはよく知らないのですが、手元にある資料(高校の時の参考書です・笑)によると、
 ロシアの帝政に対する反対運動は19世紀の中頃から何度か散発的に起こっていました。よく知らないのですが、ドストエフスキーの小説なんかによく出てくるそうです。ロシアの貴族の子弟はかつての学生運動のように、大学にいる間とか留学中に、帝政に対する疑問を感じる人も多かったらしいです。ヨーロッパと比べて、貴族による土地私有(勿論税金なんか払わない)、貴族に払う年金や皇室の諸費用のために国家財政は常に赤字で、貴族の下で働く農奴(といっても農奴は多いときでも全国民の2割にもならなかったらしい)は、重い地代にあえぎ、自作農も重い税金にあえいでいました。「革命家」たちは、各地をまわって、反抗運動を組織していた、といわれていますが本当のところはどうなのでしょう?
 1905年、日露戦争の戦況がはかばかしくなく、ロシア国内で厭戦気分が広がります。1月22日に、ペテルブルグで起こった平和誓願のデモに兵隊が発砲、死傷事件(確か死者はそれほどいなかったはずですが)が起こり大混乱となります(血の日曜日事件)。ロシアの民衆というのは、本来国王や皇帝といった最高権力者には淡い期待を抱いているそうなのですが(その代わり直上の上司は嫌うらしい)、この事件によって民衆の皇帝に対する信頼は全くなくなったとされています。血の日曜日事件をきっかけに都市労働者を主体とした暴動が全国で発生し、6月には軍隊でも暴動が発生(ポチョムキン号の反乱)、バルチック艦隊が壊滅(5月)して、日露戦争の大勢も決して、ロシアは戦争継続が困難になります。暴動の際に工場ごとに労働者が自発的(本当でしょうか?)に形成した代表選出期間がソヴィエトです。暴動で工場を占拠した労働者による工場の自治運営機関でしょうか?
 ただ、1905年の革命(第一革命)では、農民は静観しており、革命勢力の間でも内部分裂が起こります。政府は日本と講和する一方、国会開設を約してとりあえず暴動は沈静化します。しかし国会は権限が弱く、議員選出にも制限がありました。
 なお、日本から送られた情報将校の明石中将(そのころの階級は忘れました)が第一革命に貢献したとも言われています。ただし明石さんが配った金が効果を現し始めるのは第一革命後というのが正確らしいです。
 1914年に第一次世界大戦が勃発し、ロシアは連合国側に立って、イギリス・フランスとともに、ドイツ・オーストリア・オスマントルコと戦いました。
 ドイツ軍はロシア奥地まで進入し、ロシアは一番豊かな穀倉地帯が戦場になり、工業地帯も奪われて苦戦を強いられました。戦争ですから、働き手も取られますし、食料も徴収される、税金も重くなる、戦況ははかばかしくなくて国家に対する信頼感は地に落ちる、直接には食糧危機が原因となって、1917年3月8日にペテルブルグ(当時の首都)で暴動が発生し、10日から全市でゼネストが発生、12日には軍隊も労働者の暴動に参加、ペテルブルグのソヴィエト(フランスのコミューンみたいな物でしょうか?)が革命の主体となります。首都暴動の報を聞いて皇帝ニコライ2世は退位、ロマノフ王朝は終わります。その後は国会が舞台になります。
 そのころ、ロシア社会主義民主労働党の創設者のレーニンが亡命先のスイスからロシアへ送り込まれます(敵国のロシアに混乱を起こそうというドイツの陰謀とも言われている)。社会主義民主労働党は国会内では多数派ではなかったのですが、彼等に言わせると国会は国民の声を代弁していない(これ以降のロシアボリシェヴィキの常套文句となる)ということで、実力行使により実権を国会から党へ移していくのですが、これはまた今度。



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(無題) 投稿者:とある高校生  投稿日:11月19日(火)20時34分33秒

今、高校でロシア革命についてやっていますが、教科書とかじゃあんまりわかりません。ソヴィエトというのは、“評議会”のことで、労働者の代表選出機関のことだそうですね。大体、何の代表なんでしょうか?しかも、各地に複数あったとかないとか、どこかのサイトに書いてありました。ほんとうですか?ボリシェヴィキとはどんな関係があったんでしょうか?いまいちわからないし、教科書にもあまりそのへんには言及されてません。お知恵を拝借したいです。



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とってもおもしろい 投稿者:安部奈亮  投稿日:11月19日(火)18時18分40秒


http://jongil.3nopage.com/index.php

特に面白いのが

http://jongil.3nopage.com/spy/index.html

http://jongil.3nopage.com/etc_html/zura.html



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(無題) 投稿者:雪狼  投稿日:11月19日(火)16時39分55秒

なにやら難しい話題が!

早ければ来週には復活します
それでは



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紋次郎さん 投稿者:太田守人  投稿日:11月19日(火)16時20分34秒

>蒙古斑の出ないシナ人とは、どのへんのどの階層でしょうか。

私は、漢民族には蒙古斑がないと聞いた事があります。中国人は、漢民族ばかりでありませんので、他の民族が全てないかは知りませんが。私は,漢民族は白人系の民族(アーリア系?)かなと思っています。



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四川省と倭人 と ‥‥   投稿者:焼尻紋次郎  投稿日:11月19日(火)15時06分24秒

 いつも大幅に啓発されます。ここ見るクセが落ちたらソンしますね。

 安部奈亮さん、有り難うございます。
 こんかい、四川地方が漢字を遣っていなかった‥‥は大収穫でした。
 蜀に諸葛孔明さんたちが入るまでは、四川はただの地方だったのでしょうか?
 四川省に屯していたネパール語系一族が川をくだって、蛋民を支配し折からの戦乱で
武器や兵站輸送を商売にしていた……のが倭人集団になったのだろうと、これかなり根
強いおれの方法仮説です。
 山岳地帯といえば、われわれはとても通行不便な地域だと思いがちですが、そこに生
まれて暮らしていると、大きな平原があるなどと夢想もできなくなっていて、雲の上を
踏みわけ踏み分け降臨することは、それほど苦労とは思わなくなるものでしょう。

 シナはひと山こえれば言葉が通じ合えない関係ばかりだといいます。
 これはひとつには、漢字があるもんだから、安心して方言を濃密に温存する働きと
なったのではないでしょうか。また、そのような状況は今のニューギニアの言語分布を
写すもので、ヨーロッパも戦乱の前は広域言語など蔭の形もみられないようなモザイク
の散在だったことかと思っています。

 太田さん、蒙古斑の出ないシナ人とは、どのへんのどの階層でしょうか。

※ 日本の古代神名の「ククノチ・ヒメ」には「菊の国」→日本皇室や菊水、及び、朝
  鮮(の国花‥‥菊の花)が絡んでいますが、ご存じでした?
  似ている神様のククリ(ヒメ)はネパール語の“刀”です。ヨミのくにから穢れて
  逃げてきたスサノオにみそぎのしかたを教えた神です。
  ククリのクリは朝鮮語、蒙古語で“銅”です。

http://www.you-i.org



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周書 投稿者:太田守人  投稿日:11月19日(火)12時35分50秒

倭が一番初めに出てくるのが、周書だとか聞きました。まあ、この周書は後世の作だとか言いますので、果たして,倭人が周に来ていたかどうかは分かりませんし、私自身、倭人が日本人の専売特許になるのは、隋以降と思っていますので、もし来ていても、日本列島の倭人だとは、断定できないと思います。もし、この倭人が日本人だったら、そして周に、当時の縄文人たちが朝貢していたらいいなーと思っています。



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秦よりも前に 投稿者:安部奈亮  投稿日:11月19日(火)11時29分38秒

呉や越の住民は中原の民族とは違った文化を持っていて、楚とか斉に圧迫されて日本に来ています。でも一番の要因は太田さんがおっしゃるように秦の勃興と統一です。秦によって楚は西半分が取られて、国を東に大移動させます。そのときに、押し出されるように呉や越(少し前に楚に滅ぼされていた)の住民が日本や福建の方へ逃げ出したらしい。秦の統一後に逃げ出した人もいるかもしれません。

それより前に、漢字と青銅器を作った商(殷)は中原全部ではなく、黄河の流域の東部に勢力を持つ王朝でした。中心部の商では漢字を使っていましたが、海岸部では漢字までは使っていなかったかもしれません。穢れ、祓い、鳥居、子安貝、青銅器、漢字の読みなど商の文化と日本の文化は共通する所が多い。しかし、祓いの時に動物の血をふんだんに使ったり、青銅器が鼎であったりと、違いもあるので、商の中深部の人達は日本へは来ていないのかもしれません。

このように商に服属していた東夷は、商が滅んだ後も簡単には商に服属しなかったらしい。太公望で有名な斉は初めは小国で、やはり東に国を作った周公旦の魯とともに、商の遺民の反乱に悩まされていて、国を広くするまで時間がかかっている。

周に抵抗した東夷たちが最後は日本へ逃げた、あるは呉や越に逃げたらしい。


斉は商業と工業で繁栄します。斉と縄文時代の日本が交易をしていたら話が広がって楽しいのですけれどどうでしょうね?



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漢字 投稿者:太田守人  投稿日:11月19日(火)08時29分33秒

私は、秦の始皇帝が全国統一を成し遂げるまでは、日本に渡来人はあまりこなかったと考えています。戦国時代のほうが、始皇帝の焚書坑儒等の弾圧もないし、度量衡の統一もない。また,今君主が使う朕は、昔は今の僕とか俺という意味で、男なら誰でも使っていたそうです。それを、始皇帝が独占し、皇帝以外に使用禁止にした。このように、始皇帝は当時の風俗をも弾圧したと思っています。人妻は、夫以外の男性に声を掛けられただけで、姦通罪になったとか言います。このような、峻烈の法のもとでは,息が詰まる。中国からの渡来人は多分一族郎党を引き連れて、渡ってくるでしょうから、徐福のように数千人単位で、それこそ大挙してわたってきたように思います。秦の時代は、不満が充満していた。ですから、明治のお雇外国人のようなことはなかったと思います。江南からの渡来人は、多数が波状的に来たと思います。そうすると、その時代の王というか指導者は、そのような先進技術を取り入れたと思います。そして、渡来人は下層階級よりも知識階級のほうが、このような社会体制に適応できなかったと思っています。そこで、中国から日本に来た渡来人は、結構知識階級が多かったと思いますが?町内会程度の国であれば別ですが、村単位あたりになってくると、去年はどうしたとか過去の記録を調べなくてはならなくなるし、どんぶり勘定でもすまなくなる。そうすれば、どうしても文字という媒体が必要になってくると思います。私は、漢字というのは,書き易い文字だとは思いません。そこで、漢字伝来以前は、日本には文字はなかったか、或いはもっと書き難い文字(例えば、元王朝のパスパ文字のような。)だったため、漢字が普及したのだと思っています。或いは、インカのキープのようなある種の記号により、記録を残していたのかも知れません。



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しかし、 投稿者:安部奈亮  投稿日:11月19日(火)00時54分08秒

それならば、行政文書の翻訳官だけ雇えばそれで終了だったのでは?

やはりもともと漢字を使う人がある程度混ざっていたから漢字を使い出したと考える方が自然だと思うのです。政治的な理由だけでは弱くはないでしょうか?

チベットや突厥は結局漢字を使っていませんし。中国の中でも四川なんかでは使われませんでしたし(今は強制的に使わせていますが)



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