過去ログ180(2002年〜12月23日)


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杞憂で終われば良いのですが 投稿者:安部奈亮  投稿日:12月23日(月)23時35分56秒

最近クラッカーが名瀬が活発に動いているようです。

井沢先生のHPが完全に破壊されました。
私の知り合いは掲示板の過去ログを意図的に消されました。
私はPCを覗き見られていた可能性が高いです。

もしかしたら、クリスマスイブからクリスマスにかけてと、大晦日から元旦衣かけて、一斉に何か仕掛けて来るかもしれません。普段よりもインターネットへの接続も増える日ですから、狙っている可能性があります。

残念ですが、明日から明後日にかけてはPCをインターネットに接続しない方がよいかもしれません。



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雨 投稿者:きんたろう  投稿日:12月23日(月)23時33分48秒

は夜明け過ぎに雪へと変わるだろう、という歌詞の通りに天気が変わったとしても休日には鷹揚に構えることが出来ますね、笑
でもこの休日には雪は降りませんでした。

安部さんは徹夜だったのですね!!
さすがですね。

天皇陛下も70歳になったら引退させてあげたいですよね。
それにしてもこの時期に休日が1日出来るのは稼働日が1日減るので実のところ勘弁して欲しい気持ちがあります。
と言いつつのんびりしていました、笑



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太田さん 投稿者:きんたろう  投稿日:12月23日(月)23時30分06秒

でも呉越の国境は良く分からないのですね^^
何となくほっとしました、笑

呉越の戦い以降の歴史を中国の戦国時代と呼んでいますよね。
ここで突然の思いつきなのですが。。。
この戦いにおいて越に破れた呉は完全な亡国(と言っていいくらいのレベル)により相当数の難民が発生したものと思います。

ところで、日本における稲作の始まりは紀元前300〜400年頃からと言われていますよね。
長江付近で稲作が始まったのは世界で最も古い時代と言われています。
一方、東シナ海を越えて日本に稲作が伝えられるまでは何千年もかかっているわけですから東シナ海という海の障壁は想像を絶するほど高かったと思います。
もっとも稲作の場合は集団農業というシステムでないと機能しませんから、ある程度まとまった規模の農業従事者が必要になるから伝播が遅れたのかもしれませんが。。。
それでも何千年もかかるというのは人間とは余程の原因がなければ慣れ親しんだ土地から離れることは無いという証明になるような気がしています。

結局は住んでいるところを捨てて東シナ海を越えてまで日本列島にやってくる価値が無かった事が最大の理由だと思います。

しかし、紀元前400年頃に慣れ親しんだ故郷を捨ててまで日本列島にやってこなければならない事件があったとすれば日本列島に稲作が伝播した理由として説得力を持つのではないでしょうか??

こうして考えてみると呉越の宿命の対決が日本に稲作を伝えた原因になっているように思いました。
時代もちょうど稲作伝播の時期に合いますよね^^
つまり日本に稲作を伝えた集団とは呉の移民団なのではないでしょうか??



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動物番組は嫌いだ 投稿者:安部奈亮  投稿日:12月23日(月)19時45分34秒

特に海の哺乳類を取り上げた動物番組は嫌いです。

いつからイルカやクジラはこんなに偉くなったのでしょう。
イルカがイワシを捕まえて食べるのはイルカが賢い証拠で、シャチやサメがイルカを食うのはシャチが残酷な証拠なんかい、アホくさ。

大体シャチが主人公の時シャチがイルカやクジラを食う場面はあんまりださんし。
誰か是非シャチがイルカやクジラを捕まえて引き千切って食べる場面を爽やかで勇ましいBGMで流し「シャチって賢くて仲間意識が強くて可愛い生物ですねえ」とナレーション流す番組作ってくれないものでしょうか。



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天皇誕生日だそうで 投稿者:安部奈亮  投稿日:12月23日(月)04時20分16秒

朝刊に書いてあったので思い出しました(笑)

もう69歳だそうですね。
もう譲位させてあげて休ませてあげても良いと思うんですが。
いくら天皇陛下だからと言って、70まで働かせる権利は誰にもないと思うぞ。
日本には上皇と言う称号もあるんだし。



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今日は〜徹夜かも 投稿者:安部奈亮  投稿日:12月23日(月)02時52分04秒

第一次世界大戦が始まったとき、ヨーロッパ中の人々は一般市民も政治家も軍人も「これで積年の懸案が一挙にかたがつく」「半年もしないうちに戦争は終わる」と、まあ開戦をみんな大歓迎で、面倒な外交交渉とか謀略よりは戦争の方が爽やかだくらいに思っていました。

多分日中戦争や太平洋戦争が始まったときの日本人も同じ感覚だったと思うんですよね。

アメリカの方もそうだったんじゃないかと思いますね。

というか、速戦即決できると思うからこそ戦争と言う手段をとるはずです。百年戦争になると思ったら誰も戦争しようとは思いません。現に今の先進国が戦争しなくなったのはそのせいですよね。

しかし、北朝鮮がつぶれて、さらに韓国も再度破産と言うことになったら朝鮮半島は一体どうなるんでしょうか?もう一度吸収合併?中国の方が迷惑は迷惑だけれど内部の押さえが効いているだけまだまし。でも中国もそろそろ海岸部は人件費でメリットが無くなってきているそうですから、どうなるのかな?中国まで破産したら。昔みたいに各国の勢力圏に分割するんかいな(笑)なんだか朝鮮も中国も100年前と同じことをやっていますね。中国が破産した場合はアメリカやヨーロッパが喜び勇んで買い叩いてくれるでしょうが、韓国が破産しても救済してくれる国は結局日本しかいないでしょう。アメリカは北朝鮮があるから韓国を助けているのであって、北朝鮮がつぶれて、中国も破産すれば韓国の価値はなくなるから、韓国は日本にすがるしかなくなる。なんかこれも100年前と同じだな。

韓国での大統領選挙前の反米運動の盛り上がりを見ると、北朝鮮のスパイもまだまだ侮れないなと思ったりもします。ありゃ間違い無くスパイの煽動があったでしょう。

なんでも良いけれど、やけを起こしてミサイルだけはうたないで欲しいものです。



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確かに 投稿者:きんたろう  投稿日:12月22日(日)23時42分16秒

日本は明治維新以降対外戦争で負けたことがありませんでしたから、一般的にも戦争といえば好景気を呼ぶものであるという認識があったと思います。

戦争とは純粋に消耗戦ですから軍需関係の需要が増加するのは明らかです。
もしこれが単なる演習であるとすれば、消耗した費用は回り回って税金に加算されるのですが、戦争に勝てば相手から賠償金を得ることが出来ますから国民の税負担が増える事にはなりませんから。

第二次世界大戦を信長や秀吉の全国統一とすればそれ以前は通常の戦国時代と言うべきものであり、戦争と言っても総力戦ではなく小競り合い程度の規模であると考えていいのかもしれません。



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20世紀前半の人達は 投稿者:安部奈亮  投稿日:12月22日(日)23時30分14秒

戦争をもっと気軽なことと思っていたようですね。
昭和恐慌のときも、年寄りの中には「ここらで戦争でも起きれば景気も良くなって気分も晴れるんだが」と言っていた人もいたそうですから。

国民の数十人に一人もの人が死ぬような総力戦はヨーロッパでも第1次世界大戦と第2次世界大戦のたった二回、日本はアジア・太平洋戦争の一回きり、それまでは戦争と言っても多くて死ぬのは一万人と言うことは死ぬのは数千人に一人だから交通事故と同じくらい縁遠いこととみんな思っていたのでしょう。

戦争と言うと、我々はすぐに総力戦を思い浮かべてしまいますが、昔はもっと手軽で被害も国家が破滅するほどのものでは無かった事を頭に入れておかないと、歴史を理解する上では間違いを犯しそうです。

注:近代国家どうしの戦争の場合です



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下の書きこみ 投稿者:安部奈亮  投稿日:12月22日(日)23時24分13秒

大きな間違いがあったの一部訂正しました。



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昭和恐慌 投稿者:きんたろう  投稿日:12月22日(日)23時20分47秒

は1929年のアメリカの大恐慌の余波を受けて発生したようなものなのですが、日本の場合はこの時期に金解禁を行っていたためにダメージがより大きなものになったような記憶です。

金解禁とは一度禁止した金の輸出を再び自由にすることであり金本位制度への復帰を意味しています。
第一次世界大戦中に列強諸国は金輸出禁止の措置をとりました。
しかし戦後に金本位復帰の動きが広まっても日本では不況などで実現出来なかったのです。
ようやく金本位制への復帰を行ったのが浜口内閣の時で1930年になってでした。
しかし1929年にウォール街発の恐慌は世界中に連鎖恐慌を引き起こしたのですから、この様な時期に金解禁を行ったのは正に経済音痴としか言いようがありません。

今の感覚で言うととても正常な国民生活を維持できるような環境ではなかったような印象を持っています。
正に弱肉強食の時代といえると思います。
第二次世界大戦前の世界の状況こそ危機的状況にあったといえるように思っています。
でもこれは日本を含めた列強の感覚ですから恵まれた社会における不安というものなのかもしれません。



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昭和初期の人達は 投稿者:安部奈亮  投稿日:12月22日(日)20時01分16秒

いざとなれば農村に帰れば良いと言う頭があるから、都会で暮らすことしか知らない我々からすると少しは気楽だったのかもしれないですね。

でも、社会不安が結局大陸進出につながってしまったわけですから、やっぱ今よりも社会全体を覆う不安は強かったと思います。満州事変、日中戦争、太平洋戦争と、開戦のたびに社会が一気に明るくなったように日本人のほとんどが感じたのも史実ですから。

それに軍部や新官僚が非常手段を使って権力を握ろうとしたのも日本が絶体絶命の危機に在ると彼らが固く信じていたからですから、閉塞感、危機感は今よりもずっと強かったはずです。



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みのるさん 投稿者:きんたろう  投稿日:12月22日(日)19時23分48秒

の言われるようにあまりに株式が低下するのは日本経済の沈没を意味する訳ですから何としても阻止して欲しいと思います。

株式に限らずゴルフ会員権も底値をぶち破った状態になっています。
確かにゴルフ会員権のような疑似株式と正規の株式を比べるのは間違っているのかもしれませんが、外国資本のハゲタカファンドが全国の倒産したゴルフ場を叩いて買っているのは正にハゲタカファンドの名に相応しいと思っています。
それにしてもまさかゴールドマン・サックス(だったな??)がゴルフ場を買いあさっているとは知りませんでした。

株式の低下もハゲタカの空売りによる部分が大きいのは分かったのですから仕手株的な方法は排除すべきだと考えています。
そうしないと大多数の善良な??一般投資家が詐欺に遭うようなものだからです。

もちろんそれ以前に会社がディスクロージャーを行い合理化を進める必要があるのは言うまでもありませんが。。。
でもちょっと疑問に思っているのは、例えば昭和恐慌とまでは言わなくても、労働争議が華やかなりし頃でも倒産やクビは合ったはずですが、現在のリストラの話題のようにまるであり地獄に落ちたアリのように社会全体が絶体絶命の危機と感じていた訳ではないと思うのです。

安部さんが紹介されているように韓国の貯蓄率は日本と比べると問題外に低いですね。
韓国は高度成長以前から貯蓄率が高かったことがありませんので、国が破産したときに国民も同時に破産していたようなものなのです。
それなのでIMFの監督下に入らなければ再建が不可能だったわけです。

現在韓国経済が復調した様子を見せている原因の一つには韓国の人たちの消費意欲の高さがあると思います。
でもこれが借金による部分が大きいのですから自転車操業と同じですよね。

日本の場合は国は借金まみれでひーひー言っていますが、国民の貯蓄は世界最高水準の筈です。
ですから国民が全員5万円くらいのものを余計に買えば数字上日本経済はあっという間に回復すると思うのですが。。。??

この金融資産を狙っているのが欧米の金融資本と言われていますよね。
そのために日本の銀行を狙い撃ちにするためにBISを日本の銀行に当てはめようとしたのは誰の目にも明らかだと思います。
不勉強のためなのですが、銀行の自己資本率が8パーセントである必要性が何処にあるのかという説明を聞いたことがありません(;^_^A)

中国の経済成長はバブルのようなものですから、これが弾けた時には上海発世界恐慌が起こる可能性を考えた方がいいと思っています。



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悟り 投稿者:安部奈亮  投稿日:12月22日(日)17時35分02秒

いえいえ、今日は一日中家の中にいました。

最近私のオタクは100年たってもなおらんテユーカもう完全に人格の主要部分。
と諦めつつあるのです。

最近は自分の年齢から前後十年であればなんでもOKと言う状態でございます。



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安部さん 投稿者:勇者ロト  投稿日:12月22日(日)17時12分28秒

公園かどこかで、何か性線ホルモンが刺激されるようなモノを目撃したのですか(笑)

http://www.cam.hi-ho.ne.jp/sakura-komichi/bbs/index.shtml



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癒し効果がわかった! 投稿者:安部奈亮  投稿日:12月22日(日)14時59分13秒

癒し効果とは要するに
「萌え」の隠語だったんですね!

萌えはオタクが使う用語だから新聞やテレビが使うのははばかられると言うことで、癒し効果などと言う嫌らしい言葉をひねくり出したんだ。

なんだなんだ、結局女性も中年の方々もオタク同様可愛い犬やら子供やらおセンチな風景やら音楽を見て聴いて「萌え狂っていた」だけだったのです。

でめたしでめたし



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引きこもり 投稿者:安部奈亮  投稿日:12月22日(日)14時38分30秒

若者の引きこもりが増えているということですが、私は50代60代の人間も同じように自閉的になっていると思います。

周りの年配の人を見ると、いろいろ理由をつけて後の世代にものを教えようとはしません。会話も下手です。コミュニケーションの仕方を知らないように見えます。

良く、外国に行った技術者が熱心に外国人に技術を教えているのを見ます。彼等は一様に言います「外国人は熱心で、根性がある」。その同じ技術者が、多分日本へ帰ると「日本の若者は根性がない」とか言ってものを教えません。

外国人が熱心に教えを聞くのは、先進国から来た技術者をひとつ上の存在と見て、一方的に教えを請うと言う態度をとっているからです。そう言う人間には教えやすい。それに対して、日本の若者は「どうせうちの親と同じ大人だろう」と考えて、対等な関係を持とうとするから、対等な関係と言うものを怖がる自閉的な年配の大人は、怖がって日本人にはものを教えようとはしない。

いろいろな伝統や技術が日本で断絶しようとしているのは、上の世代が人間を怖がって引きこもっているからだと私は思っています。子供は親の世代の鏡です。若者に引きこもりが多いと言うことは、やはり上の世代にも同じような傾向が出ているのだと思います。引きこもっているのは、リストラに会った人やホームレスだけではなく、バリバリ仕事をしているように見えて、自閉的な人間も多いとおもう。そして若者がいまいち50代60代の人間を信用しないのは、向こうも人間を怖がっていて、ちょっと突つくとすぐに逃げて引きこもるのを感じ取っているからです。



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殷 投稿者:きんたろう  投稿日:12月22日(日)00時01分04秒

についての意味は私も別称だったような記憶がありました。
それで先ほどの書き込みを作っているときに念のために広辞苑で確認してみたのですが。。。

殷殷 音の盛んなさま。雷や大砲や車などの音のとどろくさま。「―たる砲声」
殷賑産業 時勢で好況にある産業。
殷富 さかんでゆたかなこと。富み栄えること。

など栄えるという意味の言葉を見つけたために記憶違いだったのかな??と思ってその部分を消してしまいました(;^_^A)

>殷は商の蔑称だったのではないかと宮城谷昌光さんが書いていました。
やはり蔑称を込めたところがあるという訳なのですね^^
記憶が正しかったとほっとしています、笑

易姓革命の正当化も正直なところを言えば。。。
何というか子供だましのような理屈に感じられてしまいますね(;^_^A)



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商の滅亡には 投稿者:安部奈亮  投稿日:12月21日(土)22時12分40秒

相続問題も絡んでいたのかもしれないですね。
受王(紂王の本当の名前)が滅ぼされた後も箕子(受王のおじと言うことにされている)や微子(受王の長子か兄だったらしい)が残って商を復興させていますから。他にも比干と言う受王に殺された王子もいたそうですし。箕子や微子は受王の横暴を諌めたと言うことになっていますけれども、あるいは商の内部で分裂していたことを表しているのかも。

殷は商の蔑称だったのではないかと宮城谷昌光さんが書いていました。

周はできた当初から弱い王朝だったのでしょう。それを頭に入れておかないと春秋や戦国時代を理解するのに間違いが生じそうです。

当時の国家は都市の連合体ですから、国境はなかったし考えても意味がない思います。



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殷 投稿者:きんたろう  投稿日:12月21日(土)14時50分16秒

や商と呼ばれる理由についてですが、これはそもそも古い時代のためによくわからなかった事に原因があるのでしょうか??
商と自ら名乗っていたもかかわらず殷と呼ばれているのは発掘された「殷墟」によるところが大きいと思いますが。。。??
商という国名を使っていた事が分かっている以上「殷」は後半首都をおいたところであり、国名を言うのであれば「商」の方が相応しいはずですから、将来的には商と記載されるようになるのかなと思っています。

商における王権の後継者を選ぶ方式が兄弟相続から直系の長子相続へと変化していったとあります。
この点は時代はずいぶん下りますが大和朝廷の方式とよく似ていると思っています。
日本の場合は直系相続へと変化していくのは天智天皇以降ですよね。
もっとも天智天皇から弘文天皇への皇位の移動についてはこの時はまだ直系相続が豪族のコンセンサスというか認知を十分に受けていなかったのだろうと思っています。
壬申の乱の原因は相続の問題ともいえると思っています。

商は人方という東方の豪族集団??つまりは東夷ですが、彼らが山東半島から淮河にかけて勢力を伸ばしてきたために、これを征伐するために遠征軍を起こしています。
遠征軍はかなりの大軍であり征伐には成功したのですが、軍費負担が相当大きかったのが滅亡の原因になっているようですね。
軍事費の負担は最終的には住民にかかってくるというのは現代も古代も変わらない真理なのです。

このタイミングを計って挙兵したのが周ですから、安部さんの「火事場泥棒的」という表現は正にドンピシャリだと私も思っています。

この歴史の流れは随の滅亡から唐の建国によく似ていると思いす。



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2号機からです 投稿者:きんたろう  投稿日:12月21日(土)11時20分31秒

テストをかねて初めて2号機からここに書き込みをしています、笑

今までATOKしか使ってないので、MSIME98の感じがよく分かっていません。
ちなみにこれはおまけでついていたIME98です。



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また雪が! 投稿者:みのる  投稿日:12月20日(金)21時21分50秒

明日の東京は雪の予報です。今年は雪が多いです。昨日越後湯沢に出張で行ってきました。意外と雪は少なかったです。考えて見ると昔、私が学生だった頃は東京にも結構雪が降りました。年々少なくなってきてきました。雪が降るとなんだか嬉しいです。



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あらら 投稿者:安部奈亮  投稿日:12月20日(金)13時12分51秒

韓国でクレジットカードが流行って危険な状態になっているらしい。
現在韓国は一時期のどん底を脱して経済成長中と言うことでしたが、丸っきり借金に頼った好景気だったのですね。鹿も一般市民が借金をしまくっているそうだから、これは危険です。北朝鮮だけでなく、韓国の方も来年には破産してしまうかもしれない。

http://japanese.joins.com/php/article.php?sv=jnews&src=biz&cont=biz0&aid=20020419210349300
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2002/09/26/20020926000041.html
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2002/09/30/20020930000032.html

私最近思うのですがNHKはかなり公正な報道をやっていると思うけれど、ことが中国と韓国に関わることだけは朝日新聞並に嘘をついていますな。アメリカとかヨーロッパの政治や経済についてはものすごくシャープな切り口で報道してくれるのに、中国や韓国についてはなぜかべた褒めの一辺倒。NHKは中国人犯罪者のことは滅多に報道しないし、韓国の経済がkのように危険な状態であることも全く報道しない、ワールドカップの八百長にもほっかむり。どう言うつもりなのでしょう。



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子供のけんかに大人が出ると 投稿者:太田守人  投稿日:12月20日(金)12時19分37秒

確か呉楚の話だったと思いますが、呉と楚の国境付近で子供が、蚕の餌の桑の葉を取りに行って、喧嘩になったそうです。そこへ、双方の親が出て行き、喧嘩したそうです。そして、一方の親が代官だったかに訴え出たそうです。頭にきた,その代官は相手の村を焼き討ちしたそうです。結局、呉と楚は国軍を出して戦争になったそうです。子供の喧嘩に親が出て、大騒動になった話です。



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きんたろうさん 投稿者:太田守人  投稿日:12月20日(金)08時37分35秒

私も呉越の国境は、よくわかりません。大体、史記を読んでも、越王コウセン以後の越ってあまり書いてなかったと思います。それと、呉楚も私は国境がわかりません。

商(殷)の紂王は、甲骨文の研究により、暗君というより、弁舌さわやかで、猛獣も素手で倒せるほどの武芸を持っていたとか聞きました。頭の回転が速すぎたのでしょう、臣下が諫言しても、屁理屈を付け、その臣下を黙らせてしまうほどだったと言います。まあ、このような人物がほんとうに、優秀だったかは別として、夏の傑王は別ですが、紂王は巷間に言われている、人物と違う人物だったと言います。更に、先祖崇拝が厚く、商の歴代王の中でも、生贄をささげて、先祖を祭るということに非常に熱心だったと言います。周の一揆も、紂王が生贄の奴隷狩りに、その主力軍を振り向けた時に起きたと聞きました。ローマ帝国も、国軍の精鋭部隊は、シリアで奴隷狩りの最中に、ゲルマン民族の侵略を受け、精鋭部隊が引き返してきた時には、手遅れだったと言います。
商(殷)の滅亡は、紂王の異常な先祖崇拝熱に、奴隷狩りを受けたり、その費用を捻出させられた、商以外の部族の不満が高まった為だと思っています。商が滅亡後、その遺民団が周に対し、大規模な反乱をおこしたのも、商人(しょうひと)の間では、紂王はそんなに悪い人物でなかったどころか、英雄だったと思っています。



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株が安い 投稿者:みのる  投稿日:12月20日(金)07時49分18秒

株が安いです。私の保有している株も、むちゃくちゃ下がりました。
日本経済はどうなるのでしょうか?
ここはめげず買い向かおうと思います。



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周は火事場泥棒 投稿者:安部奈亮  投稿日:12月20日(金)00時48分19秒

的に商を滅ぼしたようですね。

だから後々まで易姓革命だなんだとこだわったのでしょう。
こだわるのは嘘をついているから。
正義なんか振りかざさずに「強いから勝ったんだ、文句あるか」と開き直ってくれれば、三千年後まで周辺諸国が中華思想に悩まされることもなかったのに(笑)

商の湯王が夏の傑王を倒したエピソードが、殷周革命とそっくりなのは、周が「商だっておなじことをしたんだ、俺たちは悪くないんだ」と言いたいがためにでっち上げたお話でしょう。

秦と楚は周王を認めていませんでしたが、これは言い方がおかしい。もともと周の時代から中国が一つの王の下に治められるべき地だったと考えるのは間違いで、秦王と楚王は、自分と周王の間に格の違いがあるなんて1つも思って思っていなかったでしょう。ただ、商王の圧倒的な呪術のパワーには一目置いていたのではないかと思いますけれども。商の呪術や漢字といった文化はまばゆいばかりですけれども、それに比べたら周と言うのは秦王や楚王にしてみれば下は同格の存在ですから。

こう考えてみると、周が商を倒すことができたのはほとんど奇跡で、周は始めからそんなに強くはなかったのでしょう。なのに周や春秋の諸侯が「義」とかにこだわるのは、圧倒的な呪術パワーを持った商を倒したことがかなり怖かったからでしょうね。だから理論武装しようとした。

と言うことは…中国人の倫理ももとをたどれば商の怨霊が怖かったから!?
ここまで来るとちょっと怪しいですが(笑)


そうそう、春秋戦国くらいまでの中国には、古代日本同様に怨霊が幅をきかせていたのではないかとちょっと思っています。商の呪術まみれの世界なんか怨霊やら妖怪やらが炸裂してますもん。

ただ、商と日本には決定的な違いがあって、商は白川静か先生によるときよめのために動物や人間を殺して血を流すのですが、神道は血を穢れとして嫌う、この違いは少々説明しがたいと思う。



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漢中ですね 投稿者:安部奈亮  投稿日:12月20日(金)00時35分52秒

防衛に適しているからでしょう。

中国の他の場所は平原だから守りに弱い。それに対して漢中は函谷関さえ押さえればなかなか攻められることはないから、力が無い時には寡兵で防衛できるし、戦う時は全兵力を繰り出して攻め込む事が出来る(滅多なことでは西域から後ろを攻められることは無い)

蜀も似たような地形ですけれども、少々中原からは離れすぎています。

楚は准水と長江の間くらいの国です。兆校の北側にも邑がありました。

語り部…そうですね、私は文字が無い世界では「データベース人間」とでも言うべき記憶に長けた人が戸籍や法律を記憶していて文字が必要なかったのではないか?と結構本気で考えています。



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太田さん 投稿者:きんたろう  投稿日:12月19日(木)23時39分47秒

正直なところをいえば「呉越」の境界を良く分からない私です(;^_^A)
楚は揚子江よりも南を指していたのは間違いがないと思っているのですが。。。

大三元さん、さすがに「高志は深え」に掛けたのをあっさり見破ってしまいましたね(→はったりです、すみません、笑)

商が国力を消耗した原因が東方への大遠征にあったことは間違いがないようですね。
商は黄河の下流を中心に発達した都市国家であり周は上流の隴西付近を中心にして発達したグループですよね。
この付近は感覚的にはほとんど西域のようなものだったように思います。
特に商の時代には特にそうだったような気がするのですが。。。??

それにしても秦もこの付近を本拠地としていましたし、劉邦が勝利出来たのもこの付近に本拠地を移したから??ですし、隋・唐もこの付近を本拠地としていた集団です。
ここは日本史でいうところの「三河」のようなところなのでしょうか??笑

商が大和と似た面を持っていると思われるのは部族の歴史を伝えるのに「語り部」が活躍していた事と関係があるのかもしれませんね。
この話題ははっきり言ってとても面白いのです^^



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毎朝 投稿者:きんたろう  投稿日:12月19日(木)23時37分04秒

の日課なのですが。。。^^;;

新聞のテレビ欄を見ていたら(実はテレビ欄と週刊誌の広告はしっかり見ています、笑)今日放送されるホームドラマをずいぶんと褒めてあったので興味深く読んでしまいました。
このドラマ自体は感動的な内容らしいのでまあ別に良いのですが。。。
最後に脚本「井上由美子」とあったのが記憶のアンテナに引っかかりました。

思い出せばこの人は昨年の史上最低の大河ドラマ(だと今でも思っている)の脚本をしていた人だからです。
あれでは脚本家はてっきり社会的に信用を逸してもはや浮き上がることは出来ないだろうと思っていたのですが、かなりしぶとい人のようですね^^;;

もっとも読売新聞テレビ欄の論評を読む限りかなりの褒め具合ですから、ホームドラマの脚本に限っていえば才能があるのだろうと思いました。
きっと時代考証が必要とされる鎌倉時代の脚本は能力的に無理だったのでしょうから、このような人に依頼したNHKのミスチョイスが最大の責任なのかもしれませんが、あれほど酷い北条時宗を見せられた恨みはなかなか晴れるものではありませんよね、笑



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論語 投稿者:太田守人  投稿日:12月19日(木)17時23分33秒

論語を読んでも、今の儒教のイメージのようなことは書いてありません。どっちかと言うと、家長を中心に家族仲良くってことしか書いてありません。更に、孔子のぼやきや反対に弟子に突っ込まれているところもあります。論語を読む限り、孔子も聖人でないと私は感じました。
戦国時代という、友人や親兄弟も信用できない時代で、なんとか社会的秩序を模索しようとしたのが、論語だと思います。この儒教を、ガジガジにしたのが、朱子学等の宋学といわれるものだと思っています。安部さんの投稿には、私は頷けるところが多々あります。
私は、神武天皇は江南からの渡来人か、その子孫の可能性が非常に高いと思っています。また、漢字ですが、倭の奴国か委奴国の国王かはわかりませんが、この漢に使いした国王は、漢字を理解したと思っています。多分、漢文の上表文でも持っていかないと、金印は呉れなかっただろうと思うからです。



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おそらく 投稿者:安部奈亮  投稿日:12月19日(木)12時56分53秒

春秋くらいまでの中国の文化と言うのは、今の中国人が持っている文化よりも、私達日本人の文化の方が近いのではないでしょうか?

白川静先生の甲骨文字の話も、私達はすんなりと理解できますが、恐らく今の中国人には分からないでしょう。

大体春秋くらいまでの中国の広さと言うのは、楚を除けば日本と同じくらい。ただ人口はずっと多かったようなので、戦国時代の都市とか戦いとか政治と言うのは、多分日本の戦国時代を思い浮かべればぴったり来るくらいではないかと思います。

そもそも中国人が日本を野蛮と言い出すのは、向こうに儒教官僚制度が出来あがった宋の頃からで、それまでは中国人は神仙思想(これも日本に多く遺民が流れたとされる長江流域あたりから出てきた思想です)もあって、東方に君子国があるらしいと言う風に日本に好意的です。北方の異民族や三韓やヴェトナムはハナから野蛮人扱いなのに、日本に対してはそうではない。

商や、西周、春秋の中国では
組織や法律ではなく祭祀を一緒に行う事によって王朝のまとまりを維持する。緩やかな世襲で王朝ないの仕事を分担する(日本の部民制もそれほど厳しい世襲ではなかったらしい、古代の豪族は自分の職務と別の仕事もいろいろやってますからね)。戦争とか土木工事などの大きな仕事をする時には組織を作らなければならないが、その組織と言うのも、いろいろな集団から集まった人々が擬似的な家族になると言う格好で組織を作ったらしい。これなんか日本とそっくり。商の王朝や春秋の諸侯は、古代の琥と同じように兄弟の間で王位を交代し、その次の世代に移る時も長子の子とは限らなかったところも似ている。銅鐸に描かれた絵も、商の甲骨文字や金文に出て来る印章に良く似ている(全く同じではないらしいですが)。

多分中国人の方も古い中国の文化が日本に残っているのを知っていたのでしょう、ある時期までは。

儒教の方も、最初孔子や孟子や筍子が作った儒教というのは、私達日本人が思っている儒教と同じような感じだったのかもしれない。宋以降の中国の儒教は日本人が思っている儒教とは全然違うと中国の事を良く知る人は言いますが、最初のころの儒教は、私達が信じているような折り目正しい人間になるための思想だったと考えて良いかもしれない。儒教を今のような儒教に変えてしまったのは、董仲舒や朱熹ではないか。

まだまとまっていないのですが・・・



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殷に付いての 投稿者:安部奈亮  投稿日:12月19日(木)12時32分31秒

本を読んでいます。

知れば知るほど、商(殷)というのは古代の日本に似ています。特に大和朝廷に似ています。
古代の日本と言うのは、我々が信じているような世界とは全然違う物だったのかもしれないですね。

この感じだと、神武天皇はもしかしたら漢字が読み書きできたかもしれないと思うようになりました。天皇家が商の人間だとまでは言いませんが、商の文化を身につけた人間はかなり古くから、大勢日本に渡っていたのは間違いなさそうです。

5世紀、6世紀になって日本は漢字などの中国の文化をとり入れたと言われていますけれども、これも全く何もないところから中国の文化をとり入れたのではなく、西漢(前漢)の頃までの中国の文化を既に日本人は身につけて(と言うより元々持っていて)、五胡十六国、南北朝の時代に中国はがらりと変わってしまったので、新しい中国の文化をとり入れるためだったのかもしれないですね。



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きんたろうさん 投稿者:大三元  投稿日:12月19日(木)11時52分00秒

高志
  深江
>こしという言葉がこんなに奥が深いとは思いもしませんでした、笑

国造本紀によると第10代崇神の時に、道君同祖 素都乃奈美留命 を
『高志深江』の国造に任じた、なんてありますから、高志は深えのですね。爆



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越か古志 投稿者:太田守人  投稿日:12月19日(木)08時24分01秒

私は越が正解だったと思っています。越は越の遺民団が建てたくにだ。という森浩一氏の説に魅力を感じていますので・・・。古志は、万葉仮名のように思っています。ただ、富山は古志が多いです。道君にしても、石川県では未知君、美知君なんて書いたりします。私は、道君は交通路を押えていたので、道君だと思っています。まあ、実体がようわからないから、未知君でもいいと思いますが。



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こし 投稿者:きんたろう  投稿日:12月19日(木)05時10分00秒

という言葉がこんなに奥が深いとは思いもしませんでした、笑
高志とも書いたようですね??

高橋尚子さんもあの付近だったのですね。
と言うことはノーベル賞に限らず世界的な人材を派出している地域ですよね。
その原因はブリをたくさん食べていたから??^^なのでしょうか、笑

ところでお嫁に行くことを「こしいれ」と言いますが太田さんは何か関係があると思いますか??^^
ひょっとしたら安部さんはタンゴを踊れるのですか??笑
私は当然ですが出来ません、^^;;

若菜はこんにゃく打法でしたから勇者ロトさんの言われるように参考に出来ないと思います(;^_^A)

おお、大三元さんは来年のノーベル賞受賞者と飲んできたのですか!!
それもブリ街道の法則が成立するとはますます可能性が高そうですね^^
それにしても6台ものPCを駆使していたとは知りませんでしたv(^o^)



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北陸で 投稿者:太田守人  投稿日:12月18日(水)12時37分14秒

今コシという言葉を、北陸で最もよく使っているのは、富山県です。古志も越も使います。特に、富山市では、よくコシという看板があります。



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きんたろうさん 投稿者:太田守人  投稿日:12月18日(水)09時11分56秒

マラソンの高橋尚子さんも、この41号線周辺の出身のはずです。ノーベル賞受賞者の白川教授と、この高橋尚子さんが親戚だったとか・・・。



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もろもろ 投稿者:大三元  投稿日:12月17日(火)23時02分21秒

腰に若さがない、これは古来問題ですねぇ。。。なんのことやら
名古屋市在住の来年ノーベル賞受賞候補と飲んできました。そろそろ受賞しても良いタイミング。ブリ出世街道も、その裏付けにあと一歩。
家庭LANというなら我が家は4台が有線接続、二台が無線でつながってます、エヘン。
うううぃっ!



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えっということは 投稿者:勇者ロト  投稿日:12月17日(火)22時26分16秒

コーチは若菜には無理?

http://www.cam.hi-ho.ne.jp/sakura-komichi/bbs/index.shtml



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腰に若さがないならば 投稿者:安部奈亮  投稿日:12月17日(火)22時15分37秒

タンゴで若さを取り戻そう。

・・・あんまし面白くないですね。



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Mayoさん 投稿者:きんたろう  投稿日:12月17日(火)21時10分57秒

パソコンは道具なんですが色々といじるのもまた楽しいところがありますよね。
もっとも私の場合は突然の出来事であり全く予期していませんでした。
必要があればマニュアルを読むのは苦ではないのですが。。。
でも本当に久しぶりにPC関係の用語を見ても殆ど忘れている自分がいました^^;;

太田さん
今朝のラジオで聞いたのですが、富山県から岐阜県を経て名古屋に至る国道41??号線は通称ブリ街道と呼ばれているそうですね。
このブリ街道は出世魚のブリに因んでノーベル賞街道とも呼ばれ始まったようです。

富山県出身者の田中さんから始まってノーベル賞受賞者が5人もこの街道の近くに関係があるというらしいのですが。。。
ぼっーとしながら聞いていたのでこの位しか分かりません、笑
でも富山県のブリの話題としてはジャストタイミングの話題だと思いました。
さすがに出世魚「ブリ」を食べている地域の人はひと味ちがうのかも??
それにしてもブリ街道と呼ばれていたという事は富山はブリの水揚げが昔から群を抜いて多かったのでしょうね。

大三元さん
なるほど(^o^)
若狭も古志も土地勘がないので実のところ良く分かりません(;^_^A)

勇者ロトさん
腰に若さがないのは私です、自爆
今日も帰りに接骨院に寄ってきました、さらなる自爆、笑



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えっ? 投稿者:勇者ロト  投稿日:12月17日(火)18時34分05秒

腰に若さがないんですか?

http://www.cam.hi-ho.ne.jp/sakura-komichi/bbs/index.shtml



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古志に 投稿者:太田守人  投稿日:12月17日(火)16時29分19秒

若狭はダメですか?



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きんたろうさん 投稿者:大三元  投稿日:12月17日(火)14時21分54秒

#越の国の境界を越えて更に北は北門と呼ばれていたのですか!!

いや、私説ですから、、、不用意に他人に言ってもダメですよ、(^_^;)
越の範囲ですが、若狭はどうですかねぇ?
允恭天皇時代には若狭国造が任命されてる、と国造本紀は書いてますが。
もっと昔は、ここも古志か??



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能登の地位 投稿者:太田守人  投稿日:12月17日(火)13時07分18秒

能登の地位が、格段に低くなったのは、藩政時代からです。徳川幕府は、米の取れ高で、全国を画一化しました。これ以降です。ちなみに、藩政時代能登には、長という殿様がいましたが、いまで言うところの倒産しました。そこで、徳川幕府は、前田家に吸収合併させます。このお陰で、前田家は、能登からの実入りより、持ち出しの方が大きくなったそうです。ただ、能登は北前船の船員が多かったので、教育水準は高かったようです。今でも、能登の門前町黒島と言うところは、男は船員が多く、年寄りと女が多い地区だそです。



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家庭内LAN 投稿者:Mayo  投稿日:12月17日(火)00時20分03秒

きんたろうさん皆さんお久しぶりです。
うちも今日からフレッツADSLモア12Mにしました。
速度は1.5M時代に比べ倍くらいしか速くなってないけど、
やっぱ新しい回線で繋ぐって気分がいいですね。

きんたろうさんは家庭内LANを構築したそうですね。
しかも無線LANで、
うちも最近ネットにつながるパソが2台になったので
無線LANも考えてま〜す。

http://happystr.vis.ne.jp/



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大三元さん 投稿者:きんたろう  投稿日:12月16日(月)21時49分34秒

お褒めいただいてありがとうございます^^

越の国の境界を越えて更に北は北門と呼ばれていたのですか!!
なるほどと思いました。
ますます楽しみにしています。

私も漠然とですが越について太田さんの考えている範囲と同じイメージを持っています。
能登の特徴は「半島」にあると思っています。
つまり陸路だけから考えると僻地なのですが中継地点である「島」と考えるとこの場所の持つ意味合いは全く変わってくるのではないでしょうか??

日本人が海洋民族から農耕民族へと変化を遂げて行くにつれて能登の持つ重要さが低下していったのではないでしょうか??
何しろ古代の日本とは海岸線付近だけが住居であったようなものですから内陸部へと開墾が進むにつれてずいぶん変わっていったような気がしています。

安部さん
確かに面白いです、笑
それにしてもこの様な笑える映像を作れる人はすごいですね。
感心しました^^



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アホな映像 投稿者:安部奈亮  投稿日:12月16日(月)12時46分38秒

こんなのはいかが?

番町FightersU
http://upm.hp.infoseek.co.jp/kiyohara1.swf
http://upm.hp.infoseek.co.jp/kiyohara2.swf
http://upm.hp.infoseek.co.jp/kiyohara4.swf
http://upm.hp.infoseek.co.jp/kiyohara7.swf
http://upm.hp.infoseek.co.jp/kiyohara10.swf
http://upm.hp.infoseek.co.jp/kiyohara8.swf
http://upm.hp.infoseek.co.jp/kiyohara5.swf



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越 投稿者:太田守人  投稿日:12月16日(月)12時42分29秒

私は、若狭、越前、加賀、能登、越中から糸魚川あたりだと思っていますが、いかがでしょうか?
ただ、能登は羽咋から金沢よりの志雄町に、散田金谷古墳があり、羽咋から七尾よりの鹿西町に雨の宮古墳群という古墳が有りますが、古墳前期には、志雄町の豪族が鹿西町の豪族を臣下にしていたが、古墳時代末期には立場が逆転したそうです。また、石川県は加賀は出雲の影響が多いが、能登は,出雲より大和の影響が多いそうです。また、加賀は、加賀の潜戸で有名な地域の人が、移住したので、加賀という国名になったという説もあります。雨の宮古墳群は、斉明朝の時、阿部比羅夫に従軍し、粛慎と戦い戦死した、能登臣一族の墓だろうと言われています。私は、能登は古代にあっては、加賀より裕福だったと思っています。七尾市万行で、今年万行遺跡という、古墳時代の一大倉庫群が出土しました。これは、日本で出土した倉庫群遺跡としては最大で、越若しくは大和朝廷の一大物流センターだったと言われています。能登は、中継貿易で栄えたのではないでしょうか?貿易立国は、社会の流れに敏感でなければならないと思います。大和朝廷が、力を持つにつれ、出雲を捨て大和に乗り換えていったのが、古代能登だったと思っています。羽咋は、オオクニヌシの猟犬が、鳥の羽根を咥えていたことが、羽咋の語源ですし、羽咋にある、気多大社(能登一ノ宮と言います。)はオオクニヌシをご神体としていますので、出雲の影響下にあったと思います。ちなみに、能登の国分寺は、この能登臣が氏寺を寄進し、それが国分寺になりました。これに対し、加賀は道君という豪族が欽明天皇の時代に、高句麗から天皇に当てた貢物を、ポッケに入れたとあります。金沢の隣町の野々市に末松廃寺という,寺院遺跡がありますが、これが道君の氏寺だと言われていますが、この周辺には大きな古墳がありませんが、金沢周辺にいた古代人は、古墳を作るより、山や丘に遺体を埋めていたようです。時々、近くの丘陵を土木工事で掘った時に、古代人の墓が出ます。また、金沢の三牛路(みつこうじ)という丘陵から、山岳信仰の遺跡が出てきました。この遺跡は、最古でないにしても結構古い方に属するそうで、まだ、越の国といわれていた時代のものだそうです。私は、金沢周辺にいた民族は、騎馬民族でなかったかと思っています。騎馬民族の特徴として、墓を隠しますから。また、山岳信仰も騎馬民族の特徴のように思います。
このように、先行していた騎馬民族を、後発の海洋民族が傘下に納め、混血していったのが、日本人のように思っています。



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越の範囲 投稿者:大三元  投稿日:12月15日(日)23時23分09秒

きんたろうさん said:
「個人的には「越」は糸魚川くらいまでが元々の「越」であって「越後」とは越の国の更に向こうにあるという認識ではなかったのかという気持ちがあるのですが。。。笑」

鋭いですねぇ! 勿論越後などと呼んだのは後世のことでしょうが、越の範囲が糸魚川(姫川、ヌナカハ)を含むか含まないか揺れていた、という前提が必要なんですが、それより北が「北門」(国引きで云う所の)なのではないか、と提案しています。



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