過去ログ182(2003年〜1月8日)


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太平記 投稿者:きんたろう  投稿日: 1月 8日(水)22時05分57秒

の軍勢の大きさがピンぼけなのは私も輔住さんと同意見です。

ふと思ったというかトンデモなんですが。。。
ひょっとしたらこの人員というのは「延べ人数」ではないでしょうか??笑
延べ人数説というのは私は今まで聞いたことがありません。
でも延べ人数なら1万人の兵が100日陣を敷けば100万人になりますから。。。ね(;^_^A)

これはピラミッドとかお城、あるいは前方後円墳などを造るのに、よく延べ人数は○○万人であると言われているところからの発想です^^



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初期天皇后妃の謎 投稿者:きんたろう  投稿日: 1月 8日(水)21時47分54秒

大三元さん、待っていましたv(^o^)
いよいよ発売ですね。

早速予約を入れてきました。
本が届くのを今から楽しみにしています。

皆さんもすぐ予約を入れて下さいねv(^o^)



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太田さん 投稿者:きんたろう  投稿日: 1月 8日(水)21時46分07秒

の書かれているような逸話はもっと多くの人に知って欲しいと思いました。
半世紀をみても日本人の殆どは平和愛好者だなぁと思います。
これは島国という地理的環境に裏打ちされた歴史と穀物ばかりを食べてきた草食動物としての特徴そのものではないでしょうか。

これが地球上に日本しか存在しないのであれば話は違うのですが、現代のように複雑な環境の中では善人とは愚か者であるという言葉と同義語になる可能性を比定できません。

今の子供達の未来に対して責任を感じない人は人間失格だと思っています。
韓国のようにトンデモ説の歴史を子供達に教えるのは問題外ですが、生存権とは難破した船では自分の命を最優先することが出来るという点からみるとある程度理解できるものがあります。

でもそのために日本の生存を侵すのであれば毅然として対処すべきであると考えます。
良いこともあれば悪いこともあるのが人間ですが、捏造してまで暗黒面を子供達に刷り込みさせようとするのは壊れた人間の所行だと思います。



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怨霊 投稿者:きんたろう  投稿日: 1月 8日(水)21時45分23秒

信仰的には善悪は関係がないのですね(^o^)
さすがは勇者ロトさんです。

これは現代史でもそうかもしれませんよね。
靖国神社を何故か毛嫌いしている人達の思惑通りに進むと、ここに祀られている方達が怨霊となってしまうのではないかと心配しています。

高師直は乱暴狼藉の極みのようなイメージを持たれていますからさぞかし吉良も迷惑に思ったでしょうね^^;;
でも実力がないにも拘わらずプライドだけの公家に対して好感を持てるかと言えばそうでもありません。



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兄の 投稿者:きんたろう  投稿日: 1月 8日(水)21時41分45秒

尊氏は武勇に優れ弟の直義は知略に優れていたと言われていますよね。
足利兄弟は二人で一人だと言った人もいたと思います。

巨大な前政権を打倒するために絶妙のチームワークを誇っていたこの兄弟であっても政権に着くと同時に今度は骨肉の争いがあったということなのですね。
これは歴史にはよくある話というか必然の現象のように思っています。

鎌倉幕府を作り上げた頼朝と義経の兄弟も同じような天分を持った兄弟ですよね。
鎌倉幕府の場合だと戦闘に関しては超天才である弟の義経は滅亡しています。
一方、室町幕府成立の場合をみると戦闘と政治の才能が頼朝兄弟とは正反対になっていることに気が付くと思います。
東国の鎌倉から西国(というか中央??)の京都に幕府を開いたこともそうですが、室町幕府とは鎌倉幕府の鏡合わせのようなよく似ているのにことごとく逆になっているような感じを持っています。

鎌倉幕府における兄頼朝の能力を室町幕府の場合は弟の直義が備えているというのはなかなか興味深い点だと思います。
そして悲劇の武将として大人気の義経の資質に近いものを持っている人物が尊氏であるというように正反対であるのは本当に偶然なのでしょうか??
その上、戦いの天才である兄の尊氏が政権をとるというストーリーはまるで鎌倉幕府成立の反対の様子を指し示しているかのような気がします。

室町幕府が鎌倉幕府のアンチテーゼ(のようなもの??)として成立したという事は、ひょっとしたら足利兄弟の天分について頼朝と義経兄弟の様子を裏返したものではないかとふと思いました(^o^)



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赤穂浪士 投稿者:きんたろう  投稿日: 1月 8日(水)21時39分22秒

討ち入り事件がどうして半世紀も経ってから大人気になったのか、その理由をこれまでの地道な営業努力の成果であるからだと結論付けてしまうのではやはり面白くないですよね、^^;;
勿論、浄瑠璃などで上演を続けていたからには営業の成果を無視するわけにはいかないと思いますが。。。

飢饉が続いたり天変地異が続いたりした悲惨な状況を過去の怨霊の及ぼした(と思われる??)影響の例と比べても遜色がないと判断されたためなのでしょうか??

吉宗が名君だと言われるのは、過去へ逆行するかのような農本主義を推し進めた事は現代からみると愚かな政策であると言えるような気がします。
しかし、吉宗は周りに質素倹約を強要しましたが彼自身も先頭を切って質素な生活を続けています。
このような行動を取っていたからこそ吉宗を責める声がないのだろうと思います。
もし家臣にのみ質素な生活を強要して自らが贅沢三昧な生活を続けたとしたら、とても歴史に支持される事はなかったと思っています。
この辺りの言行一致は安部さんの言われる公正に繋がると思いました。
編集済



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南北朝時代も 投稿者:輔住  投稿日: 1月 8日(水)20時11分41秒

登場人物は多いから、「太平記」でスポットが当たった人物や
当たらなかった人物がいても無理はないと思います。

あと「太平記」で困るのは軍勢の数ですか(笑)
50万とかが当然のように出てきますから。後の関ヶ原や大坂の陣で
両軍足しても、その半分だっていかないのに!



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新著・宣伝 投稿者:大三元  投稿日: 1月 8日(水)11時45分35秒

今年もよろしく。お言葉に甘えて宣伝に来ました

『初期天皇后妃の謎』
−欠史八代、失われた伝承の復元−
二月上旬刊行予定

予約販売開始しました。

http://www.dai3gen.net/

からお越し下さい。



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思うのですが 投稿者:安部奈亮  投稿日: 1月 8日(水)09時34分38秒

南北朝時代のことを太平記だけで理解しようとするのは良くなさそうですね。

「太平記」は、直義が死ぬまでは怨霊の話も出てこないし、南朝のこと北朝のこともわりと公平に見ているといわれているのですが、こう見てみると、高師直の活躍がなかったり、細川氏や畠山氏や山名氏が丸っきり無視されていたりと、全然公平な資料ではないようです。

公平なように見せて、その実歴史を消極的なかっこうで捏造している「太平記」はなかなかの作品なのかもしれません(笑)
編集済



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みのるさん 投稿者:きんたろう  投稿日: 1月 8日(水)06時16分24秒

お父さんを病院に連れて行かれたのは正確な判断だったと思います。
早く回復されるといいですよね。



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あれは本当に住民なのでしょうか? 投稿者:安部奈亮  投稿日: 1月 7日(火)20時49分23秒

滋賀県の豊郷小学校の騒動を見て思うのですが,小学校に立てこもっている連中は本当にあの町の住人なのでしょうか?

自分の子供や孫が勉強する場所で新学期が始まっても立てこもるような真似は普通はしないと思います。普通の住民なら,保存よりも騒動で子供に影響が出ることの方を心配するはず。

あの町長も胡散臭いですが,「住民グループ」も同じくらい胡散臭い。



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高師直が悪役扱いされている理由 投稿者:安部奈亮  投稿日: 1月 7日(火)15時08分40秒

これは,「太平記」の前半部を作ったのが足利直義かあるいはその縁者だったらしいからでしょう。

直義と高師直は政敵で,直義が鎌倉武士団と京都の権門勢家の利害を代表し,高師直が西国の武士や悪党の利害を代表していました。両社の利害は鋭く対立し,観応の擾乱を招き,一時期治まっていた戦乱が再燃してしまいます。南朝と北朝の戦いは尊氏が西国から再起したときに決していて,その後は室町幕府内部の内ゲバなんですね(北畠顕家の西上というエピソードはあったにしても)

「太平記」というのは実は4つくらいに分けることができて,
第一部で 北条氏が何故滅んだかを説明し,
第二部で 建武の新政が非現実的な政治を行い、後醍醐天皇が新田義貞にそそのかされて、足利尊氏がやむなく反旗を翻さざるを得なかったことを説明し
第三部で 高師直をはじめとする傍若無人な悪党を直義が粛清しようとして観応の擾乱が始まってしまうことを説明
第四部は 特に筋がなく,小競り合いを記録するだけ

という形になっています。「太平記」では足利尊氏は人が良くて優柔不断で,決定はほとんど足利直義の助言によってなされたかのように描かれています。だから直義の不倶戴天の敵の高師直は必要以上に悪く書かれているのでしょうね。


第一部と第二部では高師直はほとんど出てきません。室町幕府を作ったのは足利直義なんだといいたいわけです。
第三部ではなぜか斯波氏の行動が詳しく描かれています。それどころか斯波高経は「太平記」では途中まで「足利高経」と表記されています。高経の四男の義将も大して活躍したわけでもないのに出てきます。13歳の義将が長男の戦士によって嫡男になるエピソードが脈絡なく出て来る(と思う,記憶曖昧)。斯波氏は,源氏における足利家と同じように,足利氏の中では2番目の地位にあったのですが,観応の擾乱で直義側についたために尊氏ににらまれて細川や畠山といった二流三流の御家人と同列に下げられてしまいました。

それに対して、後の繁栄からして南北朝時代にも大きな役割を果たしたに違いない細川氏が「太平記」では丸っきり無視されています。最後だけ付け足しのように細川頼之を持ち上げているのですが…

と言うわけで,私は「太平記」はまず初めに直義の時に大筋が作られて,直義の死によって一次中断し,康暦の政変(1378)によって、斯波氏が細川氏を失脚させて斯波氏の天下が来た時に斯波義将によって完成したのではないかと考えます。第四部の時代は斯波氏が没落し,細川氏が台頭した時期ですから意図的に無視されたのでしょう。あるいは第四部を書いたのはどうも貴族のようなので(明らかな「平家物語」のパクリの部分もあるし)、第四部だけは公家の日記か何かで誤魔化したのかもしれません。

新田氏が詳しく悪く書かれているのも,斯波氏は南北朝の戦いで新田氏と北陸の覇権を争ったからでしょう。
編集済



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赤穂浪士の側からすると 投稿者:安部奈亮  投稿日: 1月 7日(火)14時54分24秒

もし,江戸城松の廊下での事件が,浅野矩長の突発的な発狂から起きたのだとすると,赤穂の立場で考えれば,主君の急な発狂が信じられないわけですよね,

ちゃんと謝礼も出して,儀式もつつがなく進行していたはずなのに,主君は吉良義央に斬り付けた,

赤穂浪士の側からすれば,吉良義央や幕府の裁定を疑うしか気持ちのもって行き所がありません。赤穂浪士は「主君は何も間違いがなかったのに切腹させられて,さらに不公平な幕府の裁定で藩は取り潰された,きっと主君は恨みを晴らせずにいるに違いない」と信じ込んだはず。

赤穂浪士の起した異常な行動を理解するためにも、やはり松の廊下での事件は全く理由がない突発的な発狂と考えた方が良さそうです。


浅野矩長が発狂していたことを彼本人以外誰も知らなかったことがこの事件の全ての原因のような気がします。
編集済



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ちなみに 投稿者:勇者ロト  投稿日: 1月 7日(火)13時15分00秒

内匠頭は出雲の塩冶判官高貞に仮託されています。
下記は塩冶氏系図。

仮名手本忠臣蔵の脚本家の一人に竹田出雲がいます。
出雲の国と直接の関係はなさそうですが(笑)

こっちは竹田出雲について

http://www.topics.or.jp/jyoruri/page8.html

まあ出雲繋がりということで(笑)

http://www2.harimaya.com/sengoku/html/enya_k.html



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マキン・タワラ 投稿者:太田守人  投稿日: 1月 7日(火)13時01分36秒

この前、学徒出陣で海軍士官になり、マキン・タラワの玉砕寸前に転勤で生き残った人の話を聞きました。この人は、戦後アメリカのマキン・タラワ戦の戦闘詳報を読んで,驚いたことがあったそうです。それは、椰子の木の上から日本軍は狙撃してきた。このため、椰子の木を1本1本切り倒さなければならなかったとあったそうです。この人は、アメリカ上陸間際に、現地人が俺たちも戦わせてくれと言ってきたそうで、それを断るのに難渋したそうです。現地人に理由を聞いたら、「イギリス人は、俺たちを犬のように鞭打ったが、あなたがたは俺たちを人間として扱ってくれた。だから、戦いたいんだ。」と答えたそうです。そこで、司令官に相談したところ、「じゃ、椰子の木から、アメリカ軍を狙撃できないだろうか?登り方を習ったらどうだ。」と言われ習いだしたが、日本人は誰一人として登れなかったそうです。そこで、この人は、椰子の木の上から狙撃したのは、現地人に違いない。多分、戦死した日本兵の銃でアメリカ軍を狙撃したのだろうと、胸が熱くなったそうです。ちなみに、このマキン・タワラは、アメリカ軍に大出血をしいた島として、硫黄島守備隊の手本となった島でした。ここの、守備隊司令官は、柴崎という海軍少将でした。



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怨霊信仰的には 投稿者:勇者ロト  投稿日: 1月 7日(火)13時00分35秒

内匠頭自体は「善」でも「悪」でもどっちでもいいんですよね。

主君に義を立てるという「大義名分」を以って討ち入った赤穂浪士を「善」として祭り上げるということが一義的問題、その忠義の対象である内匠頭は赤穂浪士を善としたため付属的に「善」化してしまった。ですから、吉良に馬鹿にされた理由とかいうのは、きんたろうさんのおっしゃっるようにアトヅケの当時の推理なのかもしれませんね。

何故、赤穂浪士が討ち入りを決断したのか?という場面で考えると、大石らが内匠頭の怨霊を畏れたためだった、というようなことはなかったのかな?とも思います。

高師直に仮託されていたのでしたよね?吉良は。

高師直は、大河で柄本明が演じていましたが、他人の嫁さんに手を出したり、兼好法師にラブレターを書かせたり、クーデターまで起こしたり、教科書では主君足利尊氏を騙ったり(爆)、とかいう傍若無人な一面を持ち合わせていた人物ですよね?浄瑠璃で高師直に仮託されてしまったのでより「悪化」が進んでしまったのかもしれませんね。



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みのるさん 投稿者:太田守人  投稿日: 1月 7日(火)08時29分09秒

お父様大変ですね。お大事に。



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父倒れる 投稿者:みのる  投稿日: 1月 7日(火)06時12分11秒

年末から肌に発疹が出来始め、正月にいたり全身がシーラカンスの鱗
状態となり、気分も朦朧とし、たまりかねて
東京女子医大の救命センターに連れて行きました。
診断は全治3ヶ月でした。



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前回 投稿者:きんたろう  投稿日: 1月 6日(月)23時18分03秒

の書き込みで浅野家江戸家老が鰹節などを贈り物にしたのか一番アホではないかと書きましたが、でも浅野家が先生役の吉良に十分なお礼をした可能性は確かにありますよね。

しかしそれでも事件は起こってしまった。。。
そこで浅野内匠頭を善人にするためにこの様な方便を思いついたのかもしれませんよね。
これは明智光秀が本能寺を起こした動機として考え出された「家康接待の失敗」のようなものですね^^

赤穂浪士の事件が大きく取り上げられたのは天変地異のおかげというのはなるほどと思いました。
このパターンは怨霊と思われた菅原道真などのパターンにもよく似ているような感じがしました。
人は不幸が連続して起こると「祟り神」のせいだと感じるものなのは江戸時代も同じなのでしょうね。
祟り神、すなわち怨霊が特定されればこれを拝んで成仏(という言葉はこの場合は変ですね^^;;)して下さいと願うのは当時の心理としてはあり得ると思いました。

それにしても仮名手本忠臣蔵は背景を太平記の時代に置きかえて描かれたとありますが基本的ストーリーに違いが無く出来たという事は同様の事件があったという事なのでしょうか??

浅野内匠頭は塩冶判官、吉良上野介は高師直、大石内蔵助は大星由良之助という役名で登場するようですね。
判官の妻に対する高師直の横恋慕に始まって判官の刃傷、由良之助の苦衷があり、仇討本懐を主筋としてこれに判官の家来早野勘平と腰元お軽の恋の恋などを挿入しているとありますが。。。

ルーツを見て思ったのですが、浪士となっても討ち入りをするというのは茨城県人気質に近いものがあるような気がしています、笑



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なるほど 投稿者:きんたろう  投稿日: 1月 6日(月)23時16分29秒

さすがに安部さんですね^^
仏教用語だったのですか!!
仏教用語から取ったものとは考えもしませんでした。

確かに勇者ロトさんの言われるように、12月14日の行為を何度も再現するというのは正に神事そのものですよね。

それで広辞苑で蔵を引いてみると以下のような意味もありました^^
(「蔵」と書く) 歌舞伎などで、興行の不成立をいう隠語。おくら。
これは忠臣蔵が最初はあまり人気がなかったという意味なのかな??とふと思ってしまいました、笑

江戸初期の討ち入りとしては浄瑠璃坂の仇討ちが赤穂浪士の30年くらい前に起こっています。
この仇討ちも忠臣蔵と同じ規模の40人以上が討ち入りをしていますが登場人物がほとんど奥平のために分かりづらいようですね。
奥平というくらいですから長篠城の奥平の縁者だと思うのですが。。。
調べてないので良く分かりません^^;;



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太田さん 投稿者:きんたろう  投稿日: 1月 6日(月)23時15分50秒

新年おめでとうございます。
今年もよろしくお願いします^^

金沢は一晩で30センチの積雪ですか!!
さすがに積雪量がこちらとは違いますよね。
でも北関東は雪は無くてもものすごく寒いです、(;^_^A)

確かに第二次世界大戦前の日本人の命は今から考えればとても安いものだったと思います。
これは国民皆兵制度により兵隊の補充がタダであると勘違いをした軍の愚かさも大きな要因だと思っています。
バランスシートを理解する能力は戦国大名の方が遙かに上だったとつくづく思います。
何というか公務員が予算会計におんぶして国の赤字をどんどん作っている現代の状況も根本は同じようなものなのかも知れません。



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赤穂浪士のルーツ? 投稿者:勇者ロト  投稿日: 1月 6日(月)17時37分03秒

おもしろいページをみつけました(笑)
下記です。

http://www.117.ne.jp/~akorosi/gisinews01/news012.htm



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近松の碁盤太平記 投稿者:勇者ロト  投稿日: 1月 6日(月)17時11分43秒

というのが、赤穂事件の5年後くらいに上演されています。
大石は「大星由良之助」で、太平記の時代に仮託されていますね。

後の仮名手本忠臣蔵も鎌倉時代の話に擬されているようです。これは47年後の上演。

刃傷事件が1701、

討ち入りが1702、

碁盤上演が1706

富士山噴火が1707

綱吉死去が1709

養子家宣死去が1712

絵島事件が1714

家継死去が1716

で、紀州から暴れんぼう将軍が登場。

不吉の連続ですね。



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私も 投稿者:太田守人  投稿日: 1月 6日(月)17時04分51秒

安部さんのご意見に賛成です。吉良が、忠臣蔵最大の被害者だと思います。高家の吉良は、浅野が勅使接待にミスると、自分も腹を切らねばならないと思います。贈り物が、どんなものであれ、吉良は全力で教えなければならない立場でしょう。ただ、浅野矩長は、我儘なお坊ちゃんだったと思います。そうでなければ、殿中で刃傷を起こせばどうなるかは分かると思います。もし、吉良が虐めたとすれば、憶えが悪いので叱ったのではないでしょうか?それを、あんまり叱られたことのない、ボンボンの浅野矩長は虐められたと曲解した。このあたりが、殿中松の廊下の真実のように思います。



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そして忠臣蔵というのは 投稿者:安部奈亮  投稿日: 1月 6日(月)16時57分53秒

下の書き込みの順番を丸っきり逆にしたのではないでしょうか。

それで、まるっきりの嘘の方が真相にされてしまった。

これ田沼意次と水野忠邦が悪人扱いされたのと同じ構図なんですよね。
田沼にしても水野にしても別に悪いことはしていない。水野忠邦が出した倹約令だって,江戸っ子が茶化しているだけで,幕府が庶民にそれほどきつい禁令は出せないはず。この2人が悪者扱いされたのは,その時期に天明の飢饉と天保の飢饉が起きて,その責任を2人の個人的素質にされてしまったからです。

ただ、徳川吉宗の時にも天災が起きて、物価上昇で庶民の生活が苦しくなったはずなのに悪者扱いされていないのは解せない所がないではありません。記録が残っていないだけかもしれません。

あるいは,前の2人と吉宗の違いは「公正」であるかどうかかもしれません。
田沼がいろいろな利権にかこつけて私腹を肥やしていたのはまあある程度は事実でしょう。水野は,大阪町奉行の弟を使って裏金作りをしていました(大塩平八郎はそれを内部告発しようとして罷免されて乱を起こす、これも怨霊ですね)。吉宗の政策というのは武家本位で、町人に強い犠牲を強いたのですが、法律を整備したり、自分も質素な生活をするなど公正な態度を示したのが好感が持たれた理由でしょうか。



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順番としては 投稿者:安部奈亮  投稿日: 1月 6日(月)16時47分55秒

赤穂事件は,最初は庶民にとっては武家同士の不祥事に過ぎなかったけれど,その後で天変地異が起きて,悪将軍の綱吉が死んだことによって,赤穂浪士は理由無くして殺された怨霊と言うことになった。

と言うことは,赤穂浪士が正しくて幕府と吉良義央が間違っていなければならない。
赤穂浪士が正しい以上は,浅野匠の上も正しかったに違いない。
正しいはずの浅野矩長が無謀なことをしたのだから、吉良はよっぽど悪い奴だったのだろう。
悪い奴ってどんな奴だろう?きっと賄賂でも強要して,もらえなかったから浅野矩長をいじめたんだ!

そもそも浅野家が出した賄賂(江戸時代の武家の間の賄賂は謝礼と区別がつけずらいのですが…)が少なかったと言うのから捏造ではないでしょうか?浅野家もちゃんと吉良家に謝礼を出して,吉良義央も浅野矩長にちゃんと儀礼を教えていた。

そこに,代々精神異常のケがある浅野矩長(叔父が一人やはり殿中で刃傷沙汰を起こしている)がストレスのあまり,全く理由無くして発狂して吉良義央に切りつけた。

完全に浅野矩長個人の問題で,吉良義央も浅野家にも全く落ち度のない不慮の事故だったのではないでしょうか?



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富士山が 投稿者:安部奈亮  投稿日: 1月 6日(月)13時22分46秒

噴火して綱吉は病気になって死にましたね。

全然根拠は無いけれど,
赤穂事件は,初めの浅野匠の上の乱心と赤穂藩の取り潰し,それに,吉良邸討ち入りから赤穂浪士の処罰まではそれほど世相を賑わすことも無かったそうです。赤穂事件が脚光を浴びるのは,その50年後に浄瑠璃の仮名手本忠臣蔵が上演されてからなのですが,もしかしたら、宝永の噴火が起きて、綱吉が死んだことによって,赤穂浪士は正義の怨霊と言うことになって庶民に慕われるようになったのかもしれないですね。

これはいいな,井沢先生のところへ投稿してこようかな(笑)きっと逆説の日本史に採用されるぞ。
編集済



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怨霊は蔵へ・・・。 投稿者:勇者ロト  投稿日: 1月 6日(月)12時43分17秒

祭り上げて仕舞い(しまい=片付け)ましょう。ってことだったりして。
わざわざ神殿を造るのはなんだかなぁということで・・・・・・・。
史実かどうかは知らないけども、ドラマなんかでは吉良は蔵で斬られたことになってますよね。

吉良の怨霊が出るっていう事よりも赤穂浪士の怨霊が出るって事のほうが当時の人達にとってはリアルで共感できるモノだったのかな?

いや?赤穂浪士の怨霊を鎮魂し神格化すれば、たとえ吉良の怨霊が出ても赤穂浪士の怨霊(神)が、それを懲伏できる。

吉良の怨霊を鎮魂すれば赤穂浪士の怨霊は何時までも騒がしいってことになる。何しろ現世で吉良はやられちゃってるし、怨霊になっても赤穂浪士の怨霊の方がより強い怨念を持っているということにならないかな?

もし、そういう考えがなりたつなら、赤穂浪士の怨霊を鎮めるってことは合理的だ。

討ち入りの処罰後、幕府に何か不吉なことでも起こっていたら、どちらの怨霊として認識されるか?ってことの方が大事なのでしょうね。赤穂浪士を処罰して殺したのは幕府なんだし。

この後って何か幕府にとっての大事件が起こりましたっけ?元気だった将軍様が突然死するとか。関東で飢饉が起こるとか、疫病が流行るとか?
編集済

http://www.cam.hi-ho.ne.jp/sakura-komichi/bbs/index.shtml



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忠臣蔵 投稿者:勇者ロト  投稿日: 1月 6日(月)12時40分36秒

これって、赤穂浪士の怨霊への神事って感じもしますね。
毎年同じ日に討ち入りの様子を真似て行列する・・・・・・・。
うーん神事だ。



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杉野兵曹長 投稿者:太田守人  投稿日: 1月 6日(月)12時11分06秒

みのるさんの杉野やいずこ〜で。この杉野兵曹長は、実際は生きていて、故郷で英雄になっていたものだから、かえるに帰れず今の中国東北地方(旧満州)だったと思いますが、家庭を持ちそこで生きていたということが、昭和の初期言われたそうです。
日本軍には、戦陣訓というものがあり、生きて虜囚の辱めを得ずってのがありました。捕虜になったら、戸籍を抹消されたそうです。このため、太平洋戦争で捕虜になった日本兵は、故郷に帰れないということで、自暴自棄になり、戦略情報を簡単に洩らす上、はなはだしきに至っては、爆撃機に同乗し、戦略拠点を教えた日本人捕虜までいたそうです。連合軍は、万歳突撃や特攻をする日本兵が、捕虜になったとたん非常に協力的になる。このギャップに多いに戸惑ったそうです。
また、日本兵はこまめに日記をつけていたため、戦死した日本兵の日記も、アメリカ軍には非常に魅力的な情報源だったそうです。日本軍が、緒戦期驚いたのは、連合軍捕虜で士官や将校にはそんなのはいなかったが、下士官・兵に自分の名前すら書けないのが結構いたことだそうです。
ちなみに、この杉野兵曹長の長男は、江田島の海軍兵学校に入り、最後の戦艦長門の艦長になりました。この杉野大佐は、非常に優しい人で、旅順の海兵団長の時、ある美術学校から徴兵された新兵が、古参兵にいじめられ、神経症になった時、自分で油絵のセットを探し回り、買ってきて与えたことがあったそうです。また、長門艦長の時も、復員する乗員に、途中の食料と証して、米や缶詰、毛布や被服を持たせたそうで、これは、ばれれば連合軍から、戦犯指定は免れない行為だったそうで、ある意味非常に勇気のいった行為だったそうです。



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仏教用語の蔵 投稿者:安部奈亮  投稿日: 1月 6日(月)09時38分13秒

普段は表に出ていないけれど本来持っている性質で,なにかに応じて,なにかを生み出す働きのことを「蔵」と言うようです。



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蔵 投稿者:安部奈亮  投稿日: 1月 6日(月)09時35分35秒

よく分からないのですが、仏教用語の「蔵」ではないでしょうか?

三蔵とか如来蔵とか、性質とか本質とか言う意味だったと思うんですが…詳しくは分かりません。



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謹賀新年 投稿者:太田守人  投稿日: 1月 6日(月)08時11分31秒

きんたろうさん。皆さん、明けましておめでとうございます。金沢は、雪の中です。昨日は、一晩で、30cm積もりました。今年初の大雪警報でした。この雪がないと、夏水不足になるので、贅沢は言えませんが、一度雪のない冬を経験してみたいです。今年も、よろしくお願いします。



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ところで 投稿者:きんたろう  投稿日: 1月 5日(日)23時10分35秒

忠臣蔵の正式な意味とは一体どのようなものなのでしょうか??
忠臣「内蔵助」の略なのか、それとも浅野家には忠臣が一杯いた事を蔵に例えた事なのでしょうか??
でも蔵の中に必ず財宝が詰まっている訳ではないと思うのですが。。。??(;^_^A)



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kitunoさんおめでとうございます^^ 投稿者:きんたろう  投稿日: 1月 5日(日)18時46分08秒

今年の10時間ドラマは忠臣蔵でした。
途中から飲みに出かけてしまったのですがビデオには撮ってあります、笑
中村吉右衛門はとても「昼行灯」とは見えませんでしたが(^^;;)さすがに彼のような俳優が主役を演じるとそれだけでも見たい!!思ってしまいました。
ストーリー的には10時間で完結させるために講談的要素が強かったのがちょっぴり残念でしたが。。。
また、橋爪功の吉良役は昔の(と言っても実はよく知らないのですが)オーソドックスな悪役として見事だと思いました。

もっとも実際の吉良上野介は領地では名君だっと言われていたらしいですから、吉良が悪人というのは事実無根のように思います。

また浅野内匠頭は二枚目俳優が演じるのが定番になっていますが、いくら二枚目の俳優を使っても彼のアホさを打ち消すのはなかなか難しいですよね。
この人の愚かさは相当なものなのは改易という事実から見ても良く分かります。

でも一番のアホとは浅野家の江戸家老ではないか??と私は思っています。
采配とは殿様が細かく指示をするのではなく家臣の役目です。
ましてや赤穂浅野は塩田経営により石高以上に豊かだったわけです。
貧乏ならある程度仕方がない面もありますが豊かな家が当時の標準以上の豪華な贈り物をするのに何の躊躇があるのか良く分かりません。

吉良にしても浅野が先祖代々の仇敵であるわけではないのです。
もしお礼の品が鰹節などではなくびっくりするような豪華な品々だったとしたならば、その行為に対して心から感謝をして細心の心配りを持って供応役に対する指南をしたと思えるからです。

贈り物をすることは北条早雲もしていますし、信長が武田信玄に送った事例など色々あります。



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あけましておめでとうございます!! 投稿者:kituno  投稿日: 1月 5日(日)11時59分53秒

あけましておめでとうございます。^^

昨年のクリスマスに食べ過ぎまして^^;;胃炎を起こしてしまい、その後風邪も加わってちょっと悲惨な年末を過ごしてしまいました。

きんたろうさん、トピックに書き込みを続けて下さり、ありがとうございます。
この掲示板は、読んでいるだけでとても勉強になります。
今年もよろしくお願いします。



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勇者ロトさん 投稿者:きんたろう  投稿日: 1月 5日(日)09時27分16秒

おめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
ちびすけ怪獣まりこんを見ましたv(^o^)

輔住さん、雪を見ながらの正月はなかなかグッドですよね。
私のところでは年越しそばを買いすぎて元旦の夕食にもそばを食べました(;^_^A)

ぱんださん、おめでとうございます。
今年もものすごいソフトを作って下さいね^^

池内さん、年末の出張は大変でしたよね。
しかし、東京、四国、九州、関西と活動範囲が広いですね、驚きです^^

安部さん、おめでとうございます。
やはり帰省していたのですね。
正月くらいは家族で暮らしたいと思いますよね^^

鎌倉幕府の成立についての面白い発想を楽しみにしています。
鎌倉幕府と言えば関東武士団の成立と深くリンクしていますね。
独立地方豪族が京都と結びついて軍事貴族化していく様子の中でも、特に相模武士団が日本の歴史に与えたインパクトはものすごいのがありますよね。



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おめでとうございます^^ 投稿者:きんたろう  投稿日: 1月 5日(日)09時25分22秒

みのるさん、早速初詣に行かれたのですね。
確かに箱根駅伝であれほど雪が降ったのは久しぶりだと思います。
今年は大雪なのでしょうか??

ごうくんv(^o^)
おめでとうございます。
今年もよろしくお願いしますね。
業務連絡ですが(笑)、メルアドは以前と一緒ですか??

Toshyさん、またよろしくお願いしますね。
今年はますます飛翔を目指して頑張って下さいね。

武来人さん、おめでとうございます。
北朝鮮の状態とは現代の私達と同じ時間を有しているにも拘わらず、まるで壬生義子伝の様子とあまり変わらないのかなと思いました。

北朝鮮が出来るのは隠れて民間人を拉致するくらいのことですから正面切って日本に対して圧力をかけることなど出来る訳がないと考えています。
またあそこが崩壊したとしても多数を輸送する船舶を持っていないために万の単位で難民が押し寄せる可能性は極めて低いと思います。
それにあそこでは、日本を鬼畜であるかのように洗脳してきましたから、鬼の住む日本へ進路を取る人は結果的に低いものになるだろうと思うからです。

それでも小銃を装備した武装難民が日本海側に訪れる可能性を完全に否定できるものではありませんし、もし難民がやって来たとすれば人道的な立場からも対応する必要がありますから大変だという覚悟は必要だと思っています。
編集済



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紋次郎さん 投稿者:きんたろう  投稿日: 1月 5日(日)09時19分15秒

壬生義子伝についての書き込みを有難うございました。

壬生義子伝について新聞に書かれていたのは、貧乏な元南部藩士が家族に送金するために守銭奴と陰口をたたかれながらも懸命に生きた姿を描いたものというところでしたよね。
私もそこまでの話だろうと勝手に想像していました。
それも「新撰組で一番強かった」というクレジット付きですからね^^;;

新撰組が劣勢になって幼なじみの家老に切腹を命じられて話は終わるのかと思っていたのですが。。。
あの後で、長男や次男の話までも出てくるとは思いもしませんでした。

ストーリー展開としては紋次郎さんの言われるようなところかなと思いました。
人はパンのみで生きるに非ずとは正に真理そのものであり、パンがなければ人はいきられないのです。
でもこれでは全ての生物が生きるために食べている事と同じであり「人間としての高み」という話では全くありませんよね。

ですから、主人公の吉村なんとかを「義子」と呼ぶのはどうしても違和感を感じざるを得ませんでした。
正直言って彼の何処が「義士」なのか全く分かりませんでした。

衣食足りて礼節を知ると言われているように、主人公の吉村がいかに義子になれる「素質」を持っていたとしても、食うや食わずという最低に近い劣悪な環境においては「義」のような形而上のレベルとは無縁だったと思いました。

勿論食べるために全力を尽くすのは(それも家族のために)美しい姿であると思います。
しかし、義子と言うからには伯夷叔斉のように飢えて死ぬことくらいでは信念は揺るがない人物である必要があるのです。(と思います)
何しろ武士は食わねど高楊枝なのですから(;^_^A

盛岡には夏の頃に行ったことがありますよ。
仙台よりも森の都と呼ぶに相応しいような緑がたっぷりとある町だと思いました。
ドラマの舞台となった滴石は10年くらい前に訓練中の自衛隊機が墜落して大ニュースになった場所でしたよね。

岩手県には陸中海岸の方に??竜泉郷(だったかな??)と呼ばれる秋吉台に継ぐ規模の鍾乳洞があります。
中にはいるととても神秘的な感じがする鍾乳洞でしたよ。
秋吉台のようには世俗化されていない??ために二つの鍾乳洞のどちらを選ぶかと言えば竜泉郷を選びたいと思います、笑

ここからわき出す水は美味しく飲めるらしく茨城でも販売されている(た??)と効いたことがあります。
編集済



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2日 投稿者:きんたろう  投稿日: 1月 5日(日)09時17分40秒

に近所の居酒屋に行く事になりました。

実は正月に居酒屋に行ったのは今回が初めてです。
こんな時期から飲み屋に人が集まるわけはないと思っていましたので(それもかなり大きなスペースを持つ飲み屋)、十中八九ガラガラか店が閉まっているだろうと予想していました。
ところが入り口には何組もの人たちが順番待ちをしていました。

私達はといえば、電話で予約を入れていたために待つこともなくそのまま中に入って席に着く事が出来ました。
日本でもアメリカ並みに何処でもアポイントを取るという習慣が根付いてきたのでしょうか??笑

それにしても、まさか正月2日からこれほど飲み屋が混んでいるとは思いもしませんでしたよ。
次に行ったスナックでは元旦も開いていたとのこと。。(;^_^A)
こちらでは年末年始の時期は帰省してくる方なので逆にかき入れ時なのかもしれませんね??
ひょっとしたら全国にある無数の「地方」でも同じ状態のでしょうか??笑

昨日行った水戸の居酒屋では大した集客力があるとはとても思えなかったのですが(すみません、笑)入り口に「2時間まで」という張り紙がありました。
正月三が日の状態は水戸も激混みだったようです??(;^_^A)



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みのるさん 投稿者:Toshy(雪狼)  投稿日: 1月 4日(土)20時52分38秒

たぶんオラの宮城県は茨城よりも寒いよ(わら
なお、今わしが住んでいるところは先日氷点下10度。



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雪の靖国参拝 投稿者:みのる  投稿日: 1月 4日(土)20時00分53秒

今年も例年にもれず靖国神社に初詣に行って参りました。
雪の中、右翼のおっさんが「広瀬中佐」を歌ってました。
杉野は何処ー、杉野はいづや♪てね。
巫女さんに靖国会員の証拠、金バッチをちらりと見せ堂々と昇殿。
ご本尊の大鏡に本年の国際情勢の安定と開運を祈って拍手を打ってきました。



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今年は寒い 投稿者:みのる  投稿日: 1月 4日(土)19時04分12秒

今年の東京は馬鹿に寒くないでしょうか?茨城はもっと寒いでしょうね。
テレビでは都心を写しているのであまり雪はつもってませんが、我が家のある
杉並区では雪だるまが出来るほど積もっています。



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あけましておめでとうございます 投稿者:安部奈亮  投稿日: 1月 4日(土)08時13分55秒

本年もよろしくお願いいたします。


実家に帰って、親と話していて、鎌倉幕府の成立について、二人で面白い着想にたどり着きました。修士論文が書きあがって、暇ができたら書き込みます。
編集済



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謹賀新年 投稿者:池内晴紀  投稿日: 1月 4日(土)03時32分56秒

今年もよろしくお願いいたします(=^人^=)/



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あけましておめでとうございます 投稿者:ぱんだ  投稿日: 1月 2日(木)23時09分50秒

今年もよろしくお願いします。



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本年もよろしくおねがいします 投稿者:輔住  投稿日: 1月 2日(木)18時57分42秒

いま、帰ってきました。

でもみやげ話というほどのものは何もないですね。
雪をみて、食って寝てを繰り返していただけですから(苦笑)。

ただ、ここ数年正月は家族とは別々にでしたから
いっしょにいたのは久々でした。
やっぱり年越しそばや雑煮はコンビニのものより、
家族が作ったものの方が舌には合いました。



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謹賀新年 投稿者:勇者ロト  投稿日: 1月 2日(木)12時47分28秒

本年もよろしくお願いいたします(^^ゞ

http://www.cam.hi-ho.ne.jp/sakura-komichi/bbs/index.shtml



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謹賀新年 投稿者:武来人  投稿日: 1月 2日(木)10時42分51秒

本年もよろしくお願いします。
今年は良い年となって欲しいものです。

今年は、北朝鮮から目が離せません。
北朝鮮が日本に対し、(何らかのかたちで)奇襲攻撃をしかけてくる可能性は無いでしょうか。



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新年明けましておめでとうございます^^ 投稿者:きんたろう  投稿日: 1月 2日(木)00時17分26秒

新年明けましておめでとうございます^^
本年も昨年同様よろしくお願いします。
よい一年になりますようにv(^o^)

ところで元旦というのに朝の8時から日本酒を飲んだのはさすがに効きました^^;;
昼頃まで飲んだ後遺症から回復するに今までかかってしまいました。
酒は百薬の長と言われますがやはり程度問題だとつくづく感じました。



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あけましておめでとうございます 投稿者:Toshy(雪狼)  投稿日: 1月 1日(水)16時49分31秒

昨年も色々とお世話になりました、
そして今年もまたよろしくお願いします



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あけましておめでとうございます! 投稿者:ごう  投稿日: 1月 1日(水)04時00分04秒

Slashdog改め、ごうです^^
きんたろうさんにつけてもらった名前に改名いたしました。
きんたろうさん、ここにお集まりの皆様 今年も宜しくお願い致しますm(__)m



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あけましておめでとうございます 投稿者:みのる  投稿日: 1月 1日(水)00時10分17秒

今年も宜しくお願いいたします。



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