過去ログ188(2003年〜2月28日)


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神功皇后の煌き4 投稿者:kituno  投稿日: 2月28日(金)15時54分58秒

いつものようにプリントアウトして読ませていただきました。
きんたろうさんらしいとても親切でわかりやすい文章だと思いました。^^

年代をどのように設定するかと言うことは、神功皇后に限らす、古代史のどのような問題を考える場合にも根本的に必要なことであると思います。
安本美典氏も江戸幕府や室町幕府、鎌倉幕府の将軍の平均在位と天皇の平均在位を比較検討し、「10年」というおおよその在位年数を割り出したりしています。

神功皇后の年代が350年あたりと推理されていますが、私はもう少し後ではないかと思っています。



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神功皇后の煌めき 投稿者:ペギラ  投稿日: 2月28日(金)12時46分57秒

おいおい、もっとペース上げてよ〜!
来週へつづくでは、待ちきれないよ〜!(^_^;

と勝手なことを言いながらのこのごろ。

その当時の新羅について、考えてみました。
これまた三国史記をメインにして。

新羅という国が、国としての体裁を整えたのが、
503年の国号決定あたりだと思います。
まさに倭王武の姿が消えたころ。
新羅本紀では、なんと紀元前から倭人の侵入を書いている。
日本書紀の年代繰り上げの記述をパクッタ?とか。(笑)

資料的に新羅が出てくるのは、広開土王碑(391年〜)
倭王冊封(451年〜)
新羅の国が大きくなるのが、470年〜570年にかけて、
日本書紀年代で言えば、雄略紀〜欽明紀にかけて。

それまでは、どんな国の様子だったのかを想像すると、
当初、350年あたりまでは、慶州を中心とした小国家
他の加耶の国々とほとんど変わらない規模だったのではないか。
江戸幕藩体制化の水戸藩と同じぐらいでしょう。
日本側が任那というのを地域名的に使用するように、
新羅というのもある面、地域の総称のような使われ方が
されているのではないだろうか。
実体は三国志の辰韓と同じで。

地域的な説話と国的な説話が、ごっちゃになっているように思うのです。
このあたりの話は。
どう思われますか?



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金沢は 投稿者:太田守人  投稿日: 2月28日(金)08時22分15秒

市が水道・ガスの運営をしています。
私は、神功皇后は新羅あたりから、反対に来た人物でないかと思っています。それを皇統に取り入れる時に、三韓征伐ということにした。と思っています。隋書倭国伝の倭王の姓のアメは、この神功か応神あたりから始まったのではと想像しています。



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太田さんの 投稿者:きんたろう  投稿日: 2月27日(木)21時25分46秒

ところでは水道の運営は県の企業局がしているのですね。

水道事業というのは、以前は各市町村が独自に運営していたと思います。
市町村にとっては独自財源だったと思います。
でも、独自水源を持たないところにとっては収入以上にコストの方がかかってしまうという事なのかもしれませんね。
そのために県の広域サービスとして始まったような気がしていますが。。。??
どうなんでしよう。

私のところではウォーター・ハンマーが起こるほど異常に水圧が高くなってしまいました。
これでは給湯器などの設備が壊されると思って市の水道部にクレームを付けましたよ、笑
水道管の本管を新しくしたせいらしいのですが??

神功皇后4を読んで頂いて有難うございます^^
一つの仮説として楽しんで下さい。

当時は何処の家に生まれたのかという点が、その人の一生を決定しましたよね。
誇るべきものは「血統」だったのですから、血統を現す系譜に関しては回りの豪族達が納得できるものでなければならないと思います。
つまりは相互監査システムが働いていたようなものかな??^^と思っています。
編集済



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神功皇后の煌き4 投稿者:太田守人  投稿日: 2月27日(木)18時41分25秒

を読ませて頂きました。私は、日本書紀の神功皇后の記述で、魏志倭人伝のパクリのよう部分がありますが、魏志倭人伝の卑弥呼だとは書いていない。私は、皇統を、長く見せるためのマーカーのようなことを、神功皇后に与えたのでないかと思っています。私は、欠史八代を始め、記紀に記載されている天皇は、全て実在したと思いますが、神功皇后だけは、マーカーの為の架空人物のように思います。そこで、スーパーウーマンのように書いたのではないでしょうか?しかし,多分モデルはいたと思います。ただ,架空と仮定しても,記紀が創作したかは分かりません。記紀の先にあったと言われる、帝紀・旧辞あたりの創作かもしれませんが?



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引越し 投稿者:太田守人  投稿日: 2月27日(木)12時41分15秒

私にも3回ほど経験あります。まー、こんな狭いとこのどこに、これだけ荷物があったんだー。と思うほど出てきますよね。一昨年にも引越ししましたが、その時、ガスと水道の振込口座を、金沢市の企業局に言ったのですが、それをコンピュータ登録を忘れたようで、3ヶ月分と延滞金までつけた請求書がきたので、企業局の担当課長に文句を言いました。結局、延滞金はなくなりましたが、ほんと腹が立ちました。



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海棠槇人さん 投稿者:きんたろう  投稿日: 2月27日(木)01時34分51秒

ようこそおいで下さいました。

海棠さんのページには偶然辿り着きました。
クリックをし続けていたらいつの間にか到着したという感じです。
でも、とても幅広く調べられているのを見て驚きました。

迷ってたどり着いたのはとても運がいいと思ったくらいです。
皆さんも是非ごらんになってみてくださいね。
きっと感動すると思います。

>相互リンクお願いしたいのですが…。
こちらからもよろしくお願いしますv(^o^)

太田さん
>北朝鮮を朝鮮民主主義人民共和国っていうように・・・
確かにそうですよね。
テレビニュースでは北朝鮮を「北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国」と必ず言ってますよね。
どうしてなのか??(笑)
これほど長ったらしい名前をわざわざ言うのは、それなりの理由があるはずだと思うのですが。。。??
理由は簡単に想像が付きますが、余りにも実態とかけ離れた名前というのも「わざと」ぽくてギャグのように感じられてしまうと思います(;^_^A)

安部さん
引っ越しが大変なのは体験上よく分かりますよ^^;;

私も学生時代に3回ほど引っ越しましたが、物をほとんど持っていなかったはずなのに、何処に隠れていたんだろうというくらい、いざ準備するとなると出てきますよね。
それは今までは部屋という空間の有効利用をしていたところが、これを解除するために目に見えて分かるという事なのだろうと思います。

そうそう、ガスとか電気は解約だけではなく、料金の精算もありますし。。。
いよいよファイナル・カウント・ダウンですよね^^



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むきーーー 投稿者:安部奈亮  投稿日: 2月26日(水)15時57分20秒

引越しの準備が大変です。発狂しそうです。
本だけでみかん箱20箱くらいある。一体この狭い部屋の中のどこにこんなにいろいろなものが押し込まれていたのでしょうか?

ガスやら電気やらの解約もしないといけない。
この歳になって親に頼ることもできないから、全部自分でやってますがめんどくさいことこの上なし。



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カリマンタン 投稿者:太田守人  投稿日: 2月26日(水)08時08分03秒

ボルネオですか。きんたろうさん、ありがとうございます。カリマンタン・ボルネオって言って欲しいです。北朝鮮を朝鮮民主主義人民共和国っていうように・・・。そういえば,あの国またミサイルを発射したようですね。シルクワームという中国製の対艦ミサイルだそうですが。このミサイル、元はソ連のSS−N−2スティックという艦対艦ミサイルです。このミサイルを使い、エジプト海軍のミサイル艇が、中東戦争でイスラエルの駆逐艦エイラートを撃沈しました。この時、4発のミサイルを発射しましたが、3発は駆逐艦に命中し沈没しました。4発目は、海面に命中しましたが、それがエイラートの沈んだ地点だったそうです。西側海軍は、対艦ミサイルを脅威に思いながらも、空母の艦載機でどうにかなると思っていたので、駆逐艦が手もなくねじられたことに、ショックを受け、以後対艦ミサイルの開発とその防御に拍車がかかりました。このSS−N−2の中国製コピーが,シルクワームです。巡航高度50m、巡航速度マッハ0.9の為、今では脅威でも何でもありません。いまの対艦ミサイルは、巡航高度1〜2mですので、レーダーで探知しても対処時間は、数十秒しかありません。ただ、このシルクワームは、値段がウソみたいに安いので、第3世界の国が装備しています。湾岸戦争でも、イラクは多国籍艦隊に、シルクワームを発射しましたが、電波妨害等で全部はずれました。



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はじめましてッ!! 投稿者:海棠槇人  投稿日: 2月26日(水)07時48分03秒

「海人の國」の海棠槇人(かいどうまきと)と申します。宜しくお願いします。m(__)m
こちらは、BBSがたぁくさんあって、どちらにカキコしようか、迷っちゃいました。(^^;)

きんたろうさまの御論調は、大変理性的で、古代史ファンに有り勝ちな「これしかない」的、思い込み路線じゃないので、とても解り易いし、共感が持てます。
それに、こちらにいらっしゃってる方々も、とてもレベルが高いですねーーー!
個人的にも、和船の構造や神功皇后など、本当にツボなので楽しめます。

是非是非、相互リンクお願いしたいのですが…。
色よい?お返事を、お待ちしております。m(__)m

海 ^_~*
編集済
http://homepage2.nifty.com/amanokuni/



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あはは^^;; 投稿者:きんたろう  投稿日: 2月25日(火)22時44分47秒

確かに私も輔住さんの言われる通りです。
すぐに発狂しそうです(;^_^A

太田さん、長江について見てみました。
中国中部を東流する中国最大(世界第3位)の川で全長6380KM。
青海省タングラ山脈の主峰グラダンドン雪山から発するトト(沱沱)河が源流となっていて上流で通天河、金沙江などと名を変え、四川省の宜昌から下流で長江と名を変える。
古くは〈江〉と呼ばれ、長江、大江と通称。
また揚州から下流を〈揚子江〉といったため、この名が広く知られるようになった。
とありました^^

カリマンタンとはボルネオのインドネシア語名のようですよ。



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神功皇后編4 投稿者:きんたろう  投稿日: 2月25日(火)21時24分59秒

をアップしました。

元々の構想では4で完成するはずだったのですがもう少し延びそうです^^;;
今回の分は書いているうちに長くなってしまったので途中で止めました、笑
下記のアドレスです。

http://www5d.biglobe.ne.jp/~kintaro2/jingukougo4.htm



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きんたろうさん 投稿者:太田守人  投稿日: 2月25日(火)17時05分05秒

揚子江は、きんたろうさんの方が正解かもしれません。私は、揚州に行ったことありませんから。(笑)
でも、日本で長江をなんで揚子江というのでしょうか?私は、揚子江で習いました。(年がわかりますね。)遣唐使のお陰ですかね。遣唐使は、この揚州に付いてますので、そこで、長江を揚子江と思い込んだのでしょうか?カリマンタン島って、昔のジャワ島ですか?スリランカは分かりますが・・・・。これ以上、書いたら年がばれそうなんで、辞めときます。



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漂流 投稿者:太田守人  投稿日: 2月25日(火)08時18分43秒

沖合いの魚はすれてないので、簡単に釣れるそうです。(笑)
千石船等は、当時の遠洋漁業の船をモデルにしたそうです。遠洋漁船は、航洋性があり,安いということが特徴です。戦争になり、軍艦が大量に必要になった場合、まず遠洋漁船に大砲等をつけます。遠洋漁船は,我慢すれば相当遠距離までいけますし、漁船だと魚倉を使えますし、大体どこの造船所でも建造できます。千石船等の江戸時代の和船が、堅牢だったのも構造が遠洋漁船だったからだと思っています。だから、木綿の帆でよかったのだと思います。西洋船は、風がなくなると,帆に海水をぶっかけて、どんな微風でも逃すまいとしました。しかし、木綿では不可能だと思います。



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漂流してしまったら 投稿者:輔住  投稿日: 2月25日(火)07時10分52秒

すぐに発狂してしまう自信はあるのですが!(苦笑)



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揚子江 投稿者:きんたろう  投稿日: 2月24日(月)23時20分20秒

というのは支流であっても中国一の大河の支流ですから、かなり大きな川だと思っていました。
でも太田さんの記憶と違うという事は、ひょっとしたら私の記憶違いなのかも??

日本が鎖国したというのは「陸に上がったカッパ化^^;;」政策が最終段階に到達したものと勝手に結論付けています、笑
とは言っても沿岸漁業が禁止されたわけではないのですから、日本人が古来から持っていた海民的資質が失われてしまったという訳ではないと思っています。

でも大航海によって世界が広がっていった事を考えると、それ以前の状態というのはやはり「古い」物になってしまったと思いますので、追いつくのが大変だったのは良く分かるのです。

でも鎖国政策に反対するというのは一種の無い物ねだりのような気がしますね。
やはり太田さんの言われるように過去の事実は尊重するのが基本姿勢だと私も思っています。

Toshyさん
漂流しても発狂しないというのはものすごい精神だと感じています^^



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昨日 投稿者:きんたろう  投稿日: 2月24日(月)23時18分05秒

は久しぶりにレンタルビデオショップに寄りました。
これは金曜日にテレビで放送したターミネーター2を見て1はどんな話だったかなと思って見たくなったせいです、笑
見ているうちに以前見たことがあるのを思い出しました。
ハッキリ言ってターミネーター1の制作コストは安い!!と思いました^^

ついでにというわけでもないのですが。。。
「ヤング・シャーロックの冒険」というスピルバーグ作品も借りてきました。
これも以前見た記憶がありましたが、ハリー・ポッターの映像はとてもよく似ていると感じてしまいました。
「ヤング・シャーロックの冒険」は学生時代のシャーロック・ホームズのエピソードですが(もちろんオリジナル^^)雪降るロンドンの町並みとか、学生寮の生活などハリー・ポッターのどきどきするような冒険の様子にとてもよく似ていると思いました、笑
なかなか面白かったですよ。



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言葉 投稿者:きんたろう  投稿日: 2月24日(月)23時07分32秒

の意味の変遷を分かり易く説明するというのはなかなか難しいのですね^^;;
ちなみに神功皇后4は何故かこの辺ばかりを書いているうちに終わってしまいました、笑
あした辺りにアップしようと思っています。

倭についてのイメージの続きです。。。笑
もう少し丁寧にというか簡単に言うと(笑)、「南蛮人」のようなものだと思い浮かべてもらうと分かり易いのではないかと思っています。
「南蛮人」とはご存じの通り、自分を中心にして「東西南北」の方向に住む人達を「東夷」、「西戎」、「南蛮」、「北狄」と勝手に名付けたものが始まりですよね。
つまり概念上の「南蛮」はインドシナ半島付近に住む人達を指していたわけです。
そしてこれはおそらく中国ではこのように使われてきたと思います。

ところが日本では、漢字が自らが作り出した概念を現した文字ではなく、借用したせいだと思いますが、この用語を拡大解釈して使ってしまったという所だと思うのです。
戦国時代末期の日本人にとって、ヨーロッパ人達とは古来からの宇宙観では「外宇宙の住人」と言っても過言ではない存在だったように思うからです。
とにかく今まで想定したことが無いために、つまりは当てはまる用語が無かったために、相手を現す近い意味として??「南蛮人」という言葉を当てはめてしまったのだろうと思います。
でもこの用語がいかに不適切なものであるのかはよく分かると思います。

アジアという用語もまた拡大解釈をされて使われた言葉でしたよね。
アジアも元々は小アジアだけを指す用語であり、小アジアの更に東にある広大なユーラシア大陸を意味するものではありませんでした。
端的に言えばヨーロッパ人にとっては想像の外にある場所だからだと思います。
考えてもみなかったといったところでしょうか??

もちろん実際には東に行けばメソポタミアがあり、インドがあり、シンがあるというのは分かっていたはずです。
しかし、それらを意味する代名詞は市民権を得ることが出来ずに「アジア」という言葉に飲み込まれてしまったというわけです。
これはヨーロッパを起点とした見方の代表格のように思っています。



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漂流 投稿者:Toshy(雪狼)  投稿日: 2月24日(月)20時25分30秒

>あんまり沖にいけない構造とともに、この風雨に弱い木綿の帆だったと思います。

もうひとつ、比較的和船が堅牢であることも漂流の原因でしたね。
もし脆い構造であれば漂流する前に沈んでしまう。

日本では一年以上も漂流した話は結構あり、
中でも尾張の督乗丸は漂流450日、世界最長記録で世界的にも知られています。
マグロ船に乗って外海に出ると、陸地が見えない恐怖で生きた心地がしないそうですが、
目的のある遠洋漁業でもそうなんだから、督乗丸の苦難は想像を絶します。
漂流で死人が出るのは、水や食糧の欠乏よりも、
恐怖によるノイローゼで死んでしまうのが多いそうです。

http://homepage2.nifty.com/snowwolf/tsu.htm



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揚子江 投稿者:太田守人  投稿日: 2月24日(月)08時34分36秒

長江の支流なんですか?私は,揚州の一部の長江の方言だと思っていました。

日本が鎖国で失ったものは、造船技術もそうだと思います。和船は、帆が木綿でした。これは、西洋のケンパスと違い、風雨に弱い。和船の漂流が多いのは、あんまり沖にいけない構造とともに、この風雨に弱い木綿の帆だったと思います。
海軍という軍種は、陸軍や空軍と違って、国土防衛より海上交通保護が一番だと思います。そこで、鎖国した国には海軍(水軍を含む。)はいらない。江戸幕府が、安宅丸、日本丸という大安宅を建造したが、結局御座船としか使いようがなくなり、早々に解体し、日比谷軍港を埋め立てたのも、貿易がなかったからだと思います。日本海軍は、第1次大戦で地中海で、熾烈な海上交通保護戦を戦いながら、海上交通保護を重視しなかったのは、幕末、外国の艦船を陸上砲台で打ち払おうとしたが、沖に逃げられるとどうにもならない。そこで,軍艦を作った。幕末、幕府海軍に、千代田形という軍艦がありましたが、この軍艦は、千代田形御船1号から120号まで建造し、沖に逃げた艦船をこの120隻で追っかけようという、コンセプトのもとで建造されました。まあ、1隻建造したとこで,幕府は瓦解しましたが。大体、諸藩の海軍もそうです。このように、経済が大きくなくて、ある程度国内で賄えたからだと思います。ただ、燃料が石炭から石油になり、飛行機が一般化されてからはこうはいかなかった。日本海軍の為に弁護しておきますが、第1次大戦で、餓死寸前に追い込まれた,イギリスでも第1次大戦後は、護衛艦艇の整備をお座なりにしていました。これは、第1次大戦の発明品、爆雷とアズデック(ソナーのイギリス名)を過信したためで、第2次大戦開戦時、イギリス海軍は、護衛艦艇を65隻しか保有しておらず、結局、また餓死寸前になります。このことからも、日本海軍を責めるのは、酷かもしれません。
でも、狂歌にあるように、蒸気船ということが分かっていた、当時の日本人は凄いと思います。私は、鎖国がなければ、日本は安定せず、このような文化的発展は、なかったとおもいます。その意味で、鎖国政策は、一定の評価はしています。



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渋々開国 投稿者:きんたろう  投稿日: 2月23日(日)22時51分59秒

というのは的を得ていますよね。
たった四杯で夜も眠れなかったわけですから。。ね(;^_^A)

地元に繋がる者として慶喜の逃げっぷりには納得できないところがあるのは事実ですが、それでももし慶喜が本気でフランス軍の力を欲したとすれば、明治維新はあのような形で成立する事はなかったと思います。

下手をすればですが。。。
どちらが政権を握ったとしても英仏から買った軍事費として支払えるものは国内の「租借地」くらいしかありませんでしたから、これを代償として支払わなければ成らなかった可能性は高いと思います。
そうすれば中国大陸と同様に国内統一による力の集中は困難になり、結果として半植民地のようにされてしまった可能性がずっと高くなると思います。

明治政府が偉かったと思うのは、外国資本で横浜などの外人居住区を作るのではなく、自らのお金を投下して作った点だと思っています。
もしこれが土地だけ提供して相手の資本で居住区をつくったとしたら、彼らは投資の維持のために平気で軍隊を派兵した筈です。
そうなればいくら攘夷などと叫んだとしても結局は屈服させられてしまったと思います。
清の失敗はこの点にあります。

クリミア戦争といえばナイチンゲールが活躍したのは此処でしたよね。
オスマントルコ帝国内のスラブ人問題が長年にわたるロシア・トルコ戦争の原因に挙げられると思います。
バルカン半島はすぐ隣ですからあの付近では民族がずっとモザイク状態のまま続いているという事なのでしょうか??
編集済



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ペギラさん 投稿者:きんたろう  投稿日: 2月23日(日)22時37分56秒

kitunoさんのところでの大活躍をいつも読ませて頂いていますよ、笑

>一部が全体として認識されてしまった
これは結構多いような気がしています、笑

名前を付ける時の理由は色々あって判断が難しいところがありますが、結構いい加減に付けられた名前が通称となってそのまま通用してしまう例は意外に多いように思っています。

例えば先日太田さんが書かれている「キリン」はその事例に当たると思います。
その他には「長江」の事を「揚子江」とずっと表記していたのもそうだと思います。
揚子江は長江の支流なんですよね??

「エベレスト」「カンガルー」「ミシシッピー」などもそんな感じですね^^
「ジパング」も「やまと」という発音の表記である「日本」を現地読み(というか本来の読み方、笑)だと「ジッポン」になり、これがポルトガル語なまりで伝わったというわけですから、同じようなものかなと思ったりします。
編集済



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クリミア戦争のせいで 投稿者:安部奈亮  投稿日: 2月23日(日)22時19分28秒

ロシアはもっとも早く日本と付き合いがあったのに,日本進出に遅れをとってしまいます。

詳しくは知らないのですが,クリミア戦争の敗北でロシア帝国は近代化の必要性を痛感して,軍政や貴族制度や土地制度の改革をしたのだったと思う。それで,強力な近代軍を整えて,極東に進出,しかしそれに失敗して,急激な近代化に対する不満もあって崩壊,と言う風な感じではありませんでしたっけ?
編集済



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なるほど 投稿者:安部奈亮  投稿日: 2月23日(日)22時17分22秒

Toshyさんの説の実現性はともかく,アメリカとイギリスは間違いなく日本がロシアの保護国となって,連携して北太平洋の制海権を確保する事態をシュミレーションしたと思います。それを防ぐために,必死になって両国は日本に工作を仕掛けたのかもしれない。

クリミア戦争(1853〜1856)によるロシアの膨張政策の頓挫がなければ,ロシアはもう少し日本に対して本腰を入れて工作を仕掛けていたかもしれませんね。クリミア戦争に負けたロシアは確か,とりあえず太平洋進出は後回しにして,カフカスの側からのインド洋進出を目指して,あのあたりの遊牧民国家を併合していきます。ロシアが再び太平洋に目を向けるのは、20世紀初頭になってからです。皇太子ニコライの訪日あたりが契機だったのかもしれませんね。



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開国 投稿者:Toshy(雪狼)  投稿日: 2月23日(日)21時25分21秒

日本が開国したのは近代化を目指すことも理由の一つではあるにしても、
実際には外圧(英米仏露)に耐えられず、
シブシブ通商条約を結ぶことになってしまったという悲しさ。
日本の周りに外圧がかかるのはアヘン戦争以降激しくなり、
中国という外壁が弱体化したことが欧州の日本進出を許してしまったのだろうか。
もしレザノフの時に日露通商が樹立していたら、
北太平洋の制海権はロシアが握ることとなり、
ロシアに守られた日本は鎖国を続けることは可能だったかもしれない。
またロシアもアラスカを手放すこともなく、
カナダの太平洋岸からアメリカワシントン州にかけて英米と対立したか。
世界地図も大きく変わっただろう。

※ロシアとの通商=開国ではありません。



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でしょ 投稿者:ペギラ  投稿日: 2月23日(日)00時42分44秒



そんな雰囲気あるでしょ

帰り道に酔ってみましたら、です。(笑)

海賊行為で生計を立てている人かしらとも。
一部が全体として認識されてしまったという前提と
言語学的になんの根拠もない空想ですが。(爆)



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徳川幕府 投稿者:きんたろう  投稿日: 2月23日(日)00時40分17秒

の歴代将軍をみていると継承のパターンが幾つもあってなかなか面白いですよね。

特に古代天皇について考える時には15代にわたる歴代の徳川将軍はとてもイメージをつくるのに参考になると思っています。
例えば、継体天皇とはどのような立場の人物であるのかは、8代将軍吉宗を例に挙げれば分かりやすいように思っています。
将軍の地位を継承するためには家康の「血統」であることが何より大切だったのです。
この事実は天皇位の継承するには何が必要とされたのかとか、「やまと」を構成し支える家臣である豪族達が継体天皇以後も同じであるという点から見ても関係が良く分かるような気がします。

イフについてはその楽しみ方がいろいろありますよね、笑
徳川家は現実問題として鎖国政策を行ってしまったので、これと違う選択枝の可能性を話題にするには、要するに信長でも秀吉でもいいのですが、「徳川家ではない場合」を想定するという事だと思いますよ。

もちろん家康の政策は秀吉のそれを引き継いだものですからほとんど差がありません。
信長があのまま天下統一をして海外に進出するかどうかは未確定要素が多すぎるので何ともいえないところだと思います。

でも未確定要素が多いから何でも言える、という面もあるように思います。
これは古代史のパターンとよく似ていると思っています(;^_^A)

ただハッキリしているのは安倍さんやToshyさんが書かれているとおり、信長本人が鎖国を決定しなかったとしても、何代か後に鎖国を選択する可能性はあったという事ですね。
近代化というのは西ヨーロッパがあって初めて可能だった訳ですから、日本が鎖国をしなかったとしても日本単独で産業革命を起こせたとはちょっと想像が付きませんね^^;;

輔住さん、仁木家についての説明を有難うございました^^
やはり当主や家臣が優秀で、かつ運に恵まれないと足利一門とは言ってもあまり日の目は見られないと言う事なのでしょう。
編集済



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鄭和 投稿者:きんたろう  投稿日: 2月23日(日)00時35分43秒

の遠征航路図を見ると大体が沿岸部に沿って西に向かった感じになっていますよね。

まず江南地区からインドシナ半島を南下してタイ辺りに到着します。
そしてタイからインド、インドからバグッドへと向かい、メソポタミアから海岸線に沿って更に進むとアフリカ大陸に到着します。
この航路は特に開拓されたものというのではなく、そのほとんどがこの時点で既によく知られていたものではないかと思っています。

ここまでこの航海が可能だったのは、補給を可能にした町が存在していたというのが最も大きな理由だと思っています。
そして、アフリカ東部までしか行くことが出来なかったのは、海岸線に沿っていくら進んで行っても補給を可能に出来る町が存在していなかったためだと考えています。

こうして考えてみると明が巨大な船を造る事が出来たという技術の高さには驚かされますが、コロンブスの新規航路開拓とは決定的に違っているように思います。

倭寇に関しては安部さんが書かれているように考えています。
永楽帝の時代には倭寇と呼ばれる活動は無かったのではないでしょうか??

倭寇について考えていたら、ふと思ったのですが。。。笑
kitunoさんの掲示板で「倭」について書かれているのを読んで、ひょっとしたら「倭」という漢字を当てはめた集団とは沿岸部で生活していた人たちを指しているのかな、と思いました。

日本(やまと)に対して「倭」という漢字を当てはめたのは、日本から中国大陸へ行くには当然の事ながら海を越えていくわけですから、(当時)の中国人とっては同一のもの、あるいは同一カテゴリーに入れて良い存在として括られて、理解されてしまったせいなのではないか??と考えています、笑

と仮定するとですが。。。
「倭」とは本来沿岸部の集団を意味する言葉として存在していたとすれば、「後期倭寇」の構成がほとんど明人だったという事が頷けるのではないかと思いました^^
つまりは「倭」は日本人を意味しているものではなかった。。。??笑
編集済



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そう 投稿者:安部奈亮  投稿日: 2月22日(土)23時00分48秒

開国した幕府を攘夷をスローガンにして倒した薩長としては,鎖国さえしなければ日本はもっと早く近代化できたのに悪い徳川家が鎖国して愚民化政策を敷いた,と言い訳しなければいけない。一つ前の時代を否定するために,さらに前の時代を理想化して「あのまま進んでいればうまく行ったのに,前の時代のやつらが妨げた」という言い方をすれば便利ですよね。

もちろん,一般の日本人も,近代化に出遅れた(私は決して悪いことだとは思わないけれど)責任を徳川氏に押し付けておけば気が楽なわけです。

江戸時代のマイナスイメージというのは良く見ていけば明治政府そのものなんですな。庶民に圧政を敷いたとか,武士(役人)が威張っていたとか。あるいは薩摩や長州では江戸時代もそうだっただけなのかもしれませんが(笑)
時代劇に出てくる江戸時代のイメージも,明治・大正のころに作られた落語や講談がベースになっています。


全然違う話ですが,東京という街がいまいちよくないのは,東京の頂点に本来のオーナーである徳川さんがいなくて,東京市民が外からやってきた天皇家をいただかざるを得なくなっているからではないかと思います。江戸の町民は「公方様のお膝元」であることに誇りを持っていました。薩長の役人と天皇家は江戸の町民にとっては侵略者です。



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鎖国と攘夷 投稿者:Toshy(雪狼)  投稿日: 2月22日(土)22時08分19秒

日本人が鎖国という言葉から思いつくのは、攘夷論ではないかと思います。
ところが日本の鎖国というのは攘夷論的なものじゃなく、
異国と通商する必要がなかったからの結果的な鎖国ですね。
どうも異国船打払い令の印象が強すぎるようです。

だからラックスマンやレザノフが日本に来た時、
「半年も待たせてその挙句追い返した」という説明がまかり通るわけ。
実際は突然来た異国の客人に対する接待の準備と、
来航の地から江戸までの連絡、江戸での協議、江戸から返答の時間が必要なのです。
今みたいに電話やファックスでお上に報せたり意向を聞けるものじゃないし、
また幕府の協議としても数ヶ月は決して長いものじゃありませんでした。
イラク問題、北朝鮮問題をみても数ヶ月はかかるのだから。

鎖国は悪、それを続けた幕府は馬鹿、
という考えは、明治政府による洗脳ではないかと。
そして幕府を批判することで開明的だと勘違いする学者も多い。

しかし一番攘夷に熱くなっていたのがその明治政府の中核であった薩長だから、
この矛盾には笑ってしまいます。

高野長英は、ロシアのレザノフが来た時通商樹立論者。だがその理由は、
「ロシアを怒らせたら攻めてくる、勝ち目はないから言うことを聞こう」
という、とても開明的とは言いがたい開国論であった。



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自国内で 投稿者:安部奈亮  投稿日: 2月22日(土)20時33分30秒

用が足せるようになった場合,鎖国するのも選択肢の一つであると思います。

江戸時代の終わりごろから明治時代にかけての北海道は、日本にとって純粋な意味で「植民地」であったといえますね。



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仁木家のことなど 投稿者:輔住  投稿日: 2月22日(土)02時59分27秒

きんたろうさん
おっしゃるとおり、喜連川氏は鎌倉公方系統です。

仁木家は足利義兼(尊氏の6代前)の庶兄の義清の子孫の家系の一つです。
尊氏の時代に仁木頼章・義長兄弟が活躍しますが、尊氏の死後、義長が細川清氏らと
対立して、一時南朝に降ったりで、その後はあまりパッとしません。

鎖国に関してはToshyさんご指摘のように軍事・航海技術などで後れを取ったりした点など
短所もありますね。

当時、スペインやポルトガルが日本人を拉致したり、キリスト教を布教後に
植民地活動を他の国で行なっていたことも事実なので鎖国したのは無理もないですけどね。
編集済



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