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畝さんのページ 投稿者:勇者ロト 投稿日:01月28日(金)10時44分17秒
ちょっとだけ、覗かせてもらったのですが、表示できませんでした(悲)
文字はおそらく全部表示しているのですが、私のパソコンは容量が少ない
上にMIDIが入ってないのが原因か(?)、しばらくしているとすぐ画
面が動かなくなりフリーズしてしまいます。
能登の歴史などについて読んでみたいのですが、どうも無理のようです。
(とにかくすぐフリーズしてしまうので、すいません)
で、質問なのですが能登地方にも、「タケミナカタ伝説」が残されているとい
う話を聞いたのですが、ご存知でしょうか?もし聞いたことがおありならどん
な内容か教えていただけないでしょうか?よろしくお願いします。
アマミク、アマミキヨを卑弥呼に比定する説もあるそうです。詳しくはしらな
いのですが、「聞得大君(キコエノオオキミだったかな?)」という神女集団
が「卑弥呼の祭祀」をうけついでいるとかないとか????????????
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沖縄の国生みの話(「おもろ」編) 投稿者:畝源三郎
投稿日:01月28日(金)08時43分57秒
きんたろうさんの話は、沖縄最初の歴史書「中山世鑑」から採ったと思いますが、
それとは別に「おもろ」という民謡というか舞踊とともに伝わった話では、
アマミクはアマミキヨとなっています。
その話では、天地のはじめに、日の大神が、下界を見渡すと漂うものがあるので、
アマミキヨに詔して(シネリキヨに命じて)(アマミキヨ=シネリキヨかどうかは論争中)
島(国)をつくれと命じたので、国ができた、ということになっております。
また、ただようものは、島のできそこない?かどうかも、これまた不明。
この話は、日本神話にもとづいたものかどうか、不明。沖縄の学者などは、
独自んもものと言っています。
そんじゃ、この辺で失礼。これから仕事にでかけますので。
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下記訂正 投稿者:畝源三郎 投稿日:01月28日(金)08時08分39秒
前他家→前田家
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そういえば 投稿者:畝源三郎 投稿日:01月28日(金)08時07分02秒
天狗党を捕らえたのは、私が住む石川、加賀藩の地でした。加賀藩は、幕末ぎりぎりまで
幕府のサイドにたったので、(ハハハ関ヶ原の時の前他家と、良く似ている)、当時はまだ
幕府のいうことを忠実に聞いいていたようです。
なにせ加賀藩(多くの加賀藩重鎮)は幕府が倒れる前年まで、幕府は倒れる訳がない、
と考えていたのですから。
天狗党の争乱といえば、桜田門の変から、4年たっている訳ですから、時勢の変化を感
じている藩なら、少なくともサボタージュか無視したかもしれませんが、加賀藩は、
慶喜公の強い要請を受けると、従いました。
でも、慶喜公と古くからの友人だった松平春嶽公の福井藩は敦賀から北上してきた天狗党は、
自領を通っても捕らえようとはせず、加賀藩に捕らえさせたのでありました。また彼らを捕ら
えてから、加賀、彦根、小浜、福井の4藩に、一時あずかりや、首切りなど命じましたが、
福井藩などは、ことごとに異を唱え従いませんでした。
茨城県の人なら知っている可能性の多い、天狗党の一エピソードあえて書かせていただきました。
(おすすめ参考図書)吉村昭「天狗争乱」
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国生み神話 投稿者:きんたろう 投稿日:01月28日(金)01時31分18秒
の沖縄版です。
勇者ロトさんのトピックに書き込みをしようとした内容なのですが、夜はかなり混んでいるよう
なので忘れない内にここに書いておきますね。(^^)
天城にアマミクと呼ばれる神がいました。天帝がアマミクに言うには下界に住むべき霊処があるが
そこにはまだ島が出来ていないので島を作れと命じたそうです。
アマミクが降りてみると島は波が打ち越している状態でした。
そのため天界に戻って土木草木を下し島々を作られたとの事です。
天帝は自分の子供(男女二人)をそこに送り込みました。
そして彼らの間に出来た長男は国の主の始祖となったそうです。
そして「天孫子」と名乗りました。
この話はものすごく似ていると思いました。
でも私の頭の中ではイメージがまだ混沌としています。
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本が貯まってしまった・・・ 投稿者:コテキン
投稿日:01月28日(金)01時12分45秒
水戸天狗党のみなさん、久しぶりです。会津白虎隊(しかし、地元は二本松藩領)
のコテキンです。オンラインショッピングで山本七平氏の著作2冊を購入したので
すが、気づいてみればまだ読んでない本ばかりで大変なことになっています。
もうきりがないですね。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/4009/
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鼠小僧 投稿者:きんたろう 投稿日:01月28日(金)00時58分42秒
について思いがけずいろいろと知ることが出来ました。
なみさん、ライアンさん、ありがとうございます。
大体170年くらい前ですね。
しかし広辞苑が間違うとはどうしたことなのでしょうね??
私の広辞苑もそうでした。(当然ですね、笑)
違う所にちょっとだけ書いたのですが大久保は正義の味方だと思っています。(爆)
西郷に関しては倒幕運動に対しての行動はすごいと思いますが明治に入ってからの行動はまるで
別人のように精彩を欠いているような印象を受けます。
明治維新には破壊が必要でした。そのための最適任者が西郷だったのだと思います。
明治に入って以後の西郷はいわば使命を果たし終えた隠居じじい的存在だったのではないでしょうか??
その点大久保はより豊かな才能に恵まれていたのだと思います。
大久保が暗殺されなければ日本の歴史はかなり変わっていたのではないでしょうか??
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がーん 投稿者:きんたろう 投稿日:01月28日(金)00時27分49秒
とショックを受けた話です。
今日は何と1度ならず二度、三度も書き込み文が送信エラーで異次元へと消えてしまいました。(泣)
1度目はMAKOTOさんの掲示板、2度目は勇者ロトさんのトピック、そして3度目はこの掲示板
でした。
バックボタンで戻ったのが運の尽きでした。(;;)
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安部奈亮さんの意見に対して 投稿者:畝源三郎
投稿日:01月28日(金)00時22分09秒
そう、徳川幕府はリアリズムがあったのです。でもリアリズム的判断が出来たのは、
徳川幕府の末期、阿部政弘などによって、それまで鼻ほじくっているような役人
ばかりだったのを、抜擢主義的人材登用を行ったからできたことです。
茨城県の人なら知っているでしょうが、慶喜公も、一橋家に養子として迎え入れられたのは
阿部正弘によります。そのように抜擢された優秀な幕臣(例えば川路聖謨ら)の開明派の幕臣
によって、日本は無事開国できたのです。
ただ刀振り回す志士では、外国と無事にあれだけの条約を結べなかったでしょう。
現在の日本史の教科書では、明治以降、その条約の不平等箇所を改正する運動を行ったと
強調し、幕府の対応を批判しているとも思える内容になっていますが、あれはもうそろそろ
直すべきだと思います。ロシアとの国境問題の交渉など見事というしかありません。
<私の人物好き嫌い>
私は大久保は、国家のための悪と割り切るところがあり、悪役を平気で演じ好きですが、
私は、西郷は権謀術数の限りを尽くす割に、聖人君子面するところがあり、嫌いです。
何で、西郷は日本人に人気があるのかなー?
このあいだのNHKの番組見たからではなく、
ずっと前から大久保は明治維新政府確立の最高の功労者と考えている畝でした。
皆さん、何かありましたら、ご意見を。
(おすすめ図書) 吉村昭「落日の宴」、松田安夫「日本容易ナラズ」、海音寺潮五郎「西郷
と大久保」「幕末動乱のたち」他幕末明治維新もの
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孝明天皇 投稿者:安部奈亮 投稿日:01月27日(木)23時38分12秒
と言うのは,どうもノイローゼか精神分裂病にかかっていたらしい。
終り頃になると,昨日と今日とで言っている事が全然違っていたようです。
諸侯がほぼ全て(水戸藩も含めて)開国を承認したのに,
孝明天皇だけは執拗に攘夷にこだわりました。
そこには,狂気のようなものさへ感じます。
まあ,多分孝明天皇は,下級貴族に操られていたのでしょう。
で,その下級貴族は志士に操られていたのでしょう,
彼らは,幕府とつながる上流の貴族に不平不満を200年間持ちつづけていて,
生活も苦しかったですから,河原町や島原に連れて行けばいちころだったのではないかと。
幕末の京都で行われた権謀術数はすさまじいものがあります。
その中で一番のほほんとしていたのが徳川幕府でした。
西郷や大久保や岩倉は、かなりえげつない事をやったのだと思います。
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スパゲッティを発見! 投稿者:安部奈亮 投稿日:01月27日(木)23時28分10秒
いつのだか分かったものではないが・・・
これで一食分確保!
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徳川幕府のリアリズム 投稿者:安部奈亮 投稿日:01月27日(木)23時26分57秒
徳川幕府は,アヘン戦争に大きな衝撃を受け,
長崎に入港する貿易船から情報を集め,清の敗因を分析しました。
そして,イギリス海軍による,江南(清の経済的中心)の海上封鎖とし,
日本でシュミレーションして,江戸湾が封鎖されれば日本はひとたまりも無いと言う結論を出しました。
そして,天津条約が結ばれるよりも速く,異国船打ち払い令を,廃止しました。
クリミヤ戦争の余波が極東にも及び,ロシア船とイギリス船が日本近海で交戦状態におちいった際,
もし,日本領域で戦闘が起きたら,日本は中立国としてどうするべきか,老中は議論しています。
「日本に,ロシアあるいはイギリスの軍隊を排除する力は無く,ほおおっておくしかない」
と言う結論が出ました。
なんとも情けない話ですが,徳川幕府は,日本の現実を見据えていたと言えるでしょう。
日米和親条約は,列強がヨーロッパ,アメリカ以外の国と初めて戦争ではなく,交渉によって結んだ条約でした。
内容も,不平等条約としては,一番ましだったそうです。
そこには,徳川幕府の交渉力を見ていいでしょう。
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イギリスの料理 投稿者:Toshy 投稿日:01月27日(木)23時17分35秒
というと、学校のカフェテラスにいって、おいしそうなパイを一皿取った。
食べてみると、なかには肉ともなんともいえないものが。
まあまあおいしいので食べ、後で「これなに?」と聞いたところ、牛の肝臓。
先に聞いていたら食べなかったと思う(笑)
安部さん、プロレスの前田日明は、高校生時代金が底をついた時には、
見知らぬ学生を物陰に連れ込んで「借りた」そうです。
返したかどうかは知らんが(笑)
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今日はカキコ少ないねー 投稿者:畝源三郎
投稿日:01月27日(木)23時10分36秒
それでは、ご要望のお答えして《貧乏暮らしのノウハウ(その1)》
<電気を止められた時の対処法>
@小皿と、サラダ油と、ティッシュペーパーを用意します。
Aティッシュペーパーの1/8くらいを千切って撚って、コヨリを作ります。
B小皿に油を入れ、上のコヨリの半分位を油に浸し、小皿の隅に置きます。
C上のコヨリに、油が先っぽまで十分染込んでから火を付ければ
ほーら、アンテークな行灯の出来上がり。小皿の油で1時間くらいはもちます。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/6989/
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貧乏 投稿者:きんたろう 投稿日:01月27日(木)21時48分47秒
ですか!!
畝源三郎さん、私も今までずっと貧乏でしたので仲間ですね。(笑)
貧乏一人暮らしのエピソードなどお聞かせください。
MAKOTOさん、こんばんは。
>大好きいばらきのHP
実はこのページは見たことがありません。(すみません)
アドレスを教えていただけると有り難いです。(^^)
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う−ん、海外の話か 投稿者:畝源三郎 投稿日:01月27日(木)19時01分30秒
貧乏一人暮らしの話なら色々あるんだけど、
話が海外の話というか、比較文化論になったので、
今日は、聞き役専門に回るとするか。 &(*^Σ^*)&
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マウス 投稿者:きんたろう 投稿日:01月27日(木)17時33分50秒
が原因ではなくテンキーの不良のため(と昨日分かったのですが)ここの約1ヶ月近くとても苦労
をしていました。(仕事で)
パソコンの再インストールはデータのコピーをとることから始まりますから結構大変です。
もっともそのおかげで、ハードディスクの中はすっきりとしたようです。
400メガほど残量が増えました。(^^)
イギリスの食事といえばフィシュあんどチップスを思い出しますが、マクドナルドのフィレオフィシュ
に何となく似ているような気がします。
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イギリスはおいしい? 投稿者:安部奈亮 投稿日:01月27日(木)12時44分20秒
イギリスにいたころの小学校の給食はイモが主食でした。
2週間に1回くらい出るオイルサラディーンが楽しみでした。魚なんかめったに出ないもので、
ビュッフェ形式で、自分の好きなものが食べられるのですが、
メニューがたった4日くらいで一回りして同じ物が出てくるのには、閉口してしまいました。
でも、イギリスって本当にクラス(階級)によって生活が全然違いますよね、
私が住んでいたとこは、普通の郊外の住宅地だったのですが、
みんな朝飯はシリアルだけらしかった、
イギリスの朝飯は豪華だというのは、おそらくジェントルマンの話なのでしょう。
イギリスの外食はまずい!(給食と家庭料理はおいしかったです)唯一おいしかったのは中華料理(笑)
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安部さん 投稿者:輔住 投稿日:01月27日(木)12時38分54秒
大ピンチですね。
1日500円と考えるより、4日分まとめて
食料買ったほうが良いかもしれませんね。
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けったいな家族? 投稿者:安部奈亮 投稿日:01月27日(木)12時35分25秒
私も依然イギリスにいたことがあるのですが、
私たち家族は日本人ですから、米と野菜をスーパー(Waitrose,Sainsberryがうちの近くにあった)
でよく買ったのですが、実は
米はイギリス人は普通ライスプディングにするから貧乏人が買うもの、
逆にイギリスでは(今は違うかもしんないけど)野菜は高価な食べ物でして、
レジのおねえちゃんに怪訝な顔で見られてしまいました。
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アパート一人暮らし 投稿者:Toshy 投稿日:01月27日(木)12時29分32秒
で自炊をしていた時は、釜などなかったので米は食べませんでした。
毎日がパン、まるでイギリス時代のような食生活。
そういう自分は、今でも御飯よりもパンを食べることが多いです。
1日500円という生活はざらでした(笑)
スペイン・ポルトガルを放浪していた時には、宿代だけですべてを失い、
お茶1杯で2日過ごしたこともあります。
もちろん、観光のためそんな日々でも歩き回っていました。
若い頃にしか出来ないことですね。
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非常事態宣言 投稿者:安部奈亮 投稿日:01月27日(木)12時18分41秒
月末非常事態宣言!
金欠じゃあ〜〜
1日500円くらいで残りの4日間を乗り切らなければ、
何で金がないときに限って、米が底をつくのだろう・・・
しょうがない、150円のジャガイモをふかして主食にするか。
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おはようです 投稿者:MAKOTO 投稿日:01月27日(木)07時41分03秒
きんたろうさん、おはようございます。
今日は旧県庁(やっと活用に向け動き出しました)で大好きいばらき県民会議の集まりがある
ので行ってきます。電脳世界でも茨城の進歩発展(人の内面という意味)を更に進化させるような
仕掛けができないか、何かアイディアありませんか?
思いつきとしては、大好きいばらきのHPに個人サイトのリンクコーナーを設けるなんてどうで
しょう。
http://www.kawamata.co.jp/
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皇祖皇太子宮 投稿者:勇者ロト 投稿日:01月27日(木)00時01分47秒
のことですか?オリハルコン製の「王者の剣」と「ラーの鏡」が祭られているという?
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畝源三郎さん 投稿者:勇者ロト 投稿日:01月26日(水)23時59分28秒
こちらこそ、よろしくお願いします。私はほっておくとトンデモ方向へ
思考が行き勝ちなので、ときどき現実世界へ呼び戻してやってください。
安部さん、藤原カムイですよね?途中までは読みました。挫折してしまい
ました。古代史漫画は稗田礼二郎のほうが好みです。
藤原カムイといえば、『ロトの紋章』が一番です!
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太陽信仰は 投稿者:きんたろう 投稿日:01月26日(水)23時58分50秒
地球規模で普遍的に見られるのでしょうね。^^
ところで以前に勇者ロトさんが質問されていた北茨城の神社の件ですが、北茨城市磯原にオオモノヌシ
が現れたといわれている浜があります。
ひょっとしたら関係があるかも知れません。??
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すみません。割り込みます。 投稿者:ライアン
投稿日:01月26日(水)23時33分02秒
いつも思うのですが、ここの掲示板はものすごい早さで書き込みが
ありますね。今日もびっくりしました!
話を折ってしまって申し訳ないのですが割り込みさせてください。
なみさん初めまして。昨日の夜中に書き込みを読みました。
早速真意を確かめようと日中に確かめに行って来ました。
鼠小僧の墓と書かれた立て札の奥に、かなり大きい碑が
あります。ここには天保2年2月28日 俗名 中村次郎吉と
彫ってあります。この碑の前に削られている墓石が1つと
右端にかなり古くて小さいお墓が1つ。小さいお墓は、ずいぶん
傷んで?おり、お墓の原形を留めてないぐらい朽ちていました。
おそらく、当時はこの墓石を削り取っていたのでしょう。
今は金網もかぶせられてません。あまりひどいので新しく墓石を
追加したのだと思います。それでも結構削られていました。
やっぱりうろ覚えはダメですね。確認できて良かったです。(^^)
ありがとうございました。m(__)m
きんたろうさん、最初に天保3年と書き込んだのは間違いだったようです。
広辞苑に天保3年とあったので鵜呑みにしてたのですが、はっきりと
実物には天保2年と刻まれてましたので・・・・、どうもすみません。<(_
_)>
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ぼんくら学生ですから・・・ 投稿者:安部奈亮
投稿日:01月26日(水)23時11分42秒
正確なところはわかりません。
しかし,一度の地震くらいでは,プレート全体に影響を与えるのは難しいです。
1億年くらいの単位で見ないといけません。
そうすれば,畝さんのおっしゃるような事もあるかもしれません。
勇者ロトさん,もしかして「雷火」の愛読者ですか?
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勇者ロトさん 投稿者:畝源三郎 投稿日:01月26日(水)23時06分53秒
私も、そちらの言葉を勝手に変えて読み、誤解したようです。
たしかに、下記の様にいわれれば、特に食い違いはありません。
どうも、浅学なのに、性格的に論争してしまいますので、すいません。
まー、これからも、暇つぶしでいいですから、相手になってくれれば幸いです。
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畝源三郎さん 投稿者:勇者ロト 投稿日:01月26日(水)22時44分08秒
こん@@は。
>自然崇拝的なものが弥生時代で消えてしまった
と言った覚えはありませんが?
自然崇拝の上に系譜伝承を持ってきたということです。
言葉たらずだったようですね。どうもすいません。
その他についてはほぼ同様の認識のつもりなのですが?
どこか、大きく食い違っているところがありますか?
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トコロテンさん 投稿者:きんたろう 投稿日:01月26日(水)22時22分02秒
こんばんは。
よくいらっしゃいました。ありがとうございます。
古代エジプトの石版にも「近頃の若い者は...」というフレーズが書かれていたそうですから。(^^)
MAKOTOさん、こちらでは初めまして。
女性3人を引き連れてのゴルフですか!!
羨ましい(笑)というか何というか??
グランドスラムは確かに近いですね。^^
畝源三郎さん、こんばんは。
残九郎は好きな時代劇です。
今日は剣客商売でしたね。ご覧になりましたか??
それにしても時代劇の時代設定とはほとんどが幕末だったのですか??
知りませんでした。^^;;
松平は「まっつだいら」と発音するのでしたよね。(笑)
安部さん、夕べは久しぶりのチャットでした。
ところで斉昭の藩政改革としては検地をあげることが出来ると思います。
この検地によって小作農に転落を免れた農家は多かったといわれています。
輔住さん、風邪は大丈夫ですか??
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西方浄土思想というか、浄土への渡海思想 投稿者:畝源三郎
投稿日:01月26日(水)22時14分31秒
西方浄土思想、または、海のかなたに浄土があるという思想は、たしかに多いですね。
(昔、文化人類学で学んだ時の記憶での話しで間違いがあるかもしれませんが)
沖縄に、ニライカナイという浄土思想があり、海の彼方、太陽が昇る所に、極楽があると
考えられていました。また、仏教でも、そういう太陽信仰の影響を受けたと思われる
普陀落渡海といって、普陀落(観世音菩薩のいる所)へ小船に載せた樽の中に人間が入り、
波行くまま流されるという、結果として自殺行為になる修行がが行われていました。
それは、熊野灘や足摺岬から普陀落のある沖をめざすのであり、西というより、実際には
太陽の昇る東に流れていったのです。釈迦の住むインドは西なのですが、日本人は、そんな
細かいところは、こだわらなかったようです。
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勇者ロトさんへ 投稿者:畝源三郎 投稿日:01月26日(水)21時59分32秒
「自然崇拝宗教的なもの」が、弥生時代で消えてしまったというのは、言いすぎではないで
しょうか。勿論、私は、神道において、道教の影響が無いなどといっているのでは決してな
く(注意して読んでもらえばわかります)、日本人が積極的に道教を取り入れなかったとい
っているのです。私は、神道は、道教の他、仏教、儒教、そちらのいうようにキリスト教の
影響までうけていると考えています。
しかし、神道の基本というか、起源は、古代人の稲作開始にともなう農耕儀式を行うため必
要に応じて発生したと思われます。そもそも「八百万神(やおろずのかみ)」自体、自然神的
だし、加持祈祷も外来宗教の影響はあるでしょう(実際にありますが)、あれは自然という
古代人が抵抗なすすべなかった時代に畏怖しておそれ、洋の東西問わず、自然という神に祟
られぬよう祈るところからきていると思います。
ただ神道といっても、先ほど述べたような各種宗教の影響をうけて、個々の外来宗教の影響
がよくでている国家神道、仏家神道、儒家神道、度合(わたらい)神道など色々な教派の神道
ができたのは事実で、国家レベルというか、国家神道だけ切り離して考えると自然崇拝的宗
教的なものが薄いという傾向は、あるのかもしれません。国家神道における、天皇は言って
みれば各地に神社という支社支店営業所を持つ日本神道(株)の社長のようなもののため、
あまり下々の神社での土俗的な神へのお願いという形態は、トップという威厳もあり、とら
ない(言ってみれば厳かな儀式に変えられた)という事はありますが、国家神道においても、
完全に自然崇拝的なものが消えたとは、私にはとても考えられません。ただ、国家神道にお
いて、系譜を崇拝したというのは、わたしもそうだろうと思います。中国の周時代の祭司と
似ており、国家レベルとなると、どうしても系譜崇拝になるのではないでしょうか。
また、道教における老荘思想の影響ですが、たしかに随唐時代頃には、老荘を神としてしま
うが、思想的には影響は殆ど無くなってしまったと思われます。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/6989/
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日本では 投稿者:きんたろう 投稿日:01月26日(水)21時41分38秒
西方浄土というユートピア思想??がありますね。
これは一種の望郷の念なのかなとも思いますが(海の彼方から流れ着いた??から)、理想郷が同じ
次元に存在しているという点がキリスト教の神の国とは違う点だと思います。
中国では、蓬莱山と呼ばれるユートピアの考え??があります。
これも同じ空間に存在しているという発想は日本の西方浄土と似ている思います。
古代ギリシアのアルカディアもほとんど同じ様なものだと思います。
一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら豊かに
みを結ぶようになる、とはキリスト教の中で言われた言葉ですがこれは作物の母であると同時に
死と再生の女神として崇められた大地母神についての名残だと言われています。
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信じられない 投稿者:きんたろう 投稿日:01月26日(水)21時40分08秒
事がありました。
私のところの女性事務員が子供の扶養手当を申請しているわけですが、何故か年末調整の控除に
扶養者を申請していないのです。
旦那の方では扶養手当がないので自分がもらっているとの弁ですが、だったら自分の方に控除を
つけるべきです。
二重受け取り(旦那の方でももらっているのに)の疑念を抱かれても仕方がありません。
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畝源三郎さん、はじめまして。 投稿者:勇者ロト
投稿日:01月26日(水)18時45分28秒
こん@@は、専門家ではありません。どちらかというと大魔王ゾーマ
退治の旅にでることのほうが、多いのです。ここしばらくは旅をして
いませんが(笑)
ご質問の件については、出雲から世界へのひさしさんの掲示板を読んで
いただけましたら、私の老荘思想と神道の繋がり、神道の教義について
の考えはご理解頂けると思います。
簡単にいうと、道教の二本柱の思想のうち神仙思想は影響しているが、
老荘思想は影響してない、という考えです。
神仙思想は、不老不死をその最大のテーマとしていますがそれに連なる
神仙世界への憧憬は邪馬台国の時代以前には日本列島に存在したと思い
ます。しかし一方で日本神話は永遠の命よりも「再生・復活」の要素の
方を強く感じさせます。
陰陽道については同感なのですが、正直陰陽道とはどういうものかイメ
ージしにくいのが今の私の現状です。
それと、「自然崇拝宗教的なもの」についてなんですがどういうものだ
ったと思われますか?私はすくなくとも国家レベルとしては弥生時代の
後期には自然崇拝からの脱却が始まっていたと思います。
では何を崇拝するか?それは「系譜」ではないでしょうか?
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失敗失敗! 投稿者:畝源三郎 投稿日:01月26日(水)17時03分05秒
勇者ロトさん、古代史お詳しいんですね!
他の掲示板やらHPみてわかりました。失敗失敗!
専門家に議論ふっかけちゃった!これだから、掲示板への初カキコは怖い。
安部奈亮さんは、地質学に携わる人ですか?
それなら前から疑問に思っていて、聞きたかったことあるんですが、
できれば教えてもらえませんか。
大陸プレレート説が正しいならば、プレートのどこか一端で、地震が起これば
それにより、新たな歪みが生じるわけだから、それを直そうと、プレートの別
の端で(場合によっては、日本と正反対側の南米などで)、その地震の影響とも
言える別の地震が、よく似た時期に起こりそう気がしますが、そのような事は
ないんですか。逆に言えば、ペルー当たりで起きた地震のために生じた地層の
ズレを修正しようと、プレートの反対側の日本で地震が起こるということは?
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道教伝来2 投稿者:勇者ロト 投稿日:01月26日(水)15時10分32秒
実は、道教は公式伝来はしていないのです。
これは、どういうことかといいますと、「老子道徳経」をはじめとする
道教教典を朝廷や幕府といった日本側の統治機関が受け取らないという
か受け入れなかったのです。
仏教戒律を伝えた鑑真が渡来したとき、中国側は「道士」の同行を進め
ていたましたが、日本側がこれを拒否したという記録も残っているよう
です。唐の時代に最盛期を迎える道教(当時の国教の扱いだったらしい
。何故かというと、老子の本姓が李であるため唐の皇帝の祖先であると
いう風聞も広まったりしたため。唐の皇帝自らもそれを認めていたふし
もある)は、どうやらこの当時に「老子道徳経」の教典を完成させたら
しい。老子の数々の教え(老子五千言)は孔子>儒教>権威主義に反駁
するかたちで熟成されたものであるから、孔子の教えが世間に認められ
た漢代以降から老子思想の名のもと、もともと儒学者だった人々によっ
て形作られたという説もあります。
老子は歴史資料では、孔子と出会い教えを授けるという場面が紹介され
ていますが、彼自体が弟子をとったり教団をつくったりといったことは
記録されていません。これをもって老子の実在性は疑われているのです。
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旗本の文芸 投稿者:安部奈亮 投稿日:01月26日(水)14時58分35秒
江戸の文芸において、旗本の果たした役割は大きい
最低の生活は保証されていて、大都市に住んでいて、
大方は仕事にあぶれて暇でしたからね。
狂歌の大田南畝、「偽紫田舎源氏」の柳亭種彦(どっちも読んだことないですが)
他にもいっぱいいたそうです。
殿様の文芸も、素人の域を越えてたとか、よっぽど暇だったんでしょうな。
話変わって、水戸斉昭公
やはり名君だったみたいです、
18世紀末から19世紀初頭にかけて、北関東の人口は激減します
食っていけなくなったから、江戸に流れたのです。
でも常陸では天保から人口が増加に転じます。
他の国も増加するので関東全体の傾向ともいえますが、
常陸の場合斉昭公のことを考えてもいいかもしれない。
でも斉昭公って、民政に関して何かやったのかなあ?きんたろうさんどうでしょう?
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ついに幕末へ突入! 投稿者:安部奈亮 投稿日:01月26日(水)14時27分11秒
「日本の近世」というシリーズを読み進めてきましたが、
やっと最終巻「近代国家への志向」にたどり着きました。
勇者ロトさん、この本には、平田神学が幕末に果たした役割も書かれています。
この次はシリーズ「日本の近代」です、これはちょっと大きい本屋ならどこにでも置いてるんじゃないかな?
中央公論の黄色い表紙の本です(黄表紙じゃないよ)
道教はさっぱりわからない。今度「荘子」を読んでみるかな、でも結構長いんですよね。
「古事記」には「准南子」からの引用が多いそうですね、
梅原先生と山本七平さんが指摘していた。
中国文学の研究家がもっと詳しく調べているそうですが。
聖徳太子伝説には、キリスト教の影響があるようですね。
浄土教自体、パミールあたりで、大乗仏教とネストリウス派キリスト教の
習合によってできたという説もあります。
江戸時代を勉強して思うに、
日本は薩摩と長州によって占領されたのですな。
日本人が国家に対していまいち愛着が湧かないのも、
明治国家と昭和国家に対する深い怨恨があるからではないでしょうか?
みずからの自然な姿を圧殺された。
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追伸「陰陽道」の影響に関して 投稿者:畝源三郎
投稿日:01月26日(水)14時25分08秒
神道で、陰陽道の影響があることは、認めます。
でも、それは当時の最先端の科学知識としてその効用性を認めたから
受け入れたのであって、宗教的な思想としては、老壮思想や神仙思想を含む
神道とはかなり異なると思います。
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下記訂正 投稿者:畝源三郎 投稿日:01月26日(水)14時06分13秒
「密教」と書いてあるところは、空海と読み替えてください
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道教の伝来(私見) 投稿者:畝源三郎 投稿日:01月26日(水)14時02分35秒
公式伝来は、知りませんが、種々の仏教とともに、徐々に混じって輸入されたのでは。
勿論、勇者ロトさんの言うように、天皇家の儀式の中にそれとは知らず入ってきたことは
江上波夫氏の「遊牧騎馬民族」説等をみても、(全面的指示しなくとも)大陸の影響が
あったことは、十分考えられる事です。
少なくとも、6世紀初頭には百済との交流や、公式の仏教伝来(538)がありますから、
その前後には、儀式的影響だけでなく、思想としても流入したのではないですかね。
私は、結構、仏教に興味を持っており(教義は、大して詳しくありませんが)
空海、鑑真、三蔵法師などの本色々読んでます。
それらから言えることは、教義としてでなく、1つの教養として紹介され入ってきたのでは
ないかと思えるのです。
鑑真が、日本に渡る時(754)、支障になったのは、日本が仏教だけ知りたく道教はいらない、
といったために老子を祖とする唐の了解を得られなかったことは、井上靖「天平の甍」
にも書かれてあり、有名な話ですが、遣唐使は留学生ですから仏典など数多くの書物を
帰国の際、持ち帰ったことは知られたことです。逆にその当時ある程度、中身を知っていたから
公式には、道教の輸入を禁止したと考えられます。
道教の祖は張陵とされますが、張陵が起こした五斗米道は、そもそも、その思想を宗教として
教義・組織化するにあたって、仏教を参考にしていますから(陳瞬臣さんの「秘本三国志」
などに詳しい)、隋唐の頃、学識のある人は別として区別を付けていなかった人も多いようです。
804年、唐に渡った空海も、仏教(密教は色んな仏教を研究していますし)のほかに、
ネストウス派キリスト教(景教)、イスラム教、マニ教、ゾロアスター教・・・・と
色々勉強しており、各種の経典を持ち帰っております。(司馬さんの「空海の風景」、
陳さんの「曼荼羅の人」、ひろさちやさんの空海関係の本に詳しくに載ってます)
ただし、空海自身、「三教指帰」で儒仏道を比較していますから、
空海が道教を持ち込んだのではないことは確実です。
しかし、仏典であっても、他宗教を比較するのは、よくあることですから
直接の道教の本でなくとも、間接的に思想が入ってきたことは多いに考え
られると思います。
ではなぜ、日本で定着し、積極的に輸入されなかったかというと、
日本人には、やはり体質的に合わなかったのではないですかね。
朝鮮などの渡来人の血が混じっている天皇家では、ある程度受け入れられても、
純粋な倭人である日本人には、すでに自然崇拝宗教的なものが出来上がっていましたから
道教を儀式宗教として、神道の神主のトップの天皇家で、形式の一部など受け入れても、
思想的な宗教としては、空海さんと同様に仏教の方が上として、受け入れなかったのでは
ないかと考えますが、勇者ロトさんは、やっぱり思想的にも神道に影響ありと考えますか?
そもそも神道自体に教義というものがないから、儀式的影響だけ考えればいいのであって、
思想的影響を考える方がおかしいのかな?
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/6989/
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風邪で 投稿者:輔住 投稿日:01月26日(水)12時46分09秒
きのうは寝てました。
海野さんのところも盛り上がってますね。
「正義の味方」にちょっとご意見をまた書きました。
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道教伝来 投稿者:勇者ロト 投稿日:01月26日(水)11時16分12秒
みなさん、こん@@は。
日本人と道教の出会いはいつなんでしょう?儒教、仏教、キリスト教の伝来
については、公式伝来は言うに及ばず、それ以前の私家仏教の伝来などが言
われています。
戦中よく唱えられた言葉には「八紘一宇」というのがあります。この言葉が
道教から来たのはご存知ですね?「淮南子」からの出典で全宇宙を(世界)
を指します。
さらに、今でも天皇が行う正月儀式に「四方拝」というものがありますが、
これなんかも、「道教儀式」の香りが残っています。
仏教や儒教にルーツを感じている神道儀式はその多くが実は道教がルーツ
だったのでは、ないでしょうか?
昔話として有名な「浦島子」などにも「五色の亀」が登場しますが、これ
も道教的神仙思想を説話化したもののようにも感じられます。
道教的なものとしては、平安期に流行し現在の神道にも多大な影響を与え
ている「陰陽道」があります。安部清明などが有名です。これは日本オリ
ジナル宗教の一つです。もちろん当時は現代でいうところの最新科学だっ
たと思います。陰陽寮などはさしずめ「科学技術庁のようなものでしょうか?
ではこれら神仙思想を伴う「道教」はいつ公式伝来したのでしょう?
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安部奈亮さんへ 投稿者:畝源三郎 投稿日:01月26日(水)11時06分05秒
遠山景元が、サボタージュしたのは、やっぱり彼が江戸っ子だったからでは
ないでしょうかね。桜吹雪の刺青は嘘にしても、若いころごろつきだったのは本当で、
(長谷川平蔵こと鬼平も若い頃、ごろつきだったが、あの職分は、こういう人物の方が、
下の事情に通じていてよかったようです。たしかあと名奉行で有名な根岸肥前守も出身
階級は非常に低かったはず)
それだけに一層どうも江戸が好きだったようですよ。
だって、芝居小屋はだめ、奢侈は禁止・・・、江戸は政治都市とし、じゃまな庶民は出て行け、
ときたら、江戸っ子なら協力しませんよ。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/6989/
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これも、昔の新人類では・・・? 投稿者:畝源三郎
投稿日:01月26日(水)10時55分39秒
仕事暇なんで、また遊びに来ました
「新人類」ですが、「おっちょこちょい」もそうじゃ、ないですかね。
「おっちょこちょい」というのは、もともとは京都の織元で、
伝統のやり方からはずれた奇抜または新奇なやり方で、織った人達を
伝統にもとずく織元業者が、「おっちょこちょい」と言ったのが
はじまりなんですよ。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/6989/
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おはようございます 投稿者:MAKOTO
投稿日:01月26日(水)06時44分00秒
きんたろうさん、おはようございます。常連の皆様、はじめまして。
暖冬とはいえやはり寒真っ最中、寒い朝です。阿武隈の稜線が太平洋に入る久慈浜あたりの東雲
は雲がたなびいて今日は日の出30分前の鮮烈なオレンジ色の光景が見られません。命の源泉な
のに今日は残念です。すみません、前置きが長くて・・・。
きんたろうさん、昨日は小木津あたりで芝刈りでしたか。寒かったでしょう。
私も先先週3年ぶりにグランドスラムで女性3人とやってきました。今年は4、5回はできるで
しょう。ところで、2003年でしたか、70余年に一度の金砂神社の大祭礼は楽しみですね。
きっとネット上でも今日的な情報交流がなされるでしょうね。
とりあえず初めてお邪魔したご挨拶まで。
http://www.kawamata.co.jp/
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妖怪は死なず? 投稿者:安部奈亮 投稿日:01月26日(水)01時42分31秒
もとい,鳥居要蔵は,明治維新を経験していますね。
水野忠邦は,黒船が来る寸前に死んだんでしたっけ?
遅れまして,畝源三郎さん,初めまして
私,最近江戸時代に目覚めまして,いろいろ教えてください。
遠山景元は,結局天保の改革のときになにもしなかったそうですね,
天保の改革の愚を見越してのサボタージュだったかもしれませんね。
彼は,あの時なにもしなかったゆえに,後年民衆に指示されたそうです。
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チャットの事 投稿者:安部奈亮 投稿日:01月26日(水)01時03分55秒
すみません,12:40ころ,学校から接続を切られまして,やっと復活したら皆さん退出してました,
おやすみなさい。
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新人類 投稿者:Toshy 投稿日:01月26日(水)00時28分02秒
トコロテンさん、こん@@は。
Toshyが学生になる頃、この「新人類」が登場しましたっけ。
>いつの時代でも日本に新人類は存在していたのでしょうか?
南北朝時代の、「ばさら」という人たちは、まさに新人類のようですね。
いつの世にも、そんな方々はいるものだと思います。(^^)
かくいうToshyも旧人類です。
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はじめて伺いました! 投稿者:畝源三郎 投稿日:01月26日(水)00時13分40秒
きんたろうさん、今晩は。
私の掲示板に色々と書いていただいておりますが、
こちらに、はじめてカキコにやってきました。
ところで、いきなり話題提供なんて出しゃばりかもしれませんが、
皆さん鼠小僧の話なんかしているので、
私も、話題を提供したいと思います。
私は、時代小説ファン、特に捕物帖ファンですが、
捕物帖(など時代小説)って、実際に読んでみると、実は幕末の話だった、
というものが多いんですよね。
『半七捕物帖』は、明治になって、半七じいさんが昔語りをする形式になっいるし、
平岩弓枝の『御宿かわせみ』『はやぶさ新八御用帳』「花房一平捕物夜話シリーズ」
は全て、幕末。また、最近のテレビ時代劇、『怒れ、求馬!』『御家人斬九郎』も幕末。
まだまだ幕末の捕物帳、数えられないくらいあります。
ここの常連さん、レベル高そうなので知っているでしょうが、
あの遠山の金さんも、幕末で、亡くなる(安政2年没)前に、黒船来航を経験していますよね!
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/6989/
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日本に新人類の出現について 投稿者:トコロテン
投稿日:01月25日(火)23時56分57秒
初めまして 宜しくお願い致します。_(._.)_ ♪♪
通りがかりに寄らせて頂きました。(~Q~;)
昭和は遠くなりに蹴り (^^)♂♂
一時、新人類の出現なる用語が流行しましたが
いつの時代でも日本に新人類は存在していたのでしょうか?
断絶の世代 <m(__)m>
私は、旧人類に所属すると思っています。(((^。。^)バ(^^*)))タッチ
それでは、(^0^/~~~~)
http://www3.justnet.ne.jp/~kington/
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久しぶりに 投稿者:きんたろう 投稿日:01月25日(火)23時40分45秒
キガルでチャットをしています。(^^)
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今日の 投稿者:きんたろう 投稿日:01月25日(火)20時02分07秒
日立市小木津付近の天気はまずまずでした。
どうして知っているのかといえば山歩き(ゴルフ)をしてきたからです。^^
はっきり言って寒い冬には向かないですね。
先日DDTさんが札幌はマイナス5度だと書き込みをしてくれましたが明日の最低気温はこちらでも
その位までいくそうです。(寒いのは苦手です)
逆説の日本史を少しづつ読み返しているところです。
やはり井沢先生の本は面白いですね。^^
特徴としてはイメージがつかみやすいところかなと思っています。
なみさんの書き込みを読んで思ったのですが、鼠小僧も奥が深かったのですね。
水戸黄門と交代で放送していた時代劇(桜吹雪だったかな??)で密偵役として鼠小僧が出ていましたね。
正岡さんのページにはお薦めのページから飛べますよ。(笑)
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思い付きです 投稿者:安部奈亮 投稿日:01月25日(火)13時01分10秒
神話というのは、信じていた人にとってはもっと切実なものだったと思います。
今の人は、高気圧から低気圧に風が流れるというけれど、
昔の人は、今まさに風塵様が袋から風を流していたと思っていたんじゃないかと。
「信じていた」というのはおかしいですよね、彼らにとっては「存在していた」のだと思います。
ついでに敬語に対して思うのですが、
私たちは「本来なら「来る」を使う所だけれども、偉い人だから「いらっしゃる」を使おう」
という考え方をしますけれども、
昔の人にとっては、偉い人が「こっちに近づいてくる」は「いらっしゃる」以外ではありえなかったのではないかと、
こりゃまた根拠はないですけど。
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だって、井沢先生のファンなんだも〜ん 投稿者:安部奈亮
投稿日:01月25日(火)12時53分58秒
学者さんや、愛好家の人が書いた歴史は、
その専門の歴史に関しては、「なるほどもっともだ」と思うのですが、
その100年後や、前の歴史とどうしてもつながらない所が出てくるんですよ。
元禄の頃の人も5代もさかのぼれば、戦国の人間なんですが、
近世の視点から見た庶民と中世の視点から見た庶民は全然違う。
「権力に飼い慣らされた」とさらっと流されてもね。
われわれは、明治は近代だと思っているけれど、
明治末年でさえ、今から90年前、それに対して、
明治から見れば江戸時代はほんの50年前、自分のじいさん達の時代です。
こう、いくつもの時代を眺めてから「逆説の日本史」を見ると、俄然輝きを放ち出すんです。
こりゃコマーシャルだな、井沢先生のホームページに書くべきか?
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正岡さん見てますか? 投稿者:なみ 投稿日:01月25日(火)06時45分05秒
もしご覧になってたら、今お礼を。
BBSに書き込めなくて、レス遅れてごめんなさい。
王家、現在もプリンセスに連載中とのこと、教えて頂いてありがとうございます。
とまり木の北斗の拳論は面白かったです。(笑)
きんたろうさん、私信ごめんなさい。(ぺこり)
ライアンさん初めまして。
いい環境にお勤めですね。
鼠小僧で思い出したけど、NHKのお江戸でござるの杉浦さんの解説コーナーが、江戸時代の
有名な泥棒の話しだったことが。
鼠小僧の話しも当然出ました。(笑)
私の持ってる本には、鼠小僧の墓石には金網がかぶせてあって、その理由には諸説あるんですが、
すばしっこさで売った鼠小僧が、死後も逃げられぬように網をかぶせたとか、あるいは墓石
のかけらを手に入れると賭け事運や金運がよくなる、はては試験に強くなるといったジンクスが
流布されて、石をけずりとる者が続出したからだともいいます、とありました。
他にもその回では、江戸時代、東海道にその名を馳せた日本左衛門、刀剣専門の泥棒で縄抜け
(逮捕真際に逃走すること)もした上にいい男(これは多分尾ひれと思う)だったので人気に
なったという稲葉小僧、といった人物が挙ってました。(ちょっと不確かかも)
安部さん、BBSに書き込めないんでこちらに。(苦笑)
哭きの竜、ドクター汞、月下の棋士、の作者は能篠純一さんという方です。
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鼠小僧は 投稿者:きんたろう 投稿日:01月25日(火)02時39分02秒
天保の頃の人だったのですか??
勉強になります。(^^)
墓石の破片を持って帰ると願い事がかなうというのは面白いですね。
海野さんのところへ参加してきました。
明日は悪の帝国へ書き込みをしよう。(笑)
ところで海野さん、リンクを貼っていただいてありがとうございました。(感謝)
ふぉーらむを見てきました。
宗教を一刀両断するのはなかなかすごいですね。
マクロ的に見た場合クラス名「地球」50名の内で日本人は1名、中国人は10名、インド人も10名
になります。
見方を変えると、キリスト教徒は15人位でしょうか??
多数決をすれば日本人は負けてしまいますね。^^;
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フォーラムで 投稿者:安部奈亮 投稿日:01月25日(火)00時11分34秒
少々きついことを言ってしまいました。
でも2mさんの発言は,ほとんど差別なんだよなあ・・・
あれじゃあヒットラーや青年将校と同じだ。
私にはクリスチャンの友達も何人かいるし,
黙っている事が出来ませんでした。
でも,怒るだろうなあ・・・
少々水を差してしまいましたね,海野さんのページにいろいろ書きこんでください。
戦隊物の悪役で最強のものも書きこんだりして,
現実空想入り混じってランク付けしても面白いかもしれませんね。
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ずるいーーー(笑) 投稿者:きんたろう 投稿日:01月24日(月)18時57分02秒
安部さん、輔住さん、海野さん、面白いことをやっていますね。(^^)
夜中に出撃予定です。(笑)
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いや〜 安部さんのおかげで大繁盛です 投稿者:海野
荘一郎 投稿日:01月24日(月)18時31分42秒
「正義の味方」より「悪の帝国」の方が人気があります^^;
でも 正義の味方といえば 黄門様 必殺技は「印籠」だし
http://cgi.kiwi.ne.jp/~fruit/historico/flashbbs/flashbbs.cgi
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安部さん・海野さん 投稿者:輔住 投稿日:01月24日(月)13時33分51秒
>海野さんとこで、面白いことをしてますから、是非ご参加を。
お言葉に甘えて参加してみました。
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是非ご参加を! 投稿者:安部奈亮 投稿日:01月24日(月)12時40分59秒
海野さんとこで、面白いことをしてますから、是非ご参加を。
http://cgi.kiwi.ne.jp/~fruit/historico/flashbbs/flashbbs.cgi
(海野さん断りなく勝手にHPのアドレス書いて良かったかな、まあいっか)
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