過去ログ53(2000年〜2月7日)


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やったんですか 投稿者:MAKOTO  投稿日:02月07日(月)13時01分28秒

オフ会を・・・。関西で。で、キンタロウさんは一番遠くの出席者?
私もいつか?横浜でのオフ会誘われたんですが行かなかったことあります。
そしたらそのメンバーがメールで写真を送ってきました。
そんなこと思い出した今日のBBSでした。
ではまた来ます。

http://www.kawamata.co.jp/



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おかえりなさい! 投稿者:輔住  投稿日:02月07日(月)08時20分38秒

オフ会、楽しかったみたいですね。
何よりです。



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重役室ですか、ハハハ 投稿者:畝源三郎  投稿日:02月07日(月)03時02分03秒

端でみていて思わず笑ってしまった。私も、北陸の○○な人間なんで。
確か、片山津にも・・・・
最近になって、時々会話に加わっていますが(オフ会は出てませんが)
この会、ホントざっくばらんな会なんですね。



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またやりましょうね(^^) 投稿者:Sin  投稿日:02月07日(月)01時32分15秒

ロトさんのスイートメモリーぶりが大変思い出深い(笑)
カモフラージュぶりも大変思い出深い(笑)

次回は山中温泉なんていかがでしょうか?
男性限定オプションで重役室に入ることが出来るようにするとかして(爆)
北陸の人間しかわからんネタでした(^^ゞ



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2月5日のオフ会を一言で表すなら 投稿者:勇者ロト  投稿日:02月07日(月)01時23分53秒

「アイヤイヤ」bySinさんというとこですね、



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8時 投稿者:きんたろう  投稿日:02月06日(日)23時09分29秒

少し前に家に着きました。
楽しいオフ会が出来て本当によかったと思っています。
私など調子に乗りすぎて飲んでいたせいか(??)朝の5時頃に胃痙攣で目が覚めてしまいました。^^;;

また開きましょうね!!



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無事帰ってきました。 投稿者:kituno-i  投稿日:02月06日(日)21時20分05秒

皆さん、お世話になりました。
7時頃自宅に戻りました。
とても楽しかったです。

きんたろうさん、ご面倒をおかけしました。 <(_ _)>



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皆さん、お疲れさまでした! 投稿者:Minstrel  投稿日:02月06日(日)09時06分12秒

おはようございます。



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届きました 投稿者:安部奈亮  投稿日:02月06日(日)01時13分25秒

ありがとうございます。
受信に2分近くかかりました。

エクセルとは・・・すごいですね,でもG列とH列の数次は何なのでしょうか?



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どうも、竹内まりあです 投稿者:勇者ロト  投稿日:02月06日(日)01時05分38秒

お疲れ様です。ほんと楽しかったですね。
Sinさんのラブマシーンぶりには驚きました。
何やねん!ラブマシーンぶりって!
安部さんはタクシー帰りですか?
わたしが家についたのは0時頃でした。
安部さん、例のメール送ったのですが、届きましたか?



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ちゃんとたどり着きました 投稿者:安部奈亮  投稿日:02月06日(日)00時54分15秒

阪急使えば12:30まで大丈夫でした。

今日はとても楽しかったです。
皆さんまたお会いしたいいですね。



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字間違ってる! 投稿者:Slashdog  投稿日:02月06日(日)00時06分57秒

>返ってきて、一息ついたところです。
「帰ってきて」でした!!(笑



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あっ! 投稿者:Slashdog  投稿日:02月06日(日)00時04分03秒

Toshyさん 久しぶりですね!

今度は、Toshyさんにも会いたいですね。



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今日は 投稿者:Slashdog  投稿日:02月06日(日)00時01分33秒

楽しいひと時を過ごせました!
返ってきて、一息ついたところです。

きんたろうさん、ロトさん、kitunoさん、Sinさん、池内さん、安部さん、
お疲れ様でした(^^
(きんたろうさん、kitunoさん、Sinさんは、これをすぐ読めないでしょうけど^^; )

また、是非やりましょう!!



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いいなあ 投稿者:Toshy  投稿日:02月05日(土)23時59分23秒

きんたろうさん、みなさん、楽しんでいらっしゃったのでしょう。
関西には修学旅行でしかいったことのないToshyでした。
(個人旅行では三重県が日本の最西端)



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今ごろ 投稿者:畝源三郎  投稿日:02月05日(土)12時22分31秒

オフ会やっているんだろうなー
釣りフェスタを南港近くでやっているみたいだから、
やっぱり行けば良かったかなー?



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国体(「逆説の日本史」風解釈) 投稿者:安部奈亮  投稿日:02月05日(土)00時27分16秒

 天皇は正しい,しかし天皇個人の意思が政治に反映してはならない。何故なら,そうな
ると天皇は政治に対して責任を負うことになるからです。しかし,政治は,至誠(朱子学
の用語)たる天皇から出るわけです。では,どのようにして天皇の御心は顕現されるか?
それは,内閣,帝国議会,司法,帝国陸軍・海軍の助けによって,というわけです。しか
し,これらの機関が決定をするわけではありません,あくまで決定は天皇が下すのですが,
これは天皇個人の意思ではなく天皇は責任を負いません。頭がおかしくなってきます。
 
 これが国体です。これを「逆説の日本史」風に解釈してみます。
 
 恒に正しい天皇の御心をどのようにして知るのか?それは各機関内の「和」に反映され
る。例えば,帝国議会で議決がなされたということは,この議決は帝国議会の「和」の成
果であるのです。日本において「和」は恒に正しいので「帝国議会の議決=天皇の御心」
となるわけです。
 何故誰も決定が下せず,天皇のみが決定を下すのか?それは「和」と言うのは,帝国議
会,あるいは内閣全員の統一した意思であり,誰か個人が下す決定ではないからです。し
かし,それではなにも話が進まないから,天皇の決定とするのです。
 要するに,一番大事なのは,天皇ではなく,各機関内の「和」なのです。
 やがて帝国陸軍は,陸軍内の「和」を国家よりも大事にし(何せ「和」=天皇の御心な
のですから),破滅への道を進みます。



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国体(定説編) 投稿者:安部奈亮  投稿日:02月04日(金)23時51分47秒

 国体とは完結に言えば,天皇の無謬性です。
 江戸時代の朱子学者が,大義名分論を元に、日本史を見なおして気付いたのは,日本の
天皇が一度も断絶することなく,日本の最高統治者である事でした。一部の朱子学者と国
学者は,本家中国の皇帝が,徳を失う事により,易姓革命が起こり,廃されるのに対して,
日本では一度もそのような事は無いとして,日本の天皇家のほうがより尊いとしました。
 この連綿と続く皇統を根拠に,水戸藩の会沢正志斎(1782〜1863)は「新論」において,
日本の「国体」を初めて書き表します。「日本は,世界の最も東に位置して,世界の正気の
発するところであり(朱子学的世界観),日の神の御子孫たる天皇が代々位にお付になって
統治する世界の首位に立つべき国である…」
 このようにして,天皇は日本の正統な統治者とされ,幕末の国難とあいまって,「国体を
正す」ことが統幕の理論的根拠となります。
 その後,明治政府は国家の近代化特に憲法制定において,国体を近代法体系に載せる必
要に迫られます。これを最も意識していたのが,法制官僚として、伊藤博文と共に憲法作
成に従事し,さらに教育勅語を作成した,井上毅(1844〜1895 注:井上馨と間違えない
ように)でした。
 井上毅が終始恐れたのは,天皇をから権限を一任された職務および機関ができることで
した。日本の統治者は天皇であり,そのような権臣の存在は,幕府の再現であるからです。
このため,大日本帝国憲法では,行政,立法,司法,統帥権をそれぞれ担当する内閣,帝
国議会,裁判所,帝国陸軍・海軍は,それぞれ個別に天皇にちょっけつすることとなり,
天皇によって最終的な行動は決められるが,天皇自身はその責任を負わない(神聖不可侵)
ことになりました。
 これが何故天皇の無謬性につながるかと言うと,国家もまた誤ることがあるわけです,
しかし,天皇がその責任を負うことになると,易姓革命を容認しなければならないからで
す。
 天皇は過去も未来も永劫に,日本の統治者でありつづけるわけです。ということは今ま
で一度も失敗をしなかったと言う論理になります。失敗は,臣下が天皇に間違った判断材
料を与えたゆえに起きると言うわけです。これを,「天皇は判断さえ下さない(ただただ正
しい)」と言うところまで突き進めれば2・26事件における青年将校の論理になります。



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(無題) 投稿者:きんたろう  投稿日:02月04日(金)16時34分01秒

今日の昼過ぎに開放されました。
なかなかアクセス出来る所がなく日本橋までやって着てしまいました。
谷町4町目駅4番出口が一番便利です。



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近代も面白いけど 投稿者:安部奈亮  投稿日:02月04日(金)14時27分25秒

近世と違って肩がこりますね,
しかも第1幕のエンディングがハッピーエンドではない事が分かっているから,
読んでいて切ないです。



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神話の話、日本史など 投稿者:畝源三郎  投稿日:02月04日(金)00時39分34秒

安部さん、どうもすみません。ただ行ったら、実際のところ大した事ないとわかる
と思いますよ!
梅原猛さんの本は、「中世小説集」しか読んだ事がなく、神話関係の話で知っている
のは、大学時代、文化人類学で学んだ知識と現在わずかに残るそれらの本を参照す
るぐらいのもの。だから、それらはこれから勉強したいと思います。
もともと高校時代理科系で、社会科は共通一次で、世界史と地理Bを選択し、日本史
の知識は中学校程度でした。大学受験で文系に換え、経済科を卒業し、会社に入って
電気メーカーの営業しながらまた半分電気技術屋となり、現在機械修理工として、自
営業を継いでおります。
日本史の知識も、ほとんど会社に入ってからの余暇にもっぱら歴史小説などから吸収
したもの。大学時代は、ヨーロッパ史(特にアナール学派系社会史、マックス・ヴェ
ーバーの系統の経済史)、中国史に夢中でした。だから、日本史はホントは、大した
事ないのです。



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国造 投稿者:勇者ロト  投稿日:02月04日(金)00時21分53秒

全国の一ノ宮について調べてらっしゃる方はいましたね。確か。
でも、そこには各国の国造のことも書かれていたような記憶が
ありますので、全国の国造について纏められた研究もあると思います。
でも、遥か昔のことなのでよくわかりません。

吉備や出雲、尾張など有名氏族と国造が一緒な場合は簡単なんですけどね。
宇佐のある豊の国なんかはどうなんでしょう?ウサツヒコ・ヒメの宇佐氏
なんですかね?>国造
それとも三輪山の大三輪氏の支族といわれる大神氏?

出雲だけ「こくそう」と読むのも出雲が他の国とは違う点です。
いまでも、国造と県知事の連名で新年の挨拶を地方版の新聞でやっているらしい>出雲



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町奉行所(幕末から終焉時) 投稿者:畝源三郎  投稿日:02月04日(金)00時12分17秒

きんたろうさんも大阪へ行ってしまったし、聞き役いないかもしれないけど
暇なので、今日は、時代小説など読んでも皆さんが殆ど知ることはない、
慶応年間の町奉行所とその終焉の話をします。
慶応3年、江戸市中は物情騒然として、幕府の武官を巡邏隊として命じて警備
に当たらせたが、12月には、南北両町奉行所に命じて、三廻りの同心に対して
、持ち場を定めて夜中も詰切りで警備させた。市中の世話掛名主に対しては、
町奉行所の三廻りと、勤番の歩兵隊のための屯所を作らせ、町役人(ちょうやく
にん=町奉行所の役人でなく、町民の側の公の仕事に従事した役人)も、順に詰
めるようさせている。
こうして、江戸市中の町々に歩兵隊を駐屯させ、市中三廻りが、そこを足がかりに
警備、さらに12月26日には、諸大名に命じて千住、岩淵、品川、内藤新宿、板橋
に関門を設けて警備した。12月28日には、御目付に達して、各所の関所を厳重に
取り締まるように布達。
<町兵採用>町々でも自衛団を作ったり、五人組が連携して警戒にあたったが、江戸
の混乱は続き、御用盗と称する浮浪の浪士団の押込み強盗に全く手を焼いたので、
幕府も思い切って、町民を町兵として採用し、武装させ、江戸府内の警備に就かせる
とともに、幕府が攻撃される状態に至った時には、歩兵の一員としても用いるとし、
慶応3年10月にこれが実施。町奉行所の中に町兵掛が作られ、町兵の統率に、町奉行
所の与力・同心があたった。
<鳥羽・伏見の戦い以降>
慶応4年鳥羽伏見の戦いで、幕府軍が敗れ、将軍慶喜が、軍艦で東下してより、幕府
内部は勿論、江戸市民の人心の動揺が激しかったので、3月2日には、徳川家へ忠義
立てのために官軍に刃向かうと慶喜の身に危害が及ぶから、軽挙盲動するな、という
町触れが出され、幕府はさらに町奉行所をして江戸市民に謹慎させるよう、通達して
いる。与力・同心は、超多忙の勤務状態の隙をみては、市中説諭に出かけ、奔走し、
混乱に乗じた不逞の輩がいると、それを取り締まらなければならなかった。
官軍がいよいよ江戸に近づくと、市民は避難を始めるものが有り、また幕府軍の諸隊
の名をかたって、市民から米金を挑発する者が出たので、3月18日には、町奉行所か
ら、町々の名主に通達を出し、混乱を押さえようとした。
3月18日、官軍は江戸に入ったが、4月21日になると、総督府は、旧幕府の町奉行
石川河内守と佐久間鐇五郎に市中の取り締りを改めて命じた。こうして改めて町奉
行が市制にたずさわったが、上野に彰義隊が立て篭もり、官軍もこれの討伐が計画
される5月3日には、両町奉行所の市中巡邏を停止させ、代わって官軍が巡邏する
ようになり、5月15日に、彰義隊が討伐されると、19日には、江戸に鎮台府が置か
れ、旧幕府の町奉行・寺社奉行・勘定奉行は廃止され、寺社裁判所、市制裁判所、
民政裁判所と名称をかえるようにし、20日に三奉行所の引き渡しが行われた。
この達しにより、3奉行所とその記録は一切、鎮台府に引き渡され、その幕を閉じた
のである。
ただ明治新政府になってからも、町奉行所の実務にたけた与力・同心らは、続けて
多くの者が雇われ、明治政府の屋台骨をささえたようである。

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/6989/



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残念です源三郎さん 投稿者:安部奈亮  投稿日:02月03日(木)23時41分22秒

江戸時代の事がいろいろ話せるかと思ったのですが・・・
また今度ですね。



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全国の国造 投稿者:安部奈亮  投稿日:02月03日(木)23時25分44秒

が,皇族の誰を祖先としているかを調べる事によって,
大和朝廷の勢力の広がり具合を知る事ができるのではないか?
と以前思った事があります。
そう言う地道な事をやっている研究者いませんかね?



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勇者ロトさんありがとうございます 投稿者:安部奈亮  投稿日:02月03日(木)23時17分18秒

4世紀の朝鮮半島の政局と照らし合わせても面白そうです。
ここら辺は,「国譲りの真相」の子や孫の世代の話になるのでしょうか?
オフ会の話も弾みそうですね。



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神功皇后 投稿者:勇者ロト  投稿日:02月03日(木)20時01分13秒

安部さん、残念ながら応神朝の頃まではまだ私の考えはまとまっていません。
崇神あたりで止まったまんまなので、正直なところ神功皇后まで手がまわら
ない状態なのですが、ぼんやりとしたものを下記に記したいと思います。

系譜信仰について考えるとき、古代天皇家の系譜はどちらかというと、
横繋がりのものであったのでは?と思っているのです。
いわゆる、直系相続でなく基本的には兄弟相続だと思っているのです。
しかし、天武朝による万世一系思想と日本国の歴史優位を語るために
書かれた記紀は兄弟間相続が中心だったとはしたくなかったために
実際とは違う直系相続を編み出したのではないかということです。
そのためいろんな齟齬が生まれているのではないかと考えているのです。

つまり、ツヌガアラシト(天之日矛)の後裔であり、但馬や山陰近江あたり
に本拠があったと考えられるオキナガタラシヒメと、応神王朝の始祖女王で
あり九州勢力の代表者的存在の神功皇后の存在意義が変わってしまっている
ということだと思うのですが、神功皇后は九州に行かなかったと考えればい
いのではないかなんて思っています。

皇后という正妻の立場にある女性が、畿内の本拠を王とともに留守にすると
いうのはおかしいと思っています。

一言でいえば、武内宿禰は応神や神功と共に畿内に攻めあがったのではなく
仲哀の死後、単独で畿内に侵攻し、政局を握るための玉である応神と神功を
手に入れたということです。

三韓征伐、鎮懐石、神懸りなどの数々の神話は、魏志の卑弥呼にかぶせるた
めに、九州のオバガミ伝説にあった別人の伝説を神功皇后に重ねたのではな
いか?とも思っています。

誰が?というと、武内宿禰だと思います。この人物も何処かおかしいと思い
ますが、詳しくはわかりません。

もしくは、仲哀の九州での妾を使った王権簒奪なのかもしれませんが、九州
で生まれた妾の子を畿内から動かなかった神功の養子にしたのかもしれません。
いずれにせよ、応神天皇は神功と仲哀ふたりの実子ではないようには思いま
すし、鎮懐石伝説はそれを暗示しているのでしょうね。

応神は仲哀の子ではないと言われてますが、仲哀の子で神功の子ではないのかも
しれません。

うーん、妄想もここまで行くとトンデモ説にもならないなぁ。
この話はそのうちにもっとちゃんと考えてみたいと思ってます。
播磨には応神と神功の伝説も多いことですし、ひょつとすると何か面白い
話があるかもしれません。

安部さんの質問に率直に答えますと、別人なのだと思います。今の所。

別人なのに、同一とされた理由は、「系譜を繋ぐため」ではないでしょうか?



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オフ会の件 投稿者:畝源三郎  投稿日:02月03日(木)18時24分17秒

無理すれば、いけない事もないけど、今回はやっぱりオフ会
やめておきます。最近、結婚式やら葬式が多く、出費が多い
ものですから。
それにオヤジが行くと、浮いちゃうような気もするからね。



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明後日を楽しみにしています 投稿者:安部奈亮  投稿日:02月03日(木)17時20分23秒

きんたろうさんは,もう関西についたのでしょうか?
明後日が楽しみですね

勇者ロトさん,質問したいのですが,
息長足姫と神功皇后って,元々同一人物なのでしょうか?それとも別人なのでしょうか?
私は最近別人ではないかと思うようになってきたのですが,
別人だとしたら,何故同一人物とされたのでしょうか?
同一人物だとしたら,重ならない部分が多すぎるような気もします。
どう思いますか?



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きんたろうさん 投稿者:輔住  投稿日:02月03日(木)12時18分46秒

いってらしゃーーーーーーい!気を付けて!

いつか本場、大阪のたこ焼を食べる事が目標の
輔住より



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きんたろうさん、 投稿者:勇者ロト  投稿日:02月03日(木)09時33分01秒

もう、出発ししちゃったんですよね?うーん、失敗しました。
きのうは、早く寝てしまったので、ページャーするつもりだったんですが
おきられずそのままね朝まで寝てしまいました。

オフ会には、ちょっと遅れて合流します。仕事の都合がどうしてもつかないのです。
すいません。夕方までには、大阪につきますのでよろしくお願いします。



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バナー 投稿者:コテキン  投稿日:02月02日(水)23時04分22秒

実は前々からもう一度作り直そうと思っていたので
今日、改めて作ったのです。
どうでしょうか?


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バナー 投稿者:きんたろう  投稿日:02月02日(水)22時26分44秒

はお薦めのページに二つ載せてありますが、上のものがコテキンさん作で下のものが私が作ったもの
です。
コテキンさん、頂いたつもりになっているのですがどうなのでしょう??



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明日 投稿者:きんたろう  投稿日:02月02日(水)22時21分11秒

から大阪に出かけてきます。
2/5を楽しみにしています。
よろしくお願いします。

輔住さん、皆さん、報告待ってて下さいね!!



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コテキンさん 投稿者:きんたろう  投稿日:02月02日(水)22時07分29秒

新しいバナーを見ました。有り難うございます。(^^)
大阪から戻ったら早速使わせてもらいますね。

勇者ロトさん、系譜編国譲り番外編でのアップを楽しみにしています。
それにしても系譜信仰とは目の付け所が違いますね。
何気なく見落としてきたところに対する注意力にはただ驚くばかりです。

源三郎さん、そうですか。
奉行所としてはもっと大きかったのですね。
納得です。(^^)
詳しい人の話を聞くのはそれだけでも楽しいものです。
これからもよろしくお願いします。

鬼兵で笹島といえば高橋悦史さんがされていた役でしたよね。
それにしても長官が複数存在したとは思いもよりませんでした。
でも組頭がなるわけですから外の班の長が任命されれば当然火付け盗賊改方長官ですよね。(納得)

ところでトップページを少しだけ変更してあります。(^^)



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きんたろうさんのバナーを使用 投稿者:畝源三郎  投稿日:02月02日(水)21時34分52秒

する際、ことわりが必要かと思いますが、著作権は、コテキンさんですか?
きんたろうさんのホームページ、実はすでに私のHPで2日前からリンク
(トップページなど)していますが、トップページやリンクのページを今
実は全面更新作業中ですので、アップの際、できればバナーを使いたいと
考えております。



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お知らせ 投稿者:コテキン  投稿日:02月02日(水)21時11分15秒

私の掲示板に貼ってあるここのサイトのバナーをリニューアルしてみま
した。
見に来てください。

http://www.geocities.co.jp/WallStreet/4009/



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きんたろうさん 投稿者:輔住  投稿日:02月02日(水)12時16分29秒

2/5のオフ会のレポート今から楽しみにしてるからね。



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怨霊信仰と系譜 投稿者:勇者ロト  投稿日:02月02日(水)10時03分01秒

怨霊信仰は、系譜を軽んじる輩への強烈な削除意識の裏返しであると思います。
ただ、系譜はそういった輩にも厳然と存在するものです。他者の系譜への畏れも
あいまって突出し信仰化したのが菅原道真に代表される怨霊信仰ではないでしょうか?
ですから、「怨霊信仰」は「系譜信仰」(こんな言葉が存在するのか疑問なのですが)
のバリエーションの一つにしかすぎないのではないか?と思ったりしてます

「巨木信仰」「七支刀」「世界樹伝説」は同じ根っこであるようにも思います。

http://www.tcup3.com/352/namuji.html?



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ハハハ又失敗 投稿者:畝源三郎  投稿日:02月02日(水)07時58分38秒

後身→後進



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下記訂正 投稿者:畝源三郎  投稿日:02月02日(水)07時57分23秒

5行目:×更新→○後身
下3行目:×きんたろうさんの行為→○きんたろうさんの好意



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きんたろうさんの質問への回答他 投稿者:畝源三郎  投稿日:02月02日(水)07時51分27秒

まず誤解するといけないので、町奉行所の人数ですが、南北計40人でなく、片方だけで、
与力25騎、同心120人(時代により少し違いあり)、南北で合計290人いました。ただ、奉行
所というのは、物書、例繰、吟味、牢屋敷見回り、2、30に別れており、犯罪捜査に使われ
たのが、その内、あの部署だということです。また臨時廻というのは、経験がある少し年とっ
た同心などが、更新の指導なんかも含めて手伝ったのであり、常時見回りをしている訳で
はありません。踊る大捜査線に出てきたいかりや長介がやっていた(?ど忘れ)役と、よく
似ているかもしれません。また岡引、下引がいたといっても、あれは公認のものでなく、
定廻同心が、個人的に手札を発行し(個人発行の証明書のようなもの)、自分の懐から給
料を払い、十手も、臨時に貸しもたせたという形式になったおり、本来、持つ事もできない
立場なのでした。だから奉行所に近づくことはほとんどなく、門番に近づいてコトヅケなど
するということは本来ありませんでした。なにしろ、すでに公衆の常識となっていた岡引の
使用ついて、色々と問題があり、何度も岡引使用禁止例が出ていたくらいなのです。ただ
例外として、奉行所の中間(ちゅうげん)なども手伝いすることになっていましたが、彼らは
奉行所で雇ったのであり、奉行所に、正門からではなく(使用人といえども中間など小者は
正門から堂々とは通れなかった)横の入り口などから、通してもらっていたのでした。
また岡引や下引が、どうして小遣い銭くらいで、本業ほったらかしで、捕物ごっこをしていた
かというと、これはやっぱり、お上の威光を傘にすることによって、町の顔聞きとなり、付け
届けなどや、喧嘩仲裁のあかつきには、報酬ももらえたからでした。なかには、その威光
をいいことに、脅しでお金をせしめていた悪い奴もたしかにいたようです。

町奉行所関係については、とりあえず、この辺にして、ご質問の火付盗賊改方の人数に
移りたいと思います。彼らは、鬼平犯科長にも出てくるように、若年寄の支配下で、本来
の職は、あくまで御先手組であり、長官はその組頭がなったのです。だから身分は、臨
時的な兼務という意味で加役でした。またこの臨時職だった火盗改方も、取りやめる事
ができず常設となってくると、2つ、3つと増え、3人の火付盗賊改方長官がいた時もあり
ます(幕末に近い頃になると、それが常態といっても良いかも)。だから人数は時代によ
って違いますが、本来、御先手組は1組あたり、与力5騎、同心30人であったが、この役
を勤める時だけは、他の組から借りてきて、与力を10騎、同心を50人としました。たしか、
鬼平犯科長でも、与力の佐嶋は優秀でしたので、鬼平が前の長官にたのんで、借りて
きましたよね。また火付盗賊改の資金ですが、すべて長官が出しており、長官の役高は
享保4年に、役高1500石に役料40人扶持を与えられ、文久3年には、役扶持100人とな
っています。
火付盗賊改は、犯人を場合によっては、バッタバッタと斬ることもできたので、町奉行所
と比較すると、非常に荒っぽく見られた。逆にそれだけに、旗本であろうが、御家人であ
ろうが、怪しいと思えば、少しの躊躇もなくどしどしと捕まえ、また万年の仕事でないせい
か(鬼平のように長いのは異例で、普通は数年)手心は加えないので、捕まったが最後
、犯人達はあきらめてすぐ自白したようです。
長くなってしまったけど、今上記に述べたようなことが、町奉行所と火付盗賊改方の実
態です。もしかして、きんたろうさんの私への行為だけで、他の人あまり興味が無い話
だったかもしれませんね。ただ神話の話などは、私正直言ってあまり詳しくなく、とて
も話に加わることできないので、知っている話を、紹介させていただきました。



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すばらしいですきんたろうさん 投稿者:安部奈亮  投稿日:02月02日(水)01時38分56秒

この文章の清書版期待しています。

日本人が「和」を重んじてきた裏には,縄文晩期から,
壬申の乱に至る凄惨な「和国騒乱」があったからではないかと私は思います。

海野さんのホームページに,血縁幻想と「和」と「怨霊」のつながりの文章を書いてきました。



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系譜について 投稿者:きんたろう  投稿日:02月02日(水)00時36分10秒

勇者ロトさんが言われていますが古代において神話と王権は途切れなく続いているものでした。
これは日本に限ったとではなく中国でもあるいはヨーロッパにおいてもそうだった様です。
よくギリシア神話と日本の神話の共通性などが言われますが、これほど空間的に離れたところで
発生した話が似ているというのは人類が普遍的であることの証明のような気もします。
キリスト教が普及する以前の多神教の時代とは八百万の神々(日本ばかりを指しているわけではない)
の方が一般的だったのではないでしょうか。これは祖先信仰にも繋がると思います。

日本以外の国においては神話の神と例え王制をとっている国においてもその王様とは血統的な繋がり
がないことは明白です。
こうした環境下においてはそこに住む人達にとって神話は単なる話に過ぎないのかも知れません。
このような点が日本とは決定的に違うところだと思っています。

ところで日本史においても果たして皇統は本当に絶えなかったのか??という疑問については色々
と言われています。これについては可能性としては非常に高いものだと感じられます。
しかし、例えを正史を虚飾で飾り立てる事は出来ても他の証拠を一掃するという事が果たして可能
なのでしょうか??
日本は古代から大陸の文明を取り入れてきましたが、易姓革命思想だけは日本に根付きませんでした。
この最大の要因が勇者ロトさんの言われている系譜信仰によるものだという可能性は高いと思います。

藤原氏が何故寄生的行動を取ったのかといえば自己の血統に対する劣等感ではないか??というのが
私がページ上にアップした内容ですが、これは勇者ロトさんの意見のバリエーションと考えること
も出来ると思います。

神話と民族の関係を完全に絶つには異民族による占領が必要なのではないでしょうか??
この点日本以外の地域においては民族大移動がありました。
もっとも日本人そのものが東西南北各地からたどり着いた各民族??の混血児ではありますが、
日本列島という鍋の中(フライパンかも??)で出来上がったチャーハンの様なものだと思います??
この中では各素材を見つけることが出来ますがそれをもってチヤーハンを判断するのは無理ですよね??

いずれにしても言語風習などが全く異質な相手が占領した場合、占領地の祭司などに注意を払う
わけがないのです。
しかし、後生の日本史上よく現れる「お家騒動」の一種だとすれば祭司は継承されなければならない
と思えるのです。
これはお家乗っ取りの場合にも相当するのではないかと思います。

これは下書き原稿です。(^^)



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温泉が 投稿者:きんたろう  投稿日:02月02日(水)00時27分56秒

近くにあるとは羨ましい環境ですね。
我が家では「旅の宿」シリーズや「濁り湯」シリーズを愛用しています。

町奉行所の役人数は南北合わせても40人位だったのですか??
確かにこれでは少なすぎるように思います。
江戸の治安の良さが現れているように思います。

長谷川平蔵は長官ですからそうでしょうね。
ちなみに火盗改めは何人くらいの組織だったのですか??



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下記訂正 投稿者:畝源三郎  投稿日:02月02日(水)00時21分32秒

どうも誤字が多いなー。きんたろうさん、ゴメン!
承認→証人



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温泉でふと疑問が 投稿者:畝源三郎  投稿日:02月01日(火)23時13分56秒

この2時間で、銭湯並料金の温泉へ入ってきました。湯船で、ふと鬼平の
「刃向かう者は、斬って捨てい!」という言葉が気になり、もう一度、
きちんと調べたところ、火盗改の機動性はもっとあったようです。
つまり鬼平が、わざわざ御出馬して「斬って捨てい!」と言わなくても、
承認がいれば刃向かった者を斬っても、正当な行為とされたようです。長
谷川平蔵のように自分から見回りしたり、一生懸命出馬したのは、めずら
しい方であり殆どの火盗改の長官は、普通の捕り物は与力以下に任せてい
たようです。また長谷川平蔵も他と比較して、自ら動く事が多かったにし
ても(捕り物も、歴代の中で実際一番うまかったらしい)、小説ほど、自
らは動かなかったようです。
むしろ、彼が有名になったのは、罪人の社会復帰の場「人足寄場」を、松
平定信に進言して、作ったことだったようです。



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火盗改の捕縛について 投稿者:畝源三郎  投稿日:02月01日(火)21時06分13秒

<まず下記訂正>、常町廻り→定町廻り、これぐらいの間違いしでかす
から、私もたいしたことないので・・・・(^^;;
火付盗賊改に関しては、結構池波正太郎氏が、正しい事を言っています。
火盗改ができたのは、町奉行所では、小人数(定廻6人、臨時廻6人、
隠密廻2人、南北で計40人。テレビでやっていたように内役の物書同心
等が、捕物に関わることはまずありません。)では、世相が厳しくなり、
江戸の町も大きくなると、取り締まることは難しくなった。また支配違い
など(寺社仏閣・大名配下の武士が関わる事件など)の事件では、踏み込む
にしても、了解の手続きが要るなど、鈍い動きしかとれず、問題があった。
そこで、御先手組(合戦では先鋒を仰せつかる)の者たちを、平和時にお
いて活かそうということで、火盗改ができたのです。彼らは、FBIの様に
一種の特別警察のようなもので、現行犯なら支配違いなど無視できたし、
他国へ逃げたならば追っかけ捕まえることもできた。また犯人を出切れば
捕まえるのだが、時と場合によっては、捕縛に危険が伴う場合など、切り
捨てることも許されていたのです。勿論、長官(オカシラ)の判断で、ですが。
だから違いというと、難しいですが、平蔵さんの判断で自由に裁量できた
というのが答えでしょう。



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たしかに 投稿者:きんたろう  投稿日:02月01日(火)19時57分07秒

同心がゲートルを履いているのではイメージが狂ってしまいますね。

ところで長谷川平蔵率いる火盗改めが賊と対決するときに刀を持って切り捨ててしまう場合と
十手を使い捕縛するときがありますがこの違いはどの辺にあるのでしょうか??



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町奉行所・幕末同心の服装 投稿者:畝源三郎  投稿日:02月01日(火)19時23分06秒

町奉行所・(常町廻)同心の服装というと、袴無しの着流しに、黒羽織、帯
に日本差と十手というイメージが強い。勿論、間違いではない。
そして捕物時の出役時には、白衣または爺端折をきた上から鎖帷子を着込み、
鎖鉢巻きを締め・篭手・膝当を当て、刃換刀・十手をしていた。
しかし、幕末となると、時勢に合わせて、出役時の姿も変わってきた。
同心は、剣付銃を持ち(勿論、実弾入り)、大羅紗の筒袖黒羽織、そして羽織
の背中には北(または南)の文字印を白く切り伏せ紋にし、頭には、こう山形の
陣笠(長州軍などが幕末かぶっていたあの円錐形の陣笠)をかぶり、足は、くく
り袴のいでたち(袴の膝下あたりと足首のあたりを紐で縛り、遠目から見ると
ゲートルのような感じの格好)であった。
上記の様な鉄砲を肩にかづいた同心など、イメージが狂うので、殆どの時代小説で
は、ペリー以降の幕末を描いていても、そのような描写は用いないようである。



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さすが 投稿者:きんたろう  投稿日:02月01日(火)18時27分14秒

源三郎さんですね。
簡潔且つ明瞭な説明を有り難うございました。
よく分かりました。(^^)
ところでインターネットはモバイルでもされているのですか??

江戸町奉行所とは警視庁と都庁、裁判所を合わせたもののように考えています。
日々の生活が幕府の月番制に合わせてくれる訳はありませんからどうなのかなと思っていたのです。
特に犯罪の場合どうなのだろうと思っていました。



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町奉行所の月番制について 投稿者:畝源三郎  投稿日:02月01日(火)16時14分36秒

今一仕事終えたのでみています。これでも現機械エンジニア(元電気エンジニア)
ですので、忙しいので、仕事やりながら、合間にカキコしています。
江戸町奉行のことなら、おまかせあれ。時代劇の間違いも多々知ってます。
月番制ですが、非番の時は仕事がないのではありません。訴訟などの受付窓口が
閉まっているだけす。殺人・泥棒などの犯罪の操作は、担当の常町廻りなどが
操作を続行しております。また、町奉行の仕事は、警察・裁判の仕事だけでなく、
江戸町民と関わりのある公の仕事は全て江戸町奉行が担当していたのであり、
大変忙しい仕事だったので、たとえば北町奉行が非番の時は、南町奉行の裁判など
の仕事の手伝いに行ったりしていました。だから、南町奉行と北町奉行が犬猿の仲
のように描く、競争意識がなかったといえば嘘になるかもしれませんが、少しオーバー
なのです。
なにか、また捕物帖などで、わからないことありましたら、どうぞ質問してください。
それでは、また、これから今日最後の仕事に出かけます。

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/6989/



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ちょっとした疑問 投稿者:きんたろう  投稿日:02月01日(火)12時51分49秒

大岡越前とか金さんを見ていると非番という言葉がよく出てきます。
江戸幕府の役職はそれぞれ月番制度??があって一月ごとに交代だったようですね。
以前はこれを見て一年の半分しか働かなくて良いのか??楽で良いなと思ったのですが、仕事を
している本人達にとってはそうとも限りませんよね??

例えば江戸町奉行所の役人の場合などで、凶悪犯人の足取りを調査中とか捕まえた相手を取調中
などの場合は一体どの様に対処したのでしょうか??
ちなみに子供の頃は南町奉行所がサウス・エリア担当で北町奉行所がノース・エリア担当と思って
いました。^^;;



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Mayoさん   投稿者:きんたろう  投稿日:02月01日(火)12時50分37秒

すみません。^^;;
悪戦苦闘中です。



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どうかな? 投稿者:Mayo  投稿日:02月01日(火)02時08分52秒

あの話をへし折って済みません。
きんたろうさんその後バナーは完成したのですか?

http://user2.allnet.ne.jp/happystr/



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梅原猛氏 投稿者:kituno-i  投稿日:02月01日(火)00時29分05秒

私も、安陪さんと同じ、梅原氏の文章はとても好きです。
それから、自分の説の間違いを認めることのできる謙虚な所も
好きです。
安陪さんは、今いろいろなことを吸収できる素晴らしい環境と
時間に恵まれています。
時間を大切に、研究に励んでくださいね。

「無知を恐れる事なかれ、偽りの知識を恐れよ」
私の好きな言葉です。
私は、わからないことを「わからないから教えて」と素直に
言えるような心を持ち続けていたい、これが私のモット−かな。



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