過去ログ97(2000年〜11月4日)


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iso-propane 投稿者:安部奈亮  投稿日:11月 4日(土)23時13分26秒

イソとは有機科学の用語のことですか?ってななわけないですよね(笑)



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押忍 <(_ _)> 投稿者:kituno_i  投稿日:11月 4日(土)23時03分56秒

きんたろうさん、昨日日光に行かれたのですか!
混んでいたでしょう?

私の街も一応常陸を代表する観光地ですが、すごい車の渋滞でした。
流鏑馬あったし。

私は「文化の日」に因んで、武道に親しんできました。
空手と弓道です。
空手の大会では、応援している大人達のマナ−の悪さにがっかりしてきたのですが、
その隣室で75歳の御老女が弓道を一人でなさっていて、ピンと張りつめた弓矢と
緊張感にとても神聖な空気を感じてきました。

空手も弓道も一歩間違えれば大けがに繋がります。
それだけにル−ルを守ることが大切なのだ、という御老女の一言が心に響きました。
日本古来の武道は、礼儀や作法を重んじますが、それは「相手対するおもいやり」
なのかもしれません。



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楽しみな宿題がたまってゆく、、、、、、 投稿者:ホグニ  投稿日:11月 4日(土)21時13分03秒

きんたろうさん、ただいま!
仕事は予想以上に楽でした(笑)。
今日はゆっくり休みます(笑)。

Toshyさんはあいかわらずすごいですね(笑)。
俺もチェスのソフトでも買って勉強しようかなあ(笑)。



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無事到着しましたか 投稿者:勇者ロト  投稿日:11月 4日(土)19時06分27秒

ほっとしました。

みなさんも、よろしくお願いします<営利活動すいません(自爆)

私は、今ここを開くまで、ずっと「ISO」は「イソ」と読むものだと思っていました(笑)

http://www.vzhyogo.com/~sakurakomichi



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昨日の企画 投稿者:Toshy  投稿日:11月 4日(土)17時57分11秒

は新聞社の話題になるところとなって、ロシア側の代表が取材を受けました。
わしらも有名人(笑)

世界チャンピオンのこと、きんたろうさんよくご存知ですね。
カスパロフさんは日本の将棋にも興味を示していらっしゃるそうですよ。

今、将棋界に通じている雑誌社の方からメールが来ました。「パシフィック(日本・フィリピン)vsコンチネンタル(ロシア・モンゴル・ウクライナ)」の記事を書いてくれというものです。

http://village.infoweb.ne.jp/~fwjd2293/chess.htm



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JUNAさん 投稿者:きんたろう  投稿日:11月 4日(土)13時43分05秒

リンクページの貼り替え作業が終わりましたよ^^
そうそう、魔異夢さんは美人好きなのです、笑

Toshyさん、2勝とはさすがですね。
チェスと言えば天才世界チャンピオンが弟子に負けたそうですね。
戦績を見ると正に五分と五分の勝負でしたよね??

勇者ロトさんの出雲年表を見て来ました^^
本当にすごいですね!!
びっくりしました。
あれだけまとめるのはとても大変だと思いました、笑
でも、勇者ロトさんの面目躍如ですね。

大坂JF生さん、先日は突っ込みを有り難うございました^^
やはり用語は一般的な使い方をしなければとしみじみ思いました。

なにしろITを「イット」と言う人には「アイティー」だと教え、ISOを「イソ」と読んでしま
う人には「アイエスオー」だと口を酸っぱくして言っているのは誰あろうこの私でした、自爆^^



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勇者ロトさん 投稿者:きんたろう  投稿日:11月 4日(土)13時39分31秒

桜小径とおふくいもは予定通り午前中に届きましたよ^^
おまけまで付けていただいて有り難うございましたV_(^O^)_V

早速お茶を入れて両方をいただきました。
ちょうど、10時ちょっと過ぎくらいに届いたのはラッキーでした、笑。

久し振りに食べた桜小径は茨城では見ることが出来ないほど上品な和菓子だと思いました^^
また、おふくいもは逆に食べ応えがある一品で好対照の品添えですよね!!
中に栗が入っている所が「みそ」なのかなと思いました。
こちらもあるようで無い画期的な商品だと気がつきました!!^^
どちらもとても美味しくいたきましたV_(^O^)_V

勇者ロトさんの和菓子類はホームページ上から注文する事が出来ますから是非お勧めします^^



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大阪JF生さんこん@@は! 投稿者:勇者ロト  投稿日:11月 4日(土)11時15分40秒

大阪JF生さんも、出雲大社に興味がおありでしたよね?(違ってたらごめんなさい)
よかったら、出雲大社関連年表見てくださいね!

中世から近代にかけての出雲大社の歴史は私が知っている出雲大社とは違った一面を見せてくれました。

ところで、きんたろうさん商品は無事に到着しましたでしょうか?

http://kigaru.gaiax.com/home/dragon_suplex20c/diary



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ご意見ありがとうございました。 投稿者:大阪JF生  投稿日:11月 4日(土)09時16分54秒

 安部様、コメントありがとうございました。
穴の話も同時にお聞きしたような気がします。
それと、石の話を混同したのかも・・。

 きんたろう様、いつもお邪魔しています。
頼りない記憶でまことに申し訳有りません。
諏訪までは飛んで行かなかったのですか・・・;。
上記のように,「穴」の話とごっちゃになっていたのかも
しれません。
天高原の件、了解いたしました。
くだらないツッコミにもきちんと答えていただき
ありがとうございます。
早速IMEに単語登録しておきたいと思います。



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出雲大社関連年表 投稿者:勇者ロト  投稿日:11月 4日(土)01時04分29秒

たった今、明治時代まで辿り着きました。
とりあえずこれで完成ということにしたいと思います。

「注」も大幅に改訂、付け足しをしました。

お暇があれば、ご覧下さいm(__)m

http://kigaru.gaiax.com/home/dragon_suplex20c/diary



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家光の 投稿者:きんたろう  投稿日:11月 3日(金)18時52分04秒

奥の院を見て来ました。
あいにくの雨でしたがものすごい混み具合でした!!

日光の威力はさすがにすごいと思いましたV_(^O^)_V
疲れました^^;;



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国際親善チェス対抗戦 投稿者:Toshy  投稿日:11月 3日(金)17時58分45秒

今日はチェスの国際親善試合でした。
パシフィック(日本・フィリピン)vsロシア(ロシア・モンゴル・ウクライナ)で10ゲーム。
日本・フィリピンの4勝6敗で、またしてもロシア側に花を持たせることに。

Toshyは2勝0敗と、メンツを保ちました(^^)

http://village.infoweb.ne.jp/~fwjd2293/chess.htm



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これは 投稿者:きんたろう  投稿日:11月 3日(金)03時30分58秒

先日Toshyさんのところに書いた内容と全く同じものなのですが...笑、
朝鮮系の血が入った理由はアメリカで成功した富豪が没落したイギリス人貴族と結婚したがった事
と同じ様なものだと考えています^^;;

水戸家を見ると代々正室を京都の公家から迎えていますが、この状態が250年続くと血筋的には
ほとんど京都の公家さんそのものになっていたと思っています!!
つまり慶喜に至っては血の濃さから見ると公家そのものと言っていいほどだと思います。

でも水戸家の存在理由が何かと言えば家康の子供が始祖であるからですよね。
これと同じ様なものではないでしょうか??



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アドレス 投稿者:JUNA  投稿日:11月 3日(金)00時49分46秒

HPアドレスが変わります〜。
今月中でいいのでリンクも変更してくださいね♪

そうそう。きんたろうさんがTOPに私の写真とリンクしてくれたので
魔異夢さんが遊びに来てくれましたぁ〜♪

http://www.ad.wakwak.com/~juna/index.htm



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水田のある風景 投稿者:安部奈亮  投稿日:11月 3日(金)00時25分38秒

大河川の下流の一面の平野に水田がある風景は,近世に作られたものです。
それまでは,山から流れる水をあてにした農業くらいしか出来ませんでした。

徳川家綱と綱吉の頃に,沖積平野が開拓されて,日本の水田は倍増し,人口も倍増しました。私達が日本の風景と思っている,延々と広がる水田は実は新しい風景なのです。

沖積平野が,かつては耕作不能であった事を考えると,洪積平野が広かった,吉備がクローズアップされるのです。

東南アジアで栽培されている稲は浮稲です。浮稲は日本では栽培された事はないと言って良いと思います。

室町時代に,治水技術の向上と,人糞を肥料に使う技術が発達しました。佐竹氏の,戦国時代の石高が,古代にも通用するかどうかは怪しいと思います。

日本人のDNAは25%が朝鮮人で,25%が中国人だそうです。多分,西国にはこう言った,大陸起源の人が多いのではないかと私は思います。これは他の色々な証拠により補強されます。

霞ヶ浦は古代には良港だったのかもしれませんね。それゆえに,全国的に展開した天孫族の根拠地になったのかもしれません。



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日立製作所 投稿者:安部奈亮  投稿日:11月 2日(木)23時54分20秒

これは,日立鉱山の,工具修理工場が前身です。創業者は小平浪平です。神ね公園の入り口には久原房ノ助翁と小平浪平翁を称える石碑が立っています。日立製作所製のC86機関車の横です。小さい頃はその機関車でよく遊びました。機関車はいろいろな線やら管やらが張り巡らされているので,かくれんぼまで出来ます(笑)

日立製作所は大物を作るのが得意ですね。戦前は軍需産業に食いこんだため,日立市は空襲と艦砲射撃で徹底的にやられました。艦砲射撃は内陸の中里にまで及びました。

日立鉱山及び日本鉱業と日立製作所は戦前既に全く違う会社になっています。

日立市にある大きな企業としては他に日立電線があります。少し日鉱金属のの資本が入っています。助川と日高に工場を持っています。



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安部さん 投稿者:きんたろう  投稿日:11月 2日(木)19時31分19秒

日立鉱山2ですか!!
これはとても楽しみです。
よろしくお願いします^^
楽しみに待っていますね。

日立鉱山はとても新鮮に読むことが出来ましたよ。
あのプロトタイプを小学生の時に作ったと聞いた時には更に驚いた記憶があります^^
さすが安部さんと思いましたV_(^O^)_V

「日立」という企業グループは良きに付け悪しきに付け「野武士」的イメージを持たれていると思
いますが、「技術」へのこだわりはさすがに技術屋集団だなと感心しました。
このようなイメージは営業の松下と好対照ですよね、笑

藤原氏の秘密5を読んでいただいて有り難うございました。
当時は霞ヶ浦の沿岸に沿って人が住んでいたものと考えています。
霞ヶ浦に接する場所ですから当然低地になりますよね。
このような沼の様な場所でこそ原始的な手法での農業が行われたのではないでしょうか??
イメージ的にはカンボジア付近で水牛に鍬を引かせているようなシーンを思い浮かべています^^

古代において内陸部まで人が進出していたのかどうかは極めて疑問に思っています。
少なくともオオクニヌシと同時代においては内陸部の開発はほとんど行われていなかったと思って
います。

それではどのように人が内地に進んでいったのかと言えば、これは川沿いに上っていったのではな
いでしょうか??
具体的に言えば日立港付近から久慈川を、那珂湊付近から那珂川を上っていったと思っています。
県南地方は鹿島から霞ヶ浦沿いに入っていったのではないでしょうか??

戦国時代末期佐竹氏の時代に鹿島7万石と言われていました。
常陸国54万石からすると比率はかなり小さくなっています。
もっとも勢力範囲が完全にイコールかと言えば疑問ですが...

ちなみに将門の本拠地付近は台地になっています。
崖も多くそれが自然の囲いになっていたものと見られています。
馬が逃げ出す心配をしなくてすみます^^から一石二鳥だったのです。

ひかんの正しい漢字はどちらなのでしょうか??^^
ちなみに広辞苑で調べてみたところ両方出ています。
でも先に書かれているのは被官の方でした^^



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大阪JF生さん 投稿者:きんたろう  投稿日:11月 2日(木)19時26分37秒

有り難うございました。

飛び石伝説とは常陸国覇権争奪戦で触れている甕星香香背男事だと思います??多分??
伝説によると甕星香香背男は大きな石に変化(変身??^^;;)そうです。
建葉槌命がこの石に攻撃すると石は4つに割れて飛び散ったという事です。
その4つの落下先とは一つが東海村石神(例の事故があった付近です)、二つ目が鹿島灘の海の
中、三つ目は常北町石塚、そして4つ目が笠間市石井であるとされています。
さすがに諏訪までは飛んでいかなかった様ですが...^^;;

ちなみにこの4つの場所とは甕星香香背男を頂点とするネイティブ・豪族集団の各拠点ではなかっ
たかと思っています。

天高原については私の造語です^^;;
天をどうしても先に使いたかっただけです(というよりずっとこうだと思っていた^^;;)笑

Minatrelさんや大阪JF生さんにはあっさりと見破られたようですね^^;;
こんな小さい部分にまで気が付かれると言うことはとても良く読んでもらっている事ですよねV_(^O^)_V
改めまして有り難うございますV_(^O^)_V
公式な(正確な)単語に訂正してきますね。

ところで日向とは「ひむかい」と呼ばれた事の表記だと思っていますが、これは日に向かって出発
したという故事に乗っ取っているのではないかと思いつきましたV_(^O^)_V



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勇者ロトさん 投稿者:きんたろう  投稿日:11月 2日(木)19時23分14秒

やっと意味が分かりましたよ!!(多分??笑)
沖縄民謡に似た旋律を持つ最近流行っている歌ですよね??
女の人が裸足で踊りながら歌っているのをテレビで見ましたV_(^O^)_V

ところで、大三元さんのアドレスが分からなかった理由が判明しました!!
パソコンが別だったのです。履歴がどうしても見つからなかった訳でした^^;;



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源さん 投稿者:きんたろう  投稿日:11月 2日(木)19時21分03秒

久しぶりですね^^
読んでいただいて有り難うございます。

海路と陸路の根本的な違いとは線と点の様なものではないでしょうか??
要するに海路の場合はA点からB点へショートカット出来るようなものだと考えています。
何しろ船に揺られて勝手に(と言っては大袈裟ですが)遠方に着いてしまうという利点を持ってい
ますからね、笑。

この点から見ると船は実際のスピード以上の移動力を持っているのかなと思っています。

また、船の場合は浮力が強力な味方になっていると思っています。
これによって大量の荷物を同時に遠方へ移動させることが出来るからです。
もし、陸路を使って大量の物資を運搬するとしたらかなり大変ですよね。

今回は触れていなかったのですが、日本海側は更にこれを内海として活動していたであろう事は間
違いのない事実だと思います。
このようにして沿海州や高句麗、新羅との交流もあったのではないでしょうか??



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藤原氏の秘密読み終えました 投稿者:安部奈亮  投稿日:11月 2日(木)15時49分52秒

とても面白かったです。

まず霞ケ浦の意味、なるほどと思いました。内海だから「浦」なのですね。そうですよね、湖だったら、霞が沼になっているはずです。

常陸国で古代に水田耕作がおこなわれていたかは少し疑問です。石岡や笠間や御前山のあたりは、水源としてなだらかな山があり、古代の谷田耕作がしやすいですが、鹿島のあたりは古代にはまだ乾いていません。沖積平野で水田を作るためには、高度な治水技術が必要で、寛永・元禄のころまで沖積平野で農耕はできませんでした。常陸南部と下総の陸地は、背後に水源を持たない台地ですので、農業があったとしたら、畑作か牧畜のはずです。確か平将門も牧畜をしていたはずです。

茨城県は今でも陸稲の生産高が日本一、群を抜いています。もし稲作がおこなわれていたとしたら、陸稲の栽培だったでしょう。陸稲の栽培は、雲南のあたりに起源を持つそうです。

天皇家に姓がないところの話は、清王朝の名字を思い出しました。愛新覚羅と言うのは、中国では姓がないと始まらないから、部族名かなんかからとって無理矢理つけたそうですね。元々彼等満州族には姓がなかった。

被管はおそらく被官の間違いだと思います。

東国や、九州南部、紀伊半島などではきんたろうさんの話が良く当てはまりそうだと思いました。でも、瀬戸内はもっと違う道を進んできたような感じがします。なんとなく感覚的に、きんたろうさんの話は瀬戸内や北九州では当てはまらない感じがします。それと、畿内には、帰化人の影をもっと強く感じます。古代の天皇家が、東国を基盤としたのは、案外畿内では天皇家はよそ者だったからかもしれませんね。

フランチャイズのところ、今の歴史学ではそう考えているようです。中央の豪族は、地方の豪族の窓口みたいな仕事もしていました。同じ物部氏でも、中央と地方では違って、中央で滅びたからといって、地方でも滅ぶと言うことはなかったそうです。そうすると、中央の豪族が実質支配する範囲と言うのはかなり限られていたそうです。



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久しぶりに 投稿者:安部奈亮  投稿日:11月 2日(木)15時19分51秒

自分の書いた「日立鉱山」を読み直したら、誤字脱字の多いこと多いこと・・・
金太郎さん、そのうち直したのを送りますから(メールかあるいは間違いを赤ペンで直したのを手紙で)、訂正をお願いできますでしょうか。

銅の掘り方や精練の仕方、産出量の推移など、「日立鉱山」の第2弾を書いてみたいなと思っているのですが、宜しいでしょうか?



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風穴・水穴 投稿者:安部奈亮  投稿日:11月 2日(木)14時50分47秒

と言うのが日立市にありまして、そのどちらかが諏訪までつながっていると言う伝説があったと思います。



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掲示板 投稿者:Toshy  投稿日:11月 2日(木)10時07分31秒

>私のトップページからのリンク先はどちらがいいと思いますか??

歴史の方は暫定版で、いずれ姿を消す可能性が゜ありますから、
今のままにして置いてください(^^)



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藤原氏の秘密に感激 投稿者:大阪JF生  投稿日:11月 2日(木)09時58分02秒

 きんたろう様の壮大な論文拝見いたしました。
さすがすごいですね。本当にリアリティにあふれていて
わくわくします。形式的な議論でなく,地に足がついた感じで,
ぐいぐい引き込まれてしまいました。
 それでふと思い出した事があります。過去に既に言及ずみなら
ご容赦ください:
小生の知り合いに日立に移り住んでいる方がいるのですが,
何度か泊めていただいた事も有り,奥様から地元の話として,

 「飛石伝説」(勝手に付けた呼び名です)

を興味深く聞かせてもらった事があります。
かなり前の話で,当時の記録も見当たらない上に
頼りない記憶力で申し訳無いのですが
(皆様のような博覧強記の方々がうらやましー!)
ドラゴンボールのようにいくつかわかれて飛び散った石(岩?)の
一つが当地に有り、別の一方が諏訪(記憶怪しいです)に
あるとかいった話だったと思います。
出所は常陸風土記ではないかと思っていたのですが,
ご存知有りませんか? また、きんたろう様のお説と
関連有りそうな暗示だと思うのですが,いかがでしょうか?

 また、鉄器文化については以前に触れたので詳しくは述べませんが,
小生が聞きかじった話と良く合っています。実は格闘技フリークでもある
小生にとっては,道場に常に祭られている鹿島・香取大明神は、
別の意味でも興味あるところです。なにしろ、タイマノケハヤとノミノスクネの
対決は,立ち技極真・K1系とコンデコマ・グレーシー柔術系の戦いのルーツで、
先日の小川直也の勝利なども同様の流れではないかとひとりで想像している
変な人間ですから・・。

 続きを楽しみにしておりますが,Minstrel様ご指摘の「天高原」は
「高天原」ではないのでしょうか?「たかまがはら」と打てばIMEでも
このように変換しますが,もっと深い意味もありそうですので,
(くだらないツッコミに終りそうな気もしますが,そのときはあっさりと)
コメントお願いします。小生の師は趣味で推理小説を自費出版したりしている
方なのですが,代表作の一つにこの地での殺人事件があるもので・・
いつもながらつまらない文章でスミマセン。
でも楽しく読ませていただいたので、書かずにはおれませんでした。



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♪ダリ〜ダリ〜 投稿者:勇者ロト  投稿日:11月 2日(木)08時49分15秒

をしらないのですか?(ダリ〜ダリ〜に聞こえるのは私だけかもしれませんが・笑)

大三元さんの掲示板アドレスは下記です!

http://hpmboard1.nifty.com/cgi-bin/thread.cgi?user_id=CXN00172



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先ほど書き忘れましたが 投稿者:源さん  投稿日:11月 2日(木)08時03分37秒

能登と常陸の共通性に関して、学究的とはいえるほどではないですが、
読売新聞北陸支社のHPの「北陸文化考」の下記のページにも、ちょっと
したエッセイが載っています。最近、景品に目がくらんだ父親のせいで
阪神ファンなのに好きでもない黄泉売、あっ違った、読売新聞を読んで
います。ハハハハ
よかったらご覧になってください。

http://www.yomiuri.co.jp/hokuriku/bunka/bun1011/bun1011.htm



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掲示板へのカキコ有り難うごぜェますだ! 投稿者:源さん  投稿日:11月 2日(木)07時43分19秒

ご無沙汰しております。最近は、吉川英治の「新平家物語」を読みながら、一方で、
色々な本をパラに読むということをしており、1月以上も前に「新・・・」を読みだの
にまだ読み終えておりません。その様に読書に耽っているので、最近は、ネット遊
びはあまりやっておりません。ネット友達に対しては皆、無沙汰しています。<(^^;;

常陸の鹿島(香嶋)と能登の鹿島(香嶋)の関係については、私は何とも言えません。
ただこの頃、先史時代や古代関係の本など読んでいると、昔は想像以上に、遠距離の
移動をしていたことがわかります。日本海側では、稲にしても土器にしても、鉄器に
しても陸の伝播のスピードを飛び越えるようにして、飛び地的に色々なものが伝わっ
たことがわかっています。海辺の民は、文化の伝播者だったことがわかります。

神社の本によると、延喜式に書かれている日本の4大社とは、そちら常陸の鹿島神社、
香取神社、福井の気比神社、それに能登の気多神社ということです。それと出雲神社
など考えると、先史時代から何かと栄えた地域に大社のようなものはあったのではな
いですかね。今までは、古代に関しては倭の国がどこにあったかだけが注目されがち
でしたが、地域の文化圏や、その相互の交流というものは、やっと脚光を浴び始めた
気がします。

奥能登には、真脇遺跡という遺跡があり、直径1mもある柱が環状に並んだ跡も幾つ
か見つかり、出雲などと同じく巨木文化があったことがわかっています。さらに驚く
べきことには、縄文時代の初めから終わりまでどうやら一度も絶えることなくそこに
人が住んでいたこともわかっています。全ての層から土器などが見つかり、現在北陸
でわかっている全ての年代の土器も揃っているからです。このような長年にわたる定
住跡が見つかったのは、今の所、日本でここだけのようです。

土器というものは、ファッションのように自由な発想で作れるものではなく、地域に
よって作り方が決められており、年代による変化もありますが、その変化の内容は、
厳しく守られていたことがわかっています。それからわかるのは、先史時代において
ほとんど完全に能登と越中が同一文化圏であったことがわかっています。近年、製材
の組み合わせによる高度な建築や船などが出土している富山県小矢部市の桜町遺跡も、
土器で調べると完全に同じ文化だそうです。そしてこの文化圏は、岐阜の高山あたり
まで続いていたようです。

古代以前は、思った以上に日本海を利用した交流が盛んだったということです。北前
船は、商人の末裔としてその冒険的活躍には憧憬がありますが、それらが栄えた江戸
時代さえなかったような大胆なルート、能登半島から越後の海岸まで突っ切る(どう
やら)定期ルートも、古代にはあったようです。北前船のルートは能登半島の廻りを
這うように伝って行くルートでした。日本人は徐々に臆病になったのかもしれません。

あと最近わかったことですが、日本海のルートとともに、日本の背骨とも言える越後
や中部の山々を越えて関東に出るルートが古くからあったということです。このこと
は、勾玉の材料のヒスイが日本で唯一糸魚川から出た事なども関わっているようです
が、稲作文化をもった弥生人が、低湿地帯でない山へ山へと入っていき、関東と繋が
ったのではないですかね。

きんたろうさんは、足利家と新田家の仲などについても書かれていましたね。仲の悪
さの原因は、私は多少違う意見など持ちますが、それはそれとして新田義貞が蜂起す
るとき、自分の領地や一族がある越後に使者を送ると数日で、援軍が来ましたね。あ
れは前から不思議だったのですが、前もって準備されていたにしろ、山越え道が思っ
た以上古くから整備されていたのかもしれません。

前にも書いたかもしれませんが、安寿と厨子王の話を読むと、母姉弟は、常陸の北、
いわきの人ですが、母親と越後へ出て、糸魚川付近で、人買いに売られて丹後まで行
きますが、当時お金を出せば遠くまで運ぶ船便に近いものがあったことがわかります。
あそこに出てくる人買いの佐渡の二郎と宮崎の三郎はそれぞれ、佐渡と越中の朝日町
宮崎の出身だといわれています。宮崎三郎は、丹後・由良の山椒大夫に兄弟を売りつ
けるのですから、それを思うとネットワークのようなものさえ感じてしまいます。

話が、だらだらと長くなってしまいました。古代において、関東と北陸とが交流する
可能性は、現代の想像以上にあったと私は思います。



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Minstrelさんの 投稿者:きんたろう  投稿日:11月 2日(木)03時40分57秒

書き込み分を早速いただいてしまいましたV_(^O^)_V
有り難うございました。
早速加筆してしました^^
おかげで良くなったと思います、笑

Minstrelさんがアップされていた香取神宮のところを見て来ましたよ。
利根川を挟んでまるで両神宮が門のように建ち並んでいるように感じますよね??^^
やはり同じように感じられたのですね!!

あるいは巨大な「鳥居」だったのかも知れませんね??^^

輔住さん、読んでいただいて有り難うございます^^
太平記について言えば南朝側の人が北朝の元号を使うわけがないですから、表記はともかく北朝サ
イド(と言ってもレベルの問題が別に発生しますが)の人物が書いた物だと思っているのです
が...??

Toshyさん、了解しましたV_(^O^)_V
ところで私のトップページからのリンク先はどちらがいいと思いますか??

勇者ロトさん、じっくり読んでくれて有り難うございます、笑
意味が全然分かりませんでした^^;;
ところで大三元さんの掲示板のアドレスを教えてもらえますか??
宣伝に行こうと思ったのですが...

ゆえさん、良くいらっしゃいました^^
また遊びに行きますねV_(^O^)_V



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日本とインディアンの共通点 投稿者:安部奈亮  投稿日:11月 2日(木)00時07分54秒

消化効率が異様に良いらしい。
ですから,粗食に耐えるけれど,ちょっといい食事をするとすぐ糖尿病や肥満になりやすいとのこと。
あるインディアンの部族は,洋風の食事をするようになって,肥満が増えてしまったそうです。

バイト代が入ったので,御馳走を食べようと思っていざ安い中華料理屋に入ったのですが,やっぱり一人で何皿も頼むと高いので,天津飯と餃子しか食えなかった。ニラレバ食いたかったなあ。



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今日の「その時歴史が動いた」 投稿者:安部奈亮  投稿日:11月 1日(水)23時59分07秒

見ましたか,伊能忠敬の話です。とても感動的でした。
見ていない人がいましたら,再放送がそのうちあるので,是非見ることをお薦めします。

普通の人が世の中を動かした素晴らしい話です。
科学者として,日本人として,自信の湧いてくるような話でした。あれぞ科学者のあるべき姿です。



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気宇壮大 投稿者:勇者ロト  投稿日:11月 1日(水)23時23分51秒

いやあ、読み応えがありました(^o^)丿

日本列島をカバーする大きな話になりましたね。
安部さんがいつかいってましたが、きんたろうさんの文章で読むと説得力を感じました。

不比等の話にもっとつっこんで欲しかったですが、まだまだ続くんですよね?>藤原氏の秘密。
更なる発展と展開を期待しています!



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おはつカキコです。(^^; 投稿者:ゆえ  投稿日:11月 1日(水)18時22分58秒

今回はこちらにカキコ…こんにちは。(笑)
いつもうちの掲示板にカキコして頂きまして、ありがとうございます。(^^

連絡頂いた「鹿島」の説、読みました。
相変わらず壮大で凄いですね。ため息が出ちゃいました。(笑)
でも…あたしってば頭が悪いので、ちょっと難しいかも。(^▽^;;
でもでも、また新たにアップされた時はまた教えて下さいね。(^−^)ノ



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>タイトルに偽りあり 投稿者:勇者ロト  投稿日:11月 1日(水)10時57分59秒

というのは、そういう意味でしたか!!

では、いまからじっくりと読ませていただきます。

http://kigaru.gaiax.com/home/dragon_suplex20c



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接続不能で一時期使わなくなっていた 投稿者:Toshy  投稿日:11月 1日(水)09時50分04秒

旧掲示版を作り直しました。
歴史と文学の難しい話はこちらでしましょう
雑談と特撮の話は、いつも通りToshy’sでお願いします。(笑)

http://www60.tcup.com/6010/toshy.html



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読みました 投稿者:輔住  投稿日:11月 1日(水)08時31分14秒

藤原氏の秘密5!すごいですね。天皇家がなぜ名字がないのか!
かなりの説得力がありました。いままで私はこの問題に
たいしてピンとくる答えを見たことがなかったので
(あまり古代史に強くないのが主因かもしれませんが)
また考察力にも改めて脱帽しました。

話は変わって太平記に関していえば、少なくても「南朝側」とは
いえないと思ってます。作者には複数のグループが関与していると
思ってますし、登場人物の評価も誉めたり、批判したり
客観的だと思います。最後は細川頼之をべた誉めした形なので
作者グループには北朝側の人間もいたと考えたほうが妥当でしょうね。



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早速読んでいただいて有り難うございました^^ 投稿者:きんたろう  投稿日:11月 1日(水)02時16分18秒

今回アップで特色を出せたのはkitunoさんのアドバイスのおかげですよV_(^O^)_V

書いても書いてもなかなか藤原氏まで到達しなかったので実のところ困っていました^^;;
タイトルに偽り有りですね、笑
先ほども書いたのですが息切れをしてしまったというのが本当のところです、自爆
不比等についてはいずれ触れたいと思っています??

Minstrelさん、こんなに喜んでいただけると嬉しいですV_(^O^)_V
>鹿島周辺では早くから稲作が盛んだったのでしょうか?東国では西ほどのスピードでは稲作が広
>がらなかったという説もありますが・・・?
関東平野と近畿平野に限定しますが、この両者はともに日本の大平野ですが実は平均海抜の点から
見ると大きな違いがあります。
同じ平野でも関西のほうが低いのです。
(現代のレベルから見ればですが)原始的な稲作の場合これは大きなハンディキャップになったろ
うと考えています。
関東地方一面で農業が発達してくるのは灌漑技術が発達してからだと思っています。

例えば平将門は「牧」を経営していましたが、これは馬を養うに適した場所だった点も大きいので
はないかと思っています。

鹿島の場合はその様な関東地方一般レベルから見ると水郷地帯を見ても分かるように低地に存在し
ています。
霞ヶ浦を内海とした場合この付近一面が農業にも適した場所だったのです。
勿論、穏やかな内海で漁も盛んだったと思っています。

>私は逆に感じています。道路が整備されていない時代、陸上交通は危険があります。古代であれ
>ばあるほど海上交通は重要で、海が交通を阻むのではなく、海こそ開かれ安定した交通ルートな
>のではないかと思うのです。縄文人は東南アジア、南太平洋の島々、南米にまで到達していたよ
>うで、こういう状況からあらゆるものを神格化する感覚が生まれ、八百万の神が生まれ、葬式は
>仏式、クリスマスに初詣みたいに、何でも受け入れられる体質になったのではないかと考えてい
>ますが、どうでしょう^^
さすがMinstrelさんです!!
この部分をそっくり拝借してもいいですか??V_(^O^)_V

安部さん、確かに遅刻すると肩身が狭いですよね^^;;
交通事故などの渋滞で予期せぬ場合でもそうです。
いつもと同じ時間に家を出ているにもかかわらず(1時間くらいは)小さくなっている必要があり
ます。
(大手を振っては挨拶が出来ません、笑)
これはこれで不可抗力やで、と内心思っていますけどね、笑

Toshyさん、太平記と言えばここの中で使われている元号は北朝のものですよね??^^
すると太平記は北朝サイドと見てもいいのでしょうね??



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藤原氏の秘密5 投稿者:安部奈亮  投稿日:11月 1日(水)00時20分42秒

1と2を読みました,面白そうなのでゆっくり見させていただいて,その後で感想を述べさせていただこうと思います。

学生をやっているとどうも時間にルーズになってしまうようです。
バイト先でそれを指摘されてしまいました。私としてはたいしたことない遅刻のつもりでしたが,お金を頂いている以上,失礼な事ですよね,遅刻は。気をつけなければ。

バイト代が入ったので,「マジカルエミ」のCDを買います(笑)



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怨霊 投稿者:Toshy  投稿日:10月31日(火)23時47分05秒

そりゃまあ、怨霊で歴史に影響する事件が起こっては困りますがな(笑)

>後半部分には,直義に近い人物が関わっているのかもしれません。
さすが!
手元にある資料には、玄恵という法師(太平記の執筆者の一人らしい)が直義の前で読み上げたという記録が残っています。
もともとこの人は後醍醐天皇に近い人物で、日野すけともらと親交があったということで、初めの方の執筆から関わっていたのではないかと考えられます。

ところで後半、吉野を逃れた後村上天皇は、あのう(西吉野)や十津川に潜んでいましたが、これら奥吉野は修行僧や山伏の土地ですね。執筆に関わった人たちは、全国を歩く山伏たちの情報などを取り入れて執筆したのでしょう。
これらの山伏、怨霊の登場に関係があるのでは?!

http://village.infoweb.ne.jp/~fwjd2293/index.htm



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読みました!興奮しました!! 投稿者:Minstrel  投稿日:10月31日(火)23時20分52秒

鹿島と隼人を結び付ける画期的な考察だと思いました。
私のページの『房総の歴史』でもちょっとだけ古代の香取の海のことが香取の側から書いていますので、良かったら見て下さい。

私も天皇家は海の民と山の民によるものだったのではと思います。邪馬台国などは名前の通り、山の民の代表ではないかと思っています。特に海人族の活躍は縄文時代から相当のもので、私はこれにオホ族説をかぶせています。(オホ族説についてはいずれアップしたいのですが、時間が・・・)
詳細は省きますが、代表的なオホ族として物部氏や多氏を考えています。中臣氏は九州出身ではないかと思っていますが、鎌足はどうしてもオホ族になってしまうので考えこんでいたところです。藤原と中臣は別という話しはあまりに新鮮でブッとびました。

それから、武甕槌が出雲から武御名方を諏訪まで追ったことについてですが、最近、古代において大陸との交流を考えていた際に、高句麗やウラジオストクあたりから直接日本海側と交流していた物が、信濃川、千曲川を上り、秩父あたりを越えて関東入りするルートがあったということに気がつきましたが、これは出雲と関東との交流ルートでもあるのではないか、と思いました。出雲から関東に(またはその逆も)行軍する際に信濃を討った可能性もあるなと思いました。

今回の『藤原氏の秘密5』で私が疑問を持ったのは次の部分です。
鹿島周辺では早くから稲作が盛んだったのでしょうか?東国では西ほどのスピードでは稲作が広がらなかったという説もありますが・・・?
隼人、鹿島人、蝦夷あたりは稲作伝来以前から列島にいたと思っていたので、このあたりを考えたいと思いました。

> それどころかこのように優れていると認めた者に対しては広くそれを受け入れようとする習慣があります。その理由はこの日本という場所が四方を海に囲まれた島国であるが故の閉塞感に依るところが大きいのかも知れません。

私は逆に感じています。道路が整備されていない時代、陸上交通は危険があります。古代であればあるほど海上交通は重要で、海が交通を阻むのではなく、海こそ開かれ安定した交通ルートなのではないかと思うのです。縄文人は東南アジア、南太平洋の島々、南米にまで到達していたようで、こういう状況からあらゆるものを神格化する感覚が生まれ、八百万の神が生まれ、葬式は仏式、クリスマスに初詣みたいに、何でも受け入れられる体質になったのではないかと考えていますが、どうでしょう^^

今回の『藤原氏の秘密5』は、私の疑問点も含め、古代史を考える上で大きなヒントが沢山あるように思います。特に「かぐしまネットワーク」についての考察はとても興味深く、私の考えるオホ族の東進にも合致しているように思えました。

長い感想でスミマセン。何かワクワクしてしまいました。
ところで、「天高原」とも表記するのでしょうか?

http://www.interq.or.jp/pluto/minstrel/



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あ!! 投稿者:kituno_i  投稿日:10月31日(火)22時13分05秒

もしかしたら「藤原氏の秘密」はこれで完結?



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さっそく読みました!! 投稿者:kituno_i  投稿日:10月31日(火)21時53分03秒

地図と神様の配置図の挿入でとても理解しやすくなったと思います。

続きをすご〜〜〜〜〜〜く楽しみにしています。
私のトピックでも宣伝してしまいました。^^

藤原氏について、これからも期待しています!!



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藤原氏の秘密5 投稿者:きんたろう  投稿日:10月31日(火)19時00分56秒

をアップしました。
見てくださいね(ぺこぺこ)

その1からその4までの長編です。
そのせいか??最後の方はちょっと息切れしてしまいました、笑

尻切れトンボかも??^^;;

http://www.net-ibaraki.ne.jp/kintaro/fujiwara5-1.htm



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安部さん、そのとおりですね。 投稿者:輔住  投稿日:10月31日(火)17時30分02秒

>ちっぽけな頭目を憑り殺したり,豪の者にまんまと退治されてしまったりしているんです。
確かになー。楠木正成なんかも尊氏や直義などに祟るわけでもないしちょっと拍子抜けします。



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斯波氏のことなど 投稿者:安部奈亮  投稿日:10月31日(火)14時54分44秒

「太平記」では斯波氏は巻によっては足利氏とも表記されています。斯波義将ではなくて足利義将と書かれている場合があります。
南北朝の戦乱期には,斯波氏は足利氏から分離してまだすぐで,足利氏に成り代われる存在だったのかもしれません。

「太平記」は,なんとなく足利直義と斯波氏に好意的に見えます。足利尊氏に対しては態度保留に見えます。高師直や佐々木道誉などのばさら大名は生き生きと書いていますが,批判的な文章も見られます。北朝はとことん存在感が薄いです。南朝も後醍醐天皇が死んでからは書いていない,というか情報がないから分からなかったかのような書き方ですね。こう考えると,後半部分には,直義に近い人物が関わっているのかもしれません。



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太平記の怨霊 投稿者:安部奈亮  投稿日:10月31日(火)14時45分02秒

これがどれもこれも龍頭蛇尾なんですよ。
登場シーンはものすごくいかめしくて、実際の戦乱にも大いに関わっているかのように描写しながら、良く読んでみると大勢に影響ないちっぽけな頭目を憑り殺したり,豪の者にまんまと退治されてしまったりしているんです。
なんだか無理矢理登場させているようにも見えますね。
例えば,元となる「太平記プロトタイプ」があって、それに無理矢理怨霊のシーンを後から書き足したとも考えられると思います



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琵琶法師 投稿者:ともさん  投稿日:10月31日(火)05時32分50秒

琵琶法師は何人いたかしらんけど、「耳なし芳一」は目が不自由だった。だからこそ、語り部とし
ての能力が発達していた。ともいえるでしょう。
あれは、作り話でしょうけど、目の見えない僧などが多かったのかもしれません。

また、平家物語。例えば清盛の死の床の場面やがけ下りなんかを文章だけみると、「ちとおおげさすぎじゃ」なんて思うけど、あれが語り部を通して聞かされると、ある意味興奮して聞いてしまう
かもしれない。

http://www5a.biglobe.ne.jp/~tomosan/



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勇者ロトさん 投稿者:きんたろう  投稿日:10月31日(火)05時15分25秒

ニューホームページを見て来ましたよ^^
すごいですね!!
もう少し近くだったら勇者ロトさんの所に入り浸っている自分の姿を想像できるのですが...笑
(迷惑だっていわれの可能性大ですね^^)

Mayoさん、こちらでは久し振りですね^^
いつもハッピーに溢れていて私も見るのを楽しみにしています。
それにしてもMayoさんのレスはさすがですねV_(^O^)_V
いつも感心して見ています。

室町幕府は南北朝の混乱ばかりではなく鎌倉公方の存在もまた「旗頭」の存在を現している様に思
っています。
何というか「コモンウェルス」のあまり良くない状態が想像されてきます^^;;



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語り部について 投稿者:きんたろう  投稿日:10月31日(火)05時13分04秒

古代とは「語り部」がその異能ぶりを発揮した時代であるとも言えるのではないでしょうか??

語り部が異能力者なのか努力の賜として歴史上に存在しているのかどうかについてはたぶん記憶力
抜群の素質を持った人が努力を振り絞った結果ではないかと思っています^^

文字による「記憶効果」と音声によるそれを比べてみればどちらの方がより正確(と言うか密度が
濃い)かは明らかだと思っています。
本を読んでいるだけよりは講義を聴いた方が分かりやすいですよね^^

例えば新聞を半年分記憶する事が出来るメモリー分とは15分くらいの録音時間に過ぎません。
(動画なら3分くらい??)
                  
大三元さんが言われているように文字を得て失われた(伝承されなかった)事柄もまた多くあるよ
うに思っています。
それに例えば「推古天皇」という文字から来る印象と実際に発音されていた「おおきみ」かな??
ではずいぶんと印象が違うのもまた事実です。

しかし、生きたレコーダー=人間は不慮の死の可能性も考えられますし、耐応年数にも限りがある
上に造り出すのも大変であると言った理由で文字の輸入とともにシフトしていったのではないかと
思っています。

ともさんが書かれているように琵琶法師の語りとは鎮魂の意味がとても強いものだろうと思いました。
それにしても琵琶法師が全国に何人くらいいたのか良く分かりませんが、「平家物語養成講座」の
ようなものがあったのでしょうか??^^
知っている人はいますか??



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キリ番ゲッター 投稿者:きんたろう  投稿日:10月31日(火)05時10分58秒

11111番の安部さんを記録しましたV_(^O^)_V
下のアドレスです。
確認をお願いしますね。

http://www.net-ibaraki.ne.jp/kintaro/bangetter.htm



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