2001/10/06



易姓革命史観との衝突
古代史の風景1


何千年もの昔からこの日本列島に住む私たちの先祖達は豊かな自然の恵みを十分に受けて命を繋いできました。神話を見ても日本列島という国土が海や山の幸にいかに恵まれていたかについて書かれてあるくらいなのですから、この島々に住む古代の人達は神々から祝福された場所であるかのように思っていたのかも知れせん。このように私たちの先祖にとって非常に豊かで恵まれた土地であるとされているのが日本なのです。


しかし、日本列島の地図を見るとその8割が山間部であり平野部分の占める割合は僅か2割にしか過ぎません。ですから「日本が豊かである」とは地図を見る限りには客観的な歴史的事実からかけ離れたものであるように私には感じられました。また、この事に関しては私と同じ様に真実は神話とは全く正反対のものであると感じている人も多いのではないかと思っています。子どもの頃の授業の記憶を辿っても「貧しい」教えられたような気がしています??そういえば、誰でもがよく「狭い日本」と口にします。まるで口癖のように、あるいは枕詞のように「狭い日本」という言葉が使われるのは日本人の特徴のように思われてきます。ですから、この狭い国土のさらに2割だけしか平野部分がないという事実の前では日本の自然環境が豊かさとは正反対のものであると錯覚してもおかしくなかったのかも知れません。


私は現実にはこのように貧しい環境であるにも拘わらず「豊かだ」と書いたのは神話の代表的な嘘の部分だろうと思っていました。つまり神話に描かれている姿は実際のものとは決定的に違っているはずだと思っていたのです。古代の現実の姿は神話の中で謳われている豊かさと矛盾しているようにしか思えませんでした。そして誰もが私のように古代人を取り巻く実際の日本の環境は豊かさとは正反対に位置する劣悪なものだと思っているように信じていたのです。


近年では携帯電話の普及率はめざましいものがあります。人口普及率はほとんど100%近くにまで到達しています。しかし、その人口普及率98%の「空間占有率」とは一体どのくらいのものなのでしょうか??携帯電話のエリア図を見るとその赤く塗られた「通話可能範囲」が日本列島のほんの一部にしか過ぎない事が視覚的にもよく分かるように思っています。この赤く塗られた「範囲」こそが私たちが生活している空間のほとんどを占めているのです。そしてこの範囲とは正に日本列島の2割を占める平野部分に他なりません。私たちが日本列島を使用している「領域」がこの地図からはよく分かるように思っています。


特に古代においては列島の内陸部は手つかずの土地であったのは想像に難くありません。ひょっとしたら内陸部を覆うように茂る森林は人間のものではなく山の神や獣たちの領域であると思っていたのでしょうか。道路が未発達であるという状況などから考えても古代人の住居はその大部分が現代よりも遙かに海よりだったように思っています。確かに新幹線からの景色は海岸線のすぐ近くまで山が接近しているような場所が日本列島にはとても多いという事に改めて気付かされるような気がします。


現代人の感覚ではとても狭くて豊かな居住空間を確保する事が出来ないと思われるこのような場所こそが実は古代においては全く逆に高い価値を持つものとして認識されていたのではないでしょうか??つまり海の幸、山の幸といった自然の恵みを容易に手にする事が出来る場所こそが最も素晴らしいと考えられていたように思われるのです。


これは食糧の自給自足という大前提から考えれば納得のいく考えだと思うのです。特に長期保存など全く考えられなかった時代においては海のすぐ近くにありながら同時に山の幸もまた得ることが出来る場所の価値がいかに高いものかは現代人の私たちの感覚を遙かに越えているものがあると思っています。海と山の産物を同時に得ることが出来る事は、生きるのに精一杯の努力をしていた古代の人々にとって最高に恵まれた「聖地」そのものであったような気がしています。この様に考えを進めてくると現代の感覚で過去を判断する事が違っているのではないかと思われてくるのです。


日本列島は恵まない土地だと思われてきました。しかし、山が海岸線にまで迫っているという自然環境こそが古代に住む私たちの祖先に最大の恵みをもたらしたと推測する方が実は正しい理解なのかも知れません。多分私たちの先祖にとっては自然の恵みを豊富に受け取る事が出来たのは間違いがないような気がしています。だからこそこ神話においてもまるで「約束された場所」のように描かれているのではないかと思うのです。