happyweekend 〔introduction〕




 店に入って来た時から、秋山の様子がおかしいのは気が付いていた。嬉しそうな、あるいは何か面白いことでも見つけた子供の素振りを見せて
いた。これはいけない、とは思ったものの、職場放棄など思いつきもしない坂井である。礼節をわきまえ一礼で迎え入れた。
 それに気づいた川中が、嬉しそうに手を上げる。それに返して坂井にも挨拶を返し、川中の隣に腰掛けた。
「珍しいな、おまえがこの時間に来るなんて」
 揶揄する川中に、秋山が肩を竦めた。
「たまには友人の夜の顔でも拝んでおこうかと思って」
「何言ってんだ。真夜中の顔も知ってるだろう」
 ともすれば意味深なセリフも、ただ単に真夜中近くからクルージングに出ている二人ならば何を言ってるんだとしか思わない。しかしどうやら秋山
は半分本気だったらしく、心外そうに眉を上げ不意に坂井の方に目をやった。
「おい、坂井。他人事みたいな顔するなよ。俺はお前に話があって来たんだからな」
「俺ですか?」
「坂井に?」
 二人同時に疑問を投げたのに、秋山は苦笑してこくりと頷いた。
「お前に、引率を頼みたくてな」
「引率」
 聞き慣れない言葉に、坂井が首を傾げる。引率など、生まれてこの方された事はあってもした事など一度もない。第一、一体何処の誰を引率しろ
というのだろうか。
「菜摘と、安見のだよ」
 坂井の当然の疑問に、秋山はそう言った。
 事の始まりは、商店街のくじ引きだった。その日は商店街開設何十年かを祝って買い物合計金額に見合った回数だけくじを引ける催しがあり、
買い物をしていた秋山の妻の菜摘が、見事特賞を引き当てたと言うのだ。それが、つまり今回の話の発端である。
「で、何が当たったんだ」
 いつもならとっくに店を出ている時間になっても、川中は腰を上げずにいる。この楽しそうな話を聞き逃す手は無いと思っているらしい。坂井はそ
れにウンザリとして川中を睨んだ。
「社長。面白がってますね」
「当然だろう。俺の話じゃないからな」
 至極当然、ケロリと言われて、坂井は毒気を抜かれて肩を落とした。
「一泊二日、ディズニーランドご招待。流石に遠いから、二人で行かすのはちょっと心配でな。でも俺は連休中体が空かないから付いて行くわけに
もいかん。だからといって、行くな、とは言えないだろ」
 過保護だろ、と自嘲する秋山を、川中も坂井も笑いはしなかった。秋山がそうなるだけのことが今まで何度もあったのだ。そうなるのは当然と言
えた。
 とにかく、それで引率の意味が分かった。坂井は困った風に眉を顰めた。
「それで、俺が二人の付き添いに?」
「ああ、頼めないかと思って」
「でも…」
 どうして、自分を選んだのか。その意図が分からずに坂井は困惑する。よりにもよって明らかに堅気でない雰囲気を纏った自分よりふさわしい人
材がいそうなものなのに。
 しかし目の前の二人はそう思わないらしく、勝手に進める方向性に話は流れていた。
「行ってやれよ、坂井。秋山からの頼み事なんてそうはないからな。この機会に恩のひとつも売っておけ」
 後で便利だぞーと揶揄する川中を無言で睨む。しかし川中はそ知らぬふりだ。
 咄嗟に秋山を見ると、ニヤリと笑った。
 これはいけない、と坂井に思わせた笑いであった。
「ああ、もちろん、お前一人に子守の責を追わせようなんて言わんよ。…下村にも声を掛けるから、二人で頼むぞ」
「はあ?!」
「ああ、それがいい。どうせゴールデンウィーク中は返って店が暇になるんだ。たまには有給使って来いよ」
 鶴の一声。曲がりなりにも社長である。
 川中はそれだけ言うと、さっさと席を立って店を出て行ってしまった。どうやら好奇心は十分に満たされたらしい。
 その背中を睨んでいると、秋山が名を呼んだ。
 振り返ると、てっきり笑っているとばかり思っていた秋山が、酷く真剣な面持ちでこちらをじっと見ていた。
「…二人を頼む」
「……分かりました」
 安見と菜摘は、秋山にとって宝物のような存在だ。それは坂井にも十分分かっている。坂井や、下村をおいて年齢的に考えてもこれ以上の適役
はいないだろう。それくらい分かってはいた。それでも珍しく子供のような顔をした秋山に、いらぬ警戒心を抱いてしまったのだ。それをすまなく思
い、坂井は心の中で秋山に頭を下げた。しかし、どうしても納得いかないもうひとつの問題点に坂井は疑問を投げかけた。
「でも、俺一人でも十分ですが。…何も下村まで駆り出さなくても」
 悪の巣窟に二人を案内するわけではないのだ。行く先はファミリー向け夢と魔法の国だ。間違ってもやくざ同士の抗争や、薬の常習犯が暴れだ
すようなところではない。都会の雑踏に懸念があるのなら、坂井一人で十分のはずだった。
「いや、下村は東京暮らしが長かったんだろう。詳しい人間が居たほうが、観光は楽しいだろ?」
 全く尤もな意見ではある。坂井はぐうの音も出なくなってしまった。それに、これ以上下村の同行を拒否するのは秋山に疑念を持たせかねない。
「分かりました。下村には俺のほうから?」
「いや、直接話すよ。どうせ明日会うから」
「…そうですか」
 坂井は相槌を打ちながら、待ち合わせをするほどに二人は親しかったのだろうかと疑問に思う。
そんな話を下村から聞いた覚えは無い。二人で会っているのを見たことも無い。自慢じゃないが、いつも下村に付きまとっている自信が坂井にはあ
る。下村の行動範囲に秋山との会合は無かった。
 こちらをじっと見ている秋山に気が付いて、坂井はハッとした。
 顔に出ていただろうか?
「な、なんですか?」
「いや、それじゃ、頼むよ。詳しい話は菜摘か安見の方から連絡する」
「分かりました」
 それじゃ、と軽い仕種で片手を上げて、秋山は辞した。気づかれなかったことにほっとしながらそれを見送って、坂井は秋山のグラスを下げた。
 下村が他店の見回りから帰って来るのは、閉店に近い時刻になるだろう。
 今はいない人影を思いながら、とんだ休日になりそうだと漏らしたため息に、危うく混じりそうなる笑いを堪えるのに苦労した。



 しかし明らかに浮かれた態度の坂井に、店員内で有らぬ噂がたったのは言うまでもない。
  







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五月の連休に、連続更新企画でアップしたものです。