happyweekend 〔magickingdom〕 「わあ!」 車から体を乗り出す勢いで歓声を上げた安見の声につられて目をやると、目の前はもう、夢と魔法の国だった。 高速を降りる最寄の出口は時期が時期だけに大変な込みようで、車は中々前に進まない。しかし安見は一向に気にする様子も無く、閑静な住 宅街の中に忽然と現れる一種異様な異国の町並みに目を奪われ、窓の外に見えるお城や何かの山の頂を眺めては嬉しそうに声を弾ませた。 「あんまり乗り出すなよ、落ちるぞ」 嗜めた下村に安見は少し恥ずかしそうに舌を出すことで答えて、すとんと後部座席の下村の隣に腰を落着けた。 「だって、下村さん。私ずっと来てみたかったんだもの。嬉しくって」 そうしてにっこり笑った安見に、下村は柔らかく微笑んだ。それをバックミラーで捕らえながら、坂井は助手席に座る菜摘と目を合わせて笑いあっ た。 開け放した窓からは海沿いの爽やかな風が入り込み、ゆっくりとした速度で走る車の中を駆け抜けて行く。突き抜ける空の青さは驚くほど澄んで 目に痛いほどだった。それに目を細めながら、同じ海沿いの街でも海風の匂いは違うものなのだなと坂井は不思議な気分で思った。 「坂井くん、大丈夫?」 それを疲れた仕種と取った菜摘が、横から心配そうに声を掛けてきた。 「いえ、大丈夫ですよ。交代で運転してるんで、そう長い時間でもないですから」 地元からここまでの間に、休憩の度に坂井と下村は運転を交代してきたので、実際の走行時間は長くは無い。普段あまり長距離を運転しない坂 井にとってそれは中々楽しい事ではあっても、決して苦痛ではなかった。 そう?と菜摘が安心したように頷いて、斜め後ろを振り返った。運転席の後ろが安見の指定席だ。 「そろそろ着くけど、あんまり興奮しすぎて鼻血出したりしないでね?」 「やだ!もう!そんなことしないわよ!」 真っ赤になって反論する安見に、菜摘がぺろりと舌を出す。どうやら以前そういうことがあったらしいのを察して、下村は笑っていいのか黙ってい いのか判別しかねる表情でいる。それがいつもの冷静さを欠いていて、坂井の笑いを誘った。それに気づいた下村がバックミラー越しに恨みがまし い目を向けても、坂井の笑いは一向に収まらなかった。 「安見…まだいく気かよ…」 「大丈夫か?」 「坂井くん、ちょっと休んでなさいよ」 夕暮れ時を迎えた園内には物悲しい音楽が流れ、本当に古き良き開拓時代の西部に来たような気分だった。そしてフト辺りを見回すと、幾分家 族連れが減っている気がする。しかしその分カップルが増えたようだった。 そんな中、大方の予想通り人ごみに慣れない坂井が最初に音を上げた。大の男が情けないと思うが、こういったところに全く免疫の無かった坂 井には、ここまで持っただけでも表彰ものだろう。 実際、連休中の人出は半端ではなかった。 「殴り合いでもしてた方が、よっぽど楽だぜ」 「確かに」 植え込みの石段に腰掛けながら、両足を投げ出して息をつく。その様子にちょっと笑って、習うように隣に下村が腰を下ろした。 「菜摘さんと安見は、並びに行ったよ。お前と俺はここでお留守番だ」 笑った下村の顔も流石に少し疲れているように見えたが、実際は視界が著しく暗い為にそう見えただけかも知れない。どちらにしろ下村は一緒に 行くつもりは無いらしい。 それがちょっと嬉しくて、坂井は疲れよりもそれのほうが気になってそわそわした。 「な、なあ、どうしてここは夜になってもあんまり明るくしないんだろうな?」 どうにか騒ぐ胸を押さえようと、どうでもいい話を振ってみる。下村は不思議そうに首をかしげて、顎を指先でもてあそんだ。 「どうしてだろうな?ここは昔からそんな感じだったな、そういえば。気にしたこと無かったけど。でも不自然に明るいより、落着いてほっとする感じが して俺は好きだけど」 テーマパークといえば、昼よりも華やかになるのが必定だった。それを覆して、ここでは夜を重んじ、それが尚不自然ではない。確かに幾分か足 元は覚束ないが、返ってゆったりと歩くことになり雰囲気が増す気がした。 「そうだな俺も…好きだよ」 お前が。心中だけで付け足して、坂井は自分で自分の言葉に照れた。 その場しのぎで発した言葉に、下村が予想以上にたくさんの言葉をくれて嬉しくなる。 優しい横顔が、ボンヤリとオレンジの照明に照らされて浮かんだ。その輪郭の柔らかさにうっとりと見惚れながら、まるで普通の恋人同士のよう にただ並んでいることが坂井には嬉しかった。 坂井は下村のことが好きだったし、下村も坂井の気持ちに答えてくれた。それでもこんな風にまるで男女の恋人同士がするようにほんの一時と はいえ一緒に居られる事を嬉しく思う。でも同時に、少し淋しい気持ちになるのもまた、事実だった。 本当ならば、今すぐにでもその肩を引き寄せて、目の前で肩を組む恋人たちのようにしたいと思う。しかしそれは叶わない。どうしたって付き纏う 制約にわめき出したい様な苛立ちを感じるときもある。しかしそれを下村が望まないのなら、坂井が出来ようはずも無い。疲れた頭に浮かぶ鬱々と した気分に、坂井はため息を漏らした。 「ほら、少し休んでろよ」 グイッと突然引き寄せられて、慌てて体勢を立て直そうとしてもあまりにも強い下村の力には逆らえず、引き寄せられるままに坂井は下村の肩に 寄りかかるような体勢になった。 「し、下村?」 「シィ。いいから。寝てろよ」 額の辺りに、柔らかく下村の吐息が掛かった。それに危うくその気になりそうになって、慌てて体を起こそうとするものの、下村は腕を放さず小さく 笑った。 「大丈夫。マジで暗いから皆気にしねえよ」 確かに、行き交う人々の顔を確認するにも覚束ない園内で、ざわざ他人を気にする人はいないらしい。こちらを見ている様子も無い。 本当はそうではなく、下村の方が厭なのではないかと思って気がきではなかったのだが、当の下村は気にする様子も無く、柔らかく抱き寄せた 腕を何度か撫でてくれた。それに密かにほっとして、坂井は目を閉じた。 何時までも繰り返される低く密やかなカントリーソングが、哀愁を帯びて耳に残った。 |