happyweekend 〔monopoly〕 「引率」 「そう」 窓の外では防風林が春の強風に吹かれ身を軋ませている。しかしそれとは対照的に、穏やかな朝の気配を残したレストランの一角で、向き合っ てそう言った秋山に、下村は眉を顰めてセリフを理解しかねる、と言うように繰り返した。奇しくも坂井と同じセリフで、下村は不思議そうに首を傾げ た。 「別に構いませんが」 しかし断られるのを前提に話をしていた秋山に、下村はあっさりと頷き驚かせた。 「いいのか…?」 「いいですよ。何度か行った事あるし、案内くらいは出来ると思いますから」 下村とディズニー。 その言葉に驚いて、大分違和感のある取り合わせに秋山は一瞬絶句してから吹き出しそうになった口元を慌てて引き締めた。 どうやら行くのにやぶさかでない下村の機嫌を損ねるのは上策ではない。誤魔化すように口元を手で覆うと、ありがたいと礼を言った。しかしどう やら一連の動作で秋山の心情は伝わってしまったらしく、下村は憮然とした表情をして口を尖らせた。 「俺だって、デートぐらいしてたんですから」 それがよりにもよってその場所かと、またぶり返しそうになる笑いの発作を今度は止められずに、吹き出してしまった。 「す、すまん。なんだか、あまり想像が出来なくて」 そうではなく、想像してしまって吹き出したのだろう、と下村の目が非難にそばめられているのを後ろめたい気持ちで受けながらどうにか笑いを収 めた。 「まあ、いいですよ。自分でもそう思うし」 どうにも口元が笑いの形を正せない秋山に、下村は諦め気味に呟いた。 「ただ、店の方がありますから即答は出来かねますが」 そう言って一息つくように冷めてしまった紅茶に手を伸ばす。下村がホテルのレストランでコーヒーを飲んでいるのをあまり見かけないのは、多分 気のせいではないと秋山は密かに思っていた。 レナに比べれば数段味の落ちるホテルのコーヒーを、飲みたくないのだろと容易に想像できた。 「それは、大丈夫。成り行きとはいえ、勝手に話してしまって悪かったが…」 前日にブラディー・ドールで交わした川中との会話を話して聞かせ、了承を得ずに勝手に話した非礼を重ねて詫びると、下村は可笑しそうに小さく 笑った。 「いいですよ、別に。秋山さんなら」 そう言って目許を緩め、下村は柔らかな表情で華やかに笑った。 その笑顔に当てられて、秋山はああ、きっと、坂井も下村のこういった意外性を更に超越したような表情や言動にやられたのだな、としみじみ同 情したいような目敏さに感服したいような複雑な気分だった。 下村は普段大分冷たく見られるし、実際他人に対する徹底した無関心や冷徹な突き放し方は見ていて少し寂しいような気分にさせられる事があ る。しかし下村本人がこうしてその身の内に踏み込む事を許した人間に対しては酷く柔らかく目許を緩ませて、ともすると誤解を招きかねないよう な表情や言動をしたりするので、秋山は時々本気で心配になったりするのだった。今もこうして本人としては何の他意もなく笑ったり、その言葉を 言ったりしているのだろうが、相手が秋山でなく、歳若い…そう、たとえば店のボーイや、ホステスがふとした瞬間にこんな顔を見せられてしまった ら、惚れるなという方が無理な話だ。実際ブラディ・ドールの中にも下村を落とそうと躍起になっている者がいると聞く。普段の下村とこんな風に笑う 下村とのギャップを見てしまったら、どうしても手に入れたくなっても不思議はなかった。 幸か不幸か下村本人は何の自覚もない。これでは坂井も苦労する、と秋山は目の前でニコニコしている下村にため息を送った。 下村はそんな秋山の心情など分かるはずもなく、突然気落ちしたように俯いた秋山に一転して心配そうな目を向けるので、秋山は慌てて顔を上 げた。 「と、とにかく。詳しいことは後から連絡するから。それから、…坂井にも声を掛けてある」 その部分だけを故意に隠して話を進めていた秋山は、じっと下村の表情の変化を見逃すまいと目を向けた。しかし当の下村はこんな時ばかりは 上手く表情を隠して秋山を見返した。 「坂井もですか?…俺一人でも大丈夫ですが」 本当に二人して同じ事ばかりを言うなと思いながら、秋山は探るように目を下村から離さない。 「坂井と一緒じゃ、嫌か?」 こんな事を坂井のいないところで聞くのはフェアでない気はしたが、おせっかいにも二人の関係が上手く言っているのか気になる秋山としては、 下村には気づかれないよう、表情を動かさず聞き返した。しかし下村はその言葉の意図が分からないような風にキョンとして、首を傾げた。 「いえ、俺は嬉しいですが。坂井はあんまり人ごみとか好きじゃないから…秋山さん?」 ああ、坂井。このセリフを海の上のお前にも聞かせてやりたいよ。 思わず感涙に咽びそうになるのを堪えて、秋山は下村から顔を背けてクッと唇をかみ締めた。 あっさりと事も無げに言う下村が、不思議そうに秋山を見ても全然気にならない。むしろそれが意識もせずに殺し文句を発しているのだと秋山に 知らせて、余計に秋山を喜ばせるのだった。 こんな風に、下村から坂井を思う言葉を聞く度に、秋山は歯がゆいようなこそばゆい様な甘さを感じたり、楽しんだりしているのだが、今までそれ を坂井に言った事はないし、こうして下村が坂井の帰りを待っている事を教えたりもしない。 これは、自分ひとりが知っている、自分ひとりの特別な楽しみだ。 意地の悪いことだと思いながら、それでも秋山はこれからもそれを教えてやる気はないのだった。 「それじゃ、また連絡下さい」 チラリと時間を確認した下村が、慌しい素振りで席を立つ。秋山も追って時間を確認すると、とっくに時刻は昼を過ぎていた。いつもであればもっと 早くに席を立っているはずの下村は、秋山に合わせて席を立たずにいたのだと分かった。 「ああ、引き止めて悪かった。多分、菜摘か安見が連絡すると思うから」 「分かりました。それじゃあ、失礼します」 ぺこりと頭を下げた下村の頬が少し赤かったのは、多分気のせいではないだろう。坂井に知られないようにしている事を、遠まわしにからかわれ たと思ったのかも知れない。 どちらにしろそれは図星であるので、否定する気もないようだったが。 「おやすみ」 肩越しに、チラリと笑って、下村はレストランを出て行った。 これから自宅に戻って、ゆっくりと休むのだろう。 そう思うと自然と目許が緩んで、秋山を微笑ませた。 高く上がった太陽を一身に浴びた水平線は何処までも青く、そこへぽつりと浮かび上がった白い船体は白波を伴ってゆっくりと大きさを増してゆ く。 それを眺めて、当分はこの楽しみを誰にも教えてやるまいと、秋山は笑いを深くした。 |