dance with me . ⅱ 「･･･久しぶりだな」 どうにか続けたその言葉は、震えずに言えただろうか？ そわそわと落ち着きのない自分も定かでないまま、サンジは震えそうになる指先をタバコで誤魔化そうとした。が、途中でそれがない事に気づい て舌打ちする。仕方がないので、それを隠すように乱暴にポケットへ突っ込んだ。 しかしゾロはそんなサンジなど知らぬ様子で、じっと見ては不意に目元を和らげた。 「そうだな」 ややあってそう返したゾロに、サンジは漸く目の前のゾロの存在を正面から確かめて、知らず安堵の吐息を吐いていた。 ゾロだった。ゾロが居る。 今、目の前にゾロが。 混乱した頭は何度も同じ言葉を繰り返し、意識すればするほど余計に指は震えた。 その時、ざぁっと風が広場を薙いだ。噴水の水が、にわかに二人に落ちかかって服を濡らしたが、サンジもゾロもそれを気にすることはなかった。 それよりも、お互いの存在を確かめるようにただ、見詰め合った。 脳裏の面影より幾分細くなった顔は精悍なものになり、それとは裏腹に、昔の無駄をそぎ落とした刃の様な雰囲気は、ずっと穏やかなものに変 わっていた。大分背の伸びたサンジと変わらず同じ視線の高さであるということは、ゾロもそうであるということだろう。 「･･･お前は、変わらねぇな」 ぽつりと、ゾロが呟く。その言葉にサンジは我に返って、思わず見惚れていた気恥ずかしさを誤魔化すように憮然と口を尖らせた。 「何言ってやがるんだ。比べ物にならねぇくらい男振りが上がっただろうが。一体どこに目ぇつけてやがる」 「はっよく言うぜ。減らねぇ口も変わってないな」 口元だけを歪めて笑う顔。それは、違わずゾロのものであった。 「･･･迷子の子猫ちゃんには言われたかないね」 「誰が子猫だっ」 目元は柔らかなまま、ふざけるなっと怒るのに、それでも迷子の部分は否定しないのでどうらやら漸く自覚が出てきたらしいと思い、それではや はりゾロは迷子になっていただけなのだろうかとサンジは心中を乱した。 「どうした？」 曖昧に笑って、途端になんだか泣きそうな顔をしたサンジに、ゾロは眉を潜めて声を落とした。そんな風な素振りひとつとってもそれはやっぱりゾ ロだった。 不意に湧き上がった切なさや、この五年の報われない物思いが蘇り、サンジは強がる声も保てず、項垂れて目を閉じた。 零れそうになった涙は、何とか飲み込んだ。 「船、戻らねぇつもりだったのか」 声は震えた。隠す気もなかった。漸く言えた言葉は、ゾロの顔を見れずに終わった。迷わず頷かれたら。俯いたままのサンジを、ゾロはじっと見つ め、ぐるりと辺りを見てはもう一度サンジの項垂れた頭に添えられた。 「どうかな」 弾かれたように、サンジが顔を上げた。 じっとこちらを見ていたゾロと目があう。 サンジは今までどうにか保っていた稚拙な余裕やプライドさえかなぐり捨てて、驚愕の形相でゾロを見た。 「･･･お前」 「ばーか」 「･･････は？」 けろりと言った言葉についていけず、今度は間抜けな顔を曝してサンジは呆然と突っ立った。 それにゾロは少し困ったような顔をして、今まで見たどんな顔とも違う類の笑いを浮かべた。 困ったような、それでも大切な何かを見るような、そんな優しい微笑。 それはサンジも、恐らく他のクルーの誰もが見た事のない、自分達の知るところではないゾロの、この五年間のゾロの微笑だった。 自分達と同じように、ゾロにも等分に歳月が流れていたことを改めて実感し、サンジはその間の喪失の痛みを思い出しては顔を歪めた。 「帰るつもりだったさ。お前らのところに。･･･ずっと探してたよ」 そう言って、今度は晴れやかに笑って見せた。 サンジは危うく震えて折れそうになる足を叱咤し、オロオロと忙しなく汗ばんだ手をズボンに擦った。 「ほ、本当に、迷子になってたって訳か」 浮ついてかすれた声に、自分でも恥ずかしくなる。それでもゾロはそんなことなど気にした様子もなく、不貞腐れたように頭を掻いた。 「否定はできねぇが」 不服そうに口を尖らし、ゾロは顔を背けた。薄暗い中になっても、その頬が赤く染まっているのが見て取れる。 お互い、見られたくないようなところばかりを見せ合って、その度にばつの悪いような思いなのに、それでもそれが嬉しくて仕方がないのだ。 それがただ楽しくて、突然に胸にストンと落ちた無邪気な喜びにサンジはうずうずと胸を高鳴らせた。 「じゃあよ、まず言う事があるんじゃねぇの？」 「あ？」 「だからよ、帰ってきた子猫ちゃんが、最初に言うのはなんだよ？」 「･･･子猫じゃねえっつーの」 口先だけの反抗は、その目を多大に裏切っていたけれど、それが余計にサンジの目を潤ませた。 ずっと、待っていたよ。 サンジは、もう押さえも利かずに自然と伸ばされた指先でゾロの頬に触れ、そのまま形を辿って首筋に腕を回し、抱き寄せた。 ゾロだ。ゾロだ。ゾロが戻ってきた。 あの日。ゾロが消えたあの日のことを、サンジはずっと悔いていた。 あの時、言ってしまえばよかったと、自分の心ひとつ伝えずに行かせた事を、ただの仲間として終わってしまった自分を悔いていた。 ゾロの道の妨げになると、自分の道の足枷になると思い込んでいた幼い自分を悔いた。 ずっと、ずっとゾロが好きだった。 ゾロに会えなかったこの五年間、一日として、いや、一時としてゾロを忘れたことなどなかった。 ゾロならきっとこうするに違いない。ゾロならきっとこう言うだろう。 ゾロなら。 ゾロなら。 その度に自分の感情に蓋をし、それ以上溢れて来ない様せき止めるのが精一杯だった。そのせいで初めの頃は他のクルーたちに誤解を与える ことをもあったが、それでも時間が経つにつれ、サンジが引き返せないような感情を胸のうちに飼っていることに皆気が付き始め、終いには誰もサ ンジの前でゾロの話をすることが出来なくなってしまっていた。 サンジの胸の内にある狂気を、あるいは感じていたのだろうか。 ゾロを迎えに行く役目は、誰が言うともなくサンジに決まっていた。 何度も何度も確かめるようにゾロの背中に腕を巡らし、撫で上げては形を辿って頬を肩口に、首筋に、冷えた頬に摺り寄せた。 そんな余裕の欠片もないサンジの忙しない様子に、だがゾロは何も言わずに黙ってされるままになっている。 もう自分が、嬉しいのか、喜んでいるのか、興奮しているのか、感激しているのか、喚きたいのか、泣き出したいのか、それさえも判然としないま ま、ただゾロの大人しい様子にサンジは余計に感情が高ぶって、嗚咽の漏れそうになるのをどうにか堪えた。 「ゾロだ」 「そうだな」 思わず呟いた言葉に、返事が返る。力強く、愛想の欠片もないのに、どうしてかとても優しい声。 この幸福を、一体どうしたら伝えられるだろうか？ これから自分の発する言葉で、果たしてこの気持ちを伝えうることができるだろうか？ あるいは、また目の前から消えるような事になったら。 「ゾロ」 それでも、サンジはずっと以前に決めてしまっていた。 どんな結果になったとしても、もしもう一度ゾロに会えたならきっとこの言葉を告げようと。 しがみ付いていた手をゾロの肩に軽く置くに留めて、サンジは名残惜しく思う気持ちをどうにかやり過ごして体を離した。 その顔に、ゾロがぎょっとした表情を浮かべても、気にならない。濡れた頬の冷たさなど、もうどうでもよかった。 「ゾロ･･･好きだ」 笑って言えた。 この瞬間をずっと夢見てきた。 ただの仲間で終わるなら、いっそ消えてしまいたい。 そんな風に考えながら過ごした日々はもう、遠い。 考え付く限りを尽くした日々は、もう必要ない。 ただ、自分の気持ちを伝えたいだけだ。 その気持ちひとつで、もう十分だ。 ゾロは案の定驚いた顔をして、そのまま沈黙してしまったサンジをじっと真っ直ぐに見つめてきた。 サンジの真意を測るような眼差しに、それでもサンジは怯まない。見透かされて困る真意など、サンジの中には有り得ない。 ただ、お前が好きなだけなんだ。 それを伝えたいだけなんだ。 もう後悔は、二度としたくないだけなんだ。 じっとサンジを見つめたまま、ゾロもまた沈黙を落とした中、日は完全に落ちていた。 暗闇に乗じて夜の鳥たちの声や、小さな虫たちの動きが手にとるように聞こえてくる。だが結局は灯った光を忌避するそれらの者達が二人の間 を邪魔することはなく、まんじりとも動かない二人を見咎める者もなかった。 「･･･そうか」 考える様に一度視線を足元に落とし、再び上げたゾロのその目は、サンジの予想に反し優しい光を湛えていた。 まるで、全てを許す眼差しで。 「ゾロ」 声は完全に震えていた。みっともないと思う余裕は既になかった。離した体を再び引き寄せた。伸ばした指先の震えに、ゾロが少し困った顔をし たのが見えた。しかし引かれたその手に大人しくゾロは落ちてくる。サンジは信じられないような思いで、大切なその体温を腕に閉じ込めたまま、 何度も何度も繰り返した。 「好きだ」 「ああ」 「お前が好きなんだ」 「うん」 「離したくないんだ」 「そうか」 「もう、どこにも行くな」 「･･･ああ」 風に吹かれた冷たい髪、背中、肩、頬、その吐息。 幾ら触れてもあふれ出る愛しさは消せず、サンジは熱に浮かされ眩暈を感じては今触れいてる全ての「ゾロ」を閉じ込めた。 会えなくて、でも思いは募る。 言い知れない後悔の念にうなされては夜を過ごした。 ゾロの居る日常。 ゾロの居ない日常。 日毎重なる思いは、何時しか激しさを削ぎ落とし、穏やかさが胸を占めては満ち溢れて。 幼かった自分はもう居ない。 今はただ、ゾロを好きだと言う気持ちひとつ。 伝えたい言葉は山ほどあった。 「俺もお前が･･･好きだよ」 それなのに、そんなゾロの言葉ひとつで、完全に黙らされてしまうサンジに、ゾロは鮮やかに笑った。 ゾロは、あっけに取られるサンジの頬を穏やかに包み、確かめるように何度も指を滑らせた。 冷たい指先は段々と頬に温まり、ジンとした痺れのような感動をサンジの胸に降らせた。 こんなラスト、想像もしていなかった。 いや、長い歳月を経て、いつのまにかラストさえも想像しなくなったサンジが、それでも始めの頃は何度も辿った想像の道を、ゾロは平然と無視し て打ち壊した。 サンジを、好きだと言った。 ゾロが、サンジを好きだと。 サンジは今度ばかりはしてやられたと、一気に舞い上がるような喜びに両手を挙げて降参するしかなかった。 「もう、お前、戻ってこねぇかと思って、俺は」 頬を包んでいた手を取り、その手の平に甲にそっとくちづける。剣の為だけにあるはずのその手が、自分に触れる。 あの頃の自分であれば、それは想像も出来なかったろう。 ゾロは擽ったそうに目を細めて、抵抗もせずにいる。その目を見つめて、サンジは続けた。 「俺は、何度もおかしくなりそうになって」 目を瞑り、ゾロの手のひらに頬を押し付ける。包むような指先が柔らかく耳元を擦った。 「何であの時、お前に何も言わなかったんだろうって思って」 後悔ばかりの日々だった。それでも膝を折ることは出来なかった。 閉じた目の裏に、驚きに乾いていた涙の予兆が訪れる。それを無視してサンジは懸命に言葉を綴った。 「今度会ったら、今度こそ言おうって思った。お前がまた･･･どこかへ行っちまう前に」 気恥ずかしくてゆっくりと目を開ける。拍子に零れた涙が頬を伝って、ゾロの手を濡らした。 それをゾロは静かに見ていた。差し込んだ微かな光にチラリと目が閃く。 真っ直ぐに向けられた目は、サンジを見ていた。そっと涙を流すサンジを。 「もう、どこへも行かねぇよ･･･」 呟くように、ゾロが言った。 慰めるみたいな声だった。 労わるような声だった。 「俺の帰る場所は、お前らの所だけだ」 不意に伏せられた目が、サンジから瞬きを奪った。しんとした園内に、踏みしめた足元の砂利が小さく鳴いては響いた。 伏せられた青白い目蓋を眺めながら、言葉を待つ。 上手く言葉を見つけられないゾロは、何度か口を開いては閉じ、考えるように目を瞬いた。 「俺も、ずっと思ってた事がある」 時として雄弁な口元が、街灯に戦慄いた。躊躇っては思い切ろうとする、戸惑いを振り切ろうとするゾロがサンジは愛しかった。 サンジに何かを伝えようとしてるのだ。あの、ゾロが。 「お前らと･･･離れて。もう、迷子になるのは二度とごめんだってな」 そう言って、ゾロはまた不意に目を上げ、サンジに微笑んだ。 儚いようなその顔が、いつかの笑顔と重なって、サンジを酷く頼りないような切ない気持ちにさせて困った。 「漸く迷子だって認めたな、てめぇは。･･･クソ遅せぇんだよ。迷子剣士」 「うるせえ」 憮然とするゾロの頭を抱え込む。息遣いが首筋を擽ってサンジは可笑しくて声を上げて笑った。 それにゾロも声を殺して笑いながら、サンジの腰に手を回す。 お互いを抱きしめながら、二人は街灯の中でゆっくりとダンスを踊るように抱き合った。 「てめぇが俺を好きだなんて、思いもよらなかったぜ」 「はっ。俺もだ」 よく言うぜ、と額をこつりとぶつけて笑いあう。お互いの目の中に、寸分違わぬ面影の、知らない二人が映っていた。 そうして穏やかに互いを確かめ合いながら、囁くようにくちづけを交わす。 くすぐったい吐息が、二人の鼓動を近づける。 そうして、こんな時の為の、取って置きの言葉を言おう。 「･･･ただいま、サンジ」 「お帰り、ゾロ」 また続き書きたいなあ、という感じで。 ちなみにまだオールブルーは見つかってないらしいです。 |