弾丸FLOWER
+ハート切なく
















「やっぱり、近くまで行くのは無理だな」
 下村が煙草を取り出し、例の器用な動作で火を点けた。
 それを眺め、坂井は窓枠に寄りかかる様にして身を預けた。
「別に、かまわねぇよ」
 そうして中空の瞬きを眺めている坂井の横顔を、下村は不思議そうに見つめた。
「なんで。花火、見たかったんだろう?」
「今、見てるじゃねぇか」
「それはそうだが・・・」
 どうにか滑り込みで間に合った二人に、既に絶景のビューポイントを探すほどの時間はなかった。即席でなんとか見
つけた逢瀬の場所は、人目につかない造りかけの工事中のビルの中だった。
「まあ、確かに眺めは悪くない」
 そう言って下村は暗闇の中でちらりと笑った。
 羽目殺しのガラスがまだ入ってないうちっぱなしの壁に窓枠だけというムードも何もあったもではなかったが、景観を
邪魔するものもなく、辺りに明かりがないので確かに見物には絶好の場所ではあった。もちろんそこは立ち入り禁止区
域だが、そんなことで感じる罪悪感を二人は残念ながら持ち合わせてはいない。
 下村が言いたかった意味はよくわかる。本来であれば河川敷沿いに特設された席が設けられており、協賛している
川中の会社にはその中に幾つかの席が確保されている。希望すればそれを譲ってもらうことも出来る立場でそれが叶
わないことを、下村は坂井が残念に思っているのではないかと言っているのだ。
 しかしそれは坂井の真意とは微妙にずれている。知らないのだから無理もないが、少し寂しい気がするのもまた、事
実だった。
「・・・綺麗だな」
「ああ」
 あまりこんな風に花火を見ることがないのだと言った下村が、感心する様に呟いた。
 坂井は花火を見ていると、その壮麗さに引き込まれてぼんやりしてしまうことが多いのだが、果して下村もそれを見上
げてはぼんやりとしてしまっている。それを横目で楽しみながら、坂井はその額に少しだけ浮いた汗を拭うのに手を翳
した。
「なに?」
 突然伸びてきた手に驚いて、下村が数歩身を引いた。それに訳もなく苛立ちを感じ、坂井はただ触れるに留まるはず
だったその手で強引に下村を引き寄せた。
「・・・どうした」
 乞われるままに体を坂井に預けながら、胸の中で下村が呟いた。相手を翻弄するような突然の行為を坂井がするこ
とは珍しい。明らかに戸惑いの浮かんだ声に、坂井は自分でも理由をつけられないままぎゅうっとその肩を抱きしめ
た。街頭も届かない暗闇の中で、唯一光源といえば花火だけ。それも咲いては散る儚さでちらりと二人の横顔を照らし
てはまた消える。その中でどうにも捉え切れないお互いの感情に困惑しながら、先に動いたのは坂井の方だった。
「仕事、上手くいったか・・・?」
 抱きしめる腕は解かないまま、頬をする髪に囁いた。それに下村が擽ったそうに肩を竦めたが、気付かない振りをす
る。下村もそれ以上押しのける気はないのか、じっと頭を坂井の肩に押し付けた。
「ああ。来月からは今の価格から大分値引きされることになるだろうな。経理も大分楽になるだろう」
 この時間までかかったのだ。恐らく商談は難航したにも関わらず、自身の成功を殊更に言ったりしない下村だから、
口調は存外軽いものだった。
 それとも下村にとっては、本当に大した労力でもなかったのだろうか。
 どちらにしろ自分では賄えない部分を、下村は上手くフォローしてくれる。それによって感じる寂しさや物足りなさを、
下村のせいにするのはどう考えても筋違いだった。
 それでもどうやら少しの間とはいえ、離れていた事に多少の不安を感じていたらしい自分に気がついて、坂井は気付
かれないように苦笑を漏らす。
 情けないとは今更思わない。こういうものは自然な心の流れに過ぎないのだから。
 だからと言ってそれを相手にまで求めるのは、それこそ本当に筋違いだ。
 下村にとって、今ここに居る事にさえ大して意味はないのだろう。
 花火を見ていることにも、自分といることにも。
「坂井?」
 そのまま黙ってしまった坂井に、流石に息苦しさを覚えて下村が胸を手で押した。幾ら夕闇の涼しい風が入り込むと
はいえ、真夏に近い気温に暑さを感じてなんら不思議はない。だが坂井はそれに先程感じた奇妙な苛立ちを再度覚え
て、抗議を漏らす下村を離せず、咄嗟に言い募る為に顔を上げた下村の口を塞いでいた。
 もちろん、唇で。
「ッん・・・」
 話し始めの吐息を奪われ、下村は苦しそうに鼻を鳴らしてきつく目を瞑った。
 それを確認してから目を閉じる。
 抱え込んだ腕を肩から背中、腰へと滑らせ、びくりと反応を返す箇所を何度も撫でては、くちづけを繰り返した。
 あついあついあつい。
 体中で下村の熱を感じる。
 その肌、その指、その肩、その背、その腰、その舌先、その唇。
 その全てに。
 相手の鼓動がまるで自分と重なるように耳元で大きく響く。それがいつの間にか花火の轟音に紛れ、それ自体が二
人の鼓動のように胸を揺るがした。
 「・・・っかい・・・」
 途切れた言葉が自分の名前と知って、坂井は漸く下村の体を開放した。
 突然に切り離された体温が、名残惜しげに小さく震える。
 下村も果たしてそう思ってくれているのならば。どこか祈る自分に気がついて、余りの滑稽さに坂井は緩く唇を噛ん
だ。
「・・・花火、終わっちまったかな」
 平素の様子で下村が言うので、坂井は何も言わずに空を見上げた。そこには真っ暗な空と、ぽっかりと空いた月の
穴があるだけだった。
 咄嗟にチラリと時計を確認する。予定の時刻にはまだ五分ほどあった。
「いや・・・ラストの前に準備してるんだろう。ここからがラストだ」
 急に静まり返った空気が耳にキンッと響く。静寂が耳に煩い。横を向くと下村も同じ事を考えているらしく、耳を煩わし
そうに擦っていた。
「耳鳴りだな」
 それを見つめる目に情けないような愛しさが篭ってしまったのが自分でも分かった。だが今は暗闇だ。下村に悟られ
る心配はない。今だけは、情けない物思いを顔に出しても許されるだろう。そう思いながら、下村の耳元に指を滑らせ
た。今度は下村も避けるようなことはせず、傾けるように少し顔をこちらに向けた。
 それに少し笑いかける。
「見てないと、あっという間に終わっちまうよ?」
「そうか?」
 慣れていないというだけあって、タイミングの良く分からない下村が慌てたように空を見上げた。
 微かな月の照り返しに、露になった額や喉元がよく映る。言っておきながらそれを眺める自分も随分だ、と思いながら
それでも結局そればかりに目を奪われるのだ。
「あっ!」
 シュルルッと高い音を上げて、フィナーレが始まった。
 華やかな紅い花を皮切りに、次々と打ち上げられた光の束が連鎖のように咲き誇る。空いっぱいに散りばめれれた
火花の美しさ、散り際のなんともいえないたおやかさが二人の中からあらゆる言葉を奪っていた。
 何時終わるとも知れない体を揺るがす音の連なりには、まるで本当に終わりなどないのではないかと錯覚させるよう
な確かな存在感があった。直接胸の中に打ち込まれるような衝撃は、軽い陶酔の波を呼び起こす。
 はっとして横を見やると、きらきらと多様な光を閃かせるその目の中に、同じ陶酔を感じて取ることが出来た。
 それでもこの男の胸の中に、この儚い力が如何程の残像を残せるのだろうかと坂井は掻き消える光の中の下村を見
た。
 もう明日には自分と見た花火のことなど、あっさりと過去の出来事として片付けて、思い出しもしなくなるのだろう。
 きっぱりと切り捨てることの出来る、潔い男。
 残したいと願う坂井の思いごと、切り捨ててしまうのだろうか。
「明日には」
「あ?」
 呟きのつもりが、下村の返答があって驚く。
 下村は花火には何の未練も見せずにこちらを振り返った。
「どうした?」
 じっと見つめてくる目に、痛みが募る。
 情けない。泣きそうだ。
「花火って綺麗だけど、明日にはもう忘れちまうんだろうな」
 震えた声は、多分花火に相殺された。後から浮かべた情けない笑い顔は、見られずに済んだだろう。
 花火はいつの間にか終わっていた。
「・・・忘れねぇよ」
「え?」
「お前と見たこと、忘れない」
「下村・・・?」
 暗闇の中で、下村が動くのが分かる。窓枠にもたれていた体を起こしているようだった。
「だから、あんまり俺のことをアホだと思うなよな」
 傷つくから。そう言って、闇から伸びた右手が、乱暴に頭を撫でてきた。
 一瞬呆然とした。下村が、自分の気持ちを理解している。 
 まさか、そんなはずは。
 しかしどう考えてもそうとしか取れない下村の言動に、混乱して坂井は嗚咽を漏らしそうになって危うく止まった。
 憮然とした言葉。でも、本当は分かっているんだと言う手。
 どちらを信じていいのか分からない。でも、その両方が下村の本心であると思いたかった。
「し、下村」
 相変わらず無言のまま、わしわしと頭を撫でられる。
 それではずっと、分かっていて。
 分かっていて、下村は今日急いで帰って来てくれたのか。
「さ、帰ろうか?」
 頭を離れた手が、今度は手を掴んで優しく引いた。夜目の利く下村の誘導にされるまま従いながら、坂井は闇の中で
段々と鮮明になる下村の後姿を見た。
 何を考えているのかは分からない。情緒の欠片もないし、無神経でアホな事ばかりを言うし、天然でボケている。
 それでもこんな風に、時折見せる優しさが紛れもなく自分の物だけである事が不意に分かる時がある。
 それだけで、ほら、もう、泣きそうだ。
 最早情けないとさえ思わない、緩んだ頭で坂井は下村の手を強く握った。
 それに下村がチラリと振り返る。顔には困ったような笑顔が浮かんだ。
 そうして返される力強い手のひらを、坂井はずっと忘れない、と思った。
 今夜の花火も、こんなちょっと気の利いた下村のことも。





 ずっと忘れない、と思った。




















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花火好き!すっごく好き!
それも打ち上げるぎりぎりまで行ってみるのが好き!
やっぱり花火は音があってこそ華!
地元の花火大会には張り切って言ってきました。(隅田川と同じ日です)
花火は夏の華ですねv