下村の家の玄関先に、ピンクのスコップが置いてある。 「おいっ俺は聞いてないぞ!」 「何が」 入ってくるなりいきなり怒り出した坂井に、下村は窓際にうつ伏せ、視線は広げた雑誌に固定したままやる気の無さ そうな声で問い返した。 「何で俺に言わないんだよ!」 「だから、何が」 憤慨した勢いのまま、訳の分からない叱責を受けて流石に下村が体を起こして向き直る。 坂井はズカズカとその目の前まで歩み寄り、仁王立ちに立ちはだかった。 「猫!」 「ねこ?猫がどうしたんだ」 ビシッと坂井が指差したのは、リビングの端っこにこぢんまりと設置された猫のトイレだった。 兎に角互いに要領の得ない会話を続ける事に飽きたのか、坂井は大きく息を吐くとしゃがみこんで斜め下から切り込 むように下村のぼんやりとした顔を覗き込んだ。 「お前は、馬鹿か?」 バコンッと小気味よい音が室内に響いたのと、ばたりと坂井が床に倒れ伏したのはほぼ同時で、下村は無表情なが らそこはかとない怒りを湛えつつ振るったばかりの拳を下ろした。 「で?猫がどうしたって?」 あたた、と左の頬を押さえながら坂井が起き上がる。不意打ちは幸い心ばかりの手加減を加えられていたようで、傷 は浅い。 「だから、何時の間に猫なんて連れ込んだんだよ」 それでも触った先から頬が痛むのか、顔を歪めて坂井が痛ぇと小さく呟いたが、もちろん下村には綺麗に無視され た。 一体今頃何を言い出すのだ、という呆れ顔で下村は腰を落ち着けると雑誌をテーブルに放り投げた。どうやらきちん と坂井の話を聞く気があるらしい。 「大分前から居るじゃないかよ」 しかしそういった前向きな姿勢も、不用意な言葉で消し飛ばされてしまった。 「何時だよ?!何回もここに来てるけど、俺は全然見たことも聞いた事もなかったぞ?!」 無傷と思ったが、口の端が切れていたらしい。話をすると少し痛んだ。それを指先で触れて確かめながら、坂井は不 機嫌に言い返した。昨日だって、この部屋には来たし、あまつさえそのまま楽しくお泊りだってした。その時だって、猫の 尻尾の先さえ拝んでやしない。 それを前から居たといわれても納得のしようがなかった。 「アホ言ってんなよ。お前の横で猫が昼寝してる事だってあったじゃねぇか」 下村は呆れ顔を今度は気の毒そうな表情に代えて、坂井を覗き込んだ。 こんなことで同情を買ったところで嬉しくもなんともない。余計にムッとして坂井は口を尖らせた。 「お前こそ、嘘つくなよ。見たことなんてない」 「だから、寝てたから見てないんじゃないのか?」 そんなわけがない。一寸部屋に寄った訳ではないのだ。ずっと居て見ていないわけがない。 「・・・で、どこに居るんだよ」 「何が」 「だから!猫が!」 「ああ、今出かけてる」 「・・・なんなんだよ」 「それは俺のセリフだ」 いきなりズカズカと入り込まれて、馬鹿呼ばわりされたあげくにこの仕打ちかよ。下村は呟いてもう一度雑誌を取り上 げると、未だに頬を撫でている坂井に背を向けて、また元の姿勢に戻ってしまった。 「おい」 「なんだ」 「相手しろよ」 「・・・うるさい。帰れ」 こちらを顧みる様子も無く、冷たく言われて坂井はしょんぼりとしたものの、なんだか話がずれている事に気が付いて 慌てて下村の肩に手を掛けた。 「おい、おいって」 「なんだよ」 「だから、猫」 強引に肩を引かれた下村が、めんどくさそうに眉間を詰まらせた。 「だから、出かけてるって」 「どこへ」 「・・・猫に聞け」 話にならん、と下村が今度こそそっぽを向いてしまうので、坂井は仕方なく話を打ち切った。 これでは本末転倒で意味が無い。下村関連の話をしているのに、当の下村に無視されては実入りが無い。 坂井はやれやれと思い、仕方がないので黙ってよいしょと下村に伸し掛かった。 |