fellow 1



















 一人ぽっちで座っていた。
 それがなんだか、気になった。








「じゃあお前、自分の荷物がトランク二つって、本当だったのか」
 驚いて坂井は、手に持ったグラスを危うく麻布の間から取り落としそうになり、慌てて持ち直す。
 下村はそんな様子を正面から不思議そうに眺めた。
「ああ。この街に来る時、マンションも売っぱらっちまったし、家財道具も全部捨ててきた」
 そう言って事も無げに下村は程よく泡の乗ったビールを傾けた。カウンターの上から降る照明が、チラリと琥珀に反
射する。坂井は呆れてそれに目を細めた。
「なんで・・・。女連れ戻しても、帰る場所ないじゃねえかよ。それじゃ」
 元々物事に対して執着心の薄い達のなのだろうか?それとも後先を考えない唯の馬鹿なのか。どちらにしろ、もう東
京に戻るつもりがないことだけは確かで、本当は住所変更のための手続きさえも面倒だという男を呆れて見やった。
「・・・そうか。そうだな。そんな風には考えなかった」
 少し悩んだように考えてから、下村はそんな風にやっぱり事も無げに言うので、これはやっぱり唯の馬鹿なのかも知
れないと思い、でも心のどこかでほっとしている自分に気付いて坂井は憮然とする。それが一体なんに対する安心なの
かも分からないまま、目の前で喉を鳴らしてビールを飲む男をただ眺めた。
「ま、もう連れ戻せないって分かってたのかも知れないな」
 空になったグラスを傾けて、二杯目を坂井に強請りながら下村は小さく首を傾げた。その口元に一瞬自嘲を見て、何
か胸に嫌なものが落ちたのを坂井は他人事のように感じていた。

 下村の体調は、もう随分落ち着いた様だと桜内が言った。

 病院建設に絡んだ先の一件はどうにか表面的な落ち着きを見せ、街はまた見せかけの平穏に戻りつつあった。その
中で下村はゆっくりと体を横たえるようにして身を潜め、曖昧に濁した微笑でこの街に腰を落ち着けた。
 坂井も川中も、多分下村に関わった誰もが、いずれこの街に落ち着くだろうという気はしていたが、しかしこんなにも
速やかに迅速に、あっさりと間を置かず居を移すとは誰も思っていなかった。それは根城を提供してた桜内にしても同
じであったようで、一度だけ坂井に漏らしたことがあった。
『アレは元々、執着心が薄いのかもしれないな』
 その時にはもう、桜内は下村が全てを処分してこの街に来ていた事を知っていたのかもしれない。今から思えば、そ
う思う。しかしそれを聞いた時は、桜内の言葉が上手く理解できず、女を追ってここまで来るような男に、執着心がない
訳がないと思ったのだが、なるほど確かに、下村の言葉を直接に聞けばそう思うのも無理からぬことだった。
 確かにこの男には、執着心とか、関心という感情が酷く薄い。
 しかしその無関心ぶりが下村本人に対してまで遺憾なく発揮されているのは驚かされた。それが先の桜内の言葉に
繋がるのだが。
 複数の男から無闇やたらに袋にされ、左手まで失くした下村はその後も何度か酷く体調を崩した。
 体の一部を大きく切断したのだ。そのまま何事もなかったように過ごすことが出来る筈もなく、桜内の家に厄介になっ
ている間も、どうにかこちらで住まいを定めた後も何度か高い熱を発しては床についた。
 それも桜内の的確な治療や療養指導によって比較的経過も良好ではあったが、何時になっても気の抜けない状態で
あることは変わらず、下村の強靭な体力を鑑みても、楽観出来るものではなかった。
 それなのにこの男は、またフラフラと出歩いては店に現れ、酒を強請ってまたフラフラと一人で帰って行く。
 見た目は左手を除けば体を壊した素振りもなく、顔や腕に残っていた痣もすっかり癒え、歯も揃って不自然さは微塵
もない。
 それでも時折揺らぐ視線や指先、乱れた呼吸は隠しようもない。
 それに気付いて目先で戒めても、下村は笑ってとりあおうとはしなかった。
「もう、やめておけよ」
 店内での私語は慎むべきだ。他のボーイの目を気にしながら、相変わらず器用に話す坂井をじっと見つめて下村は
何度か目を瞬かせ、弄んでいた手の中のグラスをカウンターに静かに戻した。
「そうか」
 そう言って下村は、飴色の目を細めて口元だけで小さく笑った。
 その仕種が見慣れず、坂井は眉を顰める。
 下村はヒラリを立ち上がると、何事もなかったかのように背を向け少し気取った仕種で後ろ手に手を振って店をさっさ
と出て行った。
「もう、やめておけよ・・・」
 聞く者の居ない呟きは、誰もいないカウンターに沈んで消えた。




















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