fellow 10



















 こういった時、奇妙におしゃべりになるのは三下の証拠だ。
 ガチャリと施錠を外す音の後、パチンと軽い音がし、目蓋の向こうが明るくなるのが分かった。先ほど確認した時、室
内に電灯のスイッチはなかったから、恐らく外にスイッチがあったのだろう。どちらにしろやり易くなったと思っていい。
 部屋へ入ってきた二人はどうやらあまり頭の良い輩ではないらしく、けが人二人を相手にしての気安さからなのか、く
だらない世間話を交わしている。
「どっちが先だ?」
「ああ、そっちでいいだろう」
 声の調子で下村を指しているのはすぐに分かった。してやったりとした下村の顔が脳裏に浮かぶ。どういうつもりか知
らないが、とにかく成り行きを窺うしかなかった。
「ほら、立てよ」
「もう死んでんじゃねえのか?」
 ぎくん、と背筋が跳ねるのが分かった。今すぐにでも起き上がって下村の状態を確かめたい衝動にかられる。しかし
今それをすればここから抜け出す機会を完全に逸しかねなかった。
 首筋に嫌な汗が伝うのが分かる。痛みのせいではない。嫌な予感に気分が悪くなる。
 二人がかりで下村に向かうのが分かる。薄目を開けて確認すると、案の定二人は無防備に坂井に向かって背中を向
けていた。

 畜生、邪魔だ。下村が見えねぇ。

 覆いかぶさるように下村を囲む男たちの影になって姿が確認できない。
 投げ出されたジーンズと、真っ白なスニーカーだけが隙間からはみ出ている。
 それがあまりにも力なく、つい先ほどまで話をしていた相手が本当に下村だったのだろかと本気で思った。
 白い影と話していただけだ。下村と確認したわけではない。

 では、下村は。まさか、この男たちが言うように。

 その時男の一人が、不思議そうに声を上げた。
「おい・・・?おかしいぞ。こいつナイフ――」
 坂井の目の前で、白い軌跡が一閃を描いたのはそれと同時だった。
 深く屈みこんだ男は何が起こったのか恐らく分からないまま、顔面をコンクリートの床に叩きつけていた。そのまま鼻
血を撒き散らし、ごろりと横たわる。白い切先は男の首にかけた足をそのまま軸に回転し、もう片方の足で上から打ち
下ろす鎌の様な蹴りをもう一人の男に放った。そのまま顔面を床に叩きつけられた男は、衝撃が殺しきれずに不自然
に頭をバウンドさせ、そのまま叫びを上げる間もなく沈黙した。
「おい・・・坂井、起きてるか」
「あ、ああ」
 あまりの出来事に言葉もなくあっけに取られる坂井に、やはり下村は何事もなかったかのように話しかけた。
 しかし先ほどまでの俊敏さは影もなく、後ろの荷物に寄りかかったまま動こうとしない。
 ぞんざいに自分で巻いたテープを外し、押し黙ってピクリともしない男たちを横目に這って下村に近づいた。もしかし
たら死んでいたかもしれないが、とりあえずどうでも良かった。
 座り込んだ下村は、右手で腹を覆っていた。やはり怪我をしていたか、と近寄り絶句した。 
「悪ぃ、計画狂った」
「お前・・・」
 近寄ると途端にツンと錆び臭い匂いが鼻をついた。
 呆然と見下ろした先のコンクリートにじんわりとシミが広がっている。
 白いシャツ、ジーンズの腰の辺りも同様に、赤黒いシミが急速に広がりつつあった。
 それにハッとし、坂井は袖の内側に隠したナイフを取り出した。
「お前っ、抜きやがったなっ」
 ナイフには一度べったりと血液が付着した跡と、それを何かで拭ったような跡が残っていた。
「他に手ごろなもんが見あたらなかったんでな」
 軽口にも呼吸が乱れるのか、喉がひゅうっと鳴った。口元に笑みを浮かべているのに、顔は蒼白に近い。額の辺りは
汗で前髪が張り付いている。失血の為か指先は微かに震えていた。
「勢いで刺しちまったらしくてな。幾ら馬鹿でも抜けば死ぬくらいは分かってたんだろう」
 仕方なくそのまま放置していたらしい。今すぐ死ぬのは都合が悪いが、いずれ死ぬのは構わない。そういうやり方だ
った。
「ちくしょう、無茶しやがるっ」
 動揺して叫びそうになり、しかし咄嗟に唇をかみ締める。上に他の連中が居る確率はゼロではないのだ。坂井は無言
で上着を脱いで下村に着せかけ、シャツを脱いで傷にあてた。
「深いか」
「いや・・・。悪いな」
「ッお前は!」
 しかしそれも言葉は継げなかった。だが沸き立った激情がどうしようもなく、怒りに目の前が暗くなる。
 何故。
 冗談じゃない。
 お前にいったい何の咎があるというのだ。
 お前が謝る理由など。
 ぐるぐるとまとまらない思考は螺旋を描き、端から怒りに変換される。腹の辺りにどす黒く熱い感情が渦巻いて体中の
血が沸き立った。
「とにかく・・・お前はここに居ろ。腹の傷はヤバイ」
 本当は傍を離れ難かった。傷の深さが分からない。以前同じようなことがあったが、今回も無事に済むとは限らない
のだ。

 もし、もう一度戻った時、もし、下村が。

 考えれば途端に胸が潰れそうに痛んだ。高ぶった感情に指先が震えそうになる。下村の平素な素振りは最後の光の
ように余計に坂井を不安にさせた。それでもこのままにしておいては、確実に訪れるものを阻止できない。多分こうして
話していることさえ、下村には負担にしかならないだろう。
 そう思えば安易に感情を表せず、考えれば考えるほどに増す真っ黒な心の機微を、無理やり押さえつけるように深く
息を吐かなくてはならなかった。
「馬鹿なことを。俺も行く」
「うるせぇ!」
 この上そんな事を言う下村の言葉に、押えていたものが一気に噴出した。
 制御の利かない怒りに今にも目が回りそうだ。
 ふざけるな。
 下村を攫ったやつ、計画したヤツ、傷をつけたやつ。・・・高みの見物をしているヤツ。

 全員残らず、ぶち殺してやる。

「坂井」
 立ち上がり際に、腕を捕まれる。手のひらは血でヌルついていた。
「落ち着け。お前が行くのはまずい」
「何故っ」
「・・・こんな事で、お前に後悔させたくない」
 じっと見上げてくる下村の目を凝視した。
 明るすぎる蛍光灯に虹彩が光の線を描いている。そのあまりの静かさに、すうっと気が凪ぐのが分かった。
 お前は、そんな傷を負ってまで、俺の事を気にするのか。
 まるで自分のことなど、どうでもいいかのように。
「・・・分かった。でも、お前はここを動くな。上の様子は俺が見てくる」
「坂井」
「分かってる。大丈夫だ」
 視線を逸らさず、ただ下村の目に耐えた。
 坂井の表情から何かを読取ろうとする探る目が迷うように揺れ、しかし決したように目を瞑った。
「・・・本当の人数は分からない。気を抜くなよ」
「ああ」
 大きく息を吐いた下村の手から腕が開放される。その体温の名残を思う事に数秒費やし、坂井は腹に力を入れて再
び扉に向き直った。
「じゃあな」
 下村の背を向けたまま、呟いた。
「・・・ああ」
 すまない。
 下村の低い呟きは、ささやきのように耳に残った。


 それはこちらの言葉だとは、言わずにおいた。
























2003/02/17










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