step to far . 3








「・・・入れば?」
「・・・・・・」
「っつーか、ほこりが入るから、ドア閉めろ」
 手元の試験管を慎重に傾け、ビーカーに適量の液体を垂らしながら、ウソップはドアを見ずにそう言った。
 元よりウソップの作業を邪魔しに来たわけではないのだろう。サンジは大人しくドアを閉め、そのままドアにもたれ無言のまま立ち尽くした。
「で、何?夕飯の時間にはまだ早いだろう」
 ポツン、と三つ目の雫が水面を叩いたところで、そっと試験管をビーカーから離す。透明の液体は僅かに色を変え灰色に濁った。
 サンジに背中を向けたまま、ウソップは望む反応を待ってビーカーを睨みつける。コポン、と気泡が幾つか上がった。
「オーケー、オーケー。それでいい」
 試験管を台座に立たせて息をつく。そこで初めてウソップはサンジを振り返った。
 サンジは入って来た時と同じ体勢のまま、ドアにもたれてぼんやりと天井のランプを眺めていた。
「どうした」
 腰布で手を拭いながらビーカーに蓋を被せ、ウソップは直に座っていた床から腰を上げて部屋の真ん中にあった椅子に腰掛けた。そうして立った
ままのサンジにも座るように顎で促す。サンジは案外素直にそれに従った。
「仕度はいいのか?」
「・・・ああ、仕込みは終わっているし・・・後は、あいつ等が・・・」
 ふうん、と頷きながらも、ウソップは珍しい事もあるものだと思った。
 クルーが増えるにつれ、当然の事ながら段々とサンジ一人で全員を賄うのは難しくなっていった。初めのうちはそれでも料理人の意地なのか
中々手を出させなかったが、数が増えればその中に幾人か元料理人という者も増え始め、そこで初めてサンジは料理を作るためのクルーを何人
か選出したのだ、渋々と。初めの頃は三食の度にキッチンからは怒号とサンジに蹴り出されたクルーとで騒然としていたものだ。
 それも今ではサンジの料理長ぶりもすっかり板につき、一人一人の腕前もたいしたものに成長している。だがそうはいってもそこはサンジ、他の
者には持ち回りで休ませはしても、自分一人はいつも厨房に出ずっぱりだった。
 どんな小さな小鉢料理にも手を抜かない。サンジの中の最低限のルールだ。
 そんなサンジが、今日に限って夕飯前の大事な時間に厨房から出奔している。ウソップは正面に腰掛、テーブルの表面をじっと見ているサンジ
の表情を窺った。
「今日の飯、何?」
「あー・・・。くじら」
「・・・分かりやすいな」
「どうせ小難しい名前は分からねェだろ」
「そりゃそうだ」
 何にしても、サンジの手腕に不安はない。習慣で聞いてしまっただけで、口出しなどする必要もなかった。
 今夜は風が幾分強いのか、時折船体がギィッと軋んだ。天井ではゆらゆらとランプが揺れている。それを見上げ、大きく息を吐いてから、ウソップ
はサンジのつむじを眺めた。
「で?・・・どうした」
 正体不明の薬品臭やら、機械油の匂いが染み付いたウソップの部屋を、サンジはヘビースモーカーの分際で、味覚が狂うと倦厭していつもは近
づかない。しかしそれはある意味、最終的に逃げ込む場所、といった意味合いもあるようで、確かに他のクルーもサンジの姿が見えずに探していて
も、ウソップの部屋まで捜索の手が伸びる事はまずなかった。
「別に・・・なんでも」
 そういいながらも視線をこちらに寄越さないサンジはあまりにも不自然だ。おまけにオプションの様にいつも口に銜えられている煙草を出す様子も
ない。これで何も無いと言っても説得力は皆無に近かった。
 だがウソップには、サンジの言いたい事などとっくに見当はついていた。

 ゾロの事だ。

「あー・・・そういやぁ、ゾロはどうしてる?」
 ウソップの問いかけに、ぴくりとサンジの肩が跳ねた。いっそ当然なその動作に、ウソップはビンゴ、と胸の中で呟いた。
「まぁ、あいつの事だから、放っておいてもそこらで勝手に寝てるか・・・って、おい、サンジ。大丈夫か」
 俯き加減だが顔色くらいは見える位置だ。その顔が著しく青ざめている。ウソップは内心大いに慌てた。

 まさかゾロにフラれて・・・とか。自暴自棄に・・・とか。

 どう好意的に見ても、そんな結果しか浮かんでこない。サンジに負けず劣らずこちらも顔色を悪くしながらウソップは思った。
 今更サンジがゾロに寄せている好意の種類など、ルフィ以下古参のクルーの間ではとっくの昔に認知済みだ。
 皆サンジがゾロをそういう意味で好いている事を知っていたし、どれだけゾロの帰りを待ちわびていたのかも知っていた。
ゾロの行方が分からなくなって以来、サンジは変わった。もちろん表面的には上手につくろっていたろうと思う。しかしどうしたって皆で盛大に笑った
後に見せる一瞬の空虚な表情や、仕事を終え一人でぼんやりと煙草を吹かす横顔にありありと見て取れる悲哀は何度見ても心が痛んだ。
 初めの頃は冗談で上げ連ねていたゾロの名も、そんなサンジを見ていれば次第に話題に上らなくなり、いつしかサンジの前でゾロの話をする事
はタブーになった。誰が言い出したことでもない。暗黙の了解というやつだ。サンジの胸の内の深刻さは、あのルフィでさえもあからさまに話題を避
けるようになった事でよく知れた。

 ゾロはサンジの何かを持って消えてしまった。
 誰もがそう思った。

「いや・・・さっき部屋に案内してきたから・・・今頃は部屋にいるんじゃねェかな」
 ようやく答えたサンジの言葉は、平素の素振りでしかし声は震えている。
 思い切ったように上げられた顔はやはり青ざめ、目は自覚なくあちらこちらと忙しない。
 ウソップは何から聞いていいのかわからず、ただサンジが口を開くのを待つほかなかった。
「結果から言うと」
 ふうっと大きく息を吐いて口を開いたサンジの言葉にぎくりとする。しかしサンジは明後日のほうを向いていて、こちらには気づかなかった。
「ゾロと両想いになっ・・・た?」
「疑問形かいっ」
 ビシッといつものように思いっきり突っ込んでから、ウソップは腐臭がしそうなほど顔色を変えた。
 しまった。つい、いつものノリで。
 しかしどうもサンジにこたえた様子がない。いつもは煙草を銜えている唇を所在なさげに指で擦った。
「告ったのか・・・」
「・・・・・・おお」
 今度は聞こえていたらしい。それとも親切心で無視したのか。とにかくサンジはそれでも視線をウソップに寄越そうとはしなかった。
 サンジが唯一素直にゾロの話をするのはウソップだけだ。と、いってもゾロの事を知っていて、尚且つサンジの事をも認知している人間の中で、唯
一まともに話が出来るのがウソップだったというだけの話しだ。
 サンジの前でゾロの話をしなくなってから数年、少しずつだがサンジは時折ゾロの事をウソップにだけ話すようになった。

 ゾロのまともとは思えない無神経ぶり。
 ゾロの天井を知らない馬鹿さ加減。 
 ゾロの方向感覚が壊滅的に狂っている事。
 目つきの悪さ。口の悪さに、頭の悪さ。
 その割りにふと見せる目が優しくてびっくりしたこと。
 素直に笑った時の表情の幼さを。

 正直ウソップはサンジがそんなにゾロを観察していたことに純粋に驚いた。そりが合わなくても嫌いあっているわけでないのは分かっていた。しか
し元より女にしか興味のないサンジが、そんな風にゾロを見ていたことなどウソップは全く気がつかなかったのだ。
 だから少しずつ、少しずつそうやって短い会話を続けるうちに、ウソップは自然と理解した。

 ああ、サンジはゾロが好きだったのだな、と。

 ずっとサンジ本人も自覚してはいなかったのかも知れないけれど。
 サンジがとても大切そうに綴る男の名を聞く度に、思いつきはいつしか確信に変わり、そうしてウソップはそんなサンジがますます好きになった。
 とても一生懸命に、サンジはゾロの事を話す。
 時々は罵りながら、けれど限りなく優しい目で。



 ゾロが船から消えて、三年ほど経った頃だった。



「あいつさあ・・・もう、ガキでもこさえて、隠居でもしてんのかなぁ・・・」
 夜だった。
 その晩はウソップが近頃になって滅多に回ってこなくなっていた久しぶりの夜番で、サンジは夜食を持ってマストの上まで器用に昇ってきた。
「はあ?あいつにそんな甲斐性があるかね」
 アツアツのスープを噴出しそうになって、しかし昨今ではポーカーフェイスもお手のもになったウソップは平然と答えた。
「考えてみろよ。方角は右か左かでしか判断できねェ上に、目印にするのは必ず動くものときた。金銭感覚は皆無に等しいし、顔は凶悪犯も真っ
青だ。趣味昼寝。特技昼寝。特殊能力樽酒の一気飲み。そんな男が子供なんか作ってみろよ。俺はその子供が不憫でならねェよ。大体あいつが
隠居なんかしてみろ。光合成が功を奏して、終いには一面鮮やかな緑の海原だぜ」
 途中から何を言っているのか分からなくなってきたウソップは、コーヒーを飲むふりで何とか会話を打ち切った。これ以上言うと余計な事まで言っ
てしまいそうだった。
 ウソップとて、帰ってこないゾロを恨めしいと思わないでもなかったのだ。
「・・・そうかねぇ。俺は結構いい親になるんじゃねェかと思うんだが」
 くわえタバコをぶらぶらと上下に揺らしながら、見張台の囲いに座ってサンジがからかうように笑って嘯いた。
 そうかもな。俺もそう思う。ああ見えて優しい男だった。何にだって、誠実な男だった。
 思っても、ウソップは頷けなかった。
 遠くを見て笑うサンジの目が、泣きそうだったからだ。



 本当はあの時、サンジはもう既にある程度覚悟を決めていたのかも知れない。

 ゾロがもう、戻らないかもしれないという事実を受け入れる覚悟を。
 


 そこまで深くゾロを思うサンジを、ウソップはただ純粋に尊敬した。
 女と見れば星の数ほどの甘い言葉を巧みに使い、すべての女を崇拝するサンジと、そうやって泣きそうな目のまま、精一杯の強がりを見せるサ
ンジは、同一であるのにその差異は果てしなく広い。
 サンジが女を好きだというのが、嘘だとは思わない。
 しかしそのすべての言葉と気持ちを合わせたところで、ゾロを語る時に見せるサンジのたった一つの微笑に、何一つ勝てないのだとウソップは思
った。
 

「で、何で疑問系なんだよ。なんなんだよ。はっきり言えよ!コラッ!」
「な、なんでお前がキレてんだよ」
 言い募るうちに激化するウソップに、サンジが驚いて目を見張った。
 そんな事ウソップにだって分からない。しかし妙に心は逸って落ち着かないのだ。ちなみに足先はもの凄い速さでステップを踏んでいる。
「お、落ち着けよ」
 何故かオドオドとするサンジに、ウソップはますます急いて落ち着かない。テーブルに乗せた手をぎゅうっと握るとじんわりと汗が浮かんだ。
「で?で?で?で?で??それで!?」
「えーと、だから・・・・・・って、落ち着け!」
 終いにはガタガタとテーブルを動かし、じたばたし始めたウソップに、流石に我に返ったサンジがばこっと頭を叩く。
 それにウソップの動きがピタリと止まった。
「・・・・・・会ってすぐに言った。そしたら・・・」
 モジモジするようなサンジの焦らしに、またウソップはイライラし始めたのか軽やかなステップをつま先で踏み始める。それを諌めるようにチラリと
見てから、サンジは勢いよく息を吐いた。
「あいつも・・・だって」
「好きだって、言ったのか。ゾロも」
「・・・ああ」
「頷くだけじゃなくて、きっちり言ったのか」
「・・・ん」
 言葉の上で詰め寄られて恥かしそうにしながらも、サンジはきちんと頷いた。白い頬に薄っすらと朱色が散っている。それを隠すようにサンジは俯
いた。
「そうか・・・」
 そう言って、ウソップは黙り込んだ。しばらくの沈黙の後、あまりの静けさを不審に思いサンジが顔を上げると、ウソップはサンジと同じように俯い
ていた。
「ウソップ・・・?」
「うん」
 ずずっとウソップが鼻を鳴らした。ぐいっと腕で鼻の辺りを拭い、そのまま顔全体を手のひらで擦った。
「良かったな、サンジ。本当・・・マジでよかった」
「ウソップ・・・」
 ウソップは泣いていた。顔を見られないように、じっと顔を伏せてはいるけれど、声は細かに震えていて、俯いた先のテーブルには幾つかシミが
出来ていた。
 いつでもゾロの事でウソップには心配をかけていた自覚がサンジはあった。
 ゾロに対する感情があまりにも重すぎて潰れそうな時、ウソップは黙っていつも傍にいて、静かにサンジの話を聞いてくれた。
 安易な慰めの言葉など一切言わない男だけれど、時にはサンジの心が沈まないよう、上手な嘘で笑わせてくれた。
 思えばいつでもそうやって、サンジを支えてくれたのは、陽気なふりで人を気遣う、情の深い狙撃手なのだった。
 この船が諍いなく収まっているのは、ルフィのカリスマ性だけでなく、先を読み人心を導く人望厚いウソップの手腕のお陰なのだとサンジはずっと
思っていた。
 傷つく痛みや、傷つける痛みを知っているから、ウソップは強い。時には自分を弱虫と正面から言い切ることが出来るのは、己の未熟さを認める
だけの心の強さを持っているからだ。
 そうして己の非力を認めながらも、肝心な時には決して引かないウソップを、サンジはやはりすごいと思うのだ。
 しかし今ではウソップも、大抵の事体は切り抜けられる一人前の腕の持ち主だ。心の強さは昔からだが、今では体もそれにすっかり追いついて
いる。
「うん。ありがとうな、ウソップ」
 あらん限りの感謝の言葉を、本当は浴びせかけたい気分だけれど。哀しいかな、それをするにはもうウソップとサンジは付き合いが長すぎて、恥
かしくて出来なくて、サンジは言葉少なにそう言うと、分かっているとウソップは黙って頷いた。
「で?」
 ずずっと盛大に鼻をすすった後、ようやく顔を上げたウソップの表情はいつものものに戻っていたけれど、鼻の頭と目元の赤さは誤魔化しようがな
かった。
「それじゃぁ、なんで疑問系なんだよ」
 サンジは思わずうっと息を詰まらせた。立ち戻った問題に言葉を失う。一時の感情に流されない耳ざといウソップの頼もしい性癖を、この時ばかり
は少々呪った。
「あー・・・だから、いや、それは言葉のアヤで」
「サンジ。俺に嘘をつくのは、一生早ぇーぞ」
 じろりと据わった目で睨まれ、サンジはどうしたものかと肩を竦めた。泳いだ目が部屋の隅をうろちょろする。どうにか切り抜ける言葉がないかと
探しているのは明白で、ウソップはぺしっと頭を叩いた。
「今更もったいぶるなよ。報告のためだけにここへ来たんじゃねーだろ。白々しいぞ」
 腕を組んで見透かすウソップに、サンジはバツが悪く眉を顰めたが、大方当たっているだけに反論も出ない。
 サンジは何度か迷うように口を開閉させてから、諦めた様にふうっと細く息を吐いた。
「・・・結婚とか、どう思う?」
「・・・・・・まあ、俺もそろそろ考えないと・・・・・・って、話はもうそこまで進んでるのか・・・」
「いや、俺が言ってるだけだけど・・・」
 突然の申し出にも、ウソップが驚く事はない。サンジの突飛な発言には長年大分鍛えられているので、面白がって煽るか精々感心する程度だ。
 ウソップは腕を組み、じいっとテーブルの中央に視線を据えているサンジの頭頂部を眺めた。
「まあ、お前らが真昼間から甲板でイチャイチャ乳繰り合ってりゃ、言わなくてもばれるだろうしなぁ・・・」
 言ってはみたものの、サンジとゾロが・・・というのはやはり今一ぴんと来ないウソップである。どうしたって別れる前の、なんだかんだと殴り合って
いた二人の印象が強いからだ。確かに宴会の途中、二人で抜け出していたようだが、それも結局すぐに戻ってきていたのを、夜中に目を覚ました
ウソップは甲板でゾロに会った事から知っていた。サンジはもう寝たのかと聞くと、ゾロは別段普通に「あいつは明日の仕込があるだろう」と答えて
いた。そこに長年離れていた恋人達の気配は感じられず、ウソップはてっきりまだサンジは何も言っていないのだろうと思い込んでいたくらいだ。 
 そういえば迎えに行ったサンジは、ゾロと手を繋いで船に戻って来た。迷子にならないように、サンジが強制的にそうしたのだろうと思っていた
が、ところがどっこい、あれば合意の上だった事になる。まだまだ自分も読みが浅いとウソップは唸った。
「・・・・・・」
 考え込んで上の空だったウソップは、ふと視線を戻した先のサンジの耳が、異様に赤い事に気がついた。
「おい・・・?サンジ。なんで一人で照れてんだ?」
 どの言葉に反応したのか、反芻するがよく分からない。サンジはますます項垂れ、ごちっと額をテーブルに落とした。
「ウソップよ」
「お、おお」
「俺ぁ今夜、男になるぜ」
 むくりとサンジが背筋だけで体を起こした。何故か両手は行儀よく揃えて膝の上だ。
「・・・サンジくん、それはどういうことかね」
 最早問う必要もない気がしたが、関わったものとしての使命感からウソップは改まって問い返した。ここから先は足を踏み入れるべからずと目の
前に看板が立っている。しかし最後まで見定めなくてはという好意と好奇心には勝てず、その動揺は見事に声をひっくり返した。
「だから、今夜ゾロと―――」
「キャー!」
 ダメダメダメだ。所詮俺は腰の引けたチキンだ。
 ウソップは椅子から転がり落ちるように後ずさり、背中にあたって崩れた本の山の中へ身を潜り込ませた。
「言うな!それ以上は言うな!それはお前の胸に秘めておけ!っつーか、秘めておいて下さい!」
 男女のノロケ話でさえ、聞いていて恥かしさに身を捩るウソップである。それが突然一番身近な仲間の、それも男同士の間に降りかかったとあっ
ては平静ではいられない。
 嫌悪とか、拒否とか、拒絶とか。そういうのではないのだ。
 もう、とにかく猛烈に恥かしいのだ。
 だってあの、サンジとゾロが、サンジとゾロが!サンジとゾロが!!
 破壊と暴力と脅威と恐怖の崇拝を受け、海賊団の双璧と言って過言ではない二人が、手を繋いで頬を染め、見つめ合ってキスをしたりするの
か!

 恥 か し い !

 未だ嘗てなく想像を遥かに越える羞恥にウソップは煩悶した。
 しかしサンジはそんなウソップに動揺した様子もなく、ポツポツと話を続けた。
「・・・俺はさ、不安なんだよ。あいつは俺を好きだと言ってくれて、受け入れてくれた。・・・すげぇ嬉しかったよ、俺。正直今もなんかふわふわしちま
って、色々手につかねーんだ。でもさ、そりゃ恋する女の子の考え方なんだ。現実味がねーんだよ」
 そこで大きく息を吐き、思い出したようにようやくポケットから煙草を取り出した。未だにウソップにはやり方のわからない仕種で、ポンッと一本だ
け飛び出させた煙草を銜えた。
「・・・火気厳禁」
「あ、悪ぃ」
 ウソップの部屋には色々な薬品が置いてある。その中には物騒なものもあり、気化したそれに火が触れれば忽ち爆発するものも幾つかあるの
だ。
 無意識に焼きついた仕種の途中で口を挟めば、はっとしたようにサンジは煙草を口から離した。
「だからさ、なんか焦ってどうにかしないと、とか思っちまうんだよな。今夜のこともそうだけど」
 そこで口をつぐんで、サンジはウソップを席に戻るようにと視線で促した。仕方なく席に戻る。サンジは目元を和らげ微笑んだ。
「そういうのがさ、なんかゾロの望んでるもんとすれ違っちまうんじゃないかって、思う」
 そのままサンジは自嘲気味に目を伏せた。そういう仕種が様になってしまうのは、この何年かでそうした事を何度もウソップの前で繰り返してい
たからだ。陰鬱でなく物憂げな様子は見る者が見れば見惚れるほど美しいのかもしれないが、ウソップは好きではない。
 そうしている間、サンジは確実に暗い淵に立ち、中を覗き込むような自傷をしていることを知っているから。
「・・・なあ、サンジよ」
 薄暗い部屋の端を見る。ゆらゆらと揺れるランプの光は物の形を曖昧に映し、壁に様々な文様を描いていた。それを目で追いながら、ウソップは
ゆっくりと言葉を捜した。
「そいう事は、言葉にしねぇとだめだと俺は思う。後悔なら今まで死ぬほどしてきたじゃねーか」
 サンジが驚いたように顔を上げる。ウソップは穏やかに慰めるように笑った。
「ゾロもお前も、もう昔のままじゃないだろう?意地張って臆病になって。それで終わりなんて、ごめんだろ。だったらさ、言えばいいんだよ。素直
に。お前の思ってる事とか・・・不安に思ってる事とか。全部」
「ウソップ・・・」
「俺が言う事でもねーけど、ゾロはただ流されるような奴じゃねーよ。あいつは優しい奴だけど、ただ闇雲に譲歩なんて、絶対しない奴だよ。どんな
事になったって、全部それはゾロが決めた事だと、俺は思う」
 違うか?と同意を求めれば、サンジはくしゃりと顔を歪めた。
「ああ・・・そうだよな」
 泣きたいのか笑いたいのか、本人にも分からないのかもしれない。テーブルに放り出した煙草の箱を、サンジはじっと見つめていた。
「・・・・・・俺、テンパッてるな」
「本当にな」
 気持ちは分からないでもない。いや、分かりすぎるほどよく分かる。先ほどサンジ自身も言っていたではないか。ふわふわして手につかない。
色々手につかない。今までそういう状態になった事は確かにあった。しかしその「色々」の中に料理までもが含まれたのは初めての事なのだ。
 それにサンジは、果たして気づいているのだろうか?
「大体、結婚とか言い出す時点で先走りすぎ」
「やっぱり?」
「でもそれも、ちゃんとゾロに言うんだぜ?」
「ん・・・。分かってる」
 卒倒するかもしれないけどな。そう言って笑ったサンジの目は、先程よりもずっと明るい。ウソップは安心して、笑い返した。
「案外平然と『じゃ、するか』とか言うかもよ?」
「あっはっは。ゾロならありえそうだな」
 鈍感、天然、方向音痴。人の機微に疎くて、寝汚い。非常時には恐ろしく冷静なのに、普段は子供の様に笑う男。
 鋭いと思えば頓珍漢で、大雑把だと思ったら器用な仕種で驚かせる。
 ゾロを表すたくさんの言葉を使って、ウソップはサンジの笑いを引き出しながら、誰よりも深くゾロを思うこの男が、今度こそ後悔などしないようにと
強く願った。























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(03/06/06)

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