under the sun 2 「で、結局テメェらのたくらみは、ここが終点か」 ほら見た事かとナミが厨房から一番離れたテーブルで得意そうに鼻で笑ったのが目の端に映り、ウソップはいっそこのまま船を降りようかと思い つめた。しかしグランドラインの海原の上、何処へ逃げても状況は変わらない。 つまり、大方の予想通りにサンジは八つ当たりの対象を選出し始めていた。 「つまらねぇマネしやがって…俺がそんな事でじたばたするとでも思ったのかよ。情けねぇ」 ふんっとサンジが煙を鼻から吐き出した。指先で口元から煙草を取り去り、ちらりと少し離れたテーブルに目をやった。 「あいつらがイチャついてんのは、今更だろうよ」 じゃあサンジくん。どうしてぼくのお皿にこんなにキノコが乗ってるんだい? ウソップは山盛りに盛られた料理を凝視したまま、ぐっと言葉を飲み込んだ。キノコを飲み込む事と比べれば容易いが、どちらにしろ結果は見えて いるのでどうにもやりきれない。 サンジはもう一度ふんっと鼻をならしてウソップの正面に腰掛けた。 ウソップはどうにかぎこちなく首を動かし、辺りを見回した。ラウンジの中は普段に比べて異常なほど人が少なく閑散としている。誰もが予想され る災厄を避けようと、食事を犠牲に逃げ惑ったのだとウソップにはすぐに分かった。 その証拠に、酷い目にあっているのは馬鹿正直に出頭した自分だけだった。 「サンジー!おかわりー!」 「うるせェ!ゴム!床板でも喰ってろ!」 テーブル三つ分離れたところから、暢気な声を上げた船長に料理長は鋭く切り返した。目の中に揺らぐ殺気は気のせいだろうか?ここのところ敵 船に対してさえそんな冷淡な顔を見せなかった男が久しぶりに発揮する剣呑な雰囲気が、仲間に対してなどとはまったく皮肉だ。 ウソップはどうにかこの状況の収拾をつけるべく顔を上げた。 「なんだよぉ。おかわりくれよー」 途端に目に飛び込んできた大喰らいの船長は、トレードマークの麦藁帽までシュンとする勢いでスプーンをくわえてサンジを見ていた。 その様子にサンジがぐっと詰まる。どうやっても結局飢えた腹を相手に見ぬ振りなど出来ないのだ。 その上この船長の場合、本気で床板を喰う危険性も正当に評価しなければならない。そうなれば被害はウソップにまで及ぶので、それはどうに も遠慮してほしかった。 「ルフィ。ほら」 これやるから。と場の雰囲気を一切読まず、平然と言ったのは最近ようやく船中で迷わなくなった剣士だった。 思えばここに災厄の大元があるのだが、当の本人は我関せずでメインの乗った皿を差し出したものだから、ウソップは情けなくひいっと悲鳴を上 げていた。 しかし時既に遅く、目の前でブチン、とコックの堪忍袋の緒が完全にブチ切れた。 「こンのクソ野郎!てめェの分はてめェで喰えー!」 がこん、と目の前をテーブルが飛んでいく。咄嗟にウソップは自分の皿を退避させてしまい、これはしまったと目の前のキノコ尽しの皿を見た。 「な、なんだよ。そんなに怒るなよ」 どうもこの天然剣士は今や恐怖と食料の頂点に鎮座するコックの扱いが未だに把握できていない節がある。そういわれれば確かにその通りで、 如何せん離れていた期間が長すぎた上にそもそも以前から意思の疎通が不完全であったのだ。そうでなければ大の男が二人して、ぐるぐると遠 回りなどしはしなかったろう。しかし離れていた期間で言えば大食い船長も然りであるのだが、そこはそれ本能の赴くままに行動する、人間より獣 に近い二人にとっては、離れていた時間はあまり影響がないらしい。そこがまたコックの気に障って仕方がないのだという事も、もちろん天然剣士 が気がつくわけもない。 結局頭の上に?マークを無限に飛ばす男と、その仕種に心を擽られて結局身悶えているコックの構図が出来上がる。 いつもはそれで収まる日課が上手く行かない原因は、まったくもって船内の納め役であるはずの船長様だった。 「なあーサンジーっ。メシくれー、メシ!」 「うるせぇ!」 そうは言いながらも最後には何かを出してくれると知っているから、ルフィも中々引っ込みがつかない。 「今日はなんにもねェからな!ねェもんは、ねェ!!」 だが今日はどうも勝手が違うらしい。流石に途中から気がついて、ルフィは困ったように眉根を寄せた。 「なんだよ。なんでそんなに怒ってんだ」 「てめェの胸に聞いてみろ!」 まったく鈍感な事を言う。サンジの踏み込んだ足はミシミシと不吉な音をたてて今にも崩壊寸前だ。それはたまらないとウソップは思うものの、今 横合いから口など出そうものなら、こちらの身が危ないと容易に想像がつくのでぐっと堪えて口チャックだ。 「ちぇー。サンジのケチんぼ。ちょっと位いいじゃんか」 口を尖らせそっぽを向くルフィに、サンジは鼻息も荒く反論しようと口を大きく開けた。が。 「いつもゾロ独り占めしてるくせに」 呟いたルフィの言葉に、サンジはそのまま見事に固まった。 脇の喧騒を横目にのんびり食事をしていたゾロも流石に隣のルフィを見て絶句している。 ラウンジの中はいつの間にか昔馴染みのクルーが残り、その上動いているのはナミだけだった。 「夜はすーぐサンジがゾロ連れて行っちまうし」 かあっとサンジの頬が朱に染まる。見ていていっそ清々しいくらいだ。 「ゾロは遊ぼうって言っても、サンジの手伝いに行っちまうし」 ぎょっとしてゾロが目を見張る。ナミが遠くでニヤニヤしているのがウソップの目に入った。 「俺ばっか仲間はずれじゃん。つまんねーったら、つまんねー!」 イスに乗っかったまま、がたがたとイスの足を踏み鳴らしてルフィが怒鳴った。ぷうっと頬が風船のように膨らんでいる。その上信じられない事に ちょっと涙目だ。一番近くに居たゾロがそれに気づいてはっとしたような顔をした。 「ル、ルフィ。別に仲間はずれってわけじゃ…」 「そ、そうだぜ。っつーか、お前が船長なのに仲間はずれも何も…」 焦ってフォローしようとするゾロとサンジ。 どうにも理屈にかなった屁理屈を並べ立てる二人に、ルフィは恨みがましい視線を投げた。 「もういい!」 ぷいっと頭を振って、ルフィはそのまま本当にラウンジを出て行ってしまった。 年齢に似合わぬまったく幼稚な仕種にあっけにとられ、反面見透かした事を言うギャップに呆然とし、サンジ、ゾロ、ウソップはぽかんとして後ろ 手にドアをバシンと閉めたルフィの見えない背中を追っていた。 「―――っあーっはっはっはっはっ!」 しかしそんな三人の沈黙を見事に破ったのは、ナミの素っ頓狂な笑い声だった。 「あんた達、知らなかったんでしょ。ずうーとルフィが我慢してたの」 どうにも収まりきらないといった風情で、ナミはヒイヒイと腹を押さえている。 三人は未だにぽかんとして馬鹿笑いするナミに目を向けた。 「サンジくんにゾロ独り占めされても、ずっと我慢してたのよ、アイツ。二人で居るの羨ましそうに遠くから見ながらね」 知らなかったでしょ?とナミが促すと、三人はこくりと頷いた。 「柄にもなく、本当に遠慮してたのよ。いつもなら自分のしたいようにしかしないくせに」 だから朝の状態を見た時、これは予定調和か堪忍袋の緒が切れたのか判断しかねたのだ。 「どうやら堪忍袋の緒が切れた方だったみたいね」 出て行ったドアの蝶番はまた外れている。先ほどウソップが修理したばかりだったのだが。本当に今日は蝶番のよく出る日だ。 よく見ると扉自体もちょっと歪んでいた。 「だってね、サンジくん」 ピッと指を立ててサンジを指す。サンジはびくりと姿勢を正した。 「五年ぶりに会えたのは、サンジくんだけじゃないんじゃない?」 暗に私も甘えさせなさいよ、とナミの目が言っている。口元は微笑んでいるのに目は笑っていなかった。 「そりゃ蜜月に違いないかもしれないけど」 ちょっとはこっちへいらっしゃい。ナミは真っ赤になったゾロに向かってそう言うと、軽やかに立ち上がり颯爽とラウンジを出て行った。 「青天の霹靂だな、こりゃ」 またしばらくぼんやりと閉まったドアを眺めていた三人だったが、ようやくサンジがそう言って懐から煙草を取り出した。 「わんぱくスキッパーも、ようやく大人になりました。て感じか?」 「…アイツ、そんな風に考えてたのか」 「おいおいゾロ、しゅんとなるなよ…」 俯いてしまったゾロをウソップが元気付けた。 だって誰だって思わないだろう。そんな事は。まさかルフィが我慢していただなんて。 人の話は基本的に聞かないし、行動する時は好奇心が一番、理屈は二の次。後先考えないし、周りを待つことを知らない。 そんな男が突然気遣い?我慢?堪忍袋に緒があったのか? 様々な疑問が浮ぶ中、ゾロだけがどうも沈んでしまった。長く待たせたという自覚がある分、あまりにも不公平であった自分に気づいたらしい。 そんなゾロの様子にサンジはそそくさと隣の席を陣取ると、そっと頭を撫でた。 「なあ、落ち込むなよ。アイツはそんなに嫌気を引きずるようなやつじゃないだろう?大丈夫さ。晩飯に肉の皿を2・3枚増やしとけば、忘れちまう よ。大丈夫だって」 な?ととりなすようにウソップにも同意を求めて来る。しかし今回ばかりは陽気な嘘はつけそうになかった。 それくらい先ほどのルフィの様子が珍しかったし、言葉尻が少し涙声だった。 サンジは頷かないウソップに困ったような顔をして、またゾロに向き直った。 「それにほら…ルフィにはナミさんも居るし。お前が気にする事なんて、なんもねェって」 しかしどうにもサンジの方にも消せない後ろめたさが見え隠れしている。それをゾロが感じ取らない訳もなく、ますますゾロは難しい顔で黙り込ん でしまった。 「ほらウソップ。お前もなんか言えよ」 再度促してくるサンジの顔は、言葉の柔らかさとは裏腹に切羽詰ったものだった。この男も余裕がないのだ。このまま結論がかんばしくない方向 へ流れれば、ゾロと二人きりの時間は確実に減る。目に見える結果に恐れをなしているのだ。 本当にゾロの事に関しては自信を保ちきれないサンジの気弱さにウソップは溜息を漏らし、だがそれでもルフィの事や、確かに独り占めと言って も過言ではない今の状態を思えば安易に取り繕うような事は言えなかった。 だがその半面、サンジが異常なほどゾロに拘るにはそれにかかる長い年月がある訳で、それもやはり否定は出来ない。どちらをとっても道理も 理屈も通らない選択肢にしばしウソップは煩悶した。 「じゃあよォ、こうしたらいいんじゃねェか?」 段々助けを求める小鳥のような目になりだしたサンジに、ウソップは大きく溜息をついて提案した。 覚束ないゾロも顔を上げる。二人に縋るような目をされて、ウソップは多大な期待を感じて半歩下がった。 「だ、だからさ、つまり…その〜…交代制にするとか」 「「交代制?」」 ハモる疑問符にまた半歩下がる。気持ちの上では対等でも、流石に二人揃って詰め寄られれば気圧される。ウソップは落ち着けよ、と手をヒラヒ ラさせた。サンジの目が少し怖い。米神を汗が流れた。 「ほ、ほらよ、だってサンジはメシ作ってる時は流石にゾロとは居ないだろう?」 「あ?ああ」 「ゾロだって、トレーニングしてる時は一人じゃねーか?」 「ああ」 「だから、互いに一緒に居ない時間は、他の人間ともう少しコミュニケーションとればいいって事。特にゾロはただでさえ近寄り難い雰囲気醸し出し てんだし。トレーニング中は近づかないって暗黙の了解があるの、お前知ってた?」 「知らねェ…」 振られてゾロは少し呆然とし、サンジは黙って視線を彷徨わせた。ウソップはふう、と吐息を漏らす。 「ルフィもそれはきちんと守ってる。昔も、今も。お前の剣に対する真剣さを知ってるからだ。でも俺はよ、ちょっと思うんだけど、…それって結構、お 前気にしてねェだろ?」 ゾロは素直にこくんと頷いた。そうだろうなあ、と幾分気遣わしげに溜息を吐き、ウソップは腕を組み空を見上げた。 「そういう時間をルフィにやればいいんじゃねーの?トレーニングするにしても、ルフィの傍でやるとか。そんなんでいいんじゃねーのかなあ。…きっ とあいつはさ、ゾロが本当にいるんだー、て納得したいだけなんだよ」 言い聞かせるような語尾が、素直に受け入れられればいい、とウソップは思った。きちんと真正面からの言葉に愚鈍な二人ではない。真摯な気 持ちを退けるような事はしないだろう。 ウソップには多分サンジより少し、ルフィの気持ちが分かるのだ。 たとえば朝、目が覚める。昔とは違う、一人部屋の高い天井だ。少しぼんやりしてから顔を叩いて頭を覚まし、身支度を済ませてラウンジへ行く。 そこでまた昔との違いをふと思い出す。あの頃、狭いキッチンとラウンジは兼用だった。そこは時に作戦会議本部になり、ウソップ工場になり、ナミ の海図部屋になり、和やかな暖か場所にもなった。 そして思い出すのだ。そこから欠けた存在を。 そんな瞬間は本当にたまらないものだ。自分ではどうしようもないし、誰のせいでもないので恨む事も出来ない。 そんな風に過ごした時間があっただけに、そこが再び満たされたという感覚が希薄なのだ。実際その姿を見ない限り安心できないような気分が ある。 だから慌ててゾロの所在を確かめたり、どうでもいい事でゾロに話しかけたりしてしまうのだ。 多分ルフィもそうなのだろう。あっけらかんとしていても、心のどこかで信じきれない空白があるのだ。 ゾロが居る。ゾロが帰って来ている。ゾロが。 一々確かめる事もないと納得できるまで、しばしの時間が必要なのだ。 「分かった」 ウソップの言葉にゾロは神妙な顔で頷いた。隣ではサンジが複雑な顔をしている。本当はあまり歓迎すべき意見ではなかったかもしれない。け れどもそれくらいは譲歩してもいいものだとウソップは思った。 「サンジ」 それはゾロにも分かっていたらしい。ふう、と息を吐いて困ったように微笑んだ。 「そんな顔、すんなよ」 な?と宥めるようにゾロがサンジの肩を撫でた。本当はそのまま引き寄せたかったのかもしれない。 ウソップは当てられる前にそそくさと場を辞して、外れかけた扉を閉めた。 |