ずっと勘違いだと思っていた。思っていたかった。 伸びやかな長い腕、真っ直ぐな背筋、そこへ続く首の滑らかさ、柔らかそうな耳、重たげに添えられたピアス、鋭利な 顎、精悍な鼻筋。 そして、相手を見透かすような深い眼差し。 ただ自分にないものを、羨むような気持ちでいたかった。妬ましいのだと思っていたかった。 そんな風に、ずっと。 ゾロが好きだと、知らずにいたかった。 その方が、ずっと楽だった。 くるくると目まぐるしく光彩の変わる観覧車を、首が痛くなるまで存分に見上げた。 周りを囲む新緑の葉は、青々としてライトアップに浮かび上がり眩いばかりだ。それなのにサンジの気分はただ重く、 今頃天辺に着いたであろう、後の恋人たちの事を思う。 きっかけは、何であったろうか。 人伝に初めて会ったのは知り合いのレストランで働き始めて二年目の事だった。 高校の後輩のウソップが、大学で知り合ったのだと連れて来た連中の中にゾロはいた。 初めて挨拶を交わした時の事は正直よく覚えていない。それよりもサンジは一緒にいたナミの美しさにばかり気を取 られ、それを褒め称えるのに忙しかった。だから実際ゾロをゾロとして認識したのはそれからしばらく経ち、改めてウソ ップとゾロだけが店に訪れた時だった。 それから時々訪れるようになったゾロと、なんだかんだと言い合ううちに自然と打ち解け親しくなり、時には一緒に出 かけ、部屋へ押しかけ泊り込み、一日と置かず会う様になるのにそれほど時間はかからなかった。その急激な変化 に、ゾロの親しい友人たちは一様に皆驚いた。何故なのかと問えば、ゾロは元来ひどく警戒心が強く、そう易々と人を 近づけないし、部屋に招くことはほとんどありえないというのだ。俺の方から勝手に押しかけたと言っても、たとえそうで も、平素であればゾロは平気で追い返すと言葉を返された。 その時は、素直にそれが嬉しかった。 多分、野生の獣を手懐けたような、調教師の気分だった。 誰にも懐かない獣を懐柔し、従順とは言わずとも傍にいても噛み付かれないという優越感は、ゾロの部屋を訪れる頻 度を容易に上げた。 そこで止めておけばよかったのだと思う。親しい友人。ちょっと度の過ぎるスキンシップ。柔らかな髪に触れたり、眠っ たゾロを抱き上げ引きずって布団に押し込んだりもした。その穏やかな寝顔を眺めて微笑む程度に。 コックの仕事についてから、同年代の友人がめっきり減ったサンジは、それがただ人恋しさから来るものだと思い込 んでいた。 それが徐々に形を変え始めたのは、ゾロの部屋に見知らぬ女の子が訪ねて来た時からだった。 「ロロノア君、居ますか?」 ピン、と半分電池の切れかけたドアチャイムが鳴ったのは、昼前の事だった。 サンジは非番でいつものようにゾロの部屋へ押しかけ、昼食の準備をしており、ゾロは夜勤のバイトから朝方帰って きたばかりで、死んだように眠っていた。 玄関のすぐ横に流し台があるような、学生が住むには大変スタンダードな作りになっているゾロのアパートは、台所の 正面が擦りガラスになっていて、誰かが部屋の前を通ればすぐわかる。しかしそれがまさかゾロの客だとは思わず、サ ンジは一瞬呆け、それから慌てて濡れた手を拭ってドアを開いた。 普段から知人以外訪ね人もない気安さから、相手も確かめずに開いたドアの向こうには、見も知らぬ年若い少女が 立っていた。 サンジが驚き言葉を詰まらせると、少女は勝気な様子でもう一度「ロロノア君は居ますか」と繰り返した。 「ゾロは今、寝てるんだけど…。約束でもしてたのかな?」 「いえ、そういう訳では」 出鼻を挫かれた上、予想と違う展開に少女は怯んだ様子だった。口元に手を当て、困ったように次の言葉を捜してい る。サンジはそれを驚くほど冷静な気持ちで眺め、握ったままだったドアノブにぎゅっと力を入れていた。 「悪いけど、約束がないならまた今度にしてもらえるかな?」 「えっ…でも…」 「ゾロ、朝方までバイトだったから、今帰ってきて寝たところなんだ。邪魔すると不機嫌になると思うけど」 それでもいいかな? 挑発的な言葉だった。女の子相手になんて事を。見れば随分と可愛らしい、男なら一度はお願いしたいタイプの子 だ。それなのにやはりサンジは、この少女を少しでも早く追い返したいと思っている。 サンジは段々と混乱し、しかし言葉は嫌に冷静で流暢に流れ出した。 「もういいかな?今ちょっと手が離せないんだ。それにあんまり家まで来ない方がいいと思うよ?ゾロ、そういうの嫌がる から」 伝言があれば、伝えておくけど。 口調は優しげでも、その根底にはきつく畳み掛けるような意図があった。それに少女はますます怯んで、目元は泣き そうに潤んでいる。それなのにサンジはやはり何の感慨も湧かず、冷ややかに見ているだけだった。 普段なら女の子相手にこんな態度は絶対にしない。逆にこんな態度をとる奴がいたら、蹴りで教育し直してやったろ う。そして涙目の女の子がいたならば、肩を抱き寄せ優しい言葉でそっと慰めたに違いない。 それなのに。今サンジが思っている事と言ったら。 泣くなら、家に帰ってからにしてくれ。 迷惑だ、とはっきりと感じだ。何の躊躇もなく、同情心が湧く隙さえなかった。 「……失礼します」 一度だけ頭を下げ、少女は身を翻して駆け出した。去り際にサンジをきつく睨んで。 その目にサンジは、初めて己の仕打ちの酷さに気がついたのだった。 自分の所業に落ち込みまくり、最後には開き直ってそれまでまったく興味のなかったゾロの女関係の話を、ウソップ から積極的に聞くようになったのはそれからすぐの事だった。 サンジはゾロの人相の悪さから、女の子が近寄りもしないのだろうと思い込んでいた。ゾロの周りにいる女の子を、サ ンジはナミしか知らない。ナミは男から見ても大層肝の据わった女性で、ゾロなどはしょっちゅう遣り込められいてる。だ からサンジはてっきりゾロは女にモテないと勝手に思っていたのだ。 「そんなわけねーだろよ」 ウソップは平然と言った。目の前で暢気にカレーをかき込むウソップに殺意を覚える。それに気づいてウソップは顔を 上げて口元を引きつらせた。 「だ、だって考えても見ろよ。確かに人相は悪ぃが、整った顔してやがるし腕も立つ。ひょろい男が多い中に寡黙で大人 っぽい奴がいれば自然と目立つのは当然じゃねーの?大体女は結構ああいうタイプに弱いらしいしよ」 まあ、それはナミの弁だけど。その言葉にサンジはいきり立った。 「なに!ナミさんもまさか…!」 「いや、それはありえねーが」 簡単に否定して、腰を上げかけたサンジを制した。気がつけば皿の上は空になっている。話しながら食事することに ウソップは滅法長けていた。 「そうかあの野郎…。澄ました面して、そんなに喰ってたのか…」 「いや、それこそありえねーから」 こぶしを握り締めて悔しがるサンジに、ウソップは大雑把に突っ込みを入れグラスの水を飲み干した。 「まあ、ゾロはああいう奴だし、面倒くさいっていうのが今は先に立ってるって所だけど。その代わり惚れたら案外一途 で、絶対他に目移りしたりしないんだろうなあ。…お前と違って」 「一言多い」 「痛ぇ!鼻を掴むな!」 ウソップの鼻をへし折る勢いで振りながら、サンジはもやもやと胸の辺りが急に詰まって顔を曇らせた。 女の子に警戒心を抱かせない優しい顔つきのサンジと違い、確かにゾロは精悍な顔つきをしているし、女の子は案 外そういった野性的な男を好いたりする。特にゾロはどこか危うげな雰囲気を持ているから、それがまた女性を惹きつ ける要因になっているのだろう。なんとなく理解できるのがまた不愉快で、サンジはぎゅうっと眉を顰めて口を尖らせ た。 気に入らない。ゾロの癖に俺よりモテるなんて。 大体アイツなんて、休みの時はほとんど寝てるし、気は利かないし、たまにつまんねぇギャグ言うし、ちょっと天然だ し、方向音痴で時間守れねぇし、基本的にアホだし、俺が飯喰わせてやってもろくな感想も言わねぇし、牛乳は直接パ ックから飲むし、金はねぇし、洗濯物は取りこまねぇし…。 いい加減離せよ!と怒鳴るウソップなどものともせず、サンジは延々と頭の中でゾロの悪口を並べ立てる。 そうだ、ゾロがモテっこない。そうに違いない。随分と勝手な言い分ではあったが、サンジはそこでやっと安心した。 「お前なあ、そんな妬くなよ」 やっと開放されたウソップは涙目だった。言われてサンジはそんな姿を少し茫洋として見た。 「妬く?俺が?ゾロに?」 「だから自分よりゾロがモテるのが気に入らないんだろ?」 「……俺の方がモテるっつーの」 ぴんっとウソップの鼻を指で弾いて、サンジは剣呑な視線をじろりと向けた。だから鼻はやめろ、赤くなると目立つん だよとウソップは怒った。それには答えず、サンジはそうか、と納得した。 あの時女の子を追い返そうとしたのも、胸の中がなんだかもやもやしたのも、ゾロを羨み、嫉妬していたからなのか。 認めるのは屈辱的だが、そうすれば説明は安易についた。今でも女の子は大好きだと思うし、やさしく大切に思う。一 時的な感情に説明がつき、サンジはなんだかほっとした。 「あーああ。うん。なるほどね」 「なんだよ。一人で納得するなよ」 「いや、助かったよウソップ。大変助かりました」 「だったらもっと、感謝の気持ちを表せよな」 すっかり赤くなってしまった鼻で、ウソップは憮然と口を尖らせる。 それに悪いねと笑ったサンジだったが、それでもわだかまる胸のうちを感じていた。 |