きらきらの観覧車
2





















 サンジがゾロの部屋を訪ねる時、大体五回に一回の割合でナミがいる。
 理由は大学の課題だったり、本の貸し借りだったりしたが、サンジは薄々本当はそんな理由など必要ないのだと気づ
き始めていた。
 突然店が休みになり、ゾロを夕方頃訪ねた時だった。
 近くのスーパーでいつものように食材を仕入れ、ゾロのアパートへ向かっている道すがら、前方に見知った人影を見
つけた。
 ゾロとナミが、腕を組んで道の真ん中を歩いていた。夕日の差し掛かる下町の細い道を、二人は肩を寄せ合い、仲睦
まじい様子で歩いている。ぶら下がるように縋るナミをゾロは邪険にする様子もない。それどころか常になく歩調は緩
く、明らかにナミに合わせていた。それを見て、サンジは気づいてしまった。

 ああ、あの二人は特別なのだ。

 そのままサンジはスーパーのビニル袋を持って家に引き返した。何食わぬ顔をして、二人の間に入る気にはなれな
かったのだ。自宅に戻り、サンジはビニルを台所の隅に置いたまま、なんとなく放心して明かりも点けずに日暮を窓か
ら眺めていた。
 いつもなら仲良く歩いている二人を見つけたならその間に割り込み、俺と腕を組もうナミさん、と言っていた。そして部
屋へ押しかけてナミさんナミさんと騒いだあげくゾロに煩がられ、それにサンジが怒ってお決まりの喧嘩を始めて最後
にはナミに殴られて終わる。そして結局仲良く夕食を食べていたに違いない。

 それなのに、今日はそれができなかった。

 二人の関係を悟った途端、体中の力が抜けた。突然何もかもがどうでもいいような、怖いような気持ちになった。頭の
中はぐちゃぐちゃして、息が詰まって呼吸が不規則に細くなった。何から理解していいのか、何を理解したいのかわか
らず、サンジは蹲って低く呻いた。勝手に裏切られたように感じて胸が悪くなった。

 嫉妬だった。そしてウソップの言葉を思い出していた。

『ゾロがモテるのが気に入らないんだろう?』

 そうか、自分でも気づかぬうちに、本気でナミに惚れていて、だからこんなにも自分はショックを受けているのだとサン
ジは思った。ゾロにナミを取られて、裏切られたと感じているのだと。
 だってあの時、見知らぬ女の子が訪ねてきた時、こんな風には思わなかった。
 ただ少しイライラしただけだ。頭から血が失せた様な気分の悪さなど感じなかった。だからきっと、自分はナミが好き
なのだと。
 ゾロの隣にいるナミを思い出す。嬉しそうに笑ったり、拗ねたように頬を膨らませる姿は愛らしく、それがゾロに向かう
様を思い浮かべると自然とゾロがそれに笑い返す様や困ったように口を尖らせたり、驚いて瞬く姿が蘇った。二人の言
葉の応酬は聞いているこちらがはらはらするほど乱暴で、時々本当に二人の不仲を疑った。けれども次の瞬間には額
を寄せて言葉を交わし、悪巧みを思いついては共犯者の面持ちで意地悪く微笑み合った。特にゾロは普段無表情でい
る事が多いくせに、ナミがいればそんな顔をいくつも見せた。
 それが時々サンジは悔しくて、なんで俺といる時は見せないくせに、ナミさん相手だとそんな風に笑うのだと思ってい
た。
 思っていたのだ。
 なんで俺には無邪気に笑ったりしないのだと。
 ゾロの事をそんな風に。

 サンジは悟って、愕然とした。
 気がつけば自分の中はナミではなく、ゾロでいっぱいだった。


 そこからはもう、坂道を転げ落ちる無力な石のようだった。
 思考の坂道は進めば進むほど傾斜を強め、サンジの気持ちを加速させた。
 

 いつも店に来て、仏頂面で食事をしていたゾロ。
 本当は甘いものが好きだとばれて、真っ赤になった時の事。
 からかったりせずケーキを出せば、ゾロは堰を切ったように初めて料理を褒めてくれてとても嬉しかった。
 自分の意見を曲げず、真っ直ぐに背筋を伸ばす後姿。
 電車を待ってうつむいた時の睫の長さ。
 難しい事を考えていると口を尖らせる幼い癖。
 滅多に見せない、全開の笑顔はサンジの指先を甘く痺れさせた。

 もう認めるしかなった。

 ゾロが好きだと。
 そういう風に好きだと。













 ナミから電話をもらったのは、それから一週間もした頃だった。
『ゾロと観覧車に乗りに行くの』
 なぜナミがそんな事を突然言い出したのか、サンジはわからなかった。
「え〜ナミさん、ゾロじゃなくて俺と乗りに行こうよ〜」
 努めていつもの口調で答えながら、声は勝手に震えそうになった。携帯を握っている指などは、既に先走って震えて
いた。
『ふふ。大切な話があるんだもの』
 サンジは目を閉じ、大きく息を吸い込んだ。そうしなければ今にも呼吸を乱して叫びだしてしまいそうだった。
 ナミの言いたいことはもうわかっている。
「…ロマンチックで、いいね」
『そうね。丁度天辺に着いた時に言うのも、ちょっといいじゃない?』
「そう、だね」
『だからね、待たなくて済むように、混んでない時間を教えてほしいの。サンジくん、何度か行った事あるって言ってたで
しょ?』
「そ、うだね…」
 平日の夕暮れ時をサンジは指定した。オープン当初に比べれば、並ぶ事はほとんどない。平日なら大抵すぐに乗れ
るはずだった。
『ありがとう、サンジくん。今度ゆっくり食事にでも行きましょう?』
 ゾロと三人で。そう言って電話は切れた。
 知らぬとはいえ、なんて残酷な事だろうかとサンジはその場に跪いた。
 ナミの告白のお膳立てをし、その上二人の惚気話を聞かなければならないとは。
 しかしただの友人ならば、それは当然避けては通れぬ道だった。三人の席を断る事はできても同じこと。いずれナミ
とゾロはサンジの勤めるレストランへ来るだろう。

 いつのかのあの夕暮れのように、仲睦まじく腕を組んで。

 サンジは突然吐き気を覚えて突っ伏した。携帯を投げ出し蹲る。
 喉元を締め付ける苦しさはやがて嗚咽に変わっていた。

 好きだ。ゾロが好きだ。どうしようもなくゾロが好きなんだ。

 正直に言えればよかった。
 言いたかった。
 本当は今すぐにでも電話をかけて、ナミに言ってしまいたかった。

 ゾロを取らないでくれと。ゾロを連れて行ってしまわないでくれと。

 あの居心地のよかったゾロの部屋は、ナミ一人のものになる。サンジがいたゾロの隣のあの場所を、ナミに取って代
わられる絶望に、サンジは伝える事のできない己を心から呪った。




























(2004/06/09)

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