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「行ってくればいいじゃないの」
 なんとも素っ気なくナミは答えて、ふう、と生乾きの爪の先を吹いた。
「いいわよ、別に。好きにすればいいわ。ルフィには私から言っておくから」
 あまりに虫のいい話に、ゾロは流石にすぐには信じられず眉を顰めた。それにナミはこちらこそ心外だ、という風に張
り合って眉を顰めた。
「サンジ君が忙しいのなんて、皆良く分かっているもの。何か言うなら、殴ってやればいいわ」
 なんて乱暴な言い様だと思いながら、それ以上にナミがそんな風に思っていた事に驚いた。
「…じゃあ、いいんだな?」
「ええ。その代わり、ちゃんと戻って来るのよ?」
「…ああ」
 ひらひらと手を振って、素っ気無いが本当は未だに心配なのだ。だがそれをわざわざ確かめるほど、野暮なつもりは
ない。じゃあ、よろしくとこちらも素っ気無く返すと、デッキチェアに座ったまま振り返りもしなかった。
 二日ほど前から、気候が安定し始めた事には気がついていたゾロである。次の島は夏島だとナミが言う。
 それからゾロは、なんとなく以前からぼんやりと計画していた事を、実行するにこれは丁度いいのかもしれないと思っ
たのだ。
「よし、準備しねぇとな」
 ぶらぶらと散歩でもするように甲板を歩きながら、ウソップに声をかける。船尾で鼻歌混じりに釣りをしていたウソップ
は、首だけで振り向いた。
「どうした」
 サンジに次いで多忙なウソップだが、それを嫌っているかといえばそうでもなく、何もないと返って落ち着かないと言っ
ていた。その上元々秘密ごとや悪巧みが好きな男だ。喜んで手を貸してくれるだろう。
「ちっと頼みごとがあるんだが」
「珍しいな。なんだ?」
 ゾロがウソップに頼み事など、せいぜい刀の手入れぐらいのものだ。それも昨日終えたばかりとなれば、違う用件と
察しがつく。まあ、座れと隣を促すウソップの隣、船外に足を投げ出し柵に座った。
「次の島、もうすぐ着くだろ?」
「あ?ああ。ナミがそう言ってたな。島影も小さく見えてるし」
「着いたら頼みてぇ事がある」
「なんだ?金ならねぇぞ」
「や、金はある」
「…なんだ。金の自慢話ならナミとやってくれ」
「だから金じゃなくて」
 相変わらず釣果を入れる桶も用意していないウソップは、やる気があるの怪しい素振りで、思い出したように時折竿
を上下させている。だが明らかに釣りよりもゾロの話に関心があるようで、その僅かな振りも途切れ途切れだ。
 危うく脱線する話を強引に戻した。
「頼まれてくれるか?」
「…内容にもよるがなぁ」
 気のない返事で素っ気無い風を装って。でも本当は興味津々と目が輝いている。こういうところが、ウソップの憎めな
いところなのだなと笑いながら、ゾロは具体的ではない内容を、大雑把に話して聞かせた。


















 明日の朝には島に着くとナミが言うので、船員たちは大喜びだ。元々自由気ままな暮らしを好む海賊家業、いくら海
が好きといっても船内では色々と制約される事が多い。わあわあと騒ぐ船員たちを横目に、サンジはふわあ、と大欠伸
をした。
「お?お疲れだな」
「おおよ」
 むにゃむにゃとする横を、ウソップが資材を持って通り過ぎる。壊れたタラップを直しに行く途中だ。他の誰かに任せ
てもいいのだが、極力ウソップは自分でやりたがった。
「島に着いたら、少しはゆっくりするさ」
 大きく煙草の煙を吸い込みながら、だるそうに首を回す。陸に着けば船員の大半は港町に繰り出してしまうから、食
事の用意や面倒事が一気に減るのだ。もちろん食材や機材の買い出しはサンジが手配しなければならないが、買い
出しのリストは出来上がっていて、買ってこさせたものをチェックするだけで今は済む。サンジ自身が動かなければなら
ない用事は、航海中から比べれば驚くほど少ない。
「少しと言わず、好きなだけゆっくりすればいいんじゃねぇの〜?」
 何か含みのある言い方に、サンジはぴくりと眉を浮かせた。ウソップがこういった言い方をする時は必ず何かある。じ
ろりと睨むと、肩に担いだ道具箱を降ろした。
「生憎ゾロは、忙しいらしいからな」
「なんだって…?」
 予想外の言葉に、サンジは一瞬固まり、すぐにぎろりと目を剥き出した。
「な、なんかナミに頼まれ事とか…なんとか…ってゆーか、俺を睨むなよ!こえぇな!」
 凝視から逃げようと、顔の前で手を交差させるウソップに、サンジは憎憎し気に舌打ちした。
 サンジはいつも通り港に着けば、少しばかりゆっくりとゾロといる事が出来ると思っていたのだ。間に入る人も少ない
し、用事もうんと減る。早い時間から二人で酒を飲む事も可能なはずだった。ゾロもおそらくそのつもりであったろう。今
朝部屋を出る時に交わした会話の中で、港に着いてからの話もしたが、別段ナミの話は出なかった。ならばその後の
話なのだろうと、サンジはもう一度舌打ちした。ナミの用事では断れとサンジは言えない。それは分かっているから、ゾ
ロだって少しは抵抗しただろう。それでも押し切られたのなら、もうどうしようもないという事だ。
「そうかよ」
 掌で煙草を握りつぶす。思わず浮かびそうになった青筋は、皮膚を焼いた煙草の火に飲み込まれた。隣で見ていた
ウソップが驚いてサンジの手を掴んでも、もうどうでもいいような気分だった。
 俺は随分我慢してきたつもりだぜ。ゾロがしたいようにさせているし、妨げたりも絶対しない。それくらいの自制は覚え
て、最近では笑って見ていられるくらいの余裕は出来たというのに。それでもこんな風に不意打ちに、小さな楽しみを潰
されると、急に心が安定を欠く。何度か大きく息を吐いて、サンジは大丈夫だ、とウソップから腕を取り戻した。
「…ナミのヤツ、お前にも頼みたい事があるらしいぜ」
「俺に?」
「ああ」
 がくがくと頷くウソップはどうも怪しいが、こんな単純な嘘をついても仕方がない。第一ナミがサンジに用事を言い付け
るのはいつもの事なので、別段不自然とも思わずサンジは分かった、とナミを探しにウソップから離れた。
 その背中を見送りながら、ウソップがうしし、と笑ったことなど終ぞ気がつきはしなかった。







「おいおい、一体どこまで行ったら、目印の大木なんてあるんだよ…」
 サンジは背中に背負ったサックを担ぎ直し、額に浮かんだ汗を手で拭った。
 真上から照りつける太陽は、辛うじて伸しかかって生える木々で遮られているものの、延々と続く砂浜を歩くのは、普
通の道を歩くとはわけが違う。さらさとした感触に足を取られてサンジは何度かバランスを崩し、靴の中に入り込んだ砂
を嫌って裸足になった。
 いったん立ち止まり、サックから水を取り出し少しだけ口の中を湿らせる。この状態がいつまで続くか分からないが、
節水するに越した事はない。いつもの倹約ぶりを発揮して、波打ち際と平行して続く砂浜の先を見やった。かれこれ船
を出てから一時間は経っている。ナミから渡された地図は大雑把に描かれた直線の砂浜と、紙の端っこの方に描かれ
た丸印だけしか書かれていない。丸印には矢印が引っ張ってあり、その先には「すごく大きな樹」と書かれていた。それ
を渡された時、ナミの書いた地図に疑いなど一片も持たなかったが、流石にここまで周りに何も見えてこないと心配に
なってくる。気がついたら島を一週周って船に辿り着いた、などというオチは真っ平だ。サンジは大きくため息を吐いて
からまた歩き出した。

 港に船が着き、気がついた時には既にゾロの姿がなかった。周りの者に聞けば、はしごを降ろす間もなく、飛び降り
て行ったらしい。付け加えるようにウソップも一緒だったと聞いたが、そんな事はどうでも良かった。ゾロがいなければ
すべては同じだ。大方ゾロが迷わないように、ナミがウソップをつけたのだろう。せめて一言くらい、何かあってもよかっ
たのに。寄港してから顔も合わせなかった事に、恨めしいよりも、寂しさが募った。サンジは大きくため息をついてがり
がりと頭をかいた。
 そしてサンジは、ナミに頼まれていた約束を果たすため、だらだらと荷物を持って下船したのだった。

「一体ナミさん、いくら貰ったんだろうなぁ…」
 出張コックなんて、久しぶりだぜ。サンジは足元を見ながら歩き、ぶつぶつと言葉を吐いた。

 開口一番、ナミは「ちょっと行って欲しいところがあるの」と言った。

「俺が…?」
「そう。出航まで一週間くらいあるから、それまでそこで料理でもしてて」
「ちょ、一週間…?そんな長く行かなくちゃいけないんですか?」
「だって約束しちゃったのよ。一週間、サンジ君をそこへ行かせるって」
 一体いつの間にそんな約束を。船は先ほど港に着いたばかりで、ナミが誰かと接触している様子はなかった。それな
らば事前にかもめを使ってやり取りでもしていたのだろうか。疑問符ばかりが頭上に上がるサンジに、ナミはごめん
ね、約束だから、と言った。
「忙しい事とか、全然ないの。いつも通りにしてればいいし。きっとサンジ君も気に入ると思うわ。とってもいいところだも
の」
 そう言ってにっこりと笑ったナミに、さしものサンジも笑い返せなかった。
 ゾロを取り上げるばかりか、唯一の楽しみである上陸中の時間も自由にならないとは。
「分かりました…」
 がっくりと頷いたサンジに、それはそれは嬉しそうにお願いね、とナミは笑った。

 それがそう、一時間ほど前の話だ。それからサンジは依頼人の名も知らされず、いつ着くとも知れない道を歩んでい
る。もちろん、砂浜を道と呼んでよければ、の話だが。
 左手に青々と茂った森を、右手には真っ青な海を見ながらその真ん中を歩く。疲れてはいないが、少しばかりうんざり
して、こんな事なら街で馬でも借り出せばよかったと思うものの、別段早く着いたところで何の意味もないと気がつき、ま
たため息が漏れた。しばらくそうして、何も考えず無心で歩き続けると、ようやくその「すごく大きな樹」らしきものが見え
始めた。
「おわッでけぇ…」
 近づけは近づくほど、その樹木の一種異様な大きさに驚いた。昔空島で大層大きな豆の樹を見たが、これもなかな
か劣らない見事さだ。地上では、ここまで育つに相当時間がかかるだろうに。感心して半ばぽかんとし、空を見上げて
いた。しかしすぐにその樹の少し奥に、木造の家がある事に気がついた。
「あれか…」
 周りを見回しても隣家はない。ならばあれがナミの指定した場所なのだろう。サンジはなんとなく行きたくない、このま
ま戻ってどこかにいるゾロを探したい、という欲求に駆られたが、ナミの顔を思い浮かべ、しぶしぶとその建物へ足を向
けた。
 建物はリゾートやバカンス、という言葉が良く似合う、高床式の建物だった。木を組み合わせた造りで、かなり精巧に
出来ている。小屋というには大きな様子は、この島独特の居住の形態なのかもしれない。なんといっても常夏の島だ。
寒さに対する備えが必要ない。暑さを凌ぐための工夫はされても、隙間風を締め出すようには造られていないのだ。
 階段を昇ると玄関前のポーチには、小さなテーブルとリラックスできるチェアが二つ置いてある。なんとなく、昔見たエ
ンジェルビーチを思い出した。あそこにあった、風通しの良い東屋にここは良く似ている。懐かしい気持ちでサンジはそ
の二つのチェアを眺めていたが、すぐにここの住人は二人だと気がついた。
 カップルだったら、蹴り飛ばしちまうかもしれねぇ…。
 ナミさんごめん、と先に謝っておく。目の前でイチャイチャされたら、何をしてしまうか分からない。ひがみ根性といわれ
ても、その通りなのでいくらでも言ってくれと思う。
 そうすりゃあ、さっさとお役御免になるかもしれねぇな…。
 ふっふ、と物騒な事を考えながら、どんどん、と薄い扉を叩いた。
「おーい!誰かいるかー?」
 よし、出てきたのが男だったら蹴り飛ばそう。そう思うとなんだか楽しくなって、サンジはウキウキと声をかける。続け
てどんどん、と辺りに木霊するほど戸を叩くが、人が出てくる様子はない。そもそも中に人がいる気配がないのだ。少し
待ってもう一度同じようにするが、結果は無言の返答だった。
「一応、中確かめた方がいいよな…」
 いないからといってもし万が一、後から苦情を言われてはナミに顔向けできない。中を確かめて誰もいなかったら言
い訳も簡単だとサンジはいくら引いても開かない扉を蹴破ろうと、足を上げた時だった。
「…おい、お前が蹴ったら壊れるぞ」
 突然後ろから声をかけられ、驚いて振り向いた。ぽた、ぽた、と足元に落ちる雫の音が大きく聞こえる。サンジは驚
き、危うく腰を抜かしそうになった。
「ゾ、ゾロ!?」
「おう、遅かったな」
 腹減った。そう言ってゾロは、びちびちと暴れる、一抱えもある大きさの魚を軽々と差し出した。
「ちなみにそれ、中開だから」
 いくら引いても開かない扉を、ゾロは足で押し開けた。
 









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初出 2004/10/03
再録 2011/12/22




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