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 夕食が終わってシャワーを浴びてしまうと、部屋の電気をすべて消して月を眺めた。月はとても大きいので、まるで大
きな電燈のようだとゾロが笑った。
 二人掛けの籐椅子は、大きな作りで大の男二人が座ってもたっぷりと余裕があり、そこに並んで座るのが寝る前の
日課だ。木の実を発酵させて作った酒が、二人は気にいっていた。
「サンジ」
「なに」
 正面に見える海は、月の真下だけがぼんやりと光っている。時折ぽん、と魚が跳ねた。
 波音だけで静かな室内に、ことん、とゾロがテーブルにグラスを戻した音だけが響く。サンジはそれに何故かびくりとし
てゾロを見た。
「最後にちゃんと、話しておいた方がいいかと思って」
「…最後って、後二日あるだろ」
「早く切り上げる分には問題ねぇハズだ」
「ゾロ?」
 ゾロはじっと海を見たままだ。隣にいるサンジを見ようともしない。それが恐ろしいような気がして、サンジは身を乗り
出した。
「なに、なんの話だよ」
「終わりにしよう、ここを出たら。全部無かったみたいに。昔みたいに」
「なに、言ってんだよ…?ゾロ?意味分かんねぇ」
「ただの、仲間に」
「ちょっと待てよ!」
 ぐいっと肩を引くと、初めてゾロがこちらを向いた。その目の鋭さにぎくりとする。ゾロの本気が痛いほど突き刺さっ
た。
「俺が…俺が嫌になったって事か?なんでだ。昨日だって、さっきだって…ちくしょうっ俺の事好きだって、言ったじゃね
ぇか!」
 だん、と体を背もたれに叩きつけても、ゾロの目はびくともしない。お互い丈夫さだけがとりえの男だ。
 サンジはただ動転して、がたがたと手が震えた。
「面白がってたのかよ。俺が有頂天になってお前にご奉仕するのが、そんなに気持ちよかったか?…なあ、ゾロ、嘘だ
ろ?ちょっとした冗談だろ?…冗談だって、言えよ!」
 拳を叩きつけた背もたれがバキンと壊れた。飛び散った破片がゾロの頬を傷つけ、細く糸のような血を滲ませた。そ
れでもゾロの目が揺らぐ事はなく、サンジは顔を歪めて興奮に乱れた呼吸を繰り返した。
「俺はお前といると、すごくほっとして、多分、幸せだった」
 突然、ゾロがそう言った。サンジは驚き、その顔を凝視する。ゾロは目を逸らす事無く、肩を掴んだサンジの腕を放さ
せた。
「お前がいれば、何だって出来ると思ったし、どこへだって行けると思った。俺はお前がいる事で、今までよりも、もっと
強くなれると思ったし、驚く事が多くても、それが楽しかった」
 そこで初めて、ゾロは視線を落とした。今度はじっと、落とさせたサンジの手を見ている。サンジはゾロの俯けられた
後頭部を見ていた。
「俺はそれを勝手に、お前もだと思い込んでた」
 ハッとしてサンジは目を瞠った。
「でも、お前は違った。お前は俺がいる事で苦しんでる。自惚れてるわけじゃねぇけど、お前が俺の事を好きだっていう
のも、分かってるつもりだ。…それが、お前を苦しめてるって事も」
 サンジは呆然として、膝をついた。そうする事で初めて、無表情だと思っていたゾロが、そうではない事に気がつい
た。
「俺の傍ではお前がお前でいられないなら、…それじゃ意味がねぇんだ」
 ゾロは泣いていた。驚いた。こんな風に、気づかないほど静かにゾロが泣いている。サンジはがくがくとして震える手
をぎゅうっと握った。
「俺の…俺のせいか」
「違う!」
 鋭くゾロが遮る。その目は濡れているのに、一片の弱さもない。強くぎらぎらと輝く目はあまりにも誠実だった。
「俺がお前に、同じものを返せないからだ。お前が俺にくれたものを、俺はお前に返せない。俺がお前に出来るのは、
自分勝手な気持ちを押し付ける事だけだ」
 好きなのに、こんなにも好きなのに、いや、だからこそ離れると言うのか。サンジはまともに考えがまとまらなかった。
ただ目の前で恐ろしい事が決定付けられそうであるという事だけは確かだった。
「俺は、お前を自由にしてやりてぇ。お前にそんな顔させるもんは、全部斬って捨ててやる」

 たとえそれが、俺自身だとしても。

 完全に座り込み、サンジは呆然とゾロを見上げた。
 なんて、なんて激しい男だろうか。自分の感情一切を捨ててまで、自分の想いを貫こうとするゾロの壮絶な潔さは、ま
るで一直線に穿たれた豪放な矢だ。遮るものをすべて貫き、定めた狙いを射抜くため全てを捨てる。それがたとえ身を
剥ぐような事であっても、目的のために手段を選ばない。

 なんと激しく、なんと潔い。
 その気持ちのすべてを、ゾロは自分に注いでくれているのだ。
 
 サンジは震える手を隠さずゾロの頬に触れた。叩き落されるかと恐れたが、ゾロは動かず、少しだけ目を伏せた。
「俺は…怖かった。ずっとお前が俺以外の誰かといれば、それだけで嫉妬した。お前はなんでもない風で、でも俺だけ
が頭がおかしいみたいにお前の事考えて。それをお前に知られるのが…怖かった」
 お前がそれでもいいと言ってくれても、それでも不安でたまらなかった。いつかお前が離れていく時、俺が好きならそ
れでいいと思い込まなければ、正気ではいられないほど。そんな風に自分の中でバランスを取っていた。お前がこんな
にも俺を、大切に、自分よりも大切に想っていてくれる事を知らずに、ずっと。
 ゾロは目を上げると瞬き、じっと震えるサンジを見た。その目は変わらず強く、そして美しく月の光を含んで輝いてい
た。
「それは俺だ、サンジ。お前に好きだと言うまで、どれだけ迷ったと思う。どれだけ俺が…」
 言葉を途中で奪って、サンジはゾロにくちづけた。触れるだけの、稚拙なもの。それでも精一杯の気持ちを込めた。サ
ンジは目を閉じず、ゾロもまた、軽く伏せただけだった。
「本当に、言葉が足りねぇんだな、俺たち。勝手に線引っ張って、身構えて。お前がそんな風に思ってる事、気がつきも
しなかった」
 ふう、と吐息は吐いてサンジは目を瞬いた。その拍子にぽろりと涙が一つ落る。
「泣くなよ」
 ぐいっと頬を拭われた。その乱暴さがいかにもゾロらしく、サンジはちょっと笑った。
「それはお前だろ」
 奇妙に清々しい気分で、サンジは笑ってゾロの目元を拭った。それにゾロは少し驚いて、そしてとても嬉しそうに笑っ
た。
「お前はそうやって笑ってりゃいい」
「そうすればお前、傍にいてくれんのか」
 真剣な顔で問えば、ゾロは気まずそうに眉を顰めて、でもこくりと頷いた。
「俺、すごい我侭だし、お前の事、独り占めしてぇっていつも思ってるんだけど、それでもか」
「思ってるなら、そう言やいい」
「独り占めさせてくれるの」
「…その時による」
「ちぇっ」
 けち、と笑うと、ゾロも笑った。座り込んだ場所から、ゾロの傍へ寄る。膝の間に割り込んで、体を抱きこみ、頬を摺り
寄せた。ゾロは黙って好きなようにさせながら、サンジの髪を何度も梳いた。
「お前と俺は男で、普通と違うかも知れねぇけど、でも好きって気持ちは一緒だと思ってる」
「?ああ、もちろん」
「でも、それじゃお前は不安なんだろう」
 ハッとして、ゾロの顔を見た。ゾロの言葉は的確に不安の核心を突いている。驚いて目を瞠ると、ゾロは真剣な面持
ちで黙り込んだ。
 確かにその通りだ、と思った。男女の間なら様々な方法で二人の繋がりを具現化し、周りにも知らしめる事ができる。
だが自由を身上とする海賊同士、男同士ではあまりにもそれは無理な話だ。だがそんな風に、二人の繋がりを心一つ
に頼る事を、サンジが不安に思っているとゾロは言ったのだ。
 突然の指摘に戸惑うサンジをゾロはじっと見、そしてその頬を両手で包んだ。
「お前が後悔しねぇなら」
「ゾロ?」
 相手を射殺す視線に竦んで、サンジは動けない。喧嘩をする時、こんな目はいくらでも見てきたつもりだったのに、こ
んな事は初めてだった。
「俺はお前に、永遠を誓ったっていいと、言ったはずだ」
「…お前…覚えてたのか」
 初めてゾロと過ごした夜、プロポーズしたサンジにゾロはイエスと言ったのだ。だがその時のゾロは疲れ果てて眠る寸
前だった。そして次の日、目を覚ましたゾロからその話が出なかったものだから、寝惚けていただけかと随分と落ち込
んだのだ。しかし一度目は勢いで言えたものの、二回目はそうも行かず、結局切り出せずそのままになっていた。
「お前は女共の手前、大っぴらには俺との事を言うのは控えてるんだろうから、言わなかっただけだ」
「そ、そんな事!だってとっくに皆、知ってるんだぜ!?何を今更…」
「なに!?」
 信じられない事を聞いたという風に、ゾロは目をむき出した。その剣幕に驚いて、思わずサンジは声が弱った。
「えっ、…って、知らなかったのか?お前」
「…知らねぇ」
 ゾロが呆然として呟いた。アレだけみんなの前でイチャイチャべたべたしておいて、気づかれないと思っている方がど
うかしている。第一何度か同じベッドにいるところを、敵襲を知らせに来た船員に見られているのだ。それを言えばゾロ
はまた知らねぇ、と呟いた。
「なんだ…なんだよ…。俺はてっきりお前が覚えてないと思って、もう一度どうやって切り出そうかと悩んでたっつーの
に、お前はそんなボケた事言って放っておいたのかよ…」
 でも、それもサンジの事を気遣っての事だ。女に知られたくないと思っているだろうからと、じっと黙り込んだゾロを想
像して、サンジは目元がじわっとした。
「じゃあ…じゃあさ、これから結婚式しようぜ」
「結婚式って…今ここでか?」
「ああ、二人きりっていうのもいいじゃん。披露宴は皆でやれば。俺、腕奮うぜ!」
 そう言って立ち上がると、サンジは跳ねるように寝室に飛び込んだ。隣の部屋からぶちぶちがたごとと音がしている
間、ゾロはぼんやりと座ったままだ。
「お待たせ。はい、これ頭に被んの」
「なんだ、これ?」
「レースのカーテン」
 ほら、俺も被るからさ。そう言ってサンジが窓際から千切ってきたレースのカーテンを被ると、よく理解していない顔で
ゾロも被った。
「礼服とか、何もないからさ。略式で。あー、でも指輪くらいは欲しかったなぁ。明日買いに行こうぜ」
「それなら…」
 ゾロはレースをひらひらとさせながら、サンジと同じように寝室に消えた。しばらくごそごそと音がして戻ってくると、サ
ンジに小さな箱を渡した。
「これ…お前、指輪じゃねぇか!」
 小さな箱には、銀色の指輪が二つちんまりと並んでいる。サンジが驚いて顔を上げると、ゾロは恥ずかしそうに唇を
噛んだ。
「だいぶ前に、ウソップが作ってくれた。…前に、お前がその…結婚しようって言った時に」
「…それから、俺が何も言わないから、ずっと持ってたのか?お前が?」
 こくんとゾロが頷いた。やはり恥ずかしかったのか、顔が少し赤く染まっている。サンジはもう、目元のじわじわでは済
まなくて、一気にだーっと滂沱した。
「お、おい、なんだよ急に」
 驚いてひらひらとしたレースでサンジの顔を拭うゾロだが、レースではちっとも吸い取らず、慌ててシャツの裾でごしご
しとサンジの顔を拭った。
「俺、ホント、なんか色々情けねぇ…お前の事、全然分かってなくて、すげぇ恥ずかしい…」
 ぐすぐすと啜り上げながら言うサンジに、ゾロちょっと驚いたような顔をして、それから嬉しそうにはにかんだ。
 顔の周りにふんわりとしたレースを纏い、その白が月の光に映えている。光は陰影を濃くして、ちょっと表現しようがな
い、幻想的な雰囲気を作った。その中で微笑むゾロは、まるで一枚の絵のようだ。見惚れるサンジの目の前で、ゾロは
ゆっくりと瞬いた。
「これから知っていけばいいんじゃねぇの。俺だって、お前の事全然分かってなくってびっくりしてる」
 だからもっと知りたいと思う。お前が喜ぶ事、悲しむ事。幸せや苦しみを。
 サンジの乱れて額にかかった髪を、ゾロはそっと払いのけた。ずれ落ちたレースもきちんと直す。そして今度は、晴れ
やかな顔で笑った。それがまたあまりにも綺麗でサンジは息を飲んだ。
「ああ…。ゾロ、ありがとう」
 どうにか笑って返せた。それでもどうしても涙が止まらないサンジの頬に、ゾロは何度かくちづける。そして小箱から指
輪を取り出した。
「ほら、やるんだろ?結婚式」
「あ…でも、見届け人とかいるんだっけ?どうするか…あ、そうか」
 真剣な面持ちで悩んだサンジだが、ふと耳に入った音に、すぐに思いついてゾロの手を取った。我ながらいい考えだ
と思う。どこへ行くんだと言うゾロに、いいからこっちへ来てと手を引いた。
 サンジはゾロを、波打ち際まで連れ出した。
 足首まで届く波が二人の足を洗っていく。周りの砂だけが連れ去られる場所で、二人は向き合った。
「見届け人が海だなんて、ちょっと俺たちらしくねぇ?」
「確かに」
 はしゃぐサンジにゾロは笑って、ほら、と指輪を一つ渡した。
「文句なんか知らねぇけど…」
 こほん、と一つ咳払いをして、サンジはゾロを見つめた。
「汝、ロロノア・ゾロは、何時如何なる時も俺と共にある事を誓いますか?」
「誓います」
 にやりと笑うと、同じようにゾロもこほん、と一つ咳払いをした。
「汝、サンジは、何時如何なる時も俺と共にある事を誓うか?」
「誓います」
 指輪を互いにはめて、その指にくちづけた。
サイズはぴったりで、流石ウソップだな、とゾロが笑った。
「では、誓いのキスを…」
 寄り添って鼻先を触れ合わせ、戯れるように笑いながら、恥ずかしいくらいに稚拙なくちづけを。
 そして強く深く抱き合って、溶けるようなくちづけを。





 それはまるで月の下で踊るダンスの様で、あの、再会した夜を思い出した。








  それからの二日間も、日々は酷く穏やかだった。
 朝、二人は同じベッドで目を覚まし、いつものようにモーニンのキスをして、サンジの作った朝食を食べた。
 ただ違っていた事は、たくさんの話をしたけれど、ほとんど寝室から出なかった事だけだ。
 そして夕日は、ベッドの中から二人で見た。

 そうして、二人の休日は終わったのだった。
 
 





「どうしても指輪がいいって言ったのは、ゾロだぜ」
 サンジは驚いてえ、と言葉に詰まる。ウソップは相変わらず手先が忙しくてサンジの方を見ようともしなかったが。
「サンジは料理するし、ゾロは刀使うから、タイピンとピアスにすりゃいいって言ったんだけどよ、それじゃ意味がねぇっ
つって」
「マ、マジで!?」
「俺は嘘なんてつかねぇよ」
 それは嘘だろ。とお決まりの突込みをしてから、サンジは口がむにむにするのを、煙草を吸う振りで誤魔化した。
「ゾロはあんまり形とか気にしねぇヤツだから、まあ、正直ちょっと驚いたがな。ああ、サンジのためなんだなぁと思って
よ」
「そ、そうだったのか…」
 もはや鼻の下が伸びるのを、隠す余裕のなくなった顔は伸び放題だ。ウソップは嫌そうに眺めてあーあ、と天井を見
た。
「それなのにお前は一向にその事言い出さねぇしよう、そしたらそのうちゾロがそうだよな、男同士で指輪なんておかし
いよな、とか言い出すしよぉ。お前、あの時の居た堪れなさといったら、どうしようもなかったぜ」
 お前が女好きなのは本当の事だしさぁ。などと平気で言うウソップにサンジは真っ青だ。ウソップはぎょっとして少し身
を引いた。
「…てめぇ、なんでその時俺に言わねぇんだよ…」
「いや、だってお前、実際お前がそう思ってたら、余計に居た堪れねぇじゃねぇか。いや、ちょっと待てサンジ、何だよ。
何でサンダルから革靴に履き替えてるんだよ。その服に革靴は似合わねぇよ。あ、ちょっと何で準備体操とかしてんだ
よ。あ、ちょっとっ」
「指輪、ありがとうよっ」
 ああ、今日も空は快晴だ、とウソップは自ら宙に舞いながら、薄れ行く意識の中でそう思った。












end


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初出 2004/10/03
再録 2012/03/14