rest 3






 ゾロが海水を落として風呂から出ると、サンジは意気揚々と鼻歌交じりに魚を捌いていた。魚は今、ゾロが海から捕
らえてきたばかりだ。活きのいい魚は何度も暴れたようだが、サンジは片手で軽々と押さえ込み、皿には幾つもの冊が
山積になっている。これで当分魚には困らないな、とゾロはご満悦だった。
 腰を抜かしかけたサンジに、とにかく飯を作ってくれと言ったゾロである。
 あっけに取られて目を丸くしていたサンジだが、状況の把握よりも、ゾロが強請った食事を優先させる事にしたらしく、
分かった、と一言頷き台所に立った。それを横目にシャワーを浴びに行っていたゾロだが、心配していた程もなく、サン
ジは上機嫌だ。ゾロはほっと息を吐いて台所に入った。
「よう、もう出来るからな」
「ああ」
 髪を拭ったタオルを首に巻きながら覗き込むと、生の切り身の上に何かぱらぱらと乗っている皿をサンジは差し出し
た。それを受け取り、大きく壁をくり貫いたリビングへ持っていく。そこは正面が海になっていて見晴らしがよく、気に入
っていた。そこから入り込んだ涼やかな風が、濡れた髪を撫でてまた心地よい。ゾロはうっとりとして目を閉じた。
「おー、いい眺めだなぁ、ここ」
 器用に何枚もの皿を手や腕に乗せ、続いて出てきたサンジが嬉しそうに声を上げる。その腕から皿を取り上げテーブ
ルに並べると、恐ろしいほど鮮やかな手際で昼食は出来上がった。
「いただきます」
「召し上がれ」
 向かい合わせでテーブルにつき、手を合わせるゾロをサンジはゆっくりと笑って眺めている。サンジのそんなくつろい
だ様子は随分と久しぶりで、ゾロもつられて穏やかに笑った。
「それで、なんでおめぇここにいたの」
 半分ほど料理が減ったところで、ようやくサンジは疑問を口にした。今までゾロの腹が満ちるまで我慢していたのだろ
う。ゾロは手を止め、一心に皿の上に注いでいた目を上げた。
「ウソップとナミに頼んだ」
「頼んだ?頼まれたんじゃなかったか?」
「それを俺が頼んだ」
「は?」
 要領を得ない説明に、サンジの顔には疑問符が浮かんでいる。一言で言ってしまえば簡単なのだが、気恥ずかしくて
上手く言えない。ゾロは迷い、目を泳がせたが不安そうにしているサンジの表情が目に入り、そうも言ってはいられない
と口を開いた。
「だから…俺が頼んで、ナミにお前を呼び出してもらったんだよ」
「何で?」
「何でって…」
 理由といえば色々ある。たとえばサンジをゆっくりさせてやりたかったとか、少し思いつめている風が気になったとか。
でもそんな事を言うのは卑怯な気がする。別にサンジに託けてこんな事をしたわけではないのだ。結局は。
「たまにはお前と二人きりっていうのも、いいかと思って…」
 かあ、と頬が熱くなる。きっと真っ赤だ。目の前ではサンジがぽかんとして固まってしまった。それがますます羞恥を煽
って、このまま消えてしまいたいような気持ちになる。ゾロはテーブルの上でぎゅうと握り締めた手を睨んだ。
「く」
 何事か発したサンジに、はっとして顔を上げた。睫がふるふると震えている。いきなりサンジの顔がかああっと首まで
真っ赤になった。
「喰っちまいてぇ…」
「は?」
 両手で顔を覆って突っ伏してしまったサンジに、今度はゾロが顔に疑問符を浮かべる番だった。サンジの肩が細かに
震えている。笑っているのだろうか?やっぱり自分がこんな事を言うのは、可笑しかったろうか。ゾロは不安になって名
を呼んだ。
「サンジ?なあ…」
 髪に触れようと伸ばした手を、突然下から掴まれた。咄嗟に引っ込めようとしたが、思いの他力強く、そのまま留める
他ない。ゾロは迷って、結局力を抜いた。
「俺のために、用意してくれたの?お前が?」
 ようやく顔を上げたサンジの顔は、まだ少し赤いまま、泣き出す寸前のような顔をしていた。訳が分からずゾロは困惑
し、だが思っていたこときちんと言うべきかと答えた。
「べ、別にお前のためじゃねぇよ。俺がそうしたかったから……サンジ?」
 また俯いてしまったサンジに、やはりゾロは不安になる。結局サンジを一方的に騙し討ちにしたのは確かだ。怒ったろ
うかと身を乗り出したその先で、サンジはまたゆっくりと顔を上げた。
「お前、本当…俺殺しな…」
「へ?」
 訳が分からず瞬くゾロの前で、サンジはそっと取り上げたゾロの指先にくちづけ、大切そうに頬に摺り寄せてからもう
一度くちづけた。それがあんまりにも丁寧で愛しげだったから、ゾロはまた頬に血が上るのが分かった。
「本当に何度だって、俺はお前に惚れ直すよ。朝でも、昼でも、夜でも。だからお前がそんな風に思っていてくれて、す
げぇ…嬉しい」
 一つ一つを確かめるように、サンジはゆっくりとそう言った。とてもとても大切なものを見るような目で、じっとゾロを見
つめている。ゾロは自分の顔が赤い事は分かっていたけれど、目を逸らしたりはしなかった。すごく大切な事を、サンジ
が伝えようとしていると気づいたからだ。
「だからこの先、もし…もし、またお前がいなくなっても」
「何を…」
 反論はサンジの指に遮られた。指は一度ゾロの唇を軽く押し、離れた。
「ずっと俺はお前が好きだ。ずっと、お前を想ってる。どこにいても。…誰といても」
 忘れないでいてくれ、とサンジは笑った。けれどもそれがあまりにも儚く危うげであったから、ゾロは驚いてサンジの顔
に取られた手を伸ばしてそのまま包み込んだ。
「なんでそんな事を言うんだ。ずっと一緒にいると言った」
「うん。分かってる。でも、そう思わねぇと、辛くて堪んねぇんだ」
 目を閉じたサンジの口元に浮かんだのは、寂しそうな微笑だった。
 長い時間を置いてやっと辿り着けたと思った。信じられないような返事に、素直に嬉しいと思った。ゾロがそんな風
に、単純に思っている間、サンジはそうやって、寂しそうに笑っていたのだろうか。
 今更ながら自分の鈍感さが嫌になる。
 ゾロは体を乗り出し、サンジの白い額に唇を押し付けた。そのまま、こつんと額を合わせる。サンジは色の薄い目を
瞬いた。
「どうすりゃいい。どうすればお前はそんな顔、しなくなるんだ」
 率直過ぎる問いかけと分かっていた。そんな事は自分で考えろと本当なら言われるだろう。だがそうやって、答えを一
日一日先に延ばすという事は、それだけサンジを苦しめる。そんな事は本意でないと思うから、叱咤を覚悟でゾロは聞
いたのだ。
 サンジは眩しげに目を細め、そしてやわらかく目元を緩めた。
「何も。ただいてくれれば、いいよ」
 笑うサンジに、どうしようもなく胸が苦しくなった。
 こんな男だったろうか。もっと奔放で力強く、欲しいものを欲しいと叫ぶような男ではなかったか。大切なものを遠くか
ら眺めて満足するような、そんな弱々しい好意だけを求める男だったろうか。

 違う。

 俺が、そうさせているのか。

 ショックだった。

 呆然とするゾロの前で、サンジはごしごしと目元を擦ると、いつも通りの笑顔を見せた。
「それ、食べ終わったら少し散歩しようぜ。すげぇ、綺麗だし」
 今までの会話など忘れた風に明るく言ったサンジに、ゾロは余計に胸が痛んだ。





 ウソップと一緒に泊まる場所を探したり、日用品や食材を買い込んだ話を聞かせると、サンジは酷く喜んで事細かに
聞きたがるから、ゾロはナミに言い出したところから話して聞かせた。
「ナミさんも承知してるなんて、驚いたな」
「ああ、俺も驚いた」
 案外あっさり承知したというと、サンジは目をまん丸にして、やっぱりナミさんはいい女だなあ、と言った。それにはゾ
ロも同意する。横柄で暴君に見えるが、本当は繊細な心遣いの出来る優しい女だ。そこら辺は承知しているので、サン
ジも嬉しそうにそうだな、と言った。
 直射を避けて木陰に座ると、海風が爽やかで本当に心地よい。二人は食後の散歩にとぶらぶらと浜辺を歩いている
うちに、そこを見つけたのだ。手、繋いでいい?とサンジが言うのでゾロは黙って手を取ったりもした。
「全然、人いねぇの?ここら辺」
「ああ、私有地だからじゃねぇの」
「…ちょっと待て、お前どこまで貸しきったんだよ」
「さあ…よく分かんねぇけど、港からこっち側の砂浜があるところって言ってたかな。ウソップが」
「港から砂浜って…島の半分はあるぞ!?」
「じゃあ、それ全部だ」
「お前…」
 跳ね起きたサンジに、ゾロはきょとんとした。何かおかしいかと言うと、道理で港からここまで、道を聞こうにも誰にも
会わないわけだ、とぶつぶつとサンジは呟いた。
「なんだよ、嫌だったか?」
「い、嫌なわけねぇだろっ」
「わっ」
 叫ぶなり覆いかぶさって抱きついたサンジを、ゾロは驚いて受け止めた。ぎゅっと首元に顔を埋めているので表情は
分からない。それでも嫌では無いらしいと分かってほっとした。そう思う度、サンジに対して慎重になっている自分が不
思議だった。一々反応を確かめて、伺って。相手の受け止め方など、あまり気にした事などなかったのに。サンジだけ
はダメだ。放っておけばいい、という心境にどうしてもなれない。何度でも表情や顔色や、声や仕草を確かめようとして
しまう。邪魔になるし、良くないと思うが、こっそりラウンジを覗きに行ったりもする。もちろんサンジには知られないよう、
細心の注意を払って。だがコソコソしているとどうしても外側からは丸見えらしく、何度かナミに呆れられもした。
 そういった自分の変化を、ゾロは当初持余し、今ではいい加減慣れてしまった。そうしたいのだからしかたがない、と
開き直った。ただやはり、サンジに知られるのは気が進まない。あまり格好のいい話ではないからだ。
「本当に二人っきりなんだな」
「あ?ああ」
 ゆっくりと髪を撫でると、サンジはじゃれる猫のように額をゾロに擦り付けた。それがくすぐったくて低く笑うと、サンジも
楽しそうにふふ、と笑った。
 しばらくそうして寝転んでいると、満腹のせいで眠くなってくる。最近では夜きちんと眠るせいか、昼寝はほとんどして
いなかった。サンジといると、いつも眠くなる。なんでだろう。ほっとするのかもしれない。サンジがいれば、大丈夫のよう
な気がするのか。
「甘えてんのかも知れねぇな…」
「ゾロ?」
 耳元でサンジの声がする。けれども何を言っているのか理解する前にゾロは眠りに落ちていた。
 そっと、頭を撫でる手。意識のどこかで感じていた。

 目を覚ますと、いつの間にかサンジに抱き込まれていた。辺りは一面真っ赤に染まり、水平線の向こうへ消えようとす
る太陽が、鋭い光線を投げかけている。頭の辺りサンジの着ていたシャツが広げてあり、砂が顔につかない様になって
いる。こういった細かな気遣いは、絶対自分には出来ないな、とゾロはおかしくなった。落ちかけた太陽は、サンジの姿
も余す事無く照らして染めている。いつもはきらきらとしている金の髪も、深い飴色だ。白いはずの額はまるで青銅の作
り物のように見える。座り込んでそれを眺め、ゾロは出来るだけ静かに呼吸した。こうして眠るサンジを見ていると、深く
静かに心が凪ぐ。ただ見ているだけで穏やかに胸が満ち、たまらなく何かを言いたいのに、何を言っていいのか分から
ないもどかしさを感じる。心とは裏腹に、体はそわそわと落ち着かない。サンジを見ていると、今まで動かなかった部分
が、一斉に動き出すようでゾロは持余すのだった。けれどもそれが、ゾロは嫌ではなかった。真新しいものを呼び起こ
すサンジを、敬いもした。

 だがそれが、一方的であると気づいてしまった。

「ん…ゾロ…?」
 隣の温もりが離れて目を覚ましたらしい。無意識に彷徨う手を取る。きゅうっと握られ、握り返した。
「へへ…」
 寝顔を見られて恥ずかしかったのか、サンジは照れ隠しに笑って瞬いた。それにそっと笑い返す。
 夕日はあまりにも眩しくて、ゾロは目を何度も瞬いた。
 何度も。何度も。
「ゾロ?」
 引き寄せられ、頭を抱きしめられる。サンジの素肌に額を擦り付けると、微かな煙草の匂いがした。
 首筋を慰める様に撫でられて、ゾロは唇を噛んだ。
「どうした?嫌な夢でも見たのか?なんかお前…」
 困惑したサンジの声が、あまりにも優しく心地よいから、ゾロはぎゅっと目を瞑る。自分がしようとしている事が、間違
いではないかと思っても、それは逃げでしかないと思った。

 本当のお前を奪うのが俺ならば、俺は。

 しがみつく様に、サンジの背中に腕を回す。それ以上何も言わず、サンジは黙って抱き返した。

 俺は俺を、許せねぇ。

 分かり合えたつもりでいた。誰に己を作って見せても、自分にだけは何も隠さず、飾らぬままをくれていると。そんな自
惚れを。
 一人重荷を背負わせて、自分一人がのうのうとそんな事を。
 結局、サンジという男の心の深い部分まで、理解しようとしなかった。
 ただ遠くから、輪郭だけを眺めて自分勝手に愛していただけだ。





 それから数日、日々は酷く穏やかだった。
 食材も日用品も申し分なく揃っていたが、サンジが二人で買い物に行きたいと言ったので一度街に出た以外、ずっと
その家と周りの砂浜と海だけで二人は過ごした。
 朝、二人は同じベッドで目を覚まし、いつものようにモーニンのキスをして、サンジの作った朝食を食べた。午前中は
のんびりと過ごし、午後は海で少し泳いだり、手を繋いで散歩もした。小ぶりの蟹を追いかけたり、普段はしない様な話
をたくさんした。
 サンジは何度もゾロに好きだと言い、ゾロはそれに笑って頷いたり、同じように言葉を返した。
 そして毎日、浜辺に立って夕日を眺めた。
 ゾロがそうしたいと言ったからだ。
「お前の髪は、光を吸うからすげぇ綺麗だ」
 笑ったゾロに、サンジは夕焼けの中でも分かるくらいに赤面した。そして本当に綺麗なのはお前の方だとサンジはい
つも思った。
 あんまり綺麗で、だから俺は不安なのかもしれねぇな。 

 二人の休日は、あと二日を残すところとなっていた。










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初出 2004/10/03
再録 2012/03/14




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