ひと言

日々の記憶

2009. 6. 29. Mon
 いよいよ乳癌学会が近づいてきました。今回は主催側ですので、私も仕事をしなければいけません。パネルディスカッションやポスターセッションでの座長もやります。金曜日と土曜日のお台場は熱気溢れる学会で大混雑することになりますよ。公開講座や看護セミナーなど研究会も多く同時開催されますので、ご参加下さい。

2009. 6. 28. Sun
 帰国して新しくなったのは、自転車とプリンターです。自宅から駅までは自転車で通勤しているのですが、途中厳しい坂の峠を越えるので電動自転車を使っています。すでに15年くらい使っていてギシギシと騒音を発するようになっていて修理不能と自転車屋に言われていたのですが、プラハに行く前日についにギアが壊滅しました。ペダルを踏んでもすべって全く車輪が回らなくなったのです。そのため新しい自転車を注文していました。15年間の進歩は大したもので、バッテリーはリチウム電池で軽量化、しかも今まで駅との往復1回で電池一本なくなっていたのが、2往復してもまだ一目盛りも減っていないし、峠もスイスイと登れる。よかったね。次は、プリンター。准教授室に移ってまず困るのが、医局の共用プリンターが使えなくなったこと。で、早速自前で購入。Printer, Scan, Copy, Faxの4役の機能を持ったプリンターで、非常に使いやすい。医局のレーザープリンターには劣りますが、まずますです。あと困っているのは、部屋が暑いこと。扇風機が欲しい。

2009. 6. 21. Sun
 プラハから無事帰国しました。湿気と暑さで全身汗だくです。入浴して、溜まったビデオを観て、一寝入りします。帰りの飛行機は極めて順調で、座席のビデオも観られたし、快調でした。VODなのにストックされたビデオが少なかったのは不満ですが、ベンジャミン・バトン数奇な人生を観れました。古い都は必見です。もし機会があれば、プラハは充分お勧めできますよ。プラハ旅行記は、これから少しずつ掲載していきますので、もう少々お待ち下さい。

2009. 6. 20. SatVysehrad城門
 朝食後、ヴィシュハラドへ散歩です。伝説ではプラハ城よりも以前の11世紀に建てられた伝説の王妃が住んでいたプラハ発祥の地らしいのですが、城門や教会は素晴らしいです。教会の墓地で、ミューシャ、ドボルザーク、スメタナ、カフカなどのお墓を見つけ、お参りしてきました。帰りの飛行機は、13:00発。今度は順調にいけそうです。
ミューシャとカフカのお墓







2009. 6. 19. Fri国立博物館
 昨日の優秀ポスターの発表が楽しみで、会場に来てみると、なんと!昨日、張られることのなかったポスターで、誰も発表に来ていなかった、つまり欠席していたポスターが選ばれているのです。何これ?夕方のパーティーで表彰があるというので、もし間違いだったらどうなるのかと思って、事務局に問い合わせてもたらい回し状態。こミューシャ博物館にての学会、駄目だね。もう諦めました。昨日のベネズエラの人とも会えたのでその話をしてみたのですが、呆れてました。いい加減きわまりない。今日は、新市街とユダヤ人街を見学してきました。いよいよミューシャ博物館に。ミューシャの絵は私もとても好きです。おじさんが描いていると思うとちょっと引けるかもしれませんが、その作品は素晴らしいですよ。しっかりとお土産を購入してきました。夕方から、我が主任教授とともに旧市街で夕食会です。我が大学からは4名が参加していて、奥様とお子様も同席して楽しい夕食でした。

2009. 6. 18. Thuポスター発表
 今日からヨーロッパ内視鏡外科学会EAESが始まります。私の出番は、12時までにポスターを貼り、13:30から2時間プレゼンテーションです。隣のベネズエラの方と話が進み、後でメールももらえたのが良かったです。他にも大勢の方が訪れてくれて、それなりに充実していました。審査があって、ドン・ジョバンニ!20人選ばれるそうなので、期待できそう。今夜は、国立マリオネット劇場で「ドン・ジョバンニ」を観ました。モーツアルトのオペラ全曲をやっているので長すぎますが、人形達の動きが繊細で楽しめました。司会のモーツアルト君がはしゃぎ過ぎだったり、最後に操っていたおじさんが出てきて滅茶苦茶にしておしまいになるのはちょっと困りものですが、大変楽しめて良かったです。

2009. 6. 17. Wed市民会館(スメタナホール) ミューシャの壁画が一杯! ここでコンサートがありました。
 飛行機でよく寝たせいか、早くから目が覚めて、絶好調。モーニングを食べて、9時には観光に出発。ホテルは学会場近くのヴェルハラドという所にあったので、旧市街へは地下鉄へ。今日は、王の道を辿り、火薬塔からプラハ城まで。夕方には、プラハ王立オーケストラの演奏を聴く予定です。地下鉄を降りるなり、凄い建物が。市民会館と火薬塔。15世紀から王の戴冠パレードの出発点です。黒ずんで威厳のある塔で、ここからの道のりは信じがたい位の世界遺産的建物の数々。旧市街ひろばのティー旧市庁舎 仕掛け時計が有名旧市庁舎の天文時計ン教会、ヤン・フス像、聖ミクラーシュ教会、旧市庁舎とその天文時計。からくり時計の時報を待つ間、すぐ前のカフェでカプチーノを一杯。お昼は硬いパンで出来た取っ手の付いたポットに入ったミートスープを頂きました。サンフラポットパンに入ったミートスープンシスコのクラムチャウダーを思い出され、美味しいですよ。図書館の天井絵は、ザンクトガレン教会の図書館には劣りますが、素晴らしいものでした。さらに、カレル橋を渡り、ストラホフ修道院へ。プラハ城に入り、聖ヴィート大聖堂は何と言ってもミューシャ作のステンドグラスです。教会のほぼ全体にステンヴィート大聖堂のステンドグラスドグラスが張られていて、感動物ですよ。聖イジー教会、黄金小路など見学した後、ホテルに戻り、着替えた後、市民会館でのコンサートへ。ここの壁画も全てミューシャの作品です。その豪華さに見とれた上、今夜はモーツアルトとシュトラウスの曲。歌とバレーもあり、最前列の特等席で大満足でした。子供連れが多かったのはちょっと。

2009. 6. 16. Tue
 プラハへ出発です。11時発の飛行機なので、9時には成田空港に着いていなければ行けないし、当直明け、と言うことで、かなり焦りました。チェックインまでは順調でしたが、カムチャッカ半島の火山が噴火し、火山灰で航路変更が必要となったらしく、飛行機の出発が大幅に遅れました。今回の飛行機は、アエロフロートのロシア経由プラハ行きです。困ったものです、13時半になっても出航が決まらず、ゲートに駐機していた飛行機も別の所へ運ばれて居なくなってしまいました。500円の飲食券を渡されたので、近くのカフェでうどんを食べて、変更となったゲートに行ったところ、何のアナウンスもなく大勢並んで居るではないですか。慌てて並んで、バスに乗って、さっきの移動された飛行機へ。搭乗したものの、結局出航できたのは3時間半以上遅れてでした。飛行機は、A330で新しい機体なのですが、座席のビデオは全く表示もされず、ヘッドフォンも配られず、サービスなし。飲み物と食事はあるものの、沈黙の寝るしかないモスクワまでの11時間は長かった。飛行機が遅れたわけですから、乗り換えの飛行機も当然乗り遅れたわけで、モスクワに着いたときには21時過ぎていて、モスクワに一泊しなければならないかと諦めムードでしたが、幸いにもプラハ行きの最終便がありました。到着次第、案内されて搭乗ゲートへ。良かった。モスクワ空港は、首都の国際空港なのに、まるで地方空港のような小ささ、狭さ。Duty Freeの店ばかりが狭い通路に軒を連ねる「○○小路」のような状態。出航を待つのに椅子もない。プラハまでは3時間弱。着いたのは24時近くになっていました。ホテルまではタクシーで700コルナ(1コルナ=6円)。いよいよ石造りの城門や教会などの建物が現れて、感動です。ホテルに着いてすぐに入浴して寝ました。

2009. 6. 9. Tue
 ようやく准教授室が空いたそうで、今まで居た医局からお引っ越しが出来るようになりました。4畳半ほどの狭いパーティションで区切られた部屋ですが、自分の空間が持てるの嬉しいです。ただ、学会直前でとても引っ越しに専念していられない状態なので、困ります。

2009. 6. 1. Mon私です。ポスター前で記念写真。
 いよいよ私の発表です。ポスターとハンドアウトを抱えて会場へ。午前の講演を聴き、ASCO Business Meetingにも出席し、13:00からポスター発表です。巨大ポスターを貼り付けていざ来客を待ちます。4時間。この時間と重なって2つの乳腺関係の講演があるため、私はもちろん出席できないので残念なのですが、ポスター会場ポスター会場への人出も今ひとつです。昨年は2時間で100部のハンドアウトが売り切れてしまったので、今回は200部持ち込んで意気込んでいたのですが、半分近く残ってしまいました。それでも訪れる方々からは多くの質問と賞賛を受けることとなり、大変嬉しくも勉強になりました。名札にメンバーの札とPoster Presenterの札が下がり、少し出世したように感じますが、いろんな札を繋げて名札から長く垂らしている人は役員であったりとステータスの一つになっています。会員は28000名を越え、今回の学会参加者は約3万人となったことが、Business Meetingで報告されていました。すごいですね。選出された役員や表彰された方が紹介されていましたが、私もその中に入りたいと密かに誓いました。

2009. 5. 31. SunWonder Works
 今日も晴天。朝8:00から講演があるので、7:20にはホテルからシャトルバスに乗ります。今日は、夕方のサテライトシンポがないので、ホテルに一旦戻った後、町中へ歩いて行きました。ショッピングモールのような映画館やレストランなどが立ち並んだPointe Orlandoへ出かけていきました。ホワイトハウスが逆さまになった建物のHawaian Rumble Lush Tropical Settingテーマパークや凝った可愛い建物が並んでいます。そのうちのグリルに入り、夕食にリブステーキとスープ、サラダ、ビールを注文しました。これがまた大盛り。ステーキも500g近くありそう。シカゴの二の舞ですので、マッシュポテトは残しておきましたが、やはり食べ過ぎ。苦しい。

2009. 5. 30. SatビタミンD代謝経路
 アメリカ臨床腫瘍学会ASCO 2日目です。今日も晴天。日差しが暑いですが、会場内は冷房で冷え切っています。今日のトピックスは、ビタミンD欠乏が乳癌の発生と関係があり、その補充で予防できるというものです。ビタミンDは日光で活性化され25(OH)Dになると乳腺の分化を助け増殖を抑制し、発癌を予防します。特に思春期や閉経前に必要です。20-30%の女性がビタミンD欠乏で、50%が不足している。閉経前ハイリスクの50%に、新規乳癌診断の75%が不足していた。25(OH)D 4000IU/日の摂取で血中濃度10ng/ml以下の重症欠乏を50ng/mlに上昇させ、50%の発癌リスク軽減が得られます。平均的な20ng/ml人は2000IU/日をとると20-30%のリスク軽減が得られるそうです。

2009. 5. 29. FriASCO 2009 in Orange County Convention Center, Orland, FL
 快晴です。日差しが暑く、ホテルのプールで泳いでいる人も居ます。一気に真夏のリゾート気分です。朝食をプールサイドのカフェで食べた後、学会スーツ姿に変身し、シャトルバスで学会場へ。Orange County Convention Centerと言って、西、北、南の3つの巨大な建物があり、そのうちの西ホールのみを使っているのですが、これがまたすごい。昨年のシカゴの会場全てが人の長細い建物の中にあり、各部屋も広大で会場ホール1000人以上余裕で入れる程のが5部屋以上あり、さらに幕張メッセがすっぽり入るくらいのポスターと各企業などの展示会場、他にも500人くらいは居る部屋が多数ある!凄すぎる。これが他にも2棟あるというのです。全てを使えるのは一体どんな展示会でしょう。万博?今回の参加者は、約3万人だそうです。昨年に比べるとアジア人は多く見かけるのですが、日本人はかなり少ないようです。会場内を行ったり来たりと疲れます。夕食付きのサテライトシンポが隣のローゼン・センター・ホテルであり、終了が21時過ぎで、タクシー待ちが長蛇の列ですから、歩いてホテルに帰りました。暑い。

2009. 5. 28. Thu
 成田発アトランタ経由でオーランドへ。今回は、デルタ航空で、B777-200と新しい機体で、シートも革張り風だし、個人の液晶テレビがOn demandで良かったのですが、なにより空いていて、3人掛けに一人なのでまるきり横になって寝られたのが最高でしたね。映画は「Yes Man」を観ました。良いですよ。アトランタまで11時間半、ゆっくり出来ました。アトランタ空港は例によって5つのターミナルが串刺しになっている構造でとにかくでかい。シャトル電車に乗り、さらに遙か遠くまで歩く。次の飛行機は、高校生のグループや種々の人たちで超満員。ファーストクラスへのアップグレードは叶いませんでしたが、みんなお遊び気分で陽気な人たちばかり、その中にポスターを抱えた私のような学会参加者のような人がちらほら居て面白い光景です。飛行機が遅れ、オーランドに着いたのは23:00を過ぎ、シャトルバスを待って、ホテルに辿り着いたのは0時を過ぎました。昼間雨が降っていたらしく、湿気が強く暑いので、あっという間に汗だくです。明日から学会が始まるので、すぐに入浴して寝るしかない。オーランドには15年ぶりで、前回はディズニーワールド内のホテルに泊まり、ケネディ・スぺースセンターにも行き、スペースシャトルがトレーラーに乗せられ、発射台に向かう途中の状況で、車でトレーラーの周りを走りながら間近に見学できました。

2009. 5. 27. Wed
 オーランドの天気は、この1週間雨が続き、この先1週間も同じ雨が続くとの予報です。気温は最高30℃近くで、暑そう。天気が悪いのは嫌ですね。折角のテーマパークの天国も台無しですね。夕方、大学の財務に関する緊急報告会が開催され、職員の給料の一律カットなど引き締めの話があるのかと思ったのですが、付属病院建て直しのアクションプラン21の進捗状況の報告と4つの付属病院の収支報告だけでした。良かったのかどうか分かりませんが、ひとまずホットしました。ところで、今回の渡米に関して、大学に許可願いというか理由書を書かされました。インフルエンザの件で未だに神経質になっているのもいい加減にしてもらいたいものです。

2009. 5. 26. Tue
 いよいよASCOが迫ってきました。今回も縦110cm×横240cmの巨大なポスター(学会の規定では46×96インチ以内ですからもっと大きくても可)を作成して、大学の情報科学センターでプリントしてもらっているのですが、どうもプリンターの容量オーバーらしいのです。縦100cm位に全体を縮小してなんとか印刷できました。良かった。パワーポイントでファイルを作成する際に同じ大きさでも容量を少なくすることが出来るらしいので、次回までに習得しておかないとこれ以上の大きさには対応できないことになります。なんとかポスターも完成して、あとはハンドアウトを明日印刷すれば準備完了です。どうしてもギリギリになってしまうのですね。夕方からはお食事会がありまして、美味しいお寿司を頂いて満足です。

2009. 5. 25. Mon
 北朝鮮が核実験ですか。いよいよ大変な世の中になってきましたね。我々は、自分のやるべきことをしっかりとやっていきましょう。

2009. 5. 24. Sun
 一昨年私も関わり映画化された原作者の大原まゆさんが5月9日に亡くなったとのお知らせを頂きました。あんなに頑張って、多くの乳癌患者さんに勇気を与え続けたことに大変感謝しています。余命1ヶ月と言う映画よりも遙かにすばらしい映画でしたし、これからもずっと頑張って欲しかった。彼女のブログを見るとよく分かります。最後まで本当に素晴らしい生き様でした。これからは我々も怯むことなく、癌と立ち向かっていきたいと思います。

2009. 5. 23. Sat
 今度、「ちょっと知りたい」を連載いたします。種々の最新知識を少しずつまとめていき、HP全体を徐々に改装していきたいと思っております。ご期待下さい。ASCO開催が迫ってます。私は、28日(木)にオーランドへ出発します。準備も佳境に入りました。

2009. 5. 18. Mon
 昨日から伝えられている新型インフルエンザの国内集団発生について、またどうしてもひと言を付け加えます。水際対策の検疫にのみ力を入れた今回のパンデミック対策の根本的な欠陥が明るみに出たからです。海外渡航歴のある人にのみ気を遣って、渡航歴のない人を無視した結果が、国内での流行発生の発見をここまで蔓延するまで遅らせてしまったのです。こんな事では、強毒性のインフルエンザが発生したときに果たして対応できるのか疑問です。今回のことを真摯に反省してもらいたいものです。また、あまりに過敏に反応しすぎる日本だけが、未だに渡航を制限していたり、国内での学会を中止したりと、まるで非科学的なヒステリーを起こすのは、世界中から物笑いになっています。皆さん、マスコミに踊らされることなく落ち着いて行動して下さい。私は、アメリカにも大阪にも行きますよ。心配ありません。また、病院に非感染証明書を求めに来るのも止めて下さい。非常識です!

2009. 5. 14. Thu
 15日に研究会の抄録締め切り、18日ASCOのVirtual Meeting用の発表原稿締め切り、20日講演会発表、6月5日大学講義サブノート原稿締め切りと立て続けに締め切りが迫っており、28日にはASCO出席・発表にオーランドへ出発します。二進も三進もいきません。一つ一つ片付けていかなければ。まずは20日まで生きた心地がしませんよ。スペースシャトルの船外活動の様子がテレビで写っています。一度は宇宙ステーションにも行ってみないな~。青い地球を見てみたい。あっ、カンヌ映画祭にも行ってみたいな。と妄想に耽るこの頃です。

2009. 5. 13. Wed
 素朴な疑問の続きですが、感染者の周囲の座席にいた為にホテルに隔離されている人たちは、濃厚接触者と言うことで感染をしている可能性があるためにこの様な措置をされてるのでしょうが、何故抗インフルエンザ薬(タミフル、リレンザ)を予防的に投与してあげないのでしょうか。彼らは発症して重症化しても構わないのでしょうか。危険性があるのなら予防処置を執るべきでしょう。見殺しですね。国を守るために犯人扱いで、何ら彼らの身を守るようなことなど考えていない。京都で間違って隔離されていた人たちには接待してごまかせば済むのでしょうか。厚労省のやり方には腹が立ちます。こんな事をいつまでも言っていると、近いうちに目を付けられてしまいますね。この話題はこの辺にしておきましょう。また、秋からの本格的な流行に備えて、感染パーティーなどを企画するようなアメリカの某グループのような行いは非常に危険ですので、正式なワクチンの開発を待つべきです。

2009. 5. 11. Mon
 無事帰国しました。30分間機内に閉じ込められての検疫には疑問を感じますが、機内に疑わしい人が一人もいなくて助かりました。昨日のCNNでは、Swine flueについての行き過ぎた報道についての訂正と謝罪を報じていました。季節性のインフルエンザよりも弱毒で感染の割りにも死者は少なく、恐れるに足らないと言うことです。今だに、水際作戦などと言って、無駄な検疫と感染者に対する差別とその周囲に同席しただけで、10日間も身柄を拘束されるような傍若無人な行為を続けている厚生労働省は、断罪されるべきです。無駄に使われる税金と関わった人たちの迷惑を考えたことがあるのでしょいか。これがSARSや本物の強毒なインフルエンザなら分かりますが、放っといても構わないような感染症を大袈裟に扱うのは、マスコミと政府の責任です。正確な情報を公開して、冷静で客観的に対応することを望みます。今からでも遅くはありません。謝罪して、直ちに今のインフルエンザ騒動を終息させるべきです。実際に体験してみての素朴な感想でした。

2009. 5. 9. Sat
 今日で学会が終了しました。私の共著した本のお披露目もありましたし、癌の転移に関する多岐にわたる研究の情報がこの3日半のきつい日程の中に濃縮され、非常に充実した学会でした。また新しい挑戦の道が開けそうです。学会終了後、UCSFに留学中の先生達に誘われて中華料理の店「和協牛肉粉」に行ってきました。そこだけが客の行列を作っているような繁盛した店で、順番が来るまでしばらく待ちました。全体に甘口なのですが、噂通り美味しく懐に優しい中華でした。サンセット地区にお越しの際には、是非お勧めです。

2009. 5. 8. Fri
 今日は朝6:45からシンポジウムが始まり、終わったのは19時過ぎになりました。学会場に一日缶詰状態でした。晴天ではあるのですが、風が強くむしろ寒いくらいの状態です。
Alkatraz
2009. 5. 6. Wed
 9:00発のアルカトラズ島行きの船に乗って、かつての牢獄の島へ行きました。小雨が降り続き、船からのゴールデンゲートブリッジは霧の中に僅かに姿が見えるのみでした。しかし、In the Prison, Broadway本物の刑務所はなかなか迫力がありましたね。クリントイーストウッド主演の映画が思い出されます。お昼は、Boudinのクラムチャウダーを食べ、それからゴールデンゲートブリッジまで行ったのですが、やはり霧がかかり、橋を渡っているのに、オレンジの橋が見えないのは不思議なもの。Golden Gate Bridge船も霧で視界不良のため汽笛の音が盛んに聞かれました。夕方からついに、Intercontinental Hotelで学会が始まりました。リンパ行性、血行性の転移についてを研究する学会で、まずはmelanomaから。終わると10時近くになっていました。

2009. 5. 5. TueCable Car
 いよいよ、サンフランシスコへ出発です。新型インフルエンザの騒ぎの中、あえてアメリカへ旅立ちです。未だに日本では感染が確認されていないのは心配ですが、元気で行ってきます。とはいえ、マスクは5個用意しました。機内が一番の感染機会ですからね。外で無駄にマスクを着けて心配している人たちも、機内では息苦しいとか寝Pier 39られないとか言って外さないでくださいね。成田空港は異様に閑散としていて、出国審査も楽々です。機内もガラガラです。のんびり10時間の旅です。サンフランシスコは初めてです。空港について、シャトルに乗ってホテルへ向かいました。こちらではマスクを着けている人など一人もいません。着けているとむしろ自分が感染者のような目で見られそうなので、早速中止。ホテルSea Lion ! ここに写っている4倍以上はいる!は、PowellのParc55で、ユニオンスクエアにも近く、ケーブルカーの出発点です。まずmuni passportを購入し、路面電車に乗ってFerry terminalへ。ここではファーマーズマーケットが開催されており、改装されたビルの中のマーケットは色々のお店があり楽しいです。さらにPier 39へ。この桟橋には多くのお店ができていて、回転木馬や大道芸など催しもあり、楽しいところ。アルカトラズ島が目の前に見えます。また、すぐ近くのFisherman's Wharf桟橋の上にアシカたちが無数に横たわっており、鳴き声がうるさいくらいです。ここでシーフードをいただきました。さらに、フィッシャーマンズワーフへ。有名な看板で写真を撮り、屋台でシュリンプカクテルと生ウニを食べ、大満足です。そして、長い行列に加わりしばらく待って、ケーブルカーでホテル近くのPowellへ。満員でも車体にしがみついて、大勢が乗った上、急斜面を登ったり降りたり、遊園地のアトラクションのようなものですね。夕方予約していたミュージカル「WICKED」を見に、City Centerへ。大迫力の舞台はやっぱり良いですね。

2009. 4. 27. Mon
 娘の話ですが、今まで趣味でやっていた「お絵かき」がついに本業になってしまったために、同級生等もそうだそうですが、「趣味はなんですか?」と聞かれても「ありません。」「無趣味です。」などと答えなければならない有様らしいのです。おかしなもので、変に重圧を感じるこの頃のようです。私が大学に所属し研究に没頭するのは、かつてからの夢であり、多少現実には違いがありますが、望みの生活のはずです。世界で活躍される先生方に逢って、自分もこうありたいと考えます。

2009. 4. 26. Sun
 24日には論文の投稿を終え、次はサンフランシスコでの発表用のポスター作成です。ところが、ポスターの大きさ制限など、発表方法について全く知らされていないのに気がつき、色々と調べてみたのですが、全く見つかりません。とりあえずメールを送り問い合わせをしましたが、間に合うかどうか。とりあえず横型と縦型のポスターを2通りに作っておこうと言うことにして、作成に着手しました。と、頑張っているところにメールが届き、ポスターサイズは知らされました。良かった。なんとかついさっき、作成を完了することができました。どんどん締め切り前に終わらせていかないと、まだ論文の査読もありますし、演題の登録もいくつか残っています。ASCOの原稿締め切りも間もなくです。5日の出発まであと僅か、頑張ろう。ところで、今日は風が強くて大変でしたが、あと1週間くらいで根津神社のつつじ祭りも見頃になりますので、是非いらっしゃって下さい。

2009. 4. 20. Mon
 昨日のワークショップは充実していました。他の学部と違って、医学部はどうしても職業教育が中心にならざるを得ず、最近の厳しくなった国家試験対策がさらに拍車をかけています。人間性を磨くような余地はもはやなくなっている状況です。良い医師というのは、病気のことだけ分かっていればいいのでしょうかね。
FD Workshop in Cross Wave Fuchu Seminor House
2009. 4. 18. Sat
 本日は、FDワークショップでクロス・ウェーブ府中に来ています。まるで、豪華ホテルのような研修施設は10階建ての中央が吹き抜けで、とても豪華すぎて、少し疑ってしまいます。1泊2日のワークショップは、医師国家試験対策、大学院共通カリキュラムなどのテーマを討論します。1日を終えて、疲労困憊です。新しく出版される本です。よろしく!
 5月のサンフランシスコで開催される学会International Symposium on Cancer Metastasis and Lymphovascular Systemで私の共著した本がお披露目となることが決まりました。癌の転移に関する専門的な内容の教科書ですので、ご興味のある方は是非ご購入を検討してみて下さい。購入はこちらでどうぞ。


2009. 4. 15. Wed芸大取手校舎
 創立記念日で、お休みです。取手に通い始めた娘の大学を視察に行ってきました。あまりに広大な敷地に唖然としてしまう程です。ここには、絵画科の1年生と先端芸術学科の学生だけが来ていますので、閑散としている雰囲気です。午前は学科で、午後は絵画実習という恵まれた生活を送っているようです。ほとんどが必修授業ばかりの医学部の学生とは随分違います。それに最初から専門教育ばかりとは良いですね。

2009. 4. 13. Mon
 雑誌の依頼原稿の締め切りが間近に迫ってきており、焦っています。放射線の専門誌への掲載ですので、大いにPR出来ると期待しています。

2009. 4. 10. Fri東京芸術大学入学式 - 私のではありませんよ
 今日は、娘の入学式が開催されました。天気も良く、最高の一日でした。朝10時に上野駅に着くと、とても多くの人たち、とくに黒づくめのスーツ姿が目立ち、一定の方向へと歩いて行くのには驚きでした。奏楽堂の前で父兄は学生とは別の会場に分けられ、第6ホールに入場しました。奏楽道内の様子は前方の大型スクリーンに投影され、見入っておりました。ベートーベン弦楽4重奏第1楽章の演奏の後、入学許可宣言、楽長の挨拶があり、教員と来賓の紹介があった後、再び弦楽4重奏第4楽章の演奏があり、式は終了しました。学長の話は長く、「視」の象形文字をその場で書写し、解説をしておりました。良いお話でした。その後、美術学部のキャンパスに移動し、オリエンテーションがありました。これで晴れて芸大生ですね。

2009. 4. 8. Wed
 9月にアデレードで開催されるISW2009で、私の演題がBSI Best Paper Awardに選出されました。また表彰されることに決まり、大変嬉しいです。

2009. 4. 6. Mon
 今日から新学期です。ついに私も准教授に昇格です。4月1日の辞令授与式には参加できなかったのですが、これでようやく一人前ですね。朝の会議で昇進の挨拶があり、今後の抱負を語りました。

2009. 4. 3. FriLandscape from Sears Tower Sky Deck
 乳癌リスクの評価と予防法についての講演が印象的で、PETマンモやエラストグラフィ、MRIなどの新しい検査法の紹介や実績は素晴らしいものです。学会終了後、時間が少しあるので、#151バスに乗ってシアーズタワーへ。今でも北米一(世界第3位)の110階建て高層ビルで、その103階に展望台Sky Deckがあります。ちょうど日が暮れる時間で、夕日で赤く染まる風景とやがて街灯が一面に並ぶ夜景へと変わり、絶景でした。御祝いは、イタリア料理店へ。パスタやチキンの量が半端なく、久々に腹が痛くなる程、満腹で苦しい。

2009. 4. 2. ThuPoster Presentation
 本日は、私のポスター発表の日です。ASBDは33回と歴史があり、米国乳腺専門医が集う由緒ある学会で、私もその会員の一人です。早朝からの講演が続いた後、ポスター前でpresetationを行いました。多くの先生方に非常に興味を持ってもらい、積極的な討論ができました。

2009. 4. 1. WedField Musium
 学会前の行事がなくなったので、今日一日は自由になりました。明るくなってホテル周囲を歩いていると、すぐ近くにハンコックセンターの高層ビルがあるのに気付きました。前回、この展望台に登りました。まずは、#146のバスに乗って南下し、博物館へ。シカゴの街は、2016年のシカゴ・オリンピックの旗が一面にあり、暑いムードが一杯です。SUE - Tyrannosaurus Rex「あれっ?東京を押しのけてもう決まったの?」と思ってしまいました。東京では全くオリンピックの雰囲気がないのに反して、こちらはオリンピックに暑いですよ。子供にもそう教えています。まず半島の先端まで歩き、天文台に行きました。宇宙博物館で展示とプラネタリウム、アポロ8号や宇宙の神秘を鑑賞した後、フィールド博物館へ。ここの目玉は、何と言ってもティラノサウルスの「スー」です。Chicago Symphony Orchestra広いホールにスーの骨が組み上げられ、迫力をもって展示されています。ここの展示は、動物や鳥などの剥製や遺跡など、とにかく膨大な数の展示品がびっしりとレイアウトされているのです。圧倒されるその数。ここを全て観るには1日ではとても足りませんね。非常に大勢の子供や大人が訪れており、とにかく疲れた。人類の進化を勉強してきました。その後、夕方からは、シカゴ・シンフォニー・オーケストラの演奏会へ。本日は、バッハづくしでした。とても良い席を確保でき、コンサートを堪能できました。

2009. 3. 31. Tue
 シカゴへ出発です。ミネアポリス経由でシカゴ・オヘア国際空港へ。昨年に引き続き、2度目のシカゴですので、鉄道やバスにも慣れたもので、まずCTA Day Passを購入し、空港からブルーラインでモンローで乗り換え、レッドラインへ。Californiaで降り、タクシーでホテルへ。ホテルはニッカボッカホテル。かつてモハメド・アリやローリングストーンズが定宿としたホテルで歴史ホテルの指定を受けています。その向かいには、学会場となるドレークホテルがあり、何と近いこと。このドレークホテルも日本の皇室が宿泊するのに使用する程の名門のホテルです。ホテルの室内は広く、豪華で、とても私のような貧乏旅行には似付かわしくない程ですが、宿泊費は安いのですよ。

2009. 3. 23. Mon
 今日、娘の大学入学試験の合格発表がありました。みごと合格です!東芸大一筋でしたので、かなり諦めていたのですが、さすがです。本人よりも親が喜んでいるくらいで、大変嬉しいです。

2009. 3. 15. Sun
 大旅行の始まりです。Wienacht-Tobelまでホテルの人に送ってもらい、お別れで話し込んでしまいました。今度は学会ではなく、ゆっくりと来てください。春から夏にかけてがお薦めだそうです。と話しているうちに、切符を買うのが遅れ、小銭がないのに困っていると、地元の人が買ってくれました。3.20Fr返すことも出来ないのですが、その親切さに感激しました。またきっと家族で来ようと誓いました。登山列車に乗って、湖畔のRorschachまで下り、列車を乗り換え、湖に沿ってしばらく走った後、草原を越えてチューリッヒまで、約2時間かかりました。チューリッヒ空港では、サウジでご一緒した帝京大の山川先生と再会しました。同じ飛行機で帰国するそうです。万国外科学会の理事会に参加したそうで、2年後に日本で開催する際のBSIに協力を要請されました。一人旅ではなくなり、心強く感じました。チューリッヒからドバイへ6時間。ドバイでは4時間待ち。約束通り妻に金のネックレスを購入しました。ドバイから関西国際空港へ9時間。さらに関空から羽田へ。預けた荷物を受け取ると、なんとトランクの片足が折れ、反対側の壁も割れているのです。インドから帰国時にトランクが壊されたので新たに買ったばかりのトランクがわずか2回の旅行で駄目になってしまったとは。さらに、羽田から、京急に乗ったところ、人身事故で大幅に列車が遅れてしまい、家に着いたら、22:00を過ぎていました。疲れた。

2009. 3. 14. SatConsensus Conference
 本日最終日が一番のイベントです。40人以上のパネリストが世界中から集まり、この壇上で乳癌の初期治療方針について意志を統一するというコンセンサス会議です。世界中と言っても、欧米からがほとんどで、日本からは一人渡辺先生が参加されていました。活発な発言を期待していましたが、結局ひと言の発言もなく終わってしまいました。積極的なパネリストの前にはまだちょっと、という感じでした。全体の感想としては、特に大きな変更点はなし。低リスク群に腫瘍経2cm以上での他のリスクがなければ含めると言ったこと、「Oncotype DXやMammaprintなどの遺伝子検査が、ER陽性乳癌患者治療方針決定に病理診断とともに有用である」と認めた点です。詳細は、また書いていきますので、ご期待下さい。PanelistsPanelists
学会終了後、初めてサンクト・ガレンの街を散策しました。ここには世界遺産に登録されている教会があります。付属の図書館とともに、豪華絢爛で息を飲みます。町中がおとぎ話の中のようで、建物や装飾は素晴らしいです。CathedralCathedralしっかりと食事をしてホテルに帰るのですが、今まではシャトルバスに頼っていたので約30分くらいで帰れたのですが、今日は電車で帰らねばなりません。St. Gallen HBから列車に乗り、Bondensee湖ほとりのRorschachへ行くつもりが路線を間違え、湖西へ向かっているのに気付き、急遽降車して別の列車へ。Rorschachへ着いたのは19時になっていました。しかし次の乗り換えまで30分もある。暗くて寒くなる中待ち続け、来た車両は1両編成。いかにも登山列車といった雰囲気で、乗ること約10分。ホテルの人に迎えに来てもらい、やっと帰り着くことが出来ました。途中、線を間違えたこともあり、St. Gallenから2時間半もかかってしまいました。シャトルバスに感謝です。しかし、Bodensee湖を眺め、列車の旅の気分も最高ですし、山の上から望むBedensee湖畔の街の夜景、対岸のドイツの街も見渡せます。素晴らしかったです。明日、大荷物を持ってチューリッヒまでこの列車の乗るのかと思うと不安ですが。

2009. 3. 12. Thu
 いよいよ私の発表です。朝8時のシャトルバスに乗り、会場に着いたのは8:30、人が多くてポスター会場まで辿り着くのも一苦労です。#86, コの字になった掲示板の奥の正面を向いた場所、通路を歩いていて一番目立つところに陣取ることが出来ました。持ち帰り用の縮小版も置いて準備完了。メイン会場へと移動します。私はスライドを全てデジカメに撮影する事にしているので、前から3~4列のスライド正面近くに席を取ります。壇上の演者も生で見れますし。問題なのはデジカメのバッテリー。5本持って望んでいるのですが、次々と電池切れになっていくと後半は不安になります。今日は何とかもちました。全体的には目新しい話はないのですが、最終日へ向けて多くの情報を提示してもらいたいものです。

2009. 3. 11. Wed雪で一面真っ白
 サンクトガレン早期乳癌初期治療会議が始まりました。今朝は8時頃から雹のような雪が降り始め、あっという間に一面が真っ白に積もってしまいました。10:45のシャトルバスに乗るため、ホテルを出るとまだ激しく雪が降っていて、いきなり傘に革靴とスーツでバス乗り場まで坂の雪道を登っていくのには息が切れました。雪道を登るのは辛いバスもチェーンを着けるのに忙しく、出発が遅れ、雪道を怖々の走行となりました。辺り一面真っ白で雪国に来たようで楽しいです。Olma Messen St. Gallenに着きましたが、レジストレーションとバッグをもらうのに長蛇の列。ちょうど混み合う時間帯でした。後で行くとガラガラでしたから。St. Gallenは現地の言葉では、「サンクトガレン」St. Gallen Oncologyと読むようです。スイスでは、ドイツ語なのですが、Sの発音は濁らないようです。英語では、「サン・ガレン」ですが。日本語では現地の言葉を優先しますので、濁らずに「サンクトガレン」と呼ぶようにしましょう。ホルモン療法のサテライトシンポジウムから始まり、オープニングの後、St. Gallen 2007から後のニュースという題で、いきなり憧れのGoldhirsh先生等が座長で、人気高いDr. Martine PiccartPiccart先生等が講演をされました。ちょっと難しい内容もありましたが大体は今までレビューです。次のセッションの後、ウェルカム・ディナーがあり、スイスのバーゼル出身の腫瘍内科医の先生と同席し、約2時間じっくりと話をしました。何処に留学したのかと聞かれ、英語が上手いと褒められたりして、上機嫌です。Opening Dinner会場の演奏Exhibitionヨーロッパでは、ヨーロッパのどの国で免許を取っても、どの国でも仕事が出来るそうです。もう少し円安になったら日本に行きたいそうです。4月か10月を勧めました。明日、発表です。

2009. 3. 10. TueSt. Gallen
 いよいよサウジアラビアを離れて、St. Gallenへ。ドバイでは、深夜について朝8:45の便まで9時間待ち。ホテルも取ることが出来ず、ロビーのベンチで夜を明かすことになりました。ほとんど寝れずにチューリッヒへ。妙に目がさえているので、飛行機内は空いていてコンセントも座席にあるので、ずっとパソコンに向かって、論文の査読をしたり、仕事をしてしまいました。Seeblick Hotelチューリッヒに到着しました。雨です。気温6℃。サウジに比べれば涼しい感じ。チューリッヒでもホテルへのシャトルバスを1:30待ち。アウトバーンA1を突っ走り、憧れのSt. Gallen入りしました。雨は止んでいて、周囲に雪が積もっていますよ。そこで小さいバスに乗り換え、さらにドイツ国境間際のWienachtという待ちへ向かい、さらに山の上に進み、ようやくにしてホテルに辿り着きました。ホテルというより山荘です。Bodenseeという湖を一望にして、周囲の山Wienacht, Bodenseeは雪が積もっていますし、素晴らしい光景です。テレビがないけど、インターネットは何とか繋がりましたので、まあ良しとします。スイスと言えば、ハイジですね~。そんな気分でゆっくりと出来そう。明日からいよいよサンクトガレンが始まりますが、お迎えのシャトルバスが本当に時間通りに来るのか不安。

2009. 3. 9. Mon
 学会最終日、今日は所を変えて、大学病院でライブ手術と手術室に入って手術見学がありました。ダ・ヴィンチを使用したロボティック手術で、鼠径ヘルニアと食道列孔ヘルニアの手術がありました。非常に滑らかで自由自在の動きの出来るダ・ヴィンチの鉗子には脱帽です。欲しいの一言ですね。 サウジアラビアは、医療費も教育費も無料です。税金もなく、生活するのには最高でしょうね。禁酒と女性差別を除けばですが。 これでサウジアラビアを後にして、ドバイ経由でチューリッヒへ向かいます。

2009. 3. 8. SunMasmak Fortress
 2日目ですが、早疲れモード。昼に一旦ホテルで休憩した後、再び会場へ。講演終了後、8時からパーティがあるので、地元学生3人(99の岡村に似ている彼も含め)に連れてってもらい歴史的記念物の要塞Masmakを見学に行きました。サンアントニオのアラモの砦を思い起こされるものですが、完全に修復再現されているので、やや現実味がないような気がします。パーティは延々と続く民族衣装を着けた男だけの勝利の祝いのような踊りで、剣をもって6-7人が手を繋いで横に並び向かい合って歌いながら踊っている(身体を左右に動かしているだけ?)のに、学会参加者や学生さんたちが参加させられて、2時間以上続きます。酒も女性もなく、男だけが一晩中踊っている勢いでした。その後、各参加者にお土産が渡されましたが、高さ30cm以上の伝統的香焚きの杯とナツメグの詰まった木箱、杯の箱にはアラビア語で名前が書いてあるので記念に持って帰りたいのは山々ですが、この巨大な荷物を抱えて、さらにスイスに飛ぶのかと思うと気が重くなります。夕食後帰りのバスは23:00を過ぎていました。

2009. 3. 7. SatKing Fahad Cultural Center
 朝7時半にホテルロビーに集合して、学会場へはマイクロバスで。会場は、King Fahad Cultural Centerといって、出来たばかりの巨大で豪華な文化センターです。市内から来るまで随分と走り、周囲は渓谷が間近の開発中の地域です。他にも立派な施設が点在しており、多くが建築中です。車がとにかく多く、渋滞が酷く、車線変更など皆自在に行うため、危ないこと危ないこと。King Fahad Cultural Center道路標識はアラビヤ語ですし、記号も意味が分かりません。とても車を自分で運転するのは出来そうもありませんね。会場は、広い、王宮のように豪華な部屋もあり、すごい。会場内では、男性が1階席、女性は2階席に別れており、多くの女性は黒い衣装で顔も隠して目しか見えませんが、そうでない人も居ます。男性は白い衣装を着け、頭には赤のチェック状の模様のついた布を被り、やはり独特ですね。皆さん、親しく話をして握手をします。私の発表も無事終わり、夕方にはディナーパーティーがありました。ホテルに帰り着いたのは22:30でした。明日も7:30集合です。

2009. 3. 6. Fri
 いざドバイ観光と、思っていましたが、朝6時に着いたので、取ってもらったホテルに到着するや、熟睡して、はやお昼になってしまいました。中華料理の昼食コースを堪能した後、プールで泳いだり日光浴をしたりしている人たちを眺めながらもう一休み。発表原稿を作っているうちに時間となりました。ドバイ観光は、次の楽しみにしておきましょう。ドバイ空港のショップでは、グラム$30の22K金細工(ネックレスや腕輪)に目がとまり、どうしても買いたい衝動に駆り立てられましたが、あと2回立ち寄りますので、最終日に取っておきます。エミレーツ航空ファーストクラスラウンジはレストランの食事など全てが無料で自由ですので、飛行機に乗る前にしっかりとステーキを頂いていたところ、搭乗の最終案内になってしまい、また焦ってゲートまで駆け込むという事になってしまいました。約1時間45分でリヤドです。苦労して手に入れたビザを使って、ようやくにしてサウジアラビア入りしました。

2009. 3. 5. Thu
 サウジアラビアへ向かうため、まず羽田から関西国際空港まで来ました。ここで5時間の飛行機待ちです。桜ラウンジでパソコンボックスを借りて、発表原稿を仕上げ中です。関西国際空港からドバイへエミレーツ航空ビジネスクラスで11時間の旅です。カプセルシートでほぼ水平にまでなるのは流石です。お陰で疲労度はいつもの1/4程度です。ドバイでは13時間待ちですから、観光できそう。

2009. 3. 3. Tue
 再び、雪の寒い一日。いよいよサウジとサンクトガレンへ出発が近づいてきました。今度は長期間の留守になるので、レセプトを含めて終わらせておかねばならない仕事が多く残っているし、まだサウジのスライドも出来ていない。大丈夫かな。

2009. 2. 27. Fri
 今朝から今年初めての雪が降っています。一段と寒くなり、路面の溶けた水溜まりで足が濡れて、とても冷たくて、辛い一日となっています。しかも、検診に行き来せねばならず、雪を楽しむ余裕がありません。積もることもなく、雨のようになり、これで終わりでしょうか。

2009. 2. 21. Sat
 学生のOSCE試験があり、試験官を仰せつかりました。外科手技ということで、術衣を着たり、手袋を着けたりと、とても良くできました。

2009. 2. 19. Thu
 サウジアラビアへのビザのためのweb入力を済ませたので、意を決して大使館に行くことにしました。地下鉄六本木一丁目で降りて直ぐの所に大使館はありました。表は全て高い鉄柵に囲われており、小さな入口を開けて入ると管理小屋があり、中には空港にあるような金属探知機に手荷物をかけて、自分も探知機を通った後、携帯電話を預けてようやく大使館の建物に入ることが出来ました。個人での申請を拒んでいたので、心配でしたが、すんなりと受け付けてくれて、後日連絡が入ることになりました。これで一安心です。旅行代理店も同じようにインターネット登録をして申請に来ているだけなのです。これだけの事で35,000円なりです。ちょっと人の弱味につけ込む詐欺紛いの事ではないのでしょうか。普通はどうせお役所や会社が払ってくれるので何とも思っていないのでしょうが、私のように自腹の人はとても納得がいかない。税金を食い物にする役人体質ですね。是非皆さんは自分で申請しましょう。もし、サウジアラビアへ行く用事のある方は、手法をお教え致します。ただ、団体以外の個人旅行は認められていないようですが。

2009. 2. 18. Wed
 サウジアラビア・ビザ獲得奮戦記-- サウジアラビアの先生からビザに関するものが届けられたので、早速大使館に問い合わせたところ、Gavament Visit Visaというカテゴリーで、手数料は無料だが、個人での申請は受け付けておらず、旅行代理店を通してください。との事でした。しかし、いつもの旅行社に問い合わせても、観光ビザしか取り扱っていないとか、そもそもサウジアラビアは観光は団体にしかビザを発行していない、とか。同行する一外の二人が大使館に行ったそうだが、やはり個人の申請は受け付けてられないと断られたようなのです。困った。ようやく見つけたJTBビザセンターは手数料だけで35,000円なり。どう考えても高々ビザ一つでこの値段は暴利だ。庶民には納得出来ないので、さらにインターネットで探していくうちに、ネットで申請できるサイトを発見しました。それはEnjaz Information Technology Companyというところです。早速入力してみると、うまく申請が完了してしまいました。ちょっと不安もありましたが、らちが明かないので、直接大使館に書類を持っていくことにしました。

2009. 2. 7. SatManatee
 朝4時にホテルを立ち、飛行場へ。タクシーの運転手は女性で、陽気に話しかけてくるのでずっと話し込んでしまいました。飛行場は朝早くなのに全てのお店が開店しており、お土産には困りません。フォートマイヤースからアトランタへ。アトランタ空港はすごい!5本のターミナルビルがシャトル列車で串状に繋がれており、飛行機の接続するピアの数が170以上もあるのです。それぞれにお店やスターバックスがありすごいのですが、さらに人が多いこと。これでもラッシュ状態。どうなっているの。さらにデトロイト空港へ。ここもターミナルが長くとても歩けないのでリニアモータのような電車が走っています。国内便はファーストクラスなのは幸せです。そして、成田へ長いフライトを。

2009. 2. 6. FriFort Myers Beach
 ようやく暖かくなり、20℃を越える陽気となりました。ビーチに行ってみると、今までとは違い、人手が多く、水着で日光浴する家族が集まっていました。海水は冷たくないのですが、さすがに海の中に入るのは子供ぐらいでした。桟橋の先端まで歩いて行くと、驚いたことに10羽近くのペリカンがうずくまってひなたぼっこしているのです。ペリカン人を怖がることもなく、触ることも出来るし、歩いて寄ってくるとそばでまた丸まって寝入ってしまうという平和な光景です。時々、目を覚ましたように海面を眺め、飛び立つとダイビングして魚を捕まえて食べています。とても幸せな気分になりますよ。Times Squareでは路上で大道芸をする人やフルーツを売る出店が出ていたりと、昨日までとは違い、Beach夏のビーチ気分一杯です。各ホテルのプールサイドには老夫婦たちが日光浴しています。私もしばらくベンチで休んで、フォートマイヤースビーチ・アイスを食べて満足、満足。お土産に、近くの海に住んでいるという可愛いマナティのぬいぐるみを買いました。

2009. 2. 5. ThuTimes Square
 今日は、島の探検です。本当はエバーグレードに行きたいのですが、風が強くて寒いので、断念しました。次回6月にオーランドに行きますので、その時こそ、エバーグレードに行きたいですが、ASCOなので、そんな時間が作れるか疑問ですが。まず、トラムに似せたバス($0.5)に乗り、島の北端に行きます。Piearピンク・シェル・ホテルがあり、さらに先には白砂浜の先端に行けます。ヨットやボートが行き交い、多くの野鳥が海面に飛び込み魚を捕っています。ブッシュの中に入ると、気の先端に鷹の巣を見つけました。つがいの鷹を発見です。野生の亀も保護されており居るようなのですが、見つけられませんでした。次に、バスに乗って南端へ。ちょっと行き過ぎたので、歩いEagleて橋を渡り、白浜を歩いて行くと、色々の海が打ち上げられており、中にはカブトガニのからもありました。カブトガニカモメが大勢えさをついばんていました。一羽ペリカンが海面に浮かんでいましたが、時折潜って魚を捕っているのです。白浜は途中でラグーンのようになっており、潮が満ちてきて引き返す羽目になってしまいました。すっかり夕日になったところで、歩くのを諦めてホテルに戻りました。

2009. 2. 4. WedSanibel Harbour Resort & Spa
 風が強く、寒い。どうやら五大湖辺りから大寒波が押し寄せてきているようなのです。困ったものです。いつも異常気象ではね。週末には暖かくなる予報だけれど、それでは間に合わないかもしれない。発表の準備を終え、会場へ。Sanibel Harbour Resort & Spaというところで、高級リゾートホテルです。ホテルからタクシーで18ドルなり。やはり意外に遠い。雲一つない晴天Sanibel Harbour Resort & Spaで日射しは強いのですが、椰子の木が風に吹かれて、南国のプールでもとても泳ぐ人など居ませんでした。部屋数は多いのですが、乳腺のセッションは、私の発表するセッションのみで、日本からは熊本大の岩瀬先生と私のみでした。学会初日。会場はSanibel Harbour Resort & Spaです。ちょっと寂しい限りでした。発表の後、暫く退屈な時間を過ごした後、AWS dinnerに出席しました。フルコースディナーは大変美味しかったのですが、女性外科医会だったので、出席者は女性が大半を占めました。私は隅の方に陣取っていると、同様の理由か、男性陣が集まってきました。お隣に座った方は、名古屋から来た若者で母親を同伴していました。こんなリゾート所には家族連れで来なくてはつまらないものです。

2009. 2. 3. TueFort Myers Beach
 成田発、デトロイト行きのノースウエスト航空は混雑している上に、巨体の団体が乗り込んできたので、狭いこと。しかしマナーが良く、気さくなので楽しい旅になりました。デトロイト空港はとても広くて乗り換えで歩けないくらいのため、リニアのようなシャトルが走っている。外気温は-10℃で雪が積もっている。寒そう。デトロイトからフォートマイヤースへは何とファーストクラスでLightHouse Resort Hotelコートを預かってくれたり、ドリンクサービスがあったり、食事もちゃんとしたお皿とグラスで来るので感激です。貧乏人は平和ですね。何も初めてと言うわけではないのですが。飛行機の窓から見たフォートマイヤース付近の風景は格別です。入り込んだ海岸線と張り巡らされた運河に別荘街の区画の幾何学的な光景は圧巻です。長く続く白浜はフォートマイヤースビーチですね。空港からタクシーに乗るにも行列を並び、Times Square結局他の夫婦とシェアすることに。この夫婦と運転手のまた気さくなこと。乗ってる間中、話し続けていました。私が日本人だと言ったら、何でそんなに英語が上手いのか、と言われ、ちょっと嬉しかったりして。確かに受け答えが妙に早くなってきたのは確かだ。老夫婦は同じビーチにある別荘に降ろしたあと、私の泊まるホテルに到着。遠かった。チップ込みで60ドルなり。地図で見るFort Myers Beachと近そうに見えるのに実際は結構遠い。まだ明るいので、さっそくビーチへ行ってみました。歩いてすぐ近くで、ここはTimes Squareと呼ばれ、ビーチの中心地でした。レストランやマリンショップが軒を連ねています。白浜は見渡す限り連なり、白砂は砂時計に使えそうなくらい細かくサラサラです。波際を多くの小鳥たちが歩いているのも楽しそう。海に突き出た埠頭にはペリカン保護の看板があり、ペリカンには是非とも会いたいです。夕食は浜辺のレストランでリブロースステーキを頼んだところ、長さ30cmにも及ぶ巨大なお肉の塊が出てきたので驚きです。骨を上手に切り取りながら、何とか食べきりましたが、300g以上はあったはずです。写真に撮っておけば良かったのにと、残念に思いました。

2009. 2. 2. Mon
 いよいよです。明日、出発です。

2009. 2. 1. Sun
 昨日の研究会も無事終わり、次はフォートマイヤースです。アメリカ・フロリダのマリン天国です。日本外科学会の国際交流事業の一環で推薦され、私も参加・発表してきます。日本人は24人ほど参加します。冬でも最高気温20~26℃とインドほどではないにしても初夏の陽気でしょうか。明後日出発です。ところで、3月の出張ですが、サウジアラビアとスイスを梯子するという離れ業をするため、飛行機の日程が大変です。エミレーツ航空で関空からドバイ経由でリアドに行き、リアドからドバイ経由でチューリッヒへ、そしてチューリッヒからドバイ経由で関空へ戻ってきます。ドバイ経由の際に、待ち時間がとても長く、行きは13時間近くもあります。不況でちょっと影が薄くなってきましたが、それでも世界の富が集った、世界一のビルやリゾートを一度観てきます。また、サウジアラビアも普段は行くことの出来ない国ですので、楽しみです。そして、ザンクトガレンへ。とてもエキサイティングな旅になりそうです。

2009. 1. 30. Fri
 がん治療認定に合格しました。インドへ出発する前日まで2日間の講習と試験を受けていましたが、何とか合格でき嬉しいです。着々と資格試験を獲得中です。明日、砂防会館で三次元CT・MRI研究会が開催され、発表してきます。放射線科の先生ばかり集まる専門的な研究会ですので、厳しい質問が予想されますが、覚悟して行ってきます。

2009. 1. 24. Sat
 今後の研究課題について、検討中です。あっと驚く、世界で通用するような研究を展開する予定です。あと2年でもう一段階上を目指します。これ以上病院でないがしろにされる卑屈な生活は、海外からの評価と賞賛で克服させてみせます。

2009. 1. 23. Fri
 次第に目標に近付きつつあり、喜ばしいことではありますが、まだ乳腺科内での問題は解決していません。まず、一つ一つと方付けていくことにしましょう。4月にシカゴで開催されるASBDから演題の採用通知が来ました。福岡と梯子するにはどうすればよいの?ついに現実の問題になってきてしまいました。中1日しかないのですが、どうしても都合の良いフライトが見つかりません。

2009. 1. 20. Tue
 今日、教授会で准教授昇進が正式に決まりました。さい先の良い一年になりそうです。なんて、もう、年開けて3週間も経つのに。いつの間にか、再来週にはフォートマイヤースへ行かなければなりません。早いものです。ところで、6月に中国の北京で開催される学会に招待されることになりました。2回目の北京です。前回は頤和園にしか行ってないので、今回は期待できます。

2009. 1. 18. Sun
 ザンクトガレン乳癌初期治療カンファレンスに演題が採用されました。2年に一度開催され、日本では最も重要視されている乳癌初期治療指針が検討される会議です。今年は3月11日(水)~14日(土)に開催されます。私は、初めての参加になります。日本からの情報発信を強く印象づけてこようと頑張ってきます。機会があれば、私も発表者の意見として治療指針決定に投票してこようと思います。St. Gallen情報もいち早くご報告しますね。期待していて下さい。

2009. 1. 16. Fri
 ようやく帰国しました。今までになく大変な旅行でした。色々と不満は沢山ありますが、インターネットが出来ないために苦手な携帯の打ち込みに慣れてきたことが、一番の収穫でしょうね。お疲れさまでした。

2009. 1. 15. Thu
 とにかく食事代は安いよ。朝食が100ルピー(200円)で、夕食で贅沢しても300ルピー(600円)と嬉しいばかりです。しかし、観光らしいものがないですね。ビーチと湖でボートに乗ったくらいで、時間を持てあまし過ぎ。空港に早めに着いたのは良いのだけれど、空港ビルに入れてもらえない。4時間も外で待つことになってしまった。どうすれば、時間が潰せるの?ベンチに座っていると、地元の姉弟子供2人が隣に座って、こちらに話しかけてくるではないですか。目がクリッとして可愛い子で、しばし母、祖母とともに、英語の練習と日本語の話しが盛り上がりました。気が紛れて、楽しいひとときでした。でも、まだ時間は有り余るほどある。 空港へ着飾った家族が大勢やって来ています。特に女の子達はビアスとキラキラの着いた晴れ着で可愛らしい。家族総出でお迎えなのですね。到着出口は人だかりになり、帰ってきた人は出稼ぎなのでしょうか暖かい歓迎を受ける再会ショーがあちこちで繰り広げられ、待ち時間が楽しめました。インドの人は素朴で優しい人ばかりで、生活は辛そうですが、暖かい人生を暮らしているのだなーと感じました。しかし、役人や係官は最低ですね。人を人間だと思っていない扱いをするのには嫌気がさします。

2009. 1. 14. Wed
 WCC2009最終日です。私は早朝8:30からのセッションの座長を務めました。いつもの机の後ろで席についてするのと違い、聴衆の前に立って、マイクを持って司会をするのは初めての体験。緊張しましたがまず無難に終わりました。終了式では、ポスターの受賞者表彰に名前が呼ばれたので、ちょっと不思議な気持ちで前に行くと、なんとプレゼンターの方だった。表彰されたい方なのですが、複雑気分。とにかくコングラチュエーション!私は招待講演なのでそんな訳ないのです。その後、各国代表でこの学会に意見してくれというときに、またしても私が登場。皆さんの前で学会の成功のお祝いをさせていただきました。後半意見交換が論争になってました。つまり、伝統的な東洋医学と科学優先の西洋医学との接点を求めたこの学会の今後を模索するものでした。インターネットなし生活2日目ですが、心細いこと。思った情報が全く手に入らないのは、たまには良いことですね。自然を楽しみましょう。明日は観光をして、23:30発の飛行機で帰ります。日本に着くのは16日夕方になります。

2009. 1. 13. TueWCC2009会場 Windsor Castle Hotel
 インターネットが使えない。知らなかったとはいえ、困ったもの。最後にメールチェックしたのはチャンギ空港で。メールだけでなく、HPも見られない。何にも調べられない。昼過ぎの私の発表は無事終わり、数人から賛辞を頂きました。その後すぐに、学会主催のBoatingとバンケット。ホテルの周りは運河や湖が数多く取り巻いていて、ボートに乗って西へ西へと延々と進みます。Lake Village周囲地元住民の生活が間近に見られ、同席しているインドの人たちに解説をされながら、Vembanad湖へ。ここにはいくつも木製茶色のドームをかぶったボートハウスがいました。ここの名物のようですが、まるでナウシカに出てくるオームのよう。椰子やバナナの木やマンゴの木や、自然一杯、ジャングルですね。港について、バンケット。水平線に沈む夕日を鑑賞した後、食事です。インド料理は香辛料が多くて苦手ですがボートハウス、それなりに抑えた味付けのようです。インドの人は辛くないと言ってます。早稲田大学の客員教授をしている先生たちの日本についての話題には着いていけません。新幹線の番号付けやら京都駅の信じられないほどの階段など、何でこんなに詳しいの?というより、とことん日本のことを突き詰めたいのでしょう。広重の富士山の絵が大水平線に沈む日没好きな先生には近いうち日本で会いたいものです。すかさず名刺交換を。良い習慣ですね。帰りのバスはまた、何でこんなに座席が狭いの?3人掛けの列と2人掛けの列があり、とにかく狭い。3人掛けなんて初めて見た。やはりアンコールワット周囲の道路を思い出させる未開のような道路を激しく揺られながら1時間もかかり、やっとホテルに戻れたときには喜びに満ちていました。色々な意味です。

2009. 1. 12. MonA380 総2階建て
 いよいよ、ちょっと不安な旅立ちです。サラエボへ行ったときよりも心配。初めて旅行保険に入りました。11:20発のシンガポール航空でまずシンガポール・チャンギ空港へ。最新型のA380総2階建ての飛行機は装備も良くて、エコノミーでもコンセントやネット端子があり素晴らしい。空席もあり、広々です。明日発表の読み原稿すら全く出来ていなかったので、映画も見ず、機内ではずっとパソコンに向かって仕チャンギ空港 旧正月祝い事していました。チャンギ空港はまた拡張されていて、ターミナルが3つになり、とても歩いては1時間以上かかるほど。何本もシャトルが走っています。中華料理の夕食をとり、3時間待ちの後、インド・コーチ空港へ。合計15時間の長旅です。着いたら現地時間23:00を過ぎていました。日本とは3時間半の時差です。ここからがまた大変。会場兼ホテルのWindsor Castle Hotelへは90kmあり、極小のタクシーで揺られながら、細い道路を右に左に曲がりながら、2時間弱。恐怖。ホテルに着いたのは1時近くになってました。暑くて身体がじっとりするので早速入浴しようと思いきや温水が出ない。冷水でも特に冷たく感じないのでそのまま入浴。それなりに快感でしたが、そのまま熟睡です。

2009. 1. 11. Sun
 がん治療認定医試験が終わりました。例によって手応えがないので、駄目だったかどうかも解りません。まあ、気をとりなおして、明日からのインドの学会に専念することにしましょう。

2009. 1. 9. Fri
 今日は朝から冷え込んで雨、雪にはなりませんでした。明日は、癌治療認定医のセミナーと試験があります。どうなることやら。

2009. 1. 3. Sat
 早朝から出発し、新幹線で軽井沢へ。初スキーにやってきました。周囲にはほとんど雪がないのにも関わらず、スキー場だけには雪がたっぷりとあり、しかもパウダースノー。とても滑りやすい、良い雪でした。人も少なめで、ゲレンデも広く、わずか1時間で行けるのでお勧めです。目前には冠雪した浅間山が素晴らしく観ることが出来、満喫です。一日充分にスキーを楽しんだ後、星野温泉トンボの湯へ。これまた良い湯でした。

2009. 1. 2. Fri
 今朝、当直が明けて、ようやく初詣で、法華経寺へ行ってきました。いつもとは違い、随分と空いていました。でも本殿には長い行列が出来ていたので、例年のように本殿前のすぐ横から一年のお祈りをしてきました。家にカラオケが届いていたので、早速カラオケを。

2009. 1. 1. Thu
 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。今年は、このHPも国際化して、海外からの方々にも門戸を広げていきたいと密かに思っております。海外もspam mailが多く、困難さが予想されますが、世界中の何処にも負けない最高の治療を提供することを目指します。と、新年早々、いきなりハードルを上げていきましたが、とにかく頑張ります。
 昨年の深夜より、いきなりCPAの急患で蘇生処置を施しながらの年越しでした。さい先良いと考えて、突き進みましょう。

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