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越谷教会に赴任して二年目となりました。背後における祈りと温かいお励まし、お支えを感謝致します。 キリスト教との出会い、教会に導かれた経緯について、書かせていただきたいと思います。直接のきっかけは小学五年の時、友人が教会学校に誘ってくれた事でした。当時、教会と言うと町のほとんどの人達は、駅前に大きな聖堂を持つカトリック教会をイメージしました。ステンドグラスにパイプオルガン、私もそのイメージで教会の門をくぐりました。一軒家を改造したような礼拝堂、小さいけれど確かに「日本基督教団赤羽教会」と看板が掲げられていました。「人生は出会いで決まる」(マルチン・ブーバーの言葉)と言われますが、まさに私の将来を左右する決定的な出会いの時となりました。 私は教会に行く前、人間の「死」について考えていました。人間は何のために生きているのか。人間は死んだらどうなるのか。父は脳溢血で倒れ、三十六歳で亡くなりました。その死は、突然でした。真冬に水浴びし、乾布摩擦をし、元気を取り得として生きていた父だっただけに家族のショックは大きなものとなりました。母は悲しみに暮れる間もなく、長時間の肉体労働、借金の返済と追われながら、私(小学三年)と弟を育てました。今から二十五年前の出来事です。 教会学校に通うようになって、私の生活は一変してしまいました。日曜日だけでなく、水曜日の祈祷会にも出席し、大人の方とも交流を深めさせていただきました。聖書の教理をはじめ教会生活について、難しい事は分かりませんでした。「居心地の良さ」を体で感じていたのでしょう。主礼拝が終わると、長老のお一人が必ず握手してくれたのを思い出します。あったかい手でした。包み込まれるような感触でした。孤独感を抱いていた時期でしたので、この事は私にとって、慰めとなり支えとなりました。牧師夫妻はじめ長老の皆様は、祈りのうちに愛と寛容をもって私を育てて下さったように思います。 紆余曲折ありましたが、背後で無数の祈りが捧げられてきたこと、神の恵みのゆえに今も生かされている事を忘れずに歩みたいと思います。 教会には、乳児からご高齢の兄弟姉妹まで幅広い年齢層の方々が集われます。エフェソの信徒への手紙の中に「神の家族」という表現がありますが、主キリストを中心とした豊かな交わりが保たれますよう、その交わりの中で信仰の継承が着実に行われますよう祈ります。
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(みつばさNo.233 10月号より) |
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