グリング宣教師


 「明治のはじめ米国リホームドミッションは仙台市に本部を置き、1881年(明治14年)東京に伝道を志し、宣教師グリングをして東京に住まわしめ伝道を開始した。」と越谷教会70年史にあります。

 グリングとモール(1883年来日)は、日本人補助者正木定安氏と一緒に1884年6月15日に、南埼玉郡出羽村越巻(現在 越谷市新川町)の吉田兼三郎の居に招かれ、泊りがけで朝に昼に晩に連続でキリスト教を説いたと記されています。この時、4名(吉田兼三郎・中村清蔵・中野貞助・須田太郎吉=越谷教会の初穂)の受洗者が与えられ、その後吉田兼三郎の熱心な伝道により翌年4月には大人11名こども4名が洗礼を授かりやがて越谷教会へと発展していくのです。この時13歳だった吉田菊太郎(兼三郎の息子)は、後に大宮教会の牧師になりますが、二人の宣教師との出会いは忘れがたい経験だったのです。

(参考 ・アンブローズ・ダニエル・グリング=1849年12月8日ペンシルバニアで生れ〜1934年12月19日85歳でニューヨークで死去
     ・ジャイラス・ポーク・モール=1847年11月27日ペンシルバニアで生れ〜1935年2月7日88歳でペンシルバニアで死去)