納骨堂の移り変わり
旧納骨堂の建設
1934年(昭和9年)9月
1934年(昭和9年)9月、中村栄・いし両姉の好意により大沢光明院内に墓地の敷地を借用し、共同納骨堂を建設した。              




新納骨堂献堂感謝
1992年(平成4年)4月19日




石橋秀雄
 4月19日(日)イースターの日に新納骨堂の献堂式と長尾弘兄の納骨式を行った。越谷教会の納骨堂問題は、私が赴任した当時(11年前)から課題であった。越谷教会納骨堂は1934年に中村栄・いし両姉によって献げられたものであった。
 その後、狭くなり、新納骨堂の建設を求める声が教会に強くなり、春日部教会の墓地を確保するなどしながら、新納骨堂の建設について考えて来た。
 1991年8月7日、長尾弘兄が逝去され、新納骨堂の建設を急ぐことになった。納骨堂に新しくお納めすることが出来なくなっていたからだ。
渡辺総一兄と私とで静岡、山梨の教会の納骨堂を見学、新納骨堂の原案を作った。
 「ノアの箱舟」を思いつつ箱舟型納骨堂にすることを10月の役員会で決定。11月の役員会で設計士に設計依頼し、千葉工務店に見積りを頼むことにした。約1200万円となったが越谷教会が世に証しする納骨堂が4月に完成した。新納骨堂には新共同訳聖書から「神は我々と共におられる」のみ言葉をしるした。
 神は生きている者、この世の生を全うした者と共におられることが証されている。ノアの箱舟は神の言葉によって造られた。神の言葉によって造られた舟(教会)は、乗るものを世の洪水にも耐えさせ生かす力がある。人間の生を脅かす力、世の激しい洪水、死においても行き抜かせる力が、主の舟に乗るものには与えられて行く。どこにおいても「神・我々と共に」を証する新納骨堂が与えられた。感謝。
みつばさNo108(1992年5月24日発行)より



内部はステンドグラスからの光りが美しく、信仰の先輩方が静かに眠っておられる