ともしび館

ともしび館(農村センター)
1958年(昭和33年)10月19日献堂式を挙行



1958年(昭和33年)2月17日(日)礼拝に引き続き全体協議会を開き、農村センターとしての建物を建設する具体的な協議をなし、3月11日着工。7月6日竣工。名称について、全員の投票によったところ、長尾愛子姉が投票した「ともしび館」が選ばれた。
1958年(昭和33年)10月19日ともしび館献堂式。
賀川豊彦先生も来たり当日の礼拝に出席、長尾牧師の「賀川豊彦にまねる」の説教を聴き終わって、短い奨励をなし、ともしび館の献堂式には力のこもった祝辞を述べられ、長尾牧師と夕食を共にされたが、おすし一口牛乳一合がせいぜいで健康優れず体の衰弱はなはだしきを感ぜられたが、猶松戸伝道に出向くといわれるので辻長老がお供した。同先生の伝道心旺盛には驚きであった。当日夕拝は献堂記念講演会として谷脇尭務、山内國男両先生が語られた。
                                  70年史より


献堂式が終って記念撮影

中央黒のスーツ賀川豊彦先生・その左長尾丁郎先生


山内國男牧師

ともしび館献堂記念講演をなさった
山内國男先生は1959年から1962年まで、越谷教会の副牧師としてこのともしび館に住まわれ、教会のため種々お働きになられた。
以後、新潟、東京、九州、和歌山、の教会を転任された。
1996年12月7日64歳で召された。





谷脇尭務牧師
ともしび館献堂記念講演をなさった
谷脇尭務先生は1950年から1953年
副牧師として、越谷教会で働かれた。
1957年4月草加伝道所で任職式を挙げ、1958年11月23日草加教会設立式を挙行なさり、以後、草加教会牧師としてご生涯を草加教会にささげられた。亦、ひかり幼稚園を設立し、園長としても幼児教育界のために、多大なお働きをなされた。

2000年9月1日召された。

この「ともしび館」は教会玄関から入って、一階は右側がフローリングの集会室で、毎週の祈祷会をはじめ、高校生会・青年会が使用していた。左手にはキッチンがあり、その左奥には副牧師の居宅が造られており、山内國男牧師ご夫妻・勇智勝牧師ご家族が在任中に住まわれた。
二階は昇ってすぐのフローリングの部屋が諸集会に使われ、左奥の畳敷きの広間は宿泊用の寝具も多く収納され、農村伝道を中心に関東教区・埼玉地区等にも使用されていた。
婦人会はこの広間で、毎月の定例会を持っていた。
主日礼拝後、誰でも入って憩い交わることのできるこのともしび館は、あちこちから讃美歌や笑い声が流れて、道行く人々の心をも和ませた。
                              (田中郁子の記憶より)

教会敷地内の建物


右奥ともしび館 左教会玄関 中央が教会堂 左手幼稚園の職員室、ジャングルジムの左奥に園舎が広がっていた。 右手前は炊事場、この奥に牧師館があった。「キッチン」というより「炊事場」が似合うこの建物の中で、集会のたびに数十人の食事が作られた。亦、その左後ろには一時期大きなお風呂が設置され、全国の温泉の素を取り寄せ、薪割り風呂焚きは長尾牧師のサービスであった。このお風呂場はやがてスクールバスの車庫に変わった。
                              (田中記)

勇 智勝牧師

勇先生はご家族と一緒にこのともしび館に居住され、誰でも出入り自由の開放的なお交わりをモットーとされた。
1953年〜1956年
1962年〜1966年の二期にわたって越谷教会の副牧師としてお働きくださり、1967年〜1968年、第18代越谷教会牧師として牧会された。
1968年3月31日、館林教会牧師として赴任、ご生涯を館林教会でお働きになられ、1994年3月7日同教会在任中に召された。(72歳)