刊行物の移り変わり
「生命の言」発行
「生命の言」発行
1931年(昭和6年)6月初号を出した月間伝道誌「生命の言」は、石垣武治氏の個人誌として発行され、1934年(昭和9年)8月37号を出すまで続いた。この時代の文書伝道として当教会の文書伝道に貢献する所きわめて大であったと言える。個人誌ではあったが、さながら越谷教会の機関誌の如く、毎号必ず牧師の説教や伝道文書を載せていた。        (70年史より)

石垣武治副牧師
石垣武治先生は、越谷教会元牧師長尾丁郎牧師が越谷教会に赴任して、最初の受洗者であった。しかも、越谷生まれ、越谷育ち、いわゆる「越谷っ子」の初穂といえる。さらに「越谷っ子」の初穂が召命を受けて、伝道者となっていかれた。このことは越谷教会の歴史的出来事といえる。(後略)

(「天の門」NO38<特集>第1部石垣武治先生追悼文集「夜空の星のように」石橋秀雄文の冒頭より)
1921年5月15日、越谷教会にてヘンリー・K・ミラー宣教師より受洗。
1950年1月10日、日本基督教団補教師試験合格(教員生活在職中)
1967年10月27日、日本基督教団正教師試験合格(教員生活在職中)
1968年4月23日、関東教区総会にて按守礼を受ける(教員生活退職後)
1968年から1985年まで、越谷教会副牧師として働かれた。
1967年から1968年は、越谷幼稚園園長として幼稚園教育に携わった。
1981年3月31日、日本基督教団正教師を引退。
1985年7月6日、84歳で召される。

(1985年11月24日発行「天の門」38号第1部「石垣武治先生追悼文集」より抜粋)


長尾牧師時代(「生命の言」に続いて)
1951年(昭和26年)2月越ヶ谷教会月報が発行されることになる。
1953年(昭和28年)4月26日 図書館便り創刊
1953年(昭和28年)12月3日 図書館便りを「まきば」と改称
1955年(昭和30年)8月7日「まきば」を「牧場」に改称
1956年(昭和31年)6月「月報越谷教会」第1号発行

塩谷隆副牧師
先生は1955年(昭和30年)5月21日副牧師として赴任された。青年会・高校生会(聖旨会)・伝道圏の担当をされながら、
「『まきば』→『牧場』→『月報』の編集のアドバイスをしてくださった。静かな佇まいの先生の中にこめられた情熱が青年たちの心をひきつけた」(田中昌光談)
1957年(昭和32年)6月2日甘楽教会の招聘を受け赴任された。
2002年9月に召された。


図書館だより

小海牧師時代
「月 報」


「月報」から「天の門」へ
                                    小海寅之助  
昨年11月の「月報」第3号において「月報」に代わる新しい名称を募集しました。これは編集部の反省から行ったものであります。毎月出す計画が、原稿を集めることの困難さから、毎月は、無理なので、「月報」に変わる名称をと考えたわけであります。
募集の結果、新名称の提案者がありませんので、編集部で、「天の門」としたいということで、ここに会員の皆様に「天の門」をお届けすることになりました。
「天の門」は創世記28章10節以下のヤコブの物語に出てくる言葉であります。讃美歌320番で歌われていますように、ヤコブが砂漠の中で石を枕にして一夜を過ごしました。彼は夢の中で、天使が一つのはしごから天と地を上り下りするのを見ました。主なる神は彼のそばに立って「わたしはあなたと共にいて、あなたがどこへ行くにもあなたを守り、あなたをこの地へ連れ帰るであろう。わたしは決してあなたを捨てず、あなたに語った事を行うであろう」と言われました。(28・15)・・中略・・
ヤコブは砂漠が「神の家」であり、「天の門」であることを悟ったのであります。
砂漠とは私たちにとって何でありましょうか。それは私たちの「生活の場」であり、「働く場」ではないでしょうか。私たちの日々のこの世の生活の場、働く場が、どのように暗黒と矛盾に満ちておりましょうとも、私たちの生きている只中に、主は生き、主は私たちを捨てたまわないのであります。泥沼に咲く白蓮のように、私たちの生活の場で「これは神の家である」「これは天の門だ」と告白することが、証の生活ではないでしょうか。今後、みなさまの証の生活を「天の門」編集部へどしどし送っていただきたいと思います。(中略)
「天の門」が「証しの文学」「伝道の機関紙」として用いられるよう、みんなで、祈りながら育てていこうではありませんか。

(1971年(昭和46年)2月21日発行 「月報」NO.4=「天の門」NO.1より)

1970年(昭和45年)5月3日「月報」1号発行
1971年(昭和46年)2月21日「天の門」と改称 
1990年(平成2年)2月25日「天の門」43号をもって終刊となる(小海牧師時代から石橋牧師時代に引き継がれて終わる)
天の門



石橋牧師時代
「みつばさ」
                                        石橋秀雄
越谷教会の機関紙の名前は「天の門」である。35号まで発行された。月報と共に今後とも「天の門」を発行して行くことになっているが、今月から読みものとしての「月報」を発行することになった。
役員会で「月報」の誌名を付けることになり協議の結果「みつばさ」に決定された。
「天の門」に対して「みつばさ」である。われわれは天の門に向かって信仰者としての歩みを進めている。そして信仰者にとっての恵みは、「天の門」に向かっての歩みが孤独な歩みではなく「主のみつばさ」におおわれ守られての力強い歩みとなっているのである。
我々自身は弱くとも主の強い「みつばさ」のもとに守られ支えられているところにある。
「主はその羽をもって、あなたをおおわれる。あなたはその翼の下に避け所を得るであろう。そのまことは大盾、また小盾である」(詩91篇4節)主の強力な翼におおわれ、支えられて生かされている。それ故に、この世の罪の誘惑、大きな患難に会っても倒されること無く前進できるのである。

(1983年6月19日発行 みつばさ(1983・5・6=NO.1)表紙囲い欄「みつばさ」より)
1983年(昭和58年)6月19日月報「みつばさ」第1号を発行
2000年(平成12年)11月「みつばさ」200号を祝う
2005年(平成17年)11月「みつばさ」はNO256を数えている。

みつばさ