出 合
小海 寅之助
1 私たちは、毎日、毎日、人と人との交わりの中に生きております。幼少年期、青年期、
壮年期の今日まで、私は私なりに、ずいぶん多くの人びとと交わってきました。
しかし、それらの人々の中で、私の人生に決定的な意味と方向を与えてくれた人は、数少ないように思います。
2 長尾丁郎先生は、数名の中のお一人に挙げらるべき方でありました。
1946年(昭和21年)春、大宮市外に開校された農民講道館農業専門学校という古めかしい名称の学校で、キリスト教講演会が開かれました。当時学生であった私は、生まれて初めて、牧師さんのお話というものを聴かされました。そのときの牧師さんが、長尾先生でありました。以来今日まで、長尾先生と私との交わりは、特別身近なものではありませんでした。しかし、今にして考えてみますと、牧師としての私の人生の決定的な出来事に、いつも、長尾先生が関係しておられたということであります。
昭和21年11月、大宮新生教会で、私は、長尾先生から洗礼を受けました。
昭和32年4月、私の上尾伝道所主任担任教師就任式の司式者は長尾先生でありました。
昭和34年1月、牧師按手礼式を越谷教会の礼拝堂で受けております。
そして、今年4月1日に長尾牧師の後任者として越谷教会牧師として赴任してまいりました。いま、長尾先生が40数年牧された越谷教会の牧会伝道に奉仕し、先生の偉大なお働きが、少しずつわかってまいりました。
先生の魂と肉体の安息の場所であられた牧師館で、いま、快適な日々を過ごさせていただいております。
3 人間関係はまことに不思議なものでありまして、自分の人生に決定的な意味を与えてくれる人は、必ずしも、時間や空間と関係しないということであります。
前述したように、長尾先生は、私にとっては、それほど身近な方ではありませんでした。しかし、牧師としての私の人生から忘れることの出来ない先生でありました。
地上においては、もはや、再び先生にお会いすることは出来ません。しかしながら、越谷教会の牧師として立たされている私は、毎日、毎日、長尾先生の信仰と人格に触れさせられております。
「彼は死んだが、信仰によって今もなお語っている。」(ヘブル11章4節)とのみ言葉が真実であることを経験させられております。今後私は、おそらく誰よりも多く長尾先生に学び、長尾先生から教えられる牧師となることと思います。
「冕冠(べんかん)」 長尾丁郎先生への追想録(昭和43年7月10日発行)より
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