亀井周二牧師





親子共に主に生かされて

                                       亀井 周二

 二月はじめ、長男が教会生活をしている札幌の教会の牧師から「本人は『恥ずかしくて送れない』と言っていましたので私から」、とクリスマス祝会での長男の証が載った教会報が送られてきた。
 早速読んでみると、そこには親達もよく知らなかった彼の本音が書いてあった。「小さい頃から、牧師の息子ということで好奇の目で見られたりからかわれたりして、親元を離れてから教会に行くことが恥ずかしく思えた事、テニスに夢中になって留年しそうになった事、父親が癌を患った時は死ぬと思った事、それらが信仰上の親離れ、一人で神様と向き合うきっかけとなった事。  
 又、内面的にはイエス様を裏切った弟子達と教会に行かない自分のだらしなさを重ね合わせ、慰めを得ていたのが、よく考えてみたらイエス様を裏切りつつもイエス様から離れず、復活のイエス様に出会った弟子達よりも、イエス様の正しさを知りつつも自分の身の安全を考えてイエス様を見捨てたピラトの方が自分に近いことを知り、信仰告白をした事」等が書いてあり、彼の本音を初めて知った。長男は、理学部修士終了の時指導の先生から「お前、この後どうするつもりだ」と聞かれ「オレ、医者になります」と答え「お前、アホか!」との励ましの言葉を頂いて予備校へ。現在30歳、医学部5年生。
 彼は嘗て父に「牧師の子供で牧師になる奴の気が知れん。オレはテニスのレギュラーになりたいから礼拝に行く暇はない!」と言っていた。 
 最近、土曜日夜遅くにノンビリ気分で電話をすると、「一日中勉強とバイトで忙しい上に、これから明日のC・Sの準備がある」と短く切られ、我が身の愚かさと神様の素晴らしさを思う。 
 嘗て私は牧師の立場で「子育て、信仰教育は、不完全で自己中心的な親の愛と信仰より教会に、神様に任せなさい」と語ったが今は愚かな父親としてその言葉の真実さを感謝の中で噛みしめている。

(越谷教会月報みつばさ NO260 2006年3月号より)