子供の頃、スズムシを飼っていた。
大きなペットの飼えないアパート住まいだったので、スズムシや金魚、おたまじゃくしといったものは手頃なペットだった。
 玄関に置かれた下駄箱の上の水槽にいたのは、夜店ですくってきた金魚や、友達からわけてもらったスズムシだったりした。

 わたしが小学校に入学した年の冬、7つちがいの弟が生まれた。
 弟のことで一番よく覚えているのは、しょっちゅう寝返りの練習をさせられていた姿だ。 畳の上で腹ばいになり、「飛行機ぶんぶん」の形をつくり、父が掛け声をかける……。
 しかし何度やっても首を上にクイクイ持ち上げるばかりで、わたしは彼が寝返りに成功した姿を1度も見ることはなかった。 
 彼は毎日のように、母に連れられて整形外科や内科に通っていた。
 わたしはいっしょについていくこともあったし、1人で留守番をしたり、友達と遊んだりしていたようだった。
 待ちに待った男の子の誕生ということで、父は会社からまっすぐ帰宅すると、背広姿のままベビーベッドのところへやってきて、弟を抱き上げ、挨拶したりゆすったりあやしたりした。
 「首がすわったら抱っこさせてあげる」母はわたしにそう言っていたが、年があけて春になっても彼の首は横に傾いたままだった。
 わたしが小学校2年生になった夏休みのこと、家族4人で千葉に旅行へ行った。
 その時のことをわたしは覚えていないが、もともと風邪気味だった弟は出かけた先で大熱を出し、わたしたちは2泊の予定を1泊で切り上げて帰ってきた。
 (母は後年、あの時無理をして連れていかなければよかったと悔いていた。)
 弟の具合が急変したのはそれから2日ほどしてからだった。
 夜中に目が覚めると、父が身支度をしていた。まだ家には電話機がなかったので父は外の公衆電話まで救急車を呼びに出て行った。
 ようやくやってきた救急車に、弟を抱っこして乗り込む母の姿をわたしはアパートの3階の窓から見下ろしていた。
 あれは何時ごろだったろう。
 次に目を覚ますと、母が弟を抱いたまま嗚咽していた。
 いつも首に巻いていたよだれかけ代わりのガーゼが、弟の顔にかかっていた。
 襖ひとつ隔てた台所からは、光が漏れていて、父が誰かとーおそらく葬儀屋さんだったのだろうがー静かな声で話しているのが聞こえた。
 お通夜も葬式も自宅で行われた。
 その準備の間中、泣きじゃくるわたしの背中を祖母がさすってくれていた。
 母は怒ったような顔をして、食器棚にもたれかかったまま、身動きひとつせず、1点をずっと見ていた。
 父の膝と、母の関心を奪うものとして、嫉妬の対象であり、母の留守中にはわたしの格好のおもちゃだった弟は、ベッドの上で目をつぶったまま、動かなかった。
 さわるとイスや机のような、無機的な冷たさだった。おでこも、白いおくるみから突き出た2本の小さな足も……。
 その時わたしは初めて、人間は死ぬと本当に冷たくなるということを知った。
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スズムシ