恭子様

前略

 あなたが逝ってから、母はあなたの何十年分の日記を毎日少しずつ書き写しています。
魚○円、ノート○円、××医院へ行く……そんなメモ書き程度のものだけれど、農作業のかたわら、姑に仕え、母を含めて4人の子供を育てながらの生活の中、毎日コツコツと書き続けてこられましたね。
都会のお嬢様育ちのあなたが、いきなり岡山県の閉鎖的で、慣習のうるさい山あいの農村に嫁いできて、さぞかし馴染みにくかったことでしょう。
母は「おかあちゃんは、目がよく見えないからと言って、運動会に1度も来てくれなかった」と何度もそう言っていました。
家の仕事が忙しかったこともあるでしょうけれど、40歳を過ぎて生まれた末っ子が大学を卒業するまではと、あなたは自分用の度の合ったメガネを買う余裕もなかったと聞いています。
あなたの4人の子供たちは皆、あなたを困らせたり、反抗したり甘えたりしない、とても聞き分けのいい子供たちだったそうですね。
言葉のきつい姑のもとで、ただただおとなしく従順だったあなたに、子供たちはそうである以外なかったのでしょうか。

 子供の頃、父の実家に行くよりも、母の実家であるあなたの家へ行くほうが、わたしはずっと好きでした。
いつも家では傍若無人で支配的な母も、自分の実家にいる間、そうあなたの娘でいる間は、とても穏やかで、開放的でしたから……。
お風呂を焚く薪のパチパチいう音、濡れた草の匂い、じゃがいもの肌のようにデコボコした土間、湿った家の空気、それらを思い出す時、わたしは今すぐにでも駆けつけたい衝動に駆られます。
結婚が決まった時、彼と2人であなたの家へ立ち寄った時、彼に向かって「ふつつかですが」と畳に手をついて深々と頭をさげてくれました。
わたしはその時あなたが母の分身のように思え、不思議な気持ちで見ていました。 (こんな結果になってしまって、全くふつつかが過ぎましたね……)

 夫が亡くなったあと、あなたはひとり暮らしではどう考えても使い途のない5客組みの食器や庭いっぱいの鉢植えの花を、心の中にできたすきまを埋めるかのように次から次へと買い続けていたそうですね。
久しぶりに会う相手にお互いとまどってしまって、「こんにちは」「さようなら」それ以外に会話らしい会話をしたことがなかったけれど、今になって私はあなたをとても身近に感じます。
八王子に住む息子夫婦のもとへ引き取られたあなたの所へ、母は2人分のお弁当を持って通っていましたね。
「本当は離婚したかった」「今までちっともいいことはなかった」
そうあなたに聞かされて帰ってきては、「それじゃあ、わたしたちは何だったのよ」と母はボヤいていましたよ。
単身赴任故、週末だけ帰ってくるあなたの夫は、姑との間の砦にはなってくれなかったのでしょうか。

 ひ孫第一号をあなたにお見せしようと連れて行ったのが最後になりましたね。
母は、たくさんの管につながれたあなたの姿をわたしに見せたがらなかったので、1度もお見舞いに行くことはできませんでした。
あなたが亡くなったあとには、何度も読み返してボロボロになった聖書と、和紙で作った小箱や小さな家が残されました。
片方の目に残ったわずかな視力を頼りに作り続けたおびただしい数のそれらを見てあなたの虚しさ、寂しさが、どんな言葉で語られるよりも、わたしの心の中に迫ってきました。
手のひらに3つも乗るほどの小さな家のそれぞれに、色とりどりの窓やドアが貼られていましたね。
1つ1つの家にあなたはどんな思いをこめたのですか?
あなたが手にいれることのできなかった理想の家を思い描いていたのでしょうか。
料理の上手だったあなたは、集めた器の1つ1つに何を盛り付け、そして誰とどんな話をしながら食事をしたかったのでしょうか。

母は今でもことあるごとに、「千屋では」「千屋では」とあなたと過ごした村での生活のことを口にします。
それは単になつかしさからだけでしょうか。
彼女はあなたの日記を書き写すことで、あなたの人生を辿り、そしてあなたの人生を生き直しているように思えてなりません。
わたしもまた、あなたの娘のものの考え方や感情と、私自身のそれとの間に、なかなか境界線を引くことができないでいます。
彼女があなたのいるところへ行く前にそれができればいいのですけれど……。
どうぞそれまで彼女をあなたのところへお招きになりませんようお願いいたします。
                                    
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