母はわたしの子供だった。
母はわたしの娘だった。
今でもそうだが、わたしの物言い、態度1つで、家の中の雰囲気が明るくなったり暗くなったりした。
母はわたしの言動1つに傷つき、わたしの不機嫌を嫌った。
わたしが母の不機嫌をわたしのせいだと思っていたように、母もまた、わたしの不機嫌を自分のせいだと感じるのだろう。
そう、子供というものは、母親の言動に容易に傷つき、自分を責めるものだから……。
なにをどう気をつければ母に気に入られ、そして怒鳴られないのかわたしにはわからなかった。
気が付くと起こっていた怒声、物の叩きつけられる音、ドアの荒々しく閉まる音、確かにわたしが原因らしかったが、感じないフリ平気なフリをして、自分を守った。
それがまた母にはふてぶてしくうつり新たな怒りをかった。理不尽な怒り―。
そう、子供というものは、本来理不尽なものだから……。
2,3日口をきいてもらえなかったと、わたしの方はずっと思っていたが、母にしてみれば、わたしの方が母を拒否していたと、ずっと思っていたようだ。
わたしが母に歩み寄ってほしいと思っていたように母もそう思っていたのだ。
わたしの行動を逐一監視し、「ウソを言ってもすぐわたしにはわかる」とヒステリックに叫んでいたのは、わたしが母の関知しない世界に去っていくのが不安だったからだ。
そう、子供というものは母親が自分のところから離れていくことにとても敏感なものだから……。
「家の外は危険」それは、実は「わたしのそばを離れないで」そういうメッセージだった。
「娘の欠点を矯正するのが親の役目」「すべてあなのため」そう叫びながら母は母親としての自分を認めて欲しかったのだ。
「見てくれない」「食べてくれない」弱さを武器に人をコントロール(それが無意識であろうと)しながら、母は自分の無力感を訴えていた。
そう、子供というものは思いどおりにいかないと、自分の涙で周りを何とかしようとするものだから……。
「わたしに何でも話して」
「わたしのそばにいて」
「私を愛して」
「私を認めて」
「何も言わなくてもわたしの気持ちを察して」
それらすべての要求にわたしは答えることはできなかった。
なぜなら、わたしも全く同じことを母に望んでいたから。
かつて私が良い娘でないことに罪悪感を感じていたように、今母は良い母親でなかったことに罪悪感を感じ、わたしの顔色を伺い、自分の出番があると嬉々と しながらも「嫌われてもしかたない、でも嫌わないで」そう心の中でつぶやいてみせながら過ごしているだろう。
母はわたしの子供だった。
母はわたしの娘だった。
実はそうだったのだと、心底納得できればことはたやすい。
でも、そんなことはできやしない。
わたしもまた母の子供であり、母の娘なのだから。
トップページへ
2001/11