丸の内          

 その会社に入社しようと決めたのは、1つにはそこが丸の内にあったから
だった。
 もう10年以上も前の話だ。
 「丸の内のOL」、その響きはとてもかっこうよく、おしゃれに聞こえた。
紺のベストとおそろいのタイトスカート、人事課でテキパキと働く4人の先輩
社員たちも、都会風に洗練されて見えた。
 英会話もろくにできないくせに「英語を生かしたいです」と面接では大胆な
ことを言い、何となくそれらしい貿易部に配属になった。
 実際にする仕事といえば、伝票の入力や、お茶出し、給茶機の掃除、コピー
とり(上司が休日に行くゴルフ場の地図のコピーなんていうのもあった。)、ファッ
クスやテレックスの打ち込み(メールというもののない時代、海外とのやりとりは
そういうものに頼っていた。)、というたぐいのものだったが。
 「どこそこの会社にこの書類を届けて」そういうおつかいをいいことに、銀座の
三愛のバーゲンに寄り道をしたりした。
 お昼休みになると、OLを狙った焼いも屋さんが、どこからともなく現れ、ビルの
谷間では、広報に載るほど大々的ではないけれど、界隈のOLの間では恒例の
セールが行われた。
 官庁街にある建物は、正面玄関にビルの名前がさりげなく表示されてあるだけ
で、中に何の店が入っているのか、外からは皆目見当がつきにくい。
 口コミで、あるいはお昼休みの散歩中、このビルにこんな店が入っていたことを
発見したりするのも楽しみだった。
 たわいのないことだけど、木村屋の蒸しケーキにひどく凝っていた時、近くのビル
の中にその店を発見した時は、ワクワクしてしばらくそこに通ったものだ。
 当時は丸の内にあった都庁の食堂や地下の売店、丸ビルのアンテイークショップ、
おいしいサンドイッチを食べさせてくれる喫茶店……補助職ゆえに他人の都合に
振り回され、アタフタとしながらも、小さな楽しみを見つけようとしていたように思う。
 男女雇用機会均等法が施行されていたとはいえ、まだまだ女性は男性のお手伝い、
結婚したら仕事を辞め、25歳を過ぎるとなんとなく職場に居づらくなり、「自己都合で」
というあいまいな理由で退職するという風潮があった。
 寿退職で辞める人は、会社の廊下で同僚から花束を贈られ、とても誇らしげだった。
 クリスマスの近づいた銀座通り、華やかなイルミネーションの中を、わたしは今の
仕事の先の見えなさ、将来への漠とした不安を抱えながら、女友達と浮かない顔で
歩いた。
 今考えると、とてつもなく若くて、貴重で、お気楽だったその時期、と同時に自分の
ことがよくわかっていない時期でもあった。
 そしてそういうことに、全く気がついてもいなかった。  

                                           2001/12

 
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