「大人になったら何になりたい?」
子供に向けてよくされる質問だ。
「別にー」今では冷めた調子でそう答える息子も、保育園の卒園式の時
には、「野球の選手になりたい!」と、友達や先生の前で元気よく発表して
いた。
わたしは何になりたかっただろう。
最初の記憶では確か「ソロバンの先生」だった。
小学校2年生の頃から、当時はやりはじめていたソロバン塾に通ってい
た。あの機械的で、単純で、練習すればするほどスピードも増し、成果が
目に見えるソロバン。週1回行われる競技とよばれるものも、わたしの競争
心を刺激して好きだった。
「ねがいましては」ではじまり、数字を早口で読み上げる声の調子もかっこう
よくみえたのかもしれない。
少しがんばれば手が届くような気がしていた。
小学校の卒業文集には「小説家」になりたいと書いた。
本が好きだった。毎日日記を書いたり、父が勤務先の工場から持ち帰った大量
の不用紙をホッチキスでとじて、その裏に物語を書いていた。
その後、わたしのなりたいものは気まぐれに何の脈略もなく変わった。
中学生の時、山口百恵演じる白血病の少女が医学部を目指すテレビドラマ
が流行ったときには、医学部を受けたいと思ったし、(手塚治の『ブラックジャック』
も影響していたと思うが)、数学の先生を好きになれば、数学の先生になりたい
と思い、国語の先生に憧れれば国語の先生、という具合に……。
(刑事ドラマにはまっていた時には、人質になりたいとさえ思った。)
「なりたい」がいつのまにか「みんながそうなるから、世間では一般的だから、
だからわたしもそうなるだろう」に変わったのはいつの頃からだろう。
自分の好き嫌い、適性を考えようともせず、回りの友人がすすむ道、女性雑誌
の情報を疑うこともなく、絶対的なものと信じていた。
自分の感覚や、考え方に、世間との少しのズレを発見するのが怖かった。
わたしはわたしにしかなれない。
どうあがいてもそれ以外になれない。
文章1つとってもわたしが書ける文章は限られている。
そのことを受け入れがたいのは、その「わたし」が所詮ちっぽけな一人の人間
であるということを認めたくないからかもしれない。
これは傲慢というものだろうか。
2001/12
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