手紙

 最初の文通相手はアパートの一階下に住む同い年の女の子だった。
水森亜土のマンガのついたメモ用紙や筆箱が流行っていた頃だ。
明日遊べるかとか、なんで今日○子ちゃんと帰ちゃったのとか、クラスの誰そ
れは好きとか嫌いとか、そんなたわいもないことを書いたララちゃんメモを握り
しめて、2階と3階の間の階段をお互いに上ったり降りたりした。
 10年以上前のことになるが、やはり同い年の子供を生んだわたしたちは赤ち
ゃん連れで会ったが、○子ちゃん、△子ちゃんとファーストネームで呼び合って
も全く違和感を感じないのだった。

 6年生の始めに引越しをしたわたしは、仲の良かった友達からの手紙が待ち
どおしくて、学校から帰るたびにポストをのぞきこみ、彼女たちからの手紙や
返事がくるとワクワクして封を切った。
 話すことよりも、書くことを通してのほうが、言葉がたくさん沸きあがり、会話を
楽しむことができるような気がした。

 高校の時、同じクラブに入っていた友だち、男の子2人と女の子5人で、交換
日記をつけた。
 今ならさしずめ携帯メールということになるだろう、日記という名の文通である。
 クラスの中では”お気楽なみそっかす”を演じながら、自分の周りに見えないバリ
アを張って、1番孤立感を強めていた時期だった。彼らとのやりとりだけが楽しみ
だったように思う。
 決して演じていたわけではない自分の中の「明」の部分が、その日記の中にだ
けは素直にでていたように思う。
 ただ三つ子の魂100までというけれど、20年前に悩んでいたこと、感じていたこ
とが今になってもちっとも解決できていないことを発見した時には複雑な思いが
するが……。

 19歳の時の秋、朝新聞をとりに外へでると、空気がぬけてペチャンコになった風
船の束が庭に落ちていた。
 ヒモの先にビニールの袋がくくりつけられている。
 拾い上げて中を見てみると、”風船たより”と書かれた数枚の小さな紙。そこには
大阪府内の小学校名が印刷されており、○年○組、名前なにがしと、子供の字で
記されてあった。
 風船に手紙をくくりつけて空に飛ばし、拾った人と交流をもとうという、当時あちこち
で行われていたイベントだとわかった。
 それにしても大阪くんだりから神奈川県の郊外まではるばるやってきたその風船
の持久力には驚いてしまう。
 3、4人分の手紙だったと思う。すぐに返事を書いて送った。
 向こうでも、自分たちの風船がそんなに遠くまで飛んでいったことに、とても驚いた
ようだった。
 「おねえさんの手紙を(学校の)先生がみんなの前で読み上げてくれました」と、う
れしそうな返事が再び届いた。
 そのうちの一人、小学校4年生くらいだった男の子とは、そのことをきっかけに毎年
年賀状のやりとりが続いた。
 時には兄弟の連名でくることもあった。自作のイラストを添えた年賀状が、翌年には
プリントごっこになり、やがてワープロを使えるようになったのか、モノトーンの印刷文
字になりそして就職、転勤……1年に1回のやりとりだったが、彼の成長を追うことがで
きた。

 旅を扱った情報誌のペンパル募集欄に投稿したことがある。
メールなどない時代だ。
 わたしの記事がその雑誌に掲載されて2,3日たったころから、手紙が束になって届く
ようになった。
 始めのうちは律儀に返事を書いていたが、そのあまりの数の多さについに書ききれな
くなった。
 わんさかわんさか毎日30通前後、これにはまいってしまった。
 年齢が24歳だったこともあり、女性より男性からの手紙の方が多かったが、こうなる
とうれしいというより段々怖くなり、そのうち郵便受けをのぞくのもイヤになってしまった。
 その中の年配の女性とはポツリポツリとハガキのやりとりが続いたが、世代も違い、
会った事もない相手との共通の話題を探すのにお互いとまどううちに、やがてどちらか
らともなく音信が途絶えた。

 最近は、もともと友達や知り合いが少ないわたしのこと、一番気ぜわしい時期というこ
ともあって手紙を書くことも受け取ることもめっきり減った。
 年賀状の数も図らずも年々減ってくるようだ。
 1度も会った事もない相手から「昨年はお世話になりました。今年もよろしく」とくれば、
とても違和感を感じつつも、社交辞令なのだからと、自分も書くことがさっぱり見つからな
い相手にはしっかりそう書いて送ったりしている。
 子供の頃から付き合いの長い手紙だけど、わたしのために封筒や便箋を選び、書いて
いる間はわたしの顔を思い浮かべ、その結果手元に届いた手紙だということを、わたしは
どれだけわかっていただろう。
 たくさんの親しい言葉をもらっておいて、どれだけわたしの心に届いていただろう。
 ひとくちに社交辞令といっても、高校生のようにリアルタイムでメール交換するだけの
時間も場所もない大人流の、「少しでも人とつながっていたい」という気持ちのあらわれだ
としたら、まんざらでもないのかもしれない。

 風船の彼から今年のはじめ、写真つきの年賀状が届いた。
 初めて見る彼の横には、はつらつとした利発そうな彼女。
 下には「結婚しました」の文字。
 そういう手紙はわたしは大抵の場合、「ふん!」と言って、うっちゃるのだが(実はひがみ
っぽいのかしらね)、今回ばかりは全く違った。
 つたない文字で、「おねえさん、あけましておめでとうごさいます」と、手書きのイラストを
添えた年賀状を初めて受け取った日から20年近く経とうとしていた。
 「すっかりおとなになったじゃないの!」と、柄にもなくわたしは写真の彼にそうつぶやいた。
 今年はだから―、彼と彼女、2人の宛名で年賀状を書こうと思う。
              
                                             2001/12 

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