67の手習い  

 父がパソコンを本格的に習い始めた。
市が主催した2日間のIT講座に参加して、その気になったらしい。
 5年前に購入して、今は子供に払い下げとなったNECのキャンビーが、
彼の目下の練習台である。
 「まったくわからない人のパソコン入門」という、これ以上の初心者向き
はないだろうというタイトルのテキストを片手に、平日の昼間にポツポツ練習を
している。
 なにぶん古い機種で、画面の整理もろくにしていないので、テキスト通りにこ
とが進まないらしく、休日、わたしの姿を見つけると、「ちょっといいもん見せて
やる」と、遠慮がちにすり寄ってくる。
 父親の面子にかけて、「教えてくれ」とは言いたくないのだ。
 わたしはわたしで、読みかけの新聞なんかをゆっくりとたたんだりしながら少し
じらして、寒いパソコン部屋がヒーターの熱で暖まった頃、のそのそと立ち上がる。
「邪魔な画面があいたらバッテン(×)をクリックして消す……」
「左から2番目のキーを押しながら暗号○○○を入れて、接続をクリックする……」
耳の遠い父はわたしの言うことを一言ももらすまいと、耳を傾け、ひとつひとつ自分の
言葉で几帳面にメモをとっていく。
 彼のかかりつけの病院が新しく開設したホームページが、見覚えのある建物の写真
とともに画面上にあらわれるのを初めて見たときには、手をたたかんばかりの喜びよう
だった。
 ある日のことだ。
 「○×▽!?●★!●△@!!」と騒いでいる父の声が聞こえてきたので部屋を
覗いてみると、
「見てみろ!画面がこんなふうになってしまうんだ!」とパソコンを指差している。
見ればたくさんのウインドウズのマークがビュンビュンとこちらに向かって飛んできて
いる。
そう―。テキスト片手にモタモタしているうちに、スクリーンセーバーが始まったのである。
 そのあまりの唐突さ、動きの速さに、仰天したらしい。
 わたしがひょいとマウスを動かして、画面をもとにもどすと、「マウスをつっつく」とこれ
もまたメモをとっている。
 スクリーンセーバーはいいとして、くせものは、突如として現れるエラーメッセージだろう。
 これに関しては、テキストのどこを見ても書かれていないし、説明してもムダと思うのか
時間の関係からか、大方のパソコン教室でも、対処法についてまでは教えないらしい。
 たいていインストラクターがすばやくやってきて、メモとる間もないほどの速さでちゃかち
ゃかキーを叩いて、なにごともなかったかのように去って行ってしまう。
 教わる側は、何がおこったのかわからないまま、取り残されてしまうのだ。
 わたしはあの警告マークとともに鳴る、「じゃん!」という音にギョっとさせられ続け、
最近ではあの音が鳴らないように設定している。
 「インターネットへ情報を送信するときに、その情報をほかの人から読み取られる
可能性があります。続行しますか?」と、いきなり尋ねられた時には、どうしていいかわ
からず、「はい」をクリックしたものの、外から覗き見されているような、不気味な感じが
残ったものだ。
 彼が今購入しようと考えているのは、富士通のデスクトップパソコン。
 17型、CD/RW、DVDドライブ完備、なんとわたしが欲しいと思っている広辞苑まで
インストールされているではないか。
 始め、将棋のゲームとインターネットができれば何でもいい、と言っていたのが、
この豪華さはどうしたことだろう。
 「今この大きさがあるのは、富士通と、NECだけなんだ」と、ヤマダ電器やヨドバシカ
メラから集めてきたパンフレットを眺めながら、にこにこしている。
 彼はなんでも大きければ大きいほど、立派だと思っているところがある。
 そういえば昔2DKのアパートに住んでいた頃、どう見ても不釣合いな大きさのカラー
テレビが、家に配達された。
 今は画面はワイドでも、奥行き数センチ、持ち運びまでできるテレビもあるようだが、
その頃のテレビは、画面の大きさに比べて、横幅も厚みもあるどっしりとした型が主流
だった。
 洋服ダンスが2つとテレビ、そして布団を3つ並べて敷くと、それだけで部屋は埋まり、
狭い6畳間がさらに窮屈に感じられたものだ。
 お店でいろんな機能がついた機種を見せられれば、ちょっと予算を上乗せすればい
いんだし……とそっちを買いたくなるのは人情ってもの、最近では、わたしも「そんなの
使いこなせないんじゃないの」という意地悪なことは言わずに、購入のあかつきには
添付されているあのソフトこのソフトをインストールさせてもらおうとひそかにたくらみ
ながら、イケイケムードをあおっている。
 
 連休中の今日もお呼びがかかった。
 「機械や電化製品のことは父に任せろ!」という神話はかなり前に崩れ去っているも
のの、背中を丸めて一本指打法でキーをポツポツ打つ白髪頭の父は、その昔わたし
が「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼んでいた祖父と祖母をミックスさせたような、
70近いひとりのおじいさんなのだった。
                                        2002/1

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